巻ノ四百九拾五 答えろ!仮定の質問に の巻
どうにかこうにか無事に情報集約センターに辿り着いた大作とお園はリフレッシュルームに立ち寄って一息ついた。
セルフサービスでお茶を淹れ、試供品のお菓子を遠慮なく頂く。
「お一人様につき二個までですって。ねえねえ、大佐の分を私に頂戴な。パズーもそうしろって」
「えっ、なんだって? まあ、別に良いけどさ。でも、そんなに食って太らないのか?」
「甘い物は入るところが別なよの」
「出るところは一緒なのにな」
「あらまあ! 大佐ったらお下品なんだから……」
阿呆な話で盛り上がること暫し。お茶碗を丁寧に洗って食器棚へと返す。
さて、これからどうしたものか。小首を傾げて思案していると背後から人影が近付いてきた。
「お園様、大佐。斯様な所にお出でとは如何なされました?」
「なんだ? 俺たちが来ちゃ何か不味いことでもあるのかな。菖蒲さんよ?」
「私めは菖蒲にございます。お間違いの無きように」
「そうよ、大佐。人の名前を間違えちゃいけないわ。そのうち殺められちゃうかも知れんわよ。菖蒲だけにね。あはははは、うふふふふ……」
お園が堪え切れんといった顔で吹き出す。大作と菖蒲は爆笑が納まるまで黙って待った。
「うひょひょひょひょ、うきゃきゃきゃきゃ! はあはあ、ふうふう…… こんなに笑ったのは久方振りよ。んで? 菖蒲はこんな所で何をしているのかしら?」
「いや、あの、その…… 其れを聞いておるのは此方なのですが? 菖蒲は今、此処の警備主任を務めておりますれば如何にお園様と申せ誰何には答えて頂かねば困りまする」
「あら、そうなの? 其れは随分と出世したものねえ」
「其れも此れも男女雇用機会均等法のお陰にございます。女子挺身隊と国防婦人会が郷土防衛隊に統合されてしまいました故、私もお払い箱になってしまいました」
寂し気にため息をつく菖蒲の顔は怒りとか不満と言うよりは諦観というか絶望と言うか…… 今にも自爆テロでも起こしそうに危なげなオーラを振り撒いている。
こいつはフォローが必要なのか? 大作は腫れ物に触るように慎重に間合いを測ると努めて柔らかな声音で話し掛けた。
「まあ、アレだなアレ。人生は七転び八起きって奴だ。ってことは倒れた状態からスタートなのかな? だったら八起き七転びって言った方が良いんじゃろか?」
「さ、さあ? 私は別に転んでなどおりませぬが?」
「だけども、転ばぬ先の杖って言葉があるだろ? 杖って言ってもハリーポッターが持ってるような小枝くらいの杖はwandって言うんだぞ。でも、ロードオブザリングのガンダルフが持ってるくらい大きな杖はstaffって言うんだ。ここ試験に出るから覚えとけよ」
「さ、左様にございますか……」
これっぽっちも話の展開に付いていけない菖蒲は半笑いを浮かべると小首を傾げた。
馬鹿どもには丁度良い目眩ましだ。大作は心の中でほくそ笑みながらも表面上は神妙な態度を崩さない。と思いきや、好事魔多し。あらぬ方向からお園の鋭い突っ込みが入った。
「だったらその間くらいの大きさの杖はどう呼ぶのかしら? そうねえ…… バットくらいの」
「それはバットだろ?」
「そうじゃなくて! バットくらいの杖があったとしたらの話よ」
「仮定の質問にはお答えすることを差し控えさせて頂きます」
大作は暖簾に腕押しとばかりに得意の名セリフで逃げ切りを図る。逃げ切りを図ったのだが…… しかしまわりこまれてしまった!
