巻ノ四百八拾七 履け!ガラスの靴を の巻
日付が変わって天文十九年十一月五日(1550/12/12)となった。朝食を済ませた大作はお園を伴って統合参謀本部を訪れる。
入口のカウンターで短い行列に並んでIDカードを確認してもらう。受付の少女は大作とお園の手首にテープ状の赤い紙を巻いて糊付けした。
「此れは本日一日に限って有効のフリーパスにございます。もし千切ってしまうと無効になります故、何卒お気を付け下さりませ」
「今日一日ってことは真夜中の零時までってことなのかな? まるでシンデレラみたいだな」
「しんでれら?! もしかして大佐。その女にも懸想してたんじゃないでしょうねえ?」
例に寄って例の如く、お園が鬼の首でも取ったかのような勢いで得意の名セリフを披露する。
「はいはい。お約束お約束。たぶん知ってて言ってるんだろうけどcinderって言うのはフランス語で灰とか燃えかすのことだな。んで、Ellaって言うのが本名らしい。とは言え、女性や子供を表すときに付ける接尾語もellaって言うらしいんだけどな。ちなみにフランス語ではサンドリヨンって発音するらしいぞ。それはそうと午前零時になるとシンデレラは薄汚い恰好に戻って綺麗なドレスも古着になっちゃうだろ。でも何故だかガラスの靴だけは元のままだったんだ。何故だと思う? 分っかるかなぁ~っ? 分っかんねぇ~だろぉ~ なぁ~っ!」
「どういうこと? そも、ガラスの靴だなんて随分と危なっかしい物を履いているのねえ。もし割れたら足を怪我しそうじゃないの。企業が製造物責任を問われそうだわ。まあ、PL保険でカバーできるのかも知らんけど」
「いや、あの、その…… 答えを言っちゃうとガラスの靴だけは実物だったんだとさ。カボチャを馬車に変えたりネズミを馬に変えたりとか魔法で無茶苦茶をやってるのにな。何故だか靴だけは現物支給。しかも、タイムリミットがきても回収されないだなんて妙な話だろ? まあ、ストーリーの都合でそうなってるんだけど。そうそう、そう言えば……」
世にも下らない話を延々と話し込む二人に業を煮やしたのだろうか。受付の少女が遠慮がちに話に割り込んできた。
「えぇ~っと…… 話を戻しても宜しゅうございましょうや? 仰せの通り、其のフリーパスの有効期限は本日の深夜零時までにございます。然れど正面玄関は十八時に閉鎖となります故、それ以降は裏の通用口をご利用下さりませ。インターホンを押せば守衛が二十四時間対応をば致します」
「了解、了解、ありがとさん、木通」
大作は受付嬢のネームプレートで名前を確認すると丁寧に礼を言った。
セキュリティゲートを通り抜けて建物の中へと進んで行く。
吹き抜けになったロビーは広々としているが妙に殺風景だ。造花でも良いからせめて花くらい飾っとけば随分と見栄えがするのになあ。大作は心の中で呟くが決して顔には出さない。
案内板で参謀本部議長室を確認すると寄り道せずに真っ直ぐに向かう。真っ直ぐに向かったのだが……
「如何に大佐と申せども、アポの無いお方を議長室にお通しする訳には参りませぬ。左様な事をすれば私が叱られてしまいます」
扉の前に仁王立ちした修道女姿の少女が行く手を阻んで通してくれない。正に動かざること山の如しといった雰囲気だ。
「あのなあ…… 君、確か蓮華とか言ったっけ? ロボットの攻撃により通信回路が破壊されちゃってね。緊急事態につき私が臨時に指揮を執っておるんだよ。いいからここを通してくれんかな。私は相談しているのではないぞ。お願いをしているんだ。どうか後生ですからここを通して下さいな。家には腹を空かせた子供たちが待ってるんですよ。あんたには人の心が無いのか?」
「どうどう、大佐。気を平らかにして頂戴な。これが蓮華のお役目なんだからしょうがないでしょうに。でもねえ、蓮華。私は巫女頭領改め修道女頭領なのよ。その私の命ですら聞けぬと申すのですか?」
お園は着物の袂からIDカードを取り出すと水戸黄門の印籠みたいに掲げた。
