巻ノ五百参 拳王のク・ソ・バ・カ・ヤ・ロ・ウ…… の巻
「知らない天井でしょう、大佐?」
翌朝、目を覚ました大作が得意の名セリフを口にしようとした瞬間にお園が横から口を挟んできた。
「あ、あのなあ…… 俺のモーニングルーティンを邪魔せんでくれよ、お園」
「別に良いじゃない。って言うか今日から私、大佐の名セリフを邪魔する事をモーニングルーティンにしようかしら」
「そ、そいつは随分と凶悪な話だなあ。まあ、別に良いんだけどさ。何せ俺のモーニングルーティンは百八式まであるからな。まずは最初に朝日を浴びる。朝日を浴びると体内時計が整えられるんだ」
「曇ってたらどうするの?」
「その時はその時さ。電気でも蝋燭でも良いからとにかく明るくして目に光を入れるんだ」
「ふぅ~ん…… それで? それからどうするのよ?」
「それから…… それから朝ご飯をちゃんと食べる。朝食を食べないと脳にエネルギーが足りなくなって集中力や記憶力が下がっちまうからな。精神や体にも悪影響が出ちゃうらしいし。んでもって、お次はストレッチだな。ゆっくりと筋肉や関節を解てやれば……」
そんな阿呆な話をしながらも二人は布団を畳み、寝間着を着替えて……
「って、サンはどこにいるんだ? アレ? 確か昨晩はそこで寝てたよな?」
「サン? サンって誰の事かしら? 私はそんな人、見たことも聞いたことも無いわよ?」
「え、えぇ~っ! この二、三日の出来事は何だったんだ? もしかして俺って夢でも見てたのかな?」
「そうかも知れんわね。そうじゃないかも知らんけど……」
お園はぶっきらぼうに返事をするとさっさと一人で先に出ていってしまった。
「ちょ、おま…… まっちくりぃ~っ!」
大慌てで着替えを終えると小走りで後を追い掛ける。追い掛けたのだが……
食堂に辿り着いた大作を待っていたのは並んで席に付いていたお園とサンの二人だった。
「な、何だよ…… 先に来てたんじゃないか。俺、心配して損しちゃったぞ」
「ほぉ~ぅ、妾を案じておったと申すか。其れは中々に殊勝な心がけじゃな」
「ささ、大佐。早く食べちゃいなさいな。今日は予定がぎっしり詰まっているわよ。金融政策決定会合、防衛装備品技術指針策定会合、こども政策関係部局長会議、エトセトラエトセトラ……」
「それってどうしても俺が出なきゃいけない会議なのかなあ? 話を聞いても何一つとして理解できる気がしないんですけど」
面倒臭そうな気配を敏感に感じ取った大作は咄嗟に逃げの一手を図る。逃げの一手を図ったのだが…… しかしまわりこまれてしまった!
「あのねえ、大佐。大佐って一応、名目上は山ヶ野の最高責任者なのよ。それなのに普段は彼方へふらふら、此方へふらふら。糸の切れた凧みたいに何処かをほっつき歩いてるんですから。山ヶ野にいる時くらいは出席して頂戴な」
「いやいや、それを言うんならせめて空に浮かぶ自由な『 白い雲のように』とでも言ってくれんかな? おれは雲! 俺は俺の意志で動く! 俺は誰にも縛られねぇ! だれの命令もきかねぇ! け…… 拳王のク・ソ・バ・カ・ヤ・ロ・ウ……」
大作はノリノリで得意の名セリフを披露する。名セリフを披露したのだが……
その時、歴史が動いた! 食堂の外からパタパタと足音が響いて来たかと思うと見知った顔が飛び込んでくる。
息を切らせた美唯が半笑いを浮かべながら口を開いた。
「大佐、虎居の青左衛門様からお電話よ!」
「電話ってこれね、おばさま!!」
阿吽の呼吸といった顔でお園が答えた。
絶好のボケを横取りされた大作は何でも良いからリアクションをせねばと頭をフル回転させる。フル回転させてようやく絞り出した一言は……
「すんげぇ…… はい。やってみます。上げてください」
「大佐? いったい何を言ってるの? わけがわからないわ……」
「マジレス禁止! んで? 電話って何の話だ? そんな物、いつの間に作ったんだよ?」
「え、えぇ~っと…… 確か先月の半ばだったかしら? 詳らかな事は敷設課にでも聞いて頂戴な。そんな事は後で良いでしょうに。青左衛門様からお電話なんですから。早くこっちに来なさいな」
美唯は大作の手を掴むと強く引っ張って無理矢理に立たせる。
やれやれ、モテる男は辛いぜ。大作は小さくため息をつくと素直にドナドナされて行く。
「んで、美唯。電話とやらはどこにあるんだ?」
「一番近いのは…… 総務部ね。すぐ其処よ」
小走りで小さな建物に飛び込むと隅っこにある電話ボックスみたいな小部屋を目指して進む。
「電話ってこれね、おばさま!!」
「あの、その、いや…… 美唯はおばさまじゃないわよ、大佐」
「マジレス禁止! んで、これはどうやって使うんだ?」
