巻ノ五百拾 ジーク・山ヶ野! の巻
「我が忠勇なる山ヶ野の勇姿たちよ。今や伊東の兵の半数が我が第四艦隊の攻撃によって佐渡原城ごと消し炭となった。この輝きこそ我ら山ヶ野の正義の証である。決定的打撃を受けた伊東の軍に如何程の戦力が残っていようとそれは既に形骸である。敢えて言おう、カスである!と」
大作は一旦言葉を区切ると食堂に集う幹部一同をぐるりと見回した。
だが、皆の意識は善の上に丁寧に並べられたご馳走に向いているらしい。誰一人として演説に耳を傾けている者はいないようだ。
とは言え、そんなことは一度始めた演説を途中で止める理由にはならない。大作は小さくため息をつくと演説を続ける。
「その軟弱の集団がこの山ヶ野を抜くことは出来ないと私は断言する。人類は選ばれた優良種たる我々に管理運営されて初めて永久に生き延びることができる。これ以上戦い続けては人類そのものの存亡に関わるのだ。伊東の無能なる者共に思い知らせ、明日の未来のために我が山ヶ野は……」
誰も聞いていないにも関わらず…… と言うか、誰も聞いていないからこそ大作のテンションは最高潮に達する。最高潮に達したのだが……
「大佐、大佐! 大事よ! 通信班がとんでもない事を言い出したわ!」
突如として割り込んできた甲高い叫び声が話の腰を複雑骨折させてしまった。
「あのなあ、美唯。あとほんのちょっとで演説が終わる所だったんだぞ。五秒やそこらくらい待てなかったのか? って言うかこう言ってる時間の方が長いと思うんだけど?」
「だったら…… だったらその演説とやらを最後までやっちゃいなさいな。美唯、聞いててあげるから。さあ、さあ、早くおやんなさいな!」
「そ、そんな風に急かされたらやる気が失せちゃうんですけど…… でもまあ最後までやっとくか。んじゃあ気を取り直して…… 伊東の無能なる者共に思い知らせ、明日の未来のために我が山ヶ野は立たねばならぬのである! ジーク・山ヶ野!」
「……」
座敷は暫しの間、静寂に包まれる。その沈んだ空気を打ち破ったのはお園の気の抜けた声だった。
「もう食べても良いのかしら、大佐?」
「あ、ああ…… いいよ、好きなだけ食べてくれて。待たせて済まんかったな。んで、美唯。何が大事なんだ? 通信班がどうしたって?」
「これよ、これ。これを見て頂戴な」
よっぽど力強く手で握り締めていたのだろうか。差し出された藁半紙はくしゃくしゃに皺が寄っている。大作は黙って受け取ると机の上に広げて両手で平らに伸ばした。
「どれどれ、ふむふむ、ほうほう。ふぅ~ん…… んで? これはどういう意味なんだ?」
「えぇ~っと、大佐…… 読んで分からなかったのかしら? 要するに伊東の兵なんて端から何処にもいなかったのよ」
「いなかっただと? いやいや、でも確かに報告では二万の兵が押し寄せてるって話だぞ」
「だからそれが空言だったのよ。此処を見て、此処を。山ヶ野に二万の兵が迫ってるっていう暗号電文だと思っていた物は実は東郷様の気象通報だったんですって。平文だったその電文を通信班が暗号電文だと勘違い。復号してみたら偶々にも二万の伊東の兵が攻めてくるっていう電文になったそうよ。それにしても世の中には不可思議な事もあるものよねえ」
半笑いを浮かべた美唯は両の手のひらを肩の高さでひらひらさせる。
まるっきり他人事みたいな言い草からは真剣さの欠片も感じ取れない。
「そ、それってもしかして物凄く大変なことなんじゃないのかな? 俺たちは攻められたわけでも無いのに伊東の本城を焼き払っちまったってことじゃろ? 確かに伊東は仮想敵ではあったけど、これって先制的自衛権の範疇を遥かに超えてるぞ。どうすれバインダー?」
「どうするもこうするも無いんじゃないの? どのみち近いうちに伊東は攻め滅ぼすつもりだったんでしょう。それがちょっと早まっただけだわ」
「そうは言うがな、美唯。薩摩の平定すらまだまだ道半ばといった状況なんだぞ。このうえ伊東まで抱え込んだら完全にキャパオーバーじゃないのかな」
不貞腐れたように口を尖らせた大作は忌々しげに吐き捨てる。吐き捨てたのだが……
通信記録紙から目線を上げて見ると眼前からは美唯の姿は掻き消すように消えていた。
「相も変わらず逃げ足の早い奴だなあ。まあ、どうでも良いか。どうせ他人事だし」
大作は紙切れをくしゃくしゃに丸めると座敷の隅っこに置かれたゴミ箱に放り投げる。放り投げたのだが……
残念無念、紙くずはカップに蹴られて明後日の方向に飛んでいった。




