巻ノ伍拾 はじめてのお使い の巻
翌朝、食事を終えたころ工藤弥十郎と家人が明礬、硫黄、木炭、水銀を運んで来た。
礼を言って受け取るが誰一人として立ち去ろうとしない。
弥十郎は暇なのだろうか。あるいは火薬調合に興味があるのだろうか。どうやら見学するつもりらしい。
せっかくだから大作は三人娘の教育を一緒に済ませることにした。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの、近くば寄って目にも見よ。さ~さ、よってらっしゃい、見てらっしゃい。御用とお急ぎで無い方は、ゆっくりと聞いておいで」
またいつものが始まったのかと三人娘が呆れている。工藤様と家人も何ごとかと驚いているようだ。大作は内心でほくそ笑む。
「火薬は煙硝、硫黄、木炭を混ぜた物にござります。昔の人は煙硝は延命、硫黄は精力増強の薬だと思うておりました。実際にはこんな物を飲んでも身体に毒にしかなりませぬ。絶対に飲まないようご注意下され」
「古の人は砒素や水銀を飲んだって聞いたことあるわ」
お園が少し呆れたように言う。持統天皇も美容と健康のために水銀を飲んでたそうだ。
大作から見ればこの時代の医療や衛生だって大差無い。傷口を尿で洗うとか馬の尿に馬糞混ぜて飲むとか罰ゲームでもまっぴらだ。余裕が出来たら消毒用アルコールだけでも作ろうと思う。
「薬の話はまた今度。そんで、これを混ぜ合わせるようになるのが四世紀頃というから古墳時代にございます。そして808年というと京に都が移されたころに硝石と硫黄と馬の鈴草を混ぜた物が燃えたそうにございます。850年頃には硫黄、硝石と蜂蜜、鶏冠石って言うと二硫化砒素かな。それらを混ぜたら激しく燃えて家が焼けたそうな。そういうわけで火薬が作られたのは今から七百年ほど昔でございます」
大作は薀蓄を傾けながら桶から煙硝の結晶を取り出す。弥十郎に天秤秤を貸してもらうと重さを量って記録する。
極端なバラつきは無いようだ。その中でも一番成績の良かった煮詰め方、木灰の量のパターンを特定する。
さて、いよいよ肝心の作業だ。大作は努めて明るい口調を作って言う。
「ぽ~ん、お客様の中にどなたか火薬の調合をやってみたい方はおられますか?」
まるっきり反応が無い。三人娘は勿論、工藤様や家来も全員がわざとらしく視線を反らしている。
結局、大作は絶対にやりたく無いと思っていた火薬の調合をやる羽目になってしまった。
女性陣に無理強いさせるわけにもいかない。藤吉郎を連れてこなかったことを激しく後悔するが手遅れだ。
金山を開発するまでには男手が必要になる。早目に何とかしなければ。
Wikipediaには何種類もの黒色火薬の配合比率が記載されている。だが、その数字には少し幅がある。大作は木炭が十五、硫黄が十、硝酸カリウムが七十五の割合でやってみることにする。
「まずは木炭を磨り潰すぞ。できるだけ細かく磨り潰せ。風で飛んで行かないよう注意しろ。そして硫黄を加えて良く混ぜる。この二つを混ぜただけでは爆発しないから怖くないぞ」
内側に皮を張り付けた乳鉢の中に木炭と硫黄の混合物を入れる。どうでも良いけど乳鉢って何かエロいよな。
「続いて煙硝を細かく磨り潰す。木炭や硫黄と混ぜてから磨り潰したらだめだぞ。摩擦熱や衝撃に敏感なんだ」
まず木炭と硫黄の混合物に水を五パーセントほど加える。そして良く掻き混ぜて全体を湿らせた。続いて煙硝を混ぜ入れる。
「この三種類を混ぜた物が黒色火薬だ。でも爆発すると困るから水を混ぜて捏ねるんだ」
ギャラリーが少しずつ離れて行く。『逃げるなよ、怖いだろう』と大作は心の中で愚痴る。
樫の木の棒を使い、きめ細かで均質になるよう徹底的に磨り潰す。この工程は重要だ。
「これを綿の布で包んで強く圧搾する。緊密にすればするほど強力な火薬になる」
