巻ノ四百八拾 登れ!ニイタカヤマを の巻
日付が変わって天文十九年十一月一日。大作とお園の仲良し夫婦は例に寄って例の如く空も暗いうちから目を覚ました。
「なあなあ、お園。今日は西暦だと1550年の12月8日だぞ。ニイタカヤマノボレー二〇八って感じだな」
「ニイタカヤマ? それって何処にあるお山なのかしら」
「台湾で一番高い玉山のことを日本統治時代は新高山って呼んでたんだよ。公式には標高三千九百五十二メートル。衛星測量によると三千九百七十八メートルあったって話だから富士山より二百メートルも高いらしいな。だから当時は日本で一番高い山だったんだぞ」
「へぇ~っ! 富士のお山よりも高いだなんて俄には信じがたいわねえ。機会があれば是非とも昇ってみたいものだわ」
「昔は中華民国政府の入山許可が必要だったらしいな。だけど民主化以降は事前申請すれば割と簡単に許可が下りるんだとさ。観光ツアーもあるらしいからそれを利用しよう」
二人はそんな阿呆な話をしながら布団を畳み、寝間着を着替える。
冷たい水で顔を洗って歯を磨くと幹部食堂へと急いだ。
「らっしゃぁ~せぇ~っ!」
暖簾を潜った途端に威勢の良い声が聞こえてくる。声の主はと店内を見回すと見知った顔が現れた。
「おお、ナカ殿。お早うございます」
「ようお越しで、大佐様。ささ、カウンター席しか空いておりませぬが此方へどうぞ。美唯殿、申し訳ございませぬが一つ席を詰めて頂けますかな。大佐とお園様に並んで座って頂くため、合力のほど宜しゅうお頼み申します」
「お安い御用よ。さあ、大佐。どうぞ」
カウンターの右端に座っていた美唯がお盆を持って一つ左の席へと移動する。
「悪いな、美唯。って言うかなんでお前は皆から一つ離れて座ってたんだ? もしかして仲間外れとかされてたんじゃなかろうな?」
「違うわ、大佐。ついさっきまで隣にほのかが座っていたの。だけど何か急ぎの用があるとかで大急ぎで食べて行っちゃったのよ」
「そ、そうなんだ。それを聞いて安心したよ。美唯はゆっくり食べてくれて良いぞ」
「言われなくてもゆっくり食べるわよ」
待つこと暫し。ほかほかと湯気を立てる麦ご飯や味噌汁と共に魚の干物やら大根おろしやらが盆に載って供された。
「いただきまぁ~す! ハム、ハフハフ、ハムッ!! うまい!」
「ねえ、大佐。今日はいったい何をするつもりなのかしら? 漸くお出掛けから戻ってきたんだからそろそろ美唯の相手をしてくれても良いと思うわよ」
「ハグハグ、ゴックン…… うん、何だって? 美唯の相手をしろだと? 俺、そんなに暇じゃないんだけどなあ」
「忙しいなら忙しいで結構よ。私もくっ付いて行くだけだから。何てったって美唯は大佐の連絡将校なんですから」
ドヤ顔を浮かべた美唯が大きく顎をしゃくる。
勝ち誇ったような笑顔を見ているだけで大作はぶん殴ってやりたくなった。だが、強靭な精神力を持って何とか抑え込む。
なぜならば、暴力では何も解決などしないのだから!
「その件なんだけどなあ、美唯。実は連絡将校の契約を解除しようかと思うんだ」
「な、何ですってぇ~っ! もしかして美唯は用済みってこと? 『バアさんは用済み……』みたいな? 美唯、ドロボウはできないけどきっと覚えるわ! だから一緒にいさせて! って言うか、いったい美唯の何処に不服があるっていうのよ? もしかして美唯に飽きちゃったとかいうんじゃないでしょうねえ? 大佐。ちゃんと分かるように道理を説いて頂戴な!」
「いやいやいや、別にこれといって不服とかは無いんだけどな。でも、人材育成という観点から見ればそろそろ後輩に道を譲っても良い頃合いなんじゃね?」
「分かった! あいつらの企みね。きっと静流、鶇、蛍の三人に誑かされたんだわ。何か上手いこと言い包められたんでしょう? 悪いことは言わないわ。あんな奴らより美唯の方がずっとずっと役に立つはずよ。ねえ、お園様からも何か言って頂戴な。美唯を美唯を首にしないで! 此処を放り出されたら美唯には行く当てなんて何処にも無いんですからねえ!」
美唯は勢い良く一息で長セリフを言い終わると真に迫ったウソ泣きを始める。いや、もしかして本当に泣いているのか?
