巻ノ四百八拾参 献金しろ!山科言継に の巻
天体観測所の建設についてお園と夜遅くまで話し合った翌朝、大作は例に寄って例の如く寝坊した。
「知らない天井だ……」
お得意の名セリフを呟いてみるが誰からも反応が返ってこない。
ノーリアクションは辛いなあ。小さくため息をつきながら起き上がってみるが周りには誰もいない。
「もしかして生き残ったのは俺一人なのかなあ?」
妙な胸騒ぎを覚えた大作は慌てて布団を畳むと小屋から外へ出る。
何をさておいても取り敢えずは朝餉だ。もしかしたらお園も先に行ってるかも知れんし。
小走りに駆けて行くと辺りには徐々に人の姿が増えてきた。
「大佐様。今朝も随分とごゆっくりにございましたな」
「ああ、ナカ殿。お早うございます。朝餉はまだ残ってますかな?」
「その事なればご安堵下さりませ。津田様が方々から荷を掻き集めて下さったそうで、ほれこの通り。魚やら菜っ葉やらも満ち足りております。腹が膨れるまで存分にお召し上がり下さりませ」
「そ、そうなんですね。津田様が一晩でやって下さいましたか。素晴らしい津田様。大変な功績だ。バンバン、カチ、カチ、アラ?」
そんな阿呆な話をしながら大作は食器をトレイに乗せると空いている席を探して食堂の隅っこに座る。周りには数人の少女たちが食後にお茶を飲みながら世間話に花を咲かせていた。
「みんなお早う。ちょっくら御免よ」
「あら、大作。今朝も随分とごゆっくりなのね」
正面に座っていた萌がちょっと皮肉っぽい口調で話し掛けてきた。
大作はご飯を口に放り込みながらぶっきらぼうに答える。
「このところ徹夜が続いていてな。もう一週間くらい碌に寝ていないんだよ。いやいや、嘘っぱちだけどな」
「ふぅ~ん。春眠暁を覚えずとは言うけれど、寝すぎると返って余計に眠くなることもあるわよねえ」
「それよりそっちはどうなんだ? 最近、何か面白いことはないのかなあ?」
「それ、本当にいま聞きたい? だったら幾らでも話すことはあるんだけれど」
萌は茶碗を机に置くと背後からバインダーのような板切れを取り出して広げる。中にはA4縦の紙が大量に挟んであった。その一枚一枚に大量の文字や図表が印刷されているようだ。
「いや、あの、その…… そういうのは食後のお楽しみに取っておこうかな。飯が不味くなるような話はノーサンキューってことで。まあ、楽しい話なら食べながら聞いても良いんだけれど」
「そうねえ…… 取り立てて厄介な話は無いわよ。近々に発生するイベントとしては天文十九年十一月二十一日(1550年12月28日)の中尾城の戦いかしら。十月中旬から三好が東山の辺りを攻めていたらしいわ。足利義輝は形勢が不利になったんで中尾城を焼いて撤退したそうよ。そうそう、十月十四日に三好長虎の与力が幕府方が撃った鉄砲玉に当たって死んだみたいね。山科言継の日記に書いてあるんですって。記録に残る日本初の鉄砲使用例よ」
「あっちゃ~っ、先を越されちまったか! いやいや、俺たちの方が先じゃね? 安芸国では毛利元就を討っただろ? 甲斐国でも数千人の兵を倒したような気がするんだけどなあ……」
「どっちも未確認情報ね。公式記録としては認められないわ。それに比べて山科言継は後に権大納言にまでなる有名人でしょう? 歴名土代の編纂者にして数多くの戦国大名との交流でも知られた有名人よ。信頼性が段違い平行棒でしょうに」
萌は両手の人差し指と中指をクロスさせると両肩の脇に掲げてクイックイッと曲げた。
「そ、そうは言うがな萌。奴は困窮していた朝廷の財政を建て直すために金を無心して回ってただけのことだろ? 金を払ってくれた奴のことを良く書くなんてこともあったかも知れんのじゃね?」
「そうかも知れんわね。そうじゃないかも知らんけど。でも、結果は結果よ。一次資料として後世に文書として残っているんだから一定の信用はされて当然よ。それに比べてあんたの鉄砲はどうなの? 誰か元就や晴信が死んだところを見てたの? ザプルーダフィルムみたいに何か証拠でもあるっていうの?」
