巻ノ四百八拾六 暗殺しろ!島津晴久を の巻
お手洗いを済ませた大作はもといた座敷に戻ろうとする。戻ろうとしたのだが…… 何だか良い香りに導かれるように廊下を進んで行く。
とぼとぼと当てもなく歩くこと暫し。長い旅路の果てに辿り着いたのは台所だった。
「ノックしてもしもぉ~し」
「うわらば! びっくりしたなぁ、もぉう…… 大佐ったら急に後ろから声を掛けないで頂戴な。もし私がゴルゴ13だったら今ごろ死んでたわよ」
「いやいや、ほのかはほのかだろ? それ以上でもなければそれ以下でもないさ。あはははは……」
大作は人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべながら鼻を鳴らした。
だが、ほのかは見るからに不機嫌なご様子だ。般若の面みたいに眉が吊り上がり、引き攣った口元がピクピクと震えている。
アレ? 俺、また何かやっちゃいました? 大作は内心の焦りを隠しつつ、余裕の笑みを浮かべた。
「まあアレだな、アレ。所謂、見解の相違ってやつだ。って言うか、ほのか。こんな所でいったい何をやってんだ?」
「阿呆な事を聞かないでよ、大佐。台所でやる事といったら料理に決まってるでしょうに」
「いやいや、洗い物だってするんじゃね? 紙コップや紙皿とかを使ってたら話は別だけど。でも、ピクニックならもともかく、家で食べる食事に紙皿を毎回は使わんだろ? お金がもったいないし、見てくれだって貧相だろ? まあ、見た目が豪華な紙皿だって探せばあるんだろうけど。だけど、そうすると今度はお金が掛かるだろ? そうなると必要なのは低コストで豪華に見える紙皿か? あるいは再利用が可能な紙皿を作るという手も……」
「はい、そこまで! 大佐、正気に戻って頂戴な。紙皿の事はもう良いわ。だって此処には紙皿なんて無いんですもの。んで、話を元に戻して良いかしら? さっきも言い掛けたけど私がやっていたのは料理よ。それもクリスマスに向けての豪華ディナーの数々なんですからね」
ほのかはつい今しがたとは打って変わって晴れやかなドヤ顔を浮かべる。勢い良く振り返った視線の先には種々雑多な料理の数々が所狭しと並んでいた。
「萌に教えて貰ったんだけどクリスマスには七面鳥とやらを頂くそうね。でも、そんな物は手に入らないから雉を使ったのよ。こっちはクリスマスケーキ。ドライイーストもベーキングパウダーも手に入らなかったから重曹を使ったわ。それからこっちは……」
「まてまて、スト~ップ! まだクリスマスまで二週間近くあるって知ってるよな? いくら寒い時期だからって冷蔵庫も無いのに今から作って大丈夫なのか? もし食中毒とか出したら営業停止になっちまうぞ」
「いやあねえ、大佐。これは試作品よ。試食会も開かずに大量生産に入る筈が無いでしょうに。そうだ! 丁度良かったわ。全部食べて思った事を聞かせて貰えるかしら? だって本物のクリスマスのご馳走を食べた事があるのは萌と大佐の二人だけなんですもの」
「そ、そうは言うがな、ほのか。俺ん家だって仏教徒。それも曹洞宗だったんだぞ。とは言え、七面鳥はともかくとしてクリスマスケーキくらいは食ったことあるけどな。どれどれ……」
取り敢えず大作は一番手元にあった雉胸肉のソテーと思しき料理を口に運ぶ。口に運んだのだが……
「うぅ~ん…… 普通に美味しいな。でも、ちょっと味付けが濃すぎるかも知れん。まあ、ご飯と一緒に食べるんならこんなもんかも知らんけど」
「ちょっと待って、大佐。メモするから「ハムハフハフハフッ!!」っと。はい、どうぞ。んじゃ、お次は舌平目のムニエルを食べてみて」
こうして大作はクリスマス前の貴重な一日を今日も無為に過ごして……
その時、歴史が動いた! 突如として背後から掛けられた声に固まってしまう。
「大佐ったら、いったい何処に消えちゃったのかと思ってたらこんなところで油を売っていたのね! 忠良様がお待ちよ。キリンみたいに首を長くしてね」
「ああ、お園か。丁度良いところに来たな。お前も食ってみ。クリスマスのご馳走の試作品なんだとさ」
「えっ! 今日は全部食べていいの?」
「あぁ.…… しっかり食え。おかわりもいいぞ! 遠慮するな、今までの分も食え」
ずらりと並んだ料理の数々にお園の顔がぱっと綻ぶ。
馬鹿どもには丁度良い目眩ましだ。大作は心の中で呟くと誰にも気付かれないよう細心の注意を払って静かにその場を後にした。
台所から遠ざかること数十メートル。ステルスモードを解除した大作はほっと一息を付く。
「どうやら生き残ったのは俺一人だけらしいな……」
誰に言うとでもなくポツリと呟いてみるが寂しいことこの上もない。これはもう、座敷に戻るのが吉かも知れんな。大作はほんの少しだけ帰路を急ぐ。帰路を急いだのだが…… みちにまよってしまった!
