巻ノ四百八拾弐 探せ!津田宗達を の巻
日付が変わって天文十九年十一月二日。大作とお園の仲良し夫婦は珍しいことに少しだけ寝坊した。
「春眠暁を覚えず。なんちゃって! まあ、もうすっかり冬なんだけどさ。ところで、お園。今日って火曜日みたいだぞ」
「そう、良かったわね……」
いったいぜんたい何が良かったのか皆目見当も付かない。だが、お園は寝起きで少しばかり機嫌が悪いらしい。触らぬ神に祟りなし。大作は警戒レベルを一段階引き上げた。
決してお園に気取られないよう細心の注意を払いながら徐々に徐々に距離を取る。慎重のうえにも慎重に距離を取ったのだが……
「ねえねえ、大佐。どうしてちょっとずつ離れていくのよ? 私、何か気に障るような事でも言ったかしら?」
「いや、あの、その…… アレだよアレ。月だって地球から一年に三センチずつ離れていってるんだぞ。それに宇宙の膨張に伴って星と星、銀河と銀河の距離もどんどん離れていってるんだ。今から何百億年か経てば夜空を見上げても星は見えなくなっているんだろうな」
「そりゃそうでしょう。たとえ宇宙が膨張していなくてもお天道様は六十億年かそこらで燃え尽きて白色矮星になっちゃうのよ。お天道様より大きくて明るい星はずっと先に燃え尽きちゃうでしょうし。お天道様より小さい星は何百億年も輝いてるでしょうけど暗いからどのみち見えないわ」
「で、ですよねぇ~~っ!」
負うた子に教えられとはこのことじゃな。大作はユパ様にそこはかとなくシンパシーを感じてしまった。
「まっ、とにもかくにも別にいつもいつもべったりくっ付いてるのが仲良しって訳でも無いんじゃねって話だよ。離れていても心は繋がっている。そんな関係も素敵だと思わんか?」
「そうは思わないわね。私、精神的な親密さは物理的距離の二乗に反比例すると思うのよ。とにもかくにも、もうちょっと近くにきて頂戴な。密接距離(四十五センチメートル)くらいまでね」
「いやいや、取り敢えず布団を畳んで寝間着を着替えちまおうよ。ただでさえ少し寝坊しちまってるんだし。もし食堂に行って朝餉が残ってなかったら大惨事だろ?」
イマイチ納得がいかないといった顔のお園をどうにかこうにか宥めすかして食堂へと急ぐ。ラッキーなことに朝餉が売切れたりはしていなかった。
「今朝は随分と遅うございましたな。お園様、大佐。昨夜は夜更かしでもなされましたか?」
「いやいや、ナカ殿。揶揄わんで下さいな。兵が見ております。って言うか、朝餉のメニューがちょっとばかし貧相ですな」
大作は上目遣いにナカの顔色を伺いながら遠慮がちに聞いてみる。トレーに乗った品々といえばやたらと麦の比率の多い麦飯、ほとんど具の無い味噌汁、ちょっと変な色をした沢庵の三品が寂し気に並んでいる。
「申し訳次第もごぜえません。薩摩の大火からこっち、荷駄が滞っておるようでして。夕餉には魚の干物や切り干し大根が出ます故、楽しみにしてつかあさい」
「そ、そうなんですか。それは大変なことですな。ちょっくら物流担当に話を聞いてみた方が良いかも知れませんね」
お茶も残り少ないとのことで、ほとんど白湯みたいな出涸らしのほうじ茶で我慢するしかない。二人は食器を洗って返すと逃げ去るように食堂を後にした。
「物流担当とは言ったけど、それっていったい誰なんだろうな?」
「津田様じゃあないのかしら? もし、津田様じゃなかったとしても、あのお方ならば誰が物流担当かご存じの筈よ。そうじゃないかも知らんけど」
「そうだとすると目指すは津田宗達の首、ただ一つだな。でも、それって具体的には何処なんだろな?」
「私が知るわけないでしょうに…… 取り敢えず倉庫の管理棟へ行ってみましょうよ。何か手掛かりの一つくらいあるはずよ。無いかも知らんけど」