その顔には『えぇ~い、控えおろう!』と書いてあるかのようだ。
だが蓮華はほんの一瞬、チラリと視線をIDカードに視線を落としたのみで微動だにすることない。
「修道女頭領様の命とあらば従うに吝かではございませぬ。然れども後になって言うた言わんとなっては困ります故、御命令は正規の命令書を発行して頂きとう存じます。其れを頂戴できますれば喜んで扉を開けて進ぜましょう」
「せ、正規の命令書? それってどんな書式の奴なんだ? どこに行けば貰えるのかな?」
「さ、さあ…… 私も詳しくは存じませぬが総務にでも行けば宜しいのではござりますまいか? 貰えずとも、何処へ行けば良いかくらいは教えて頂けることにございましょう」
蓮華の言葉の端々から早く会話を打ち切りたいという思いが滲み出てくるようだ。いい加減に面倒臭くなってきた大作もこれ幸いと流れに乗っかることにした。
「そ、そうか。じゃあ取り敢えず総務に行ってみるとするか。確か総務って本館だったよな?」
「いえ。先日の引っ越しで新館の方に移っております」
「し、新館? それってどこなんだろな」
「それはその…… ちょっと道順が分かり難うございますな。本館がお分かりなら其方でお聞きになるのが宜しゅうございましょう」
「あ、ああ…… ありがとう。んじゃ、これで失礼するよ」
がっくりと項垂れた大作は百八十度ターンすると来た道をとぼとぼと引き返そうとする。引き返そうとしたのだが……
捨てる神あれば拾う神あり。背後の扉が突如として開いたかと思うと救いの神が颯爽と姿を現した。
「おや、大佐。斯様な所で如何なされました? もしや何ぞ御用でもござりましたかな?」
「ああ、桜。朝飯ぶりだな。って言うか、用がないと来ちゃいかんのか?」
「いや、あの、その…… 左様な事はござりませぬ。此れは挨拶の如き物にござりますれば深い意はございませぬ。聞き流して下さりませ。では、御用が無きようならば此れにて失礼をば仕りまする」
「いやいやいや、ちょ、おまっ! 誰も用が無いなんて言ってませんがな。用はある。用があるとは言ったが…… 今回まだその時と場所の指定まではしていない。どうかそのことを諸君らも思い出していただきたい。つまり…… 我々がその気になれば十年後、二十年後ということも可能だろう! ということ……」
「さ、左様にございまするか。では、十年後にでもまたお会い致しましょう。然らば此れにてご免」
言い終わるや否や桜は風の様に消え去った。
後に残された大作、お園、蓮華の間に何とも形容し難い微妙な空気が漂う。
「こりゃまった失礼致しましたっ!」
いたたまれなくなった大作は思わず行く当てもなく駆け出す。
「ちょ、待って頂戴な、大佐。うふふふふ……」
「待てと言われて待つ奴はおらんよ。あはははは……」
大作とお園の仲良しバカップルは統合参謀本部を後にすると本庁舎へ向かって小走りに進んで行った。
本館の案内カウンターに辿り着くと新館への道順を尋ねる。受付嬢は気前よくA4くらいの紙にカラー印刷された地図を恵んでくれた。二人は丁寧に礼を言うと別館へ向かう。
「はあ、はあ…… どうやら生き残ったのは俺たち二人だけみたいだな」
「さっきから気になってたんだけど連絡将校の二人はいったいどこで何をしているのかしらねえ? それに護衛の三人も見かけないわよ。皆にちゃんと給金を払ってるんだからしっかり働いて貰わないと困っちゃうわ」
「いや、どうなんだろな。意外と自己学習でもやってるんじゃね? 外へ出掛ける時はともかく、金山の中なら連絡将校も護衛も要らんだろうし」
「ふぅ~ん。大佐がそう思うんならそうなんでしょう。大佐ん中ではね……」
いったい何が彼女の逆鱗に触れてしまったのだろう。お園は急に口をへの字に曲げると貝のように黙り込んでしまった。
それから暫しの間、二人は新館とやらを目指して黙々と歩き続ける。
その後ろ姿はさながらチャップリンのモダンタイムスのラストシーンのようであった。