「どうして仮定の質問に答えられないのかしら?」
「いや、あの、その…… 裁判では証拠や証言の真偽を立証することが重要だろ? だから事実に基づかない意見や推測を求める質問が禁止されてるとか何とか。民事訴訟規則115条2項5号や6号。刑事訴訟規則199条の13第2項3号や4号を読んでみ? な? な? な?」
「あのねえ、大佐。私たちは別に裁判をしているわけじゃないのよ。そも、一般的な棒状の杖だったらstickで良いんじゃないかしら? それか、歩くのに付く補助用の杖ならcaneとか」
「わ、分かってるんなら聞くなよ…… って言うか、もしかして俺に恥をかかせたかったのか?」
図星を指されたといった顔のお園はにっこり微笑むと両の手をポンと打ち鳴らした。
「閑話休題。菖蒲、私たちが此処に来たのは他でもないわ。織田信秀の長生き作戦の進捗状況を教えて貰えるかしら?」
「おだのぶひで?」
菖蒲は始めて耳にした言葉だと言った風に鸚鵡返しするのみだ。さぱ~り分からんと言った顔で小首を傾げた。これはもう駄目かも分からんな。大作とお園は互いに顔を見合わせると軽く頷き合う。
「今の話は忘れてくれ。それじゃあ、アディオス・アスタルエゴ!」
暫しの間、情報集約センター内を彷徨い歩いた大作とお園の仲良し夫婦は無事にセキュリティエリアへ辿り着いた。
ここでも門番に立つ修道女姿の少女とひと悶着あったがお園の鶴の一声で強硬突破する。
分厚い戸板の二重扉を抜けた先は殺風景な狭い部屋だった。
「あら、大作。こんな所に何の用かしら?」
「萌の方こそ、ここで何をしているんだ?」
「質問に質問で返すなぁ~っ! ってか、見りゃあ分かるでしょうに。情報の精査と分析よ」
ちょっと疲れた顔をした萌は両手に持った紙束をひらひらさせた。
「ふぅ~ん、大変そうだな。何か手伝えることあるか?」
「そうねえ…… 邪魔にならないよう黙っててくれるかしら?」
「 ……」
「冗談よ。『大作は泣いた顔より笑った顔の方が可愛い』わよ」
「それ、何だっけ? もしかしてキャンディ・キャンディか? とにもかくにも何か手伝わせてくれよ。手伝わさないとお母さんを殺すぞ!」
「あはははは!」
久々に会った大作と萌は自分たちだけの世界に閉じこもって異様に盛り上がった。
だが、お園や周囲のスタッフたちはドン引きの様子だ。まるで屠畜場に連れて行かれる豚を見るように冷たい瞳で睨みつけている。
「ちょっと、大佐。そろそろいいかしら? 余り萌の手を止めたら迷惑でしょう。此処へ来た用事を思い出して頂戴な」
「用事? それって何だっけかな…… そうそう、小田信秀の長生き作戦なんだけど順調に行ってるのかな? そこんところをちょっと確認したかったんだけれど」
「ああ、アレね。アレはアレよ。そもそも、信秀が何年何月に死んだのかすら正確には分からないんだからやれるだけのことをやるのみね。えぇ~っとこれを見て、これを」
萌は後ろの棚からバインダーを一つ取り出すとページを捲って資料を探し出した。探し出したのだが……
さぱ~り分からん。いや、活字で印刷されているので文字は読めるのだ。しかし悲しいことにこれっぽっちも意味が頭に入ってこない。
だが、大作は得意のポーカーフェイスで余裕の笑みを浮かべた。
「ふむふむ、そういうことか。結構結構コケコッコー(死語) まあ、上手いこと行ってるようで何よりだよ」
「羽毛布団にウールの靴下。京の都で評判の薬師。南蛮人から手に入れた明国の珍しい薬草。エトセトラエトセトラ……」
「そうそう、このダウンジャケットっていうのは随分と暖かいんですってね。私も一枚欲しいわ」
横からキリンみたいに首を伸ばしたお園が書類を覗き見ながら呟く。
真剣な表情や口ぶりからするとどうやら本気で欲しがっているらしい。
余りにも必死の形相を哀れに思ったのだろうか。やれやれといった顔の萌が助け舟を出した。
「確か試作品が余っていたはずよ。資材課に行ってみなさいな」
「それってタダで貰えるってことかしら?」
「あんたからお金なんて取らないわよ。その代わり一つ貸しね。ほれ、この紙を資材課長の山吹って娘に見せなさい」
萌は目にも止まらぬ超スピードでメモ用紙に何事かを書き付けると差し出す。
恭し気に受け取ったお園はチラリと目を通すと丁寧に畳んで懐に仕舞った。
「恩に着るわ、萌。この借りは死んでも返すからね」
いやいやいや。その言葉のチョイスはちょっと間違ってるんじゃないのかなあ。
大作は口元まで出掛かった言葉を既の所で飲み込んだ。




