巻ノ四百七拾六 行こう!薩摩へ の巻
大作とお園の仲良し夫婦は静流、鶇、蛍ら三人娘ともども島津忠良の屋敷へとドナドナされていた。
一同を先導するのは昨日、島津忠良の屋敷前で出会った謎の中年男だ。
それはそうと、こいつはいったい何者なんだろう。不意に不安感に駆られた大作はジロジロと無遠慮におっちゃんの顔を観察する。
視線に気付いたのだろうか。おっちゃんは急に振り返ると愛想笑いを浮かべながら口を開いた。
「そういえば未だ名乗ってはおりませなんだな、大佐殿。某は忠良様のお傍仕えをしております本田弥兵衛と申します。以後、お見知りおきの程を」
「こちらこそ宜しゅうお頼み申します。此れなるは巫女頭領改め修道女頭領のお園。んで、こいつらは武装親衛隊の静流、鶇、蛍にございます。今日のところは名前だけでも憶えて頂ければ幸いにございます」
「お園殿に静流殿、鶇殿、蛍殿ですな。確と覚えましてございます」
本田と名乗った中年の侍はドヤ顔を浮かべて顎をしゃくる。その顔には褒めて褒めてと書いてあるかのようだ。
だが、名前を覚えることが致命的に苦手な大作には全く持って信じられない。猜疑心の塊のように淀んだ瞳で見つめ返しながら疑いの言葉を吐く。
「誠にございますかな? それでは少しテストをさせて頂きますぞ」
「て、てすと? てすととは如何なる物にござりましょうや?」
「気になるのはそこですか? えぇ~ っと、テストと申すは……」
本田の口から飛び出した予想外の疑問に大作は思わずたじろぐ。たじろいだのだが……
捨てる神あれば拾う神あり。待ってましたとばかりにお園が秒で食い付いてきた。
「テストと申すは『試す』の意を持つ英語『test』にございます。そもそもは土で拵えた壺を現すラテン語のtestumからきておるそうな。それが中世ヨーロッパにおいて錬金術師が金や銀の質を調べんが為の坩堝の意となったとの由。それが転じてやがては『試す』を現す言葉となりました」
「うぅ~む…… 大佐殿は某を試すと申されますか。して、何を試すおつもりで?」
「いや、あの、その…… たった今、申し上げましたよねえ? 静流、鶇、蛍の見分けが付くかどうかを試すって。もしかして言わなかったですかな?」
「聞いてはおりませぬな。然れども其の事ならばお試し頂かずとも結構。手前から順に静流殿、鶇殿、蛍殿にございましょう?」
取り付く島もないとはこのことか。本田は人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべると小さく鼻を鳴らした。がぁ~んだな。穴があったら入りたいぞ。大作はツルツルのスキンヘッドを抱え込むと小さく唸り声を上げた。上げたのだが……
まだだ! まだ終わらんよ! ラピュタの力こそ人類の夢だから!
「残念ながら間違っておられますな。テストは不合格にございます」
「いやいやいや、大佐殿。つい今しがた大佐殿が申されたではござりますまいか? 手前から静流殿、鵜殿、蛍殿じゃと」
「確かにそう申し上げましたな。だが、アレは嘘にございます!」
「???」
おっちゃんの顔には『こういう時、どんな顔をしたら良いか分からないの』と書いてあるかのようだ。
一方で一矢報いた大作は内心から沸き起こる高揚感を隠し切れない。思わず笑みが漏れてしまった。
「ぷぅ~っ、くすくす。あはははは。やはりテストは楽しゅうございますな。正に人類の至宝。英知の結晶。科学の勝利ですな」
「さ、左様にございますな……」
マトモに相手をするのが阿呆らしいとでも思ったのだろうか。それっきり本田とやらは黙ってしまった。
だが、黙っていては間が持たない。大作は新たな話題を探して頭をフル回転させる。フル回転させたのだが……
良い考えが纏まる前に島津忠良の屋敷に着いてしまった。
「ささ、大佐殿。此方で足を拭って下さりませ。お園殿や静流殿、鶇殿、蛍殿…… ではござりませぬな。真の名は存じませぬが皆さま方も足を拭われよ」
「これはこれは忝い。ささ、皆も順番に並んで並んで」
気合を入れて足を洗い雑巾で丁寧に拭く。そのまま短い廊下を進んで行くとそれほど広くもない板間の座敷に通された。
「此方でお待ち下さりませ、大佐殿。お園殿も其方へ。皆様方は彼方へ」
本田の指示に従って大作とお園は座布団の上へ。三人娘は部屋の隅っこに座らされた。
「静流、鶇、蛍。お前らは喋るな。ジオン訛りが強すぎる」
「じおんなまり?」
「三人とも気にしないで良いわよ。大佐の話は九分九厘まで中身が無いから聞き流して頂戴な」
そんな阿呆な話をして待つこと暫し。廊下を歩いてくる足音と衣擦れの音が聞こえてきた。
大作たちは慌てて額を床板に擦り付けるように頭を下げて