「このヘッドセットを使って頂戴な。こうやって頭に乗せてマイクを口元にね。んで、このハンドルを回して交換を呼ぶのよ…… もし? もし? 交換さん? 聞こえますか? Can you hear me?」
美唯はもう一つのヘッドセットを使って交換を呼び出すと山ヶ野との回線を繋ぐよう依頼する。
大作のヘッドセットからはオルゴールらしき音楽が聞こえてきた。
「これって『エリーゼのために』じゃないかな?」
「エリーゼって誰なの? もしかして大佐。その女にも懸想してたんじゃないでしょうねえ?」
美唯が意地の悪そうな半笑いを浮かべている。
「それってお園の真似のつもりか? あんまり似ていないぞ」
「それはしょうがないわよ。美唯はお園様ほど器量良しじゃないんですもの。でも、今の口真似は似ていたでしょう?」
「そ、そうかなあ? そんなことより、エリーゼの正体に興味は無いかな? かつてはベートーヴェンの字が下手過ぎてテレーゼを読み間違えたんだって説が定説みたいに語られていたらしいな。でも、今ではこの説は否定されれるんだ」
「そ、そうなんだ……」
「知らざあ行って聞かせやしょう! 候補とされているのはエリーザベト・レッケル、エリーゼ・バーレンスフェルト、エリーゼ・シャハナーの三人だ。今から順番に説明して行くぞ……」
そんな阿呆な話をしながら待つこと暫し。ヘッドセットから明るく弾むような若い女の声が聞こえてきた。
「大変お待たせ致しました。今からお繋ぎ致します。お話下さい」
プツリという音が聞こえたかと思うと聞き覚えのある声が呼びかけてきた。
「大佐様、聞こえておりましょうや? 青左衛門にございます。お変わりはございませぬでしょうか?」
「おお、青左衛門殿。ご無沙汰しております。そちらこをお変わりありませんか?」
「お陰様で恙無う過ごしております。して、本日の用向きにございますが例の物が仕上がりましてございます」
「例の物? 例の物とは何でございましょうか?」
丸っ切り心当たりの無い大作は小首を傾げながら疑問を口にした。
隣では美唯が同じように怪訝な顔をしている。
「いや、あの、その…… 大佐様。先日から何度も電報でお知らせしておったのですが? やはり目にされておられませなんだか。まあ、ですからこうして電話を掛けさせて頂いたのですが。例の物とは無反動砲にございます。漸く仕上がりましたので是非とも虎居にお越し頂いてご検分のほど、宜しゅうお頼み申します」
「えぇ~っ! む、無反動砲?! 青左衛門殿はそんな物を作ってらしたんですか? 全く持って聞いていないんですけど……」
「いやいやいや! 初めて鉄砲の評定を開いた折から話しておったではございませぬか。尻に蓋をせぬ鉄砲の事を」
青左衛門の声音には僅かな困惑と怒りの感情が含まれているような、いないような。
不穏な空気を敏感に感じ取った大作は咄嗟の機転を聞かせる。
「あぁ~ぁ! 思い出した、思い出した、思い出しましたよ! じゃなかった、よぉ~く覚えておりますとも。無反動砲、無反動砲! カール・グスタフみたいな奴ですよね? 良かったですね、青左衛門殿。おめでとう、おめでとう、めでたいなあ…… 父にありがとう、母にさようなら。そして全ての子供達におめでとう!」
「お褒めに預かり恐悦至極に存じます。して、大佐様。何時お出で頂けましょうや? 此方は今すぐお越しいただいても結構にございますが」
「そ、そうですか? では、可及的速やかに対応させて頂きます。詳細が決まりましたらこちらから連絡致しますので楽しみにお待ち下さい。本日はお忙しいなかご連絡頂きありがとうございました。失礼致します」
「あの、大佐様……」
何か言いたそうにする青左衛門を無視して大作は一方的に電話を切った。
隣で通話を聞いていた美唯が不思議そうな顔で小首を傾げる。
「ねえ、大佐。青左衛門様はまだお話の途中だったんじゃないのかしら?」
「そうみたいだな。だけども俺の方は話が終わっちまったんだからしょうがないだろ? そうだ、閃いた! 美唯、お前が俺の代わりにひとっ走り虎居まで行って無反動砲の試射とやらを見学してきてくれないか? な? な? な? パズーもそうしろって!」
「み、美唯に大佐の名代を務めろですって? そりゃまあ わかるけどねぇ。でも、美唯は連絡将校にすぎないわ。そのような判断は分を越えるんじゃないかしら?」
「フンッ、狸め。俺はペジテに戻る! 留守中、巨神兵の復活に全力を注げ!!」
言いたいことだけ言うと大作は振り返りもせずに脱兎の如く走り去った。
「大佐! 通話料金のお支払いをお願い致します! お待ち下さりませ、大佐!」
背後から総務部の事務員が大声で呼びかけて来る。
だが、大作の姿は影も形も残ってはいなかった。