巻ノ五百四 救え!シビル汗国を の巻
「そんじゃあ頼んだぞ、美唯。山ヶ野の未来はお前の双肩に掛かっているんだからな」
大作は芝居がかった口調で馬車の荷台にちょこんと体育座りした美唯に向かって声を掛けた。
「そうけん?」
「両方の肩のことだよ」
「だったらそう言って頂戴な。美唯は『 そうけん』だなんて言葉は聞いた事もなかったわ」
唇を尖らせた美唯は心底から不服そうに方を竦める。
「はいはい、分かりましたよ。んじゃあ、Take 2! 頼んだぞ、美唯。山ヶ野の未来はお前の両方の肩にかかっているんだからな」
「確と心得たわ、大佐。無反動砲を検分する大役、この美唯が見事に果たして見せるから。大船に乗ったつもりで待っていてね」
「そうだな。空母信濃やタイタニックに乗ったつもりで待ってるよ」
その言葉を待っていたかのように馬車が動き出す。
半笑いを浮かべた美唯は市場へ連れて行かれる子牛のようにドナドナされて行った。
「さて、これで厄介事が一つ片付いたな。んで、今日の予定は何だっけ?」
「金融政策決定会合、防衛装備品技術指針策定会合、こども政策関係部局長会議、エトセトラエトセトラ……」
隣に立つお園が早口言葉のように答える。その言葉はまるで立て板に水の如しだ。
「ふぅ~ん…… それで? 要するに俺は何処へ行けば良いんじゃろな?」
「さ、さあ…… 此処では無い何処かじゃないのかしら? 知らんけど!」
「知らんのかいなぁ~っ! まあ、どうでも良いや。犬も歩けば棒に当たる。取り敢えずまあ、此処では無い何処かとやらへ行こうじゃないか」
そんな阿呆な話をしながら歩くこと暫し。向こうの方から見知った顔が現れた。
「おお、大佐ではないか! 斯様な所で相見るとは真に持って奇遇な事じゃな。妾は此れより、こども政策関係部局長会議に向かう所じゃ。宜しければ共に参らぬか?」
「あはははは…… ご一緒したいのは山々ですが拙僧には大事なお勤めが御座いますれば此度はご遠慮をば致します」
「ちょ、おま、大佐……」
面倒事は厄介だ。大作はけんもほろほろに……
「違うわ、大佐。けんもほろろよ!」
「いやいや、お園。分かっててわざとボケたんだよ。マジレス禁止!」
「捕まえたぞ、大佐。さあ、妾と共にこども政策関係部局長会議へ参るのじゃ」
ほんの一瞬だけ気を許したのが運の尽き。サンは大作の右腕をガッシリとホールドして離そうとしない。
ちょっとだけイラッときた大作は本気で手を振り解こうと渾身の力を込める。力を込めたのだが……
両腕でしがみつくサンに対して片腕の自由を奪われた大作では対抗のしようがなかった。
「はいはい、ギブアップ! 行きゃ良いんだろ、行きゃあ。そんじゃあ、こども政策関係部局長会議に参ると致しますか!」
「うむ、それでこそ妾が見込んだ大佐じゃ! 褒めて遣わすぞ」
「逃げようとしたって無駄よ、大佐。無駄、無駄、無駄、無駄!!!」
気付くとフリーだったはずの左腕にもお園がしがみついている。
こうして大作はエリア88…… じゃなかった、エリア51で捕まった宇宙人みたいにドナドナされて行った。
総務部の会議室に辿り着くと既に室内には大勢が勢揃いしていた。
受付に座っていた修道女姿の若い女性が立ち上がって小走りで駆けてくる。
「お園様、三の姫様、漸く参られましたか。お待ちしておりました。ささ、此方へお座り下さりませ。大佐もお隣りへ」
座敷の最奥に派手な柄の座布団が仲良く三枚並んでいる。
大作はほんの一瞬だけ迷ったが遠慮せず左端に座った。
「確か左の方が上座なんだっけ。ん? 間違ったかな……」
「そんなのどっちでも良いじゃない。さっさと座んなさいな、大佐。ちょっと時間が押してるみたいよ」
「そいつは済まんこってすたい」
入口の襖が静かに閉まり、座敷に静寂が訪れる。
先ほど声を掛けてきた修道女姿の若い女が口を開いた。
「然らばお時間となりました故、こども政策関係部局長会議を始めさせて頂きとう存じます。まずは、三の姫様から一言をば……」
「ちょっと良いかな。その前に俺から皆に少しばかり話があるんだ。大した話じゃないんだけど時間を貰いたいんだけれど」
大作は修道女姿の若い女の言葉を遮って話に割り込む。割り込んだのだが……
逆鱗に触れるとはこのことか。女は見るからに不服そうな顔で睨みつけてきた。
「誠に恐れ多き事なれど大佐。既に予定の刻限を大きく遅れております。大した話でないならば場を改めて頂いても宜しゅうございますか?」
女の言葉は形の上では疑問形になっている。だが、強い語気からは有無を言わせぬ空気が伝わってくるかのようだ。
こいつは逆らわんのが吉だな。大作は潔くシャッポを脱ぐと卑屈な愛想笑いを浮かべた。
「ああ、めんごめんご。だったら俺の話はまた今度にするよ。邪魔して悪かったな」
勝てない相手とは決して戦わない。絶対ニダ!
