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巻ノ五百六 伊賀は燃えているか? の巻

 信長が死んだという衝撃的な知らせは山ヶ野に激震をもたらした。激震をもたらしたと思われたのだが……


「信長って誰だったかしら? 美唯、見たことも聞いたこともないわよ」

「某も存じ上げておりませぬ。如何なる縁のお方にござりましょうや?」

「にゃあ、にゃあ、にゃ~あ!」

「ほら、大佐。小次郎も知らないって言ってるわよ」


 世にも珍しいオスの三毛猫も禿同といった顔で大きな目をキラキラさせている。

 と思いきや、ドヤ顔を浮かべたサツキとメイが嬉しそうに口を開いた。


「私は知ってるわよ! 確か伊賀を焼き討ちした悪い奴だったわよねえ?」

「天正伊賀の乱だったかしら。でも、それって三十年くらい先の話でしょう? ってことは伊賀は焼かれずに済むかも知れないわね!」


 二人は同意を求めるように熱い視線を送ってくる。

 こいつはフォローが必要だな。大作は灰色の脳細胞をフル回転させながら適当に言葉を紡いで行く。


「より正確に言えば天正伊賀の乱の総大将は織田信長の次男織田信雄なんだけどな。まあ、いまの時点で信長が死ねば信雄だって生まれてこないんだけどさ」

「だったら伊賀は焼かれずに済むのね? 良かった~~~っ!」

「ところがギッチョん! そうとは限らんのだ。歴史の復元力ってあるだろ? 聞いたこと無いか? 無い? 無いんだぁ~っ…… 歴史の復元力っていうのはドラ()もんのセワシ君も言ってた話なんだけど、歴史上のイベントが多少は異なったところで大きな流れは変わらんっていうアレだよ」

「れきしのふくげんりょく? 美唯、それも聞いた事が無いわ。さっきから美唯の知らない話ばかりね。詳らかに話して頂戴な」


 顰めっ面をした美唯が不服そうに頬を膨らませる。

 大作は人を小馬鹿にしたような半笑いを浮かべると軽く頭を振った。


「たとえばの話しだけど今みたいな戦乱の世がいつまでも…… 百年も二百年も続くと思うか? そんな筈は無いだろ? 止まない雨は無い。何十年掛かるか知らんけど、そのうちに 何処かの誰かが天下を治めるはずだ。産業革命だって同じさ。ハーグリーブスがジェニー紡績機を作らなくても何処かの誰かがに似たような物を作るだろう。何故かというとこの時代、飛び杼が発明されたせいで織物の生産量が急増していたからな」

「何で? どうして織物が急に沢山作られるようになったのかしら?」

「うぅ~ん…… 確かジョン・ケイが飛び杼を発明したのは1733年なんだっけ? だけども織物の生産量が激増したのは七年戦争が終結して1763年にパリ条約が成立してかららしい。アメリカやインドからフランスが追いやられ綿花の供給も織物の市場も失ってしまったからな」

「どゆこと? だったらその七年戦争とやらでイギリスが勝っていなければ産業革命は起こらなかったんじゃないかしら? 小さな事が気になってしまう。美唯の悪い癖なのよ」


 こまっしゃくれた顔の美唯が思いっきり顎をしゃくる。

 そのドヤ顔を見ているだけで大作のやる気がモリモリと削がれて行く。

 だが、話のオチだけは何が何でも付けなければいかん。芸人の意地に掛けて!


「もしフランスが勝っていたらフランスで産業革命が起こっていただけの話じゃね? それこそ歴史の復元力そのものだろ。そういう意味では鎖国していた日本で産業革命が起こる可能性は全く無かったんだろうな」