「それはその…… 元就の時は真夜中で真っ暗なうえに遠かったしなあ。晴信の時は別のことに手を取られてて見てなかったんだ。でも、三千から四千の死体を見たって百地丹波が言ってたぞ。あいつだって有名人といえば有名人だろ? 違うかな?」
「それって伝聞に過ぎないわよね? そもそも、百地丹波が実際に数えて回った訳じゃないでしょうから伝聞の伝聞だわ。そんな物を信じろだなんて……」
「だったら山科言継だって伝聞だろ? 奴が中尾城までノコノコと出掛けて行って三好長虎の与力が被弾するところを見たとは到底信じられんぞ。間に二、三人は入った伝聞も良い所だろ。どうして奴を信じて俺を信じないんだ? うがぁ~っ!」
万策尽きた大作は駄々っ子のように手足をバタバタさせて喚き散らす。喚き散らしたのだが……
死んだ魚のような目をした萌は一言も言葉を発さずに見詰めてくるのみだ。やがて根負けした大作は電池が切れたように静かになった。
「そろそろ気が済んだかしら? そりゃ私だって出来るならあんたの言うことを信じたいけど…… だけども三万発の弾薬消費で三千人以上の損害を与えただなんて俄には信じがたい話よ。客観的に証拠がなければ信じられないわ。悔しかったら次からは証拠を残すことね。そうそう、ネットで見かけた話だけれどドイツ空軍も戦果の報告には異常に厳しかったそうよ。ガンカメラに敵機が間違いなく墜落するところまで撮影されている必要があったんですって。それか占領地なら地上で残骸を確認することもあったそうね。それが駄目な場合、僚機の二人以上から証言を取った上で厳しい審査があったそうよ。だからドイツ空軍側の戦果と連合国側の損害は比較的近い数字になってるんですって」
「ううぅ~ん…… そいつは難しいなあ。敵が攻めてくるんなら撃退した後に数えようもあるんだけれどさ。安芸も甲斐も遠征だったからのんびりと戦果なんて確認できる状況じゃなかったし。あぁ~あ、どっかの誰かが攻めてきてくれんかなぁ……」
「近々で可能性があるとすれば肝付か伊東ね。島津が滅んだのを見て火事場泥棒的に領地拡大を狙ってるかも知れんわよ。知らんけど」
萌はバインダーから何枚かの書類を取り出すと大作の方を向けて並べた。並べたのだが……
例に寄って例の如く。中身は意味不明だ。いや、活字なので文字は読めるのだが言語明瞭意味不明瞭。何が書いてあるのかはさぱ~り分からない。
大作は軽く頭を振って思考をリセットした。
「いや、悪いんだけれどそれじゃあ意味が無い。俺が気にしていたのは日本初の鉄砲による戦果だからな。二位じゃ駄目なんだよ。一位じゃ無きゃ」
「そ、そうなんだ。それならどうやっても無理ね。どうしてもって言うんならスカッドさんとやらに頼んでタイムスリップする他は無いでしょうね」
「それはそれで勘弁して欲しいな。予定外のこととは言え漸く島津を滅ぼしたっていうのに、また一からやり直すだなんて気が遠くなりそうだぞ。だったら、だったらもう松浦党! そうだ、松浦党にも鉄砲を供給したんだっけ。奴らが中尾城よりも先に戦果を挙げてるかも知れんじゃないか。もしそうなら日本初の鉄砲による戦果と言えるんじゃね?」
「そうねえ。もうそれで良いんじゃないかしら。山科言継に適当に献金して日記にその話を書いてもらえば良いんじゃないん? 知らんけど!」
「いやいや、知らんのかいな! 取り敢えずは困った時の津田様だ。堺の商人なら何ぞ伝手の一つや二つあるじゃろう。あらゆる問題は金が解決してくれるだろうし。そうと決まれば津田様だな。誰かある! 誰かある!」
大作は大きく手を打ち鳴らすと大声を張り上げた。張り上げたのだが……
返ってきたのは何人かの冷たい視線だけだった。
「んじゃ、私は忙しいから行くわね」
萌は食器を乗せたトレイを抱えるとそそくさと立ち去る。
後に残された大作は一人寂しく天井を見詰めながらほうじ茶を飲んで過ごした。