衝撃を与えないように注意しつつ板で挟んで重石を乗せる。
十分に圧力を掛けた後に慎重に重石を外す。良い感じに固まっている。
今度は火薬の塊を必要とされる大きさに砕く。はっきり言って怖い。
「こんなの危険手当を貰わなきゃやってられんな」
遠くで見守る三人娘に聞こえないように大作はぼやく。
玉薬はゴマ粒くらい、口薬は粉末くらいの大きさに砕く。まだなかり湿っているから大丈夫だろう。
「粒の大きで性質が違ってくるんだ。あとは火気と静電気に気を付けて室温で時間を掛けて乾燥させる。しっかり乾かす必要があるので爆発させるのは明日にしよう」
まだ昼過ぎだが乾いていない火薬が爆発するわけも無い。大作は本日の作業終了を宣言する。
工藤様と家人が去ったのを確認してお園が心配そうに言う。
「上手く行くと良いけど」
「結晶だってちゃんと出来てたし作業手順に間違いは無かった。問題があるとすれば使った木灰にどれくらいカリウムがあったのか。それと床下土にどれくらい硝酸カルシウムがあったかだ。まあ、完璧とは程遠いだろうけど全然爆発しないってことも無いだろう」
考えても仕方ないことを考えるのは時間の無駄だ。それより今考えないといけなのは水銀アマルガム法だ。
「水銀は辰砂って言う赤い石から取れる。この石を焼くと水銀が蒸気になって飛ぶんだけど、これを冷やすと水銀になる。水銀アマルガム法もこれと同じだ。とりあえずレトルト炉を作る。余裕が出来たらリービッヒ冷却器みたいなのも作ろう。とりあえず水銀の沸点は摂氏三百五十七度ほどだから材質は鉄でも大丈夫だな」
「その『れとるとろ』は誰が作るの?」
「それを今から考えるんだ。この時代には鉄パイプすら無いから大変だぞ」
鉄パイプがあれば銃身にも代用できるのに。ちょっと待てよ。鉄パイプの製造方法を銃身作りに応用出来ないだろうか。
まあ、それは今日考えなくても良いだろう。大作は考えるのを止めた。
とりあえず煙硝を回収した残りの液に明礬を入れる。適量が分からないので多目、普通、少な目の三パターンを作る。
大作はお園とメイに液を煮詰める作業と黒色火薬の乾燥を頼む。
そして、ほのかを護衛に連れて町へ出掛けることにした。
「大佐と二人でお出かけなんて嬉しいな」
ほのかが少しはにかんだように上目遣いで大作を見つめる。何だこいつ。また変なスイッチでも入ったのかと大作は警戒する。
考えてみると、ほのかと二人きりで行動するのは初めてか? 何かイベントでも発生するんだろうか。
「とりあえずレトルト炉は鉄瓶でも使えば何とかなるのかな。それよりパイプみたいな部分をどうしよう。陶器か瓦の職人にでも頼んでみるか。耐熱粘土さえあれば自分でも作れるくらいなのに面倒臭いな」
「まずは陶器を商う店に行って窯元を引き合はせて頂いたらどうかしら」
ほのかナイスアイディア! とりあえず大作は町を歩き回って陶器屋を探す。店はすぐに見つかった。
早速、店員に陶器で出来たパイプ状の物が無いか聞いてみる。だが予想していた通り、希望に叶う物は無い。
窯元を紹介してもらえないか頼んでみたら快く教えてくれた。大作とほのかは何度も礼を言って店を後にした。
窯元は川内川を少し下った町はずれにあるらしい。急げば日没までに戻って来れそうだ。
「日が暮れるまでに帰って来れるかしら。明日にした方が良いかも知れないわよ」
「リンカーンは『今日出来ることを明日に残すな』って言ってたぞ。早く帰ってもすること無いし、今日中に片づけちゃおう」
目に付いた金物屋で適当な鉄瓶を入手する。それを大事そうに抱えて川内川の河原を下って行く。ほのかが急に思い出した顔をする。
「そう言えば、ぶりゅーわーどぶそんじゅんかんのことをまだ教えてもらっていないわよ」
五日も前の話を良く覚えている物だと大作は感心した。だが、お前は本当にそれを知りたいのか?