当ても無く広い広い山ヶ野金山を彷徨い歩くこと暫し。犬も歩けば棒に当たるとは良く言ったものだ。漸くすると掘っ立て小屋みたいな建物が見えてきた。
正面に受付カウンターのような大きな窓があり、小柄な少女が一人、暇そうに頬杖をついて座っている。大作は愛想笑いを浮かべると両の手を敵意が無いことを示すように肩の高さに掲げた。
「長寿と繁栄を。ちょっくらお邪魔しますよ。津田殿はいらっしゃいますかな?」
「津田様に御用ですか? アポはお取りでしょうか?」
「いや、あの、その…… 大佐が急用だと伝えて頂けませんかな? ロボットにより通信回路が破壊された。臨時に私が指揮を執っているとでもお伝え下さい」
少女は迷惑そうな表情を隠すつもりは無いようだ。思いっきり怪訝な目で大作の顔を凝視する。凝視したのだが……
それまで黙って後ろに控えていたお園が痺れを切らしたように話に割り込んできた。
「悪いんだけれど私たち急いでいるのよ。津田様がいらっしゃるなら目通りをお願いできるかしら? なるはやで頼むわね」
「こ、これはこれはお園様! 大変ご無礼をば仕りました。急ぎご案内致します。此方へ参られませ。ささ、どうぞ」
手のひらクルーとはこのことか。余りにも見事な少女の態度の豹変ぶりに大作は空いた口が塞がらない。
言われたことには黙って従う。きっとそれがこの少女の処世術なんだろう。
大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。ただただ、卑屈な笑みを浮かべるのみだ。
「時雨! お園様を津田様の元へご案内致す故、暫く席を外します。受付を任せて良いかしら?」
「畏まりましてございます、弥生様」
新たに小屋の奥から現れた少女は名を時雨というらしい。お園に向かって深々と頭を下げると弥生が座っていた席にちょこんと座った。
「では此方へお出で下さりませ」
弥生とかいう少女は小屋から出てくると先に立って歩き始めた。
「今井様は今時分、米蔵におられる筈にございます。そうではないやも知れませぬが」
「そ、そうなんだ。ところで君、弥生って呼ばれていたっけ。随分と恰好良い名前だなあ。人からそう言われたことはないか? ない? そうなんだ…… そうそう、そういえば一休さんの桔梗屋さんに弥生さんってキャラがいたっけ」
「弥生さん?! もしかして大佐、その女にも懸想していたの?」
「はいはい、お約束お約束。ところで弥生はどこ出身なんだ? もしかして伊賀からの出向だったりするのかな?」
袖振り合うも他生の縁。とりあえずこの少女とも仲良くなっておいて損は無いだろう。大作はなるべく自然な笑顔を浮かべると努めて明るい口調で話しかけた。話しかけたのだが……
返ってきたのは氷のように冷たい視線と怒りを押し殺したような重々しい言葉だった。
「あのう…… 会って早々、呼び捨てにするとは些か無礼が過ぎませぬか? 別に様を付けて呼べとは申しませぬが、弥生殿と呼んで頂きとう存じまする」
「そ、そいつは済まんこってすたい。弥生殿。でも、別に女性蔑視とそんなんじゃないんだぞ。何ていうのかな? 親愛の情? だって俺、お園だって美唯だって呼び捨てにしてるんだもん。そうそう、俺のことも大佐って呼んでもらって結構だ。って言うか、頼むから大佐って呼んでくれよ。な? な? な? その方がずっと親しみが湧くだろ? そうだ、練習してみよう。repeat after me! 大佐!」
「た、大佐?」
「verygood! excellent! すばらしいよ、弥生くん! 大変な功績だ! バン、バン、カチ、カチ、アラ?」
そんな阿呆な話をしながら歩くこと暫し。米蔵とやらが見えてきた。米蔵が見えてきたのだが……