分からん! さぱ~り分からん! 大作は考えるのを止めた。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。救いの手は意外な方向から現れる。空になった美唯の食器を下げながらナカ殿が声を掛けてきたのだ。
「それならば美唯殿。食堂を手伝っては頂けませぬか? このところ人手が足りておらぬ故、人を増やそうかと思うておったところにございますれば」
「いや、あの、その…… 美唯は大佐の連絡将校がやりたいのであって食堂の手伝いは…… それより猫の小次郎はどうするの? あれは美唯の猫よ。まさか取り上げようって言うんじゃないでしょうねえ、大佐?」
「アレって確か銭百貫目だっけ? 何か物凄く高かったんだよな? そんな物を美唯の私物だと認定するのはコンプライアンス的にちょっと不味いんじゃないのかな? とはいえ、猫の世話なんて急に押し付けられても困っちゃうし。ここは永久貸与って形で面倒だけお任せしても良いかな?」
「ちょっと、大佐? 相変わらず話が脱線し過ぎてるわよ。要は親衛隊の三人娘がいるから連絡将校は不要じゃないかって話でしょう? だったら話は早いわよ。美唯を三人娘と競わせて、誰かに勝てたらその娘と入れ替えれば良いじゃないの」
満面の笑みを浮かべたお園は良いことを言ったという風に胸を張った。だが、美唯は慌てた顔で狼狽える。
「ちょ、おま…… 美唯はまだ童なのよ! 静流や鶇や蛍と争えだなんて非道だわ! 余りに無茶苦茶よ! どうしても競えっていうのなら美唯にも勝てるような事で勝負させて頂戴な」
「何を甘ったれたこと言ってるんだ、美唯。お前は実戦でも敵に向かって同じことを言うつもりなのか? そんな覚悟しか持っていない奴にとてもじゃないけど護衛なんて任せられんぞ」
「だ、だって。美唯、護衛じゃないもの……」
「で、ですよねぇ~っ!」
一同が大爆笑し、その場はそれでお開きとなった。
大作とお園は食器を丁寧に洗って返し、ナカ殿に軽く頭を下げて幹部食堂を後にする。
美唯はオプションみたいにピッタリとくっ付いてきた。
「ちょっくら美唯の持久力を試してやろうかな?」
「嫌よ、大佐。私は朝っぱらから走るのなんか御免だわ」
「そ、そういやそうだな。食べてすぐ運動すると消化に悪いとか何とか」
真にもって下らない話をしながら歩くこと暫し。三人は中央指揮所が見えてきた。
入口の脇にある詰め所の中では修道女の姿をした数人の少女が退屈そうに屯している。
近付いて行くと一人の少女がこちらに気付いて顔色を変えた。
「お園様、大佐。お早うございます」
「ああ、お早う。確か君には昨日にも会ったかな?」
「覚えておいて頂けて何よりにございます。元・出入国管理官の杉菜と申します。お陰様で昨晩は散々に絞られましてございます」
少女の瞳には恨みとも怒りともつかない炎がメラメラと揺らめいているかのようだ。
アレ? 俺、また何かやっちゃいました? 大作は心の中で呟くが決して顔には出さない。
「もしかして、もしかしないでもIDカードを確認しなかったせいで怒られたのかな? だからって中央指揮所の門番が問題児の左遷先ってわけでもなかろうに。って、もしかして図星だったりした?」
その途端、詰め所の中にいた全員が俯いたり顔を背けてしまった。どうやら触れてはいけない話題をクリーンヒットしてしまったようだ。大作は考えるのを止めた。
「だったら…… だったらそんな落ちこぼれの君らに一攫千金…… じゃなかった、一発逆転のチャンスを進呈しようじゃないか。今からこの美唯が親衛隊の精鋭三人と対戦するんだけど絶賛メンバー募集中なんだ。勝てば褒美は望みのままだぞ。参加したい人はいないかなぁ~っ?」
しかし返ってきたのは氷のように冷たい視線だけであった。