「それよりもっと楽しい話をしようよ。ほのかは何かやりたいことは見つかったか?」
「金の製錬を早くやりたいわ」
どうせそんなことだろうと思った。このままじゃ埒が明かん。何か適当な物を提示してやった方が良いのかも知れないと大作は考える。
「楽器に興味ないか? お園が歌って、メイが踊って、ほのかと俺が楽器を演奏するんだ。もちろんサツキや藤吉郎が合流できたら何かやらせよう。きっと楽しいぞ」
「がっきって吹き物のこと? 私に吹けるかしら」
ほのかが不安げに言う。『吹けるかな? じゃねぇよ。吹くんだよ』と大作は心の中で突っ込む。
「竹笛くらいなら簡単に作れるぞ。とりあえずやってみたら良いんじゃね? 女は度胸だぞ。Let's try!」
「私やってみるわ」
ほのかが嬉しそうに微笑む。大作としてはブリューワー・ドブソン循環の説明が面倒臭かっただけなんだが結果オーライだろう。
煙が上がっているところを目印に進んで行くと二人は窯元に辿り着いた。
窯元という言葉には『陶磁器を窯で焼いて作る所』という意味と『陶磁器を作る人』という意味の両方がある。
大作は窯元らしき人物を探して陶器製パイプを作って貰えないか交渉を行う。ほのかも隣で泣いたり笑ったりの小芝居をした。
窯元は強欲で無かったのだろうか。あるいは、ほのかの小芝居が効いたのだろうか。思っていたより安く作ってもらうことが出来た。
ただ、乾燥、焼き、冷まし等で五日は掛かるとのことだ。まあ、急かしてもしょうがない。二人は何度も礼を言って窯元を後にした。
「ぱいぷが手に入って良かったわね。ところで、ぶりゅーわーどぶそんじゅんかんのことを教えてもらえる?」
ほのかの執念深さを舐めていたことを大作は思い知らされた。
工藤家への帰り道で大作はほのかの質問攻めにあった。お前はそんな知的好奇心旺盛なキャラだっけ? そう思いながらも大作は真面目に質問に答え続けた。まあ、最悪でも屋敷に着けば質問は終わる。大作は、もはや諦めの境地だった。
屋敷が見えた辺りでほのかが大作の顔を正面から覗き込んで言う。
「今日は私を連れて行ってくれてありがとう。これはお礼よ」
ほのかが唐突に大作に口付けをした。
「みんなには、絶対ナイショだよ」
走り去るほのかを大作は唖然として見送るしか無かった。
「れとるとろは何とかなりそうなの?」
夕飯を食べながらお園が聞いてくる。何だか怒ってるような気がする。もしかして見られていたのか?
「川下にある窯元がオーダーメイドを受けてくれた。五日ほどで出来るそうだ」
「待ってる間には何をするの?」
メイは興味津々の様子だ。作業を楽しんでくれているようで良かった。
「煙硝の液は一月ほど納屋にでも置かせてもらおう。それよりも明日は火薬のテストだな。上首尾に行って殿への目通りが叶えば鉄砲関連のプレゼン。寺院建立のお許しが出たら、ほのかには津田様への手紙を届けてもらうぞ」
「そうなるとほのかとは暫くお別れね」
お園が意味深な笑顔を浮かべながら言う。
ほのかとのアレを見られたのだろうか?
大作はその夜、それが気になってなかなか寝付けなかった。




