巻ノ四百八拾五 奪え!珍しい犬を の巻
日付が変わって天文十九年十一月四日(1550/12/11)となった。
朝礼の後、上級幹部だけがその場に残って第一木曜日に恒例のスタンドアップミーティングを開催する。表向きは山ヶ野の首脳陣が一同に会する重要会議。だが、実態は部門間の情報交換を目的に他愛ない雑談に花を咲かせるだけの立食パーティだ。
宴もたけなわといったところで大作は大きく手を打ち鳴らして皆の注目を集めた。
「さて、クリスマスまで残すところたったの十三日だ。準備の方は滞りなく進んでいるかな?」
「たったの十三日って、大佐。まだあと十三日もあるのよ。二十四時間もあればジェット機だって直るっていうのに」
「いやいや、お園。『まだはもうなり、もうはまだなり』て言うだろ? 聞いたことないかな?」
「それってあべこべじゃないの? 『もうはまだなり、まだはもうなり』が正しいと思うわよ」
ぞっとするくらい真剣な眼差しをしたお園が緊張に声を震わせながら指摘してくる。指摘してきたのだが……
「そんなんどっちでも同じやろがぁ~っ! とにもかくにも泣いても笑っても十三日なんだ。ツリーの飾りつけはどうなってる? 第九の合唱練習は進んでるのか? プレゼントの用意はできてるんだろうな? もし予定通りに行っていないところがあれば追加の人員を投入して.........」
「泣いても笑っても十三日っていうけどねえ、大佐。泣きながら耐える十三日と笑って楽しみに待つ十三日とじゃ随分と違うんじゃないかしら? 大佐は前に言ったわよねえ。アインシュタインは申された。熱い火の上に手を翳せば一瞬が一刻にも思われれる。だが、麗しい女性と共に過ごす一刻は一瞬のようにしか思われぬであろう。とか何とか」
「うぅ~ん…… 俺、そんなこと言ったかなあ? だったら…… だったらもうマイケルソン・モーリーの実験でもやるしかないんじゃね? とりあえずエーテルが存在しないことさえ証明できれば……」
例に寄って例の如く、大作とお園は周囲の目も憚らずに話の脱線を繰り返す。
だが、蛇の道は蛇。と言うか蓼食う虫も好き好き? ミーティングという名目で貴重な時間を浪費させられている幹部連中は堪ったものではない。
とうとう我慢の限界を突破した萌が話に割り込んできた。
「教育的指導! とにもかくにもクリスマスまで十三日しかないのよ。記念日イベントだから延期は絶対にできないわ。突貫工事だろうが手抜き工事だろうが構わない。たとえ死体の山を築いてでも何が何でも間に合わせるのよ。空母信濃みたいになっても構わないから納期だけは間に合わせなくちゃ」
寄りにも寄って比較対象が出航して十四時間で沈んだ悲劇の軍艦とは。相変わらず皮肉の利いた萌の例え話に大作は感心するやら呆れ果てるやらで二の句が継げない。
呆気にとられて沈黙する大作の様子を同意と受けとったのだろうか。萌は小さく咳払いをすると姿勢を正した。
「それでは朝会を終わります。議事録の当番は桔梗だったわね。今日中には纏められるかしら?」
「心得ましてございます!」
言われたことには黙って従う。それが桔梗の処世術なんだろう。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。出さなかったのだが……
「大作。この後、ちょっと残ってくれるかしら。会って欲しい人がいるのよ」
「な、なんだって萌? 会わせたい人だと? まさか恋人でも連れてくるんじゃなかろうな? 認めんぞ! 俺は断じて認めんからな!」
「何を訳の分からんことを言ってるの? 昨日に話したわよねえ。島津忠良様がいらっしゃってるから紹介したいって。もしかして忘れちゃったの? 島津実久の前に守護をやっていた島津勝久様のご嫡男よ。幼いころ祁答院に預けられてたこともあるそうね」
「島津忠良だと? 何かどこかで聞いたことのある名前のような気もするけど。うぅ~ ん…… さぱ~り重い打線!」
大作は小首を傾げて考え込む。だが、下手な考え休むに似たり。全ページが白紙みたいな大作の記憶領域からは何一つとしてマトモな情報は得られない。
しかし助けの手は意外な方向から差し伸べられる。半笑いを浮かべたお園が大作の顔を覗き込むようにしながら話し掛けてきた。
「ねえ、大佐。忠良様っていうのはつい先日、伊東まで会いに出掛けたお方でしょう? 三顧の礼を尽くしてお迎えしようとしたけど置いて帰っちゃったじゃない。もしかして追いかけてこられたのかしら」