「どうやら、もう津田様はおられぬ様ですな。大方、虎居へでも参られたのでござりましょう」
「そ、そうか。そりゃあ残念だったな。まあ、生きていればまた会うこともあるだろう。今日は機会が無かったということで諦めるしかないか」
「ちょ、おま、大佐。諦めたらそこで試合終了よ。津田様が虎居へ向かわれたのならば急いで後を追いましょう。まだそう遠くへは行っていない筈よ」
「いやいや、お園。どう考えたって追い付くのは無理な話だよ。古代ギリシャの哲学者、ゼノンが唱えたアキレスと亀っていうパラドックスがあっただろ?」
お園はほんの一瞬だけ虚を突かれたような顔をする。だが、すぐに不敵な笑みを浮かべると着物の袂からワルサーPPKを取り出して構えた。
「追い付けぬなら 殺してしまえ 亀!」
「最後が物凄い字足らずだな。それに季語が無いぞ」
「いやあねえ、大佐。『亀鳴く』っていう春の季語があるわ。藤原為家の『川越のをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀のなくなり』っていう句が類題和歌集『夫木和歌抄』に収められているのよ」
ああ言えばこう言うとはこのことか。ドヤ顔を浮かべたお園は思いっきり顎をしゃくって鼻を鳴らした。
余りと言えばあんまりな言いぐさに大作は二の句が継げない。だが、黙っていては阿呆だと思われる。何とか頭をフル回転させて言葉を紡いだ。
「そ、そうなんだ…… でも、亀は鳴かないだろ? それに動物虐待とかにならないのかな?」
「取り敢えず鳥獣保護管理法には触れないわね。アレの対象は野生のほ乳類と鳥類を対象としているんですもの。蛇や亀とかの爬虫類や両生類は対象外なのよ」
「へぇ~! へぇ~! へぇ~! オイラ、また一つ賢くなっちゃったよ」
ふと気付けば弥生の姿が見えない。きっと二人の馬鹿話に呆れて帰ってしまったんだろう。大作は軽く頭を振って弥生のことを記憶からリセットした。
「いま思いついたんだけど何も亀を殺さんでも良いんじゃね? それと『追い付けぬなら』は字余りだな。こんなのはどうじゃろ? 『勝てぬなら 殺してしまえ アキレウス』ってのは。どうよ?」
「えぇ~っ! アキレウスを殺しちゃうの? でもアキレウスって哺乳類じゃないかしら?」
「いやいや、どうせアキレウスは殺されちまうんだ。殺したのはパリスだったっけ? とにもかくにも、ちょっとばかり早いか遅いかの違いさ。大した問題じゃないよ」
閑話休題。大昔に死んだ人のことなんてどうでも良い。それよりも今をどう生きるかが問題なのだ。どうやらお園も全くの同意見らしい。とんでもない勢いで話題の急ハンドルを切ってきた。
「話は変わるけどアキレスっていう小惑星があったわよね。トロヤ群で最初に見つかった小惑星の」
「確か木星軌道の前方、L4ラグランジュ点の辺りにいるんだっけ? んで、木星後方のL5点にいる奴らにはトロイ側の名前を付けるようになったとか何とか」
「でも、それより前に名付けられたパトロクロスとかヘクトルなんかはトロイ側にいるんだよな。だからスパイなんじゃないかって言われてるんだとさ」
「えぇ~っ! パトロクロスってアキレウスの大親友じゃなかったかしら? それが実は裏切り者だなんて…… まさに『 実は小説よりも奇なり』よねえ」
「だったら…… だったら、そうならないように俺たちが天体望遠鏡を作ってマックス・ヴォルフより先に小惑星アキレスを発見しよう。そうなるとやっぱり大きな反射鏡が必要だな。えぇ~っと……」
こうして二人は例に寄って例の如く、行き当たりばったりに大型望遠鏡の開発に取り組むこととなった。