「鎖国? でも、大佐。江戸時代の日本は中国やオランダとは長崎を通じて。朝鮮とは対馬を通じて。琉球とは薩摩を通じて商いしていたんじゃなかったかしら?」

「いや、あの、その…… 国を完全に閉じていなくても貿易や人の行き来を極端に制限するだけでも鎖国って言うみたいだぞ。そんな感じで納得してはくれんもんじゃろか?」

「しょうがないわねぇ~っ! 一つ貸しよ、大佐。んで? いったい何の話だったかしら? 続けて頂戴な」


 いったいいつの間に話の主導権を握られてしまったのだろうか。

 美唯は鷹揚に頷くと話を促すように黙り込んでしまった。

 もうこのまま放っぽり出して何処かに逃げ出そうかしら。

 ちょっとイラっときた大作の脳裏にほんの一瞬だけ過激な思考が芽生えては消えて行く。

 いやいやいや! 逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。

 強靭な精神力で持って脱線しかけた話を何とかして復元する。


「閑話休題! とにもかくにも信雄や信長、なんなら織田家そのものがいなくったって戦国時代はいずれ終わる。その過程では素直に恭順する奴もいれば流れにとことん逆らって滅ぼされる奴らもいるだろう。そうなると伊賀が天下を取らない限り、大人しく従うか滅亡するかの二択しか無いんだよ。分かってくれるよな? な? な? な?」


 大作はそこで話を区切ると一同の顔をぐるりと見回した。見回したのだが……


「美唯、さぱ~り分からんわ。大佐がやりたいのは歴史改変なんでしょう? それが出来ないってどういう事かしら? だったら…… だったら今まで美唯たちが一所懸命に頑張ってきたのは何だったのよ!」

「どうどう、餅つけ。ちゃんと説明するから落ち着いて聞いてくれ。そのそもドラ()もんの設定その物に矛盾があるんだよ。たとえばあの作品には時間犯罪やタイムパトロールが出てくるだろ? ところがドラ()もんやセワシ君は初っ端から歴史改変をやろうとしている。これってどうなのって指摘は今までにも散々されていて、大きな議論を呼んでいたんだ」

「要するに伊賀は焼き討ちされずに済むって事かしら? 良かったぁ~っ!」

「本に良かったわねえ。ドラ()もん様様だわ。ドラ()もん様には足を向けて寝られないわよ」


 満面の笑みを浮かべたサツキとメイが心底から安堵の吐息を付く。

 どう説明すればこの勘違いを訂正できるんだろう。大作は小首を傾げると眉間に皺を寄せて考え込む。考え込んだのだが…… しかしなにもおもいつかなかった!


「まあ、アレだな。アレ…… もしドラ()もんがジャイ子じゃなくてしずかちゃんと結婚したらセワシくん自体が全くの別人になっちまうんじゃないかって話だよ」

「あのねえ、大佐。ドラ()もんはジャイ子ともしずかちゃんとも夫婦(めおと)になったりしないんじゃないかしら? それを言うならのび太でしょうに」

「あ、ああ…… ちょっとした言い間違いだから多目に見てくれよ。俺が言いたいのはそういう話じゃなくてだな。仮に現時点で信長が死んでも織田家の家督は弟の信行が継ぐだろう。んで、男児を何人か産むだろう」

「あのねえ、大佐。美唯は思うんだけど弟って事は信行様ってお方は男なんでしょう? だったら男児なんて産めないんじゃないかしら?」


 例に寄って例の如く、美唯は情け容赦なく重箱の隅を突いてくる。

 真面目に相手をするのは面倒臭いなあ。大作の精神力は早くも尽き果てようとしていた。


「それもちょっとした言い間違いだろ! 勘弁してくれよ…… んで、話を信行に戻しても良いかな? 信長は十一人兄弟の上から二番目だったらしい。ただし信秀の継室の土田御前が産んだのは信長と信行の二人だけだ。んで信行って奴は通称は勘十郎。今の時点では信勝って名乗ってるみたいだな。それが後に達成から信成へと名前を変えるんだとさ」

「??? 信行様じゃなかったの? どゆこと?」

「信行って名前が現れるのは江戸時代に書かれた織田系図かららしいな。信頼できる同時代史料には信行って名前は出てこないんだとさ。まあ、記録に残っていないだけで信行って呼ばれていた可能性を否定することは出来ないんだけれど」


 大作はスマホで調べた情報を掻い摘んで読み上げる。掻い摘んで読み上げたのだが……

 残念至極なことに真面目に話を聞いている者は誰一人としていなかった。


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