笑いたければ笑えば良いさ。それが俺の処世術なんだからしょうがない。
大作は卑屈な笑みを浮かべてぺこぺこと頭を下げる。
だが、ここで意外な方向から物言いが入った。
「ちょっとお待ちなさいな! 大佐は名目上、ここ山ヶ野の最高指導者なのよ! その言葉は例えようもないほど重いわ。それを蔑ろにするだなんてお天道様が許しても修道女頭領たる此の妾が許さないわ!」
「こ、此れは大変ご無礼を仕りました。申し訳次第もございませぬ。では、大佐。心ゆくまでご存分にお話下さりませ」
手のひらクルーとはこのことか。つい今しがたまで鉄仮面の様だった女は満面の笑みを浮かべている。
言われた事には黙って従う。それが彼女の処世術なんだろう。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。
「む、無理を言って悪いなあ。じゃあ、なるべく手短に済ますから聞いてくれるかな。まず始めに言いたいことは今後の基本方針だ。我々の最終目標が何だったか覚えているかな?」
そこで一旦言葉を区切った大作は座敷に集った全員の顔をゆっくりと見回す。見回したのだが…… 全員が揃いも揃って虚ろな評定でよそ見をしている。
そんな惨状を見るに見かねたのだろうか。お園が助け舟を出してくれた。
「確か第二次世界大戦で日本の敗戦を回避するとか言ってたわよねえ。枢軸国を勝利させなきゃならんとか何とか」
「そうだな。その為には薩長が政治権力を握る切っ掛けになった明治維新を阻止せねばならん。可及的速やかにだ」
「そ、そうなんだ。それは難儀な話ねえ。んで? 要するに何をしたいのかしら、大佐は」
「ここでキーになるのは薩長の動向だな。まず長州に関しては毛利元就を含む主だった面々の死亡がほぼ確認されている。これなら厳島の戦は起こりそうもないな」
「そうなると陶隆房が大寧寺の変を起こすかどうかねえ。確か大内義隆様が家臣の陶隆房(晴賢)の謀反で自害なさるんでしょう? これも妨げるつもりなのかしら?」
興味津々といった顔のお園がグイグイと詰め寄ってくる。
腕組みをした大作は小首を傾げながら天井を見上げた。
「歴史改変という意味では大内を存続させた方が面白いかも知れんな。まあ、陶隆房(晴賢)が長生きしたらしたで歴史改変ではあるんだけれども…… いやいやいや、そうじゃなくてだなぁ。いま俺がしたいのはそういう直近の話じゃないんだ。五百年後、二十一世紀の話なんだよ。たとえばの話だけど第二次世界大戦で日本が勝利しても、その後にドイツと第三次世界大戦が起こったらしょうがないだろ? そうじゃなくても中露やインドが台頭してくるんだし。そうだ、閃いた! じゃなかった、思い出した。ロシアのシベリア進出を食い止めなきゃいけなかったんだっけ」
「あぁ~あ、そう言えば前にそんな事を言っていたわねえ。キプチャク汗国の滅亡を阻止するんだったかしら?」
「いや、あの、その…… 残念ながらキプチャク汗国は1502年に滅亡してるよ。俺が滅亡を阻止したいのはシビル汗国の方だな。こいつらが滅亡するのは1598年なんだ。面白そうな歴史介入ポイントといえば1585年に最後の君主クチュム・ハンが行ったコサック軍への奇襲攻撃かなあ。この攻撃でコサックの親玉イェルマークは戦死しているそうな」
「それって三十五年も先の話よねえ? だったら今、急いでする話でもないんじゃないかしら?」
「そ、それはだな…… シビル汗国がロシアへの毛皮朝貢を拒否するのは1572年なんだけど、実際にコサックが侵略を開始するのは1578年みたいぞ。んで、本当にシビル汗国の首都カシリクで戦闘が発生たのは1579年のことだ。イェルマークの軍勢は五百四十人だって話もあるから随分とショボい戦いだな。とにもかくにも、それまでに俺達は鉄砲を…… そうだなあ、千丁くらいは用意しないといかん。弾丸も百万発くらいは欲しいな」
そこで一旦言葉を区切った大作は上目遣いでお園の顔色を伺う。伺ったのだが……
「それだとしても二十九年も先の話よねえ? その頃には鉄砲も弾も掃いて捨てるほど有り余ってるんじゃないかしら。取り敢えずその話は二十年くらい後にしたら良いんじゃないかしら?」
「…… で、ですよねぇ~っ! こりゃまった、失礼をば致しました!」
どうやら大作の熱弁は聴衆たちの関心をこれっぽっちも響いていないらしい。
残念ながら、その場に集う誰一人として耳を傾けている者はいないようであった。