だが、案ずるよりも生むが易し。たまたま運の良いことに座敷に辿り着いてしまう。
それほど広くもない部屋の隅っこに萌と忠良と本田弥兵衛が顰めっ面をして押し黙っている。
どうやら会議は暗礁に乗り上げてしまったのだろうか。だったら停滞した場を引っ掻き回してやるのに吝かでは無い。
大作は意気揚々と敷居を跨ぐと空いている座布団にどっかと腰を降ろした。
「あら、大作。漸く戻ったのね。余りにも待ち草臥れたんでそろそろお開きにしようかと迷ってたところよ」
「だったら『待たせたな、小次郎』とでも言っておこうか」
「巌流島の決闘? あれって遅刻した時点で小次郎に勝利宣言されてても文句言えないところよねえ」
「もし公認野球規則だったら五分経過で没収試合だもんなあ。囲碁や将棋とかでも一時間で不戦敗だし。武蔵ってどれくら遅刻したんだっけかなあ」
大作はスマホで遅刻に関する記事を読み漁りながら適当な相槌を打つ。対する萌もちょっと斜に構えると半笑いを浮かべながら口を開いた。
「そうは言ってもプロ野球ってそもそも興行ですものねえ。たとえばパ・リーグの申し合わせ事項によると試合当日移動の場合は試合開始の四時間前までの到着が原則らしいわ。でも、交通機関遅延とかだったら『 始時間を遅らせてでも試合興行に努めるように』とも書いてあるそうよ。過去には選手は無事に着いてたけど、野球道具を乗せたトラックが高速の事故渋滞に巻き込まれて一時間四十六分も遅れたケースがあるんですって」
「そりゃまあ、プロ野球は商売だもんなあ。観客だって入ってるだろうし。ところで、それってデーゲームの話だよな? ナイターがそんなことになったら大変だぞ」
「いいえ、試合開始は十九時四十六分だったらしいわ」
「そ、それって随分と大変だったろうなあ……」
大作は頭を抱え込んで小さく唸り声を上げた。
萌は相変わらず意味不明な半笑いを浮かべたまま生欠伸を噛み殺している。
対面に座った島津忠良と本田弥兵衛は居心地の悪さを隠そうともせず視線を泳がせていた。
こいつはフォローが必要なのか? 悪戯心を刺激された大作は何か気の利いたことを言おうと頭をフル回転させる。フル回転させたのだが…… しかしなにもおもいつかなかった!
「修理大夫様(島津忠良)に言上仕りまする。拙僧に妙案がございます。島津晴久(義虎)を暗殺しては如何にござりましょうや?」
「あんさつ?」
「何て言ったら良いのかなあ? 闇討ち? 寝首を掻く? 英語ではどういうんだっけ、萌?」
「そりゃあ『assassination』に決まってるでしょうが」
例に寄って例の如く、萌が人を小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
正面に座った忠良は辛抱堪らんといった顔で詰め寄ると呻き声を上げる。
「うぅ~ん…… 分からん、さぱ~り分からんぞ。あんさつとは何ぞや? 誰か儂にも分かるように説いては貰えぬかのう?」
「聞けば何でも答えが返ってくると思うな! いやいや、冗談。ちょっとしたアメリカンジョークですよ。そんな鬼みたいな顔をしなさんな。幸せが逃げちゃいますよ」
そんな阿呆なことを言いながら大作はタカラトミーのせんせいを取り出すと下手糞な字で『暗殺』と書き殴る。書き殴ったのだが……
「な、な、何じゃ此れは! それは筆なのか? どうやってこの白い板に字を書いておる? 儂にも書かせてはくれぬか。後生じゃ和尚、その筆を貸してくれ」
「いやいや、修理大夫様。佐土原のお屋敷でもお見せしませんでしたか? 見せたような気がするんですけど? 拙僧の思い過ごしにございましょうや?」
「知らぬ。とにもかくにも儂にも何ぞ書かせてくれ!」
「ちょ、おま…… もぉ~う、しょうがないですなあ」
こうして一同は暫しの間、島津晴久(義虎)暗殺計画を棚上げにしてタカラトミーのせんせいでお絵描きや書道を楽しんだ。