「あぁ~っ! 段々と思い出したような思い出さないような…… 確か佐土原だっけ? そこの城下まで会いに行ったような気がしてきたぞ。あんまり自信がないけんだれど」
本当を言うと余り覚えていない。と言うか、さぱ~り覚えていない。だが、早く話を打ち切りたい一心で大作は流れに身を任せて口から出まかせを言う。
答えに満足が行ったのだろうか。萌は嬉しそうに深々と頷くと怖いくらい満面の笑みを浮かべた。
「それだけ覚えているんなら大作にしては十分過ぎるほどよ。それじゃあ奥のお座敷にご案内してもらえるかしら。楓」
「畏まりましてございます、萌様」
大作とお園は萌に引き連れられ、まるで何かに急かされるように大急ぎで移動した。手分けして押し入れから人数分の座布団を出すと丁寧に並べる。
待つこと暫し。廊下から静かな足音が聞こえてきた。
「萌様、島津忠良様をお連れ致しました」
「ご苦労様、楓。下がって良いわよ」
「失礼仕ります」
風のように楓が姿を消し、後には二人の男が立ち尽くしていた。
見覚えのあるような無いような少年と中年男だ。年配の方は確かお傍仕えの本田弥兵衛とか名乗っていたような。
「ささ、忠良様。此方へどうぞ。本田様も」
萌は部屋の奥側に並べられた座布団を手振りで指し示す。
少年と中年男は軽く頭を下げると座布団にどっかと腰を下ろした。
「お初にお目に掛かる、萌殿。儂が島津忠良じゃ。和尚と奥方には佐土原でも会うたな。息災で何よりじゃ」
「修理大夫様(島津忠良)もお変わりないようで。その代わりと言っては何ですが薩摩守殿(島津実久)が身罷られたそうですな。急な話で驚きました」
「うむ、まだ四十にもなっておらなんだな。もしや毒でも盛られたかと思うたが、病を得たと聞いておる。薩州家の後継ぎは晴久殿(義虎)じゃろうが如何するつもりじゃろうな」
忠良は大作のことを値踏みするかのようにジロジロと遠慮の無い視線を送ってくる。
そんなに見つめられると照れるぜ。大作は心の中で呟くがポーカーフェイスを崩さない。
偶然の放火攻撃で相州家が滅んだ今、薩州家は島津一門における最大勢力だろう。もともと薩摩守護で本宗家だった奥州家の島津勝久は島津実久に豊後国へ追いやられてしまった。目の前にいる忠良だって幼いころ祁答院で厄介になり、今は伊東で居候の身の上なのだ。
それに対して薩州家は出水などに三万石を超える勢力を有している。今さら逆立ちしたって敵わないほどの勢力差が付いている。
だが、忠良はそれを分かった上で大作の誘いにのってノコノコと山ヶ野くんだりまで来た。ということはこちらの意図も理解していると考える方が自然なんだろうか。
分からん! さぱり分からん! 大作は考えるのを止めた。
「確か義虎…… じゃなかった、晴久殿はここ数年、東郷と諍いが絶えないんでしたっけ? 晴久殿の家臣、湯田兵庫成重とかいう輩の犬を東郷重治(大和守)が盗んだそうな」
「よほど珍しい犬じゃったのかのう。もう三年にもなるというのにいまだに度々争っておるそうじゃぞ」
事件が起きたのは天文十六年(1547年)のことなのだが、これを根に持った島津晴久(義虎)は何とびっくりニ十年にも渡って東郷と争い続けたそうな。もう、呆れるのを通り越して感心するしかない。
とは言え、東郷は渋谷三氏の重要な一員。祁答院や入来院にとって必要欠くべからざる貴重なパートナー。となれば晴久殿(義虎)とやらを排除するのが吉なんだろうか。
「修理大夫様(島津忠良)にお願い致します。敵の敵は味方と申しますな。晴久(義虎)を倒す為、手を組んでは頂けませぬか?」
「手? 手を組むと申すは斯様にか?」
小首を傾げた忠良は両の手で腕組みをした。隣では本田弥兵衛がシンクロするように同じ格好をしている。
「いやいや、手を組むと申したのは比喩表現と言うかメタファーと言うか…… 合力! そう、合力をお願いしたいんですよ」
「おお、そうじゃったか。ならば初めからそう申されれば宜しかろうに。何故に手を組めなどと申されたのじゃ?」
「それはその…… 聞けば何でも答えが返ってくると思うな! 大人は質問に答えたりせん!」
これぞ見事な逆切れだ。余りにも予想外の展開に忠良や本田弥兵衛も目を白黒させて驚くのみだ。
そんな二人を尻目にお園は我関せずといった顔で茶菓子を食べ続ける。一方の萌は苦虫を噛み潰したような顔で大作を睨みつけてきた。
これは余りにも居心地が悪いなあ。大作は軽く腰を浮かせながら声高らかに宣言する。
「ちょっとトイレ……」
「ちょ、おまっ!」
「漏れる! 漏れちゃうなりぃ~っ!」
引き留めようとする萌の声を右から左へ聞き流し、大作は脱兎の如くその場を後にした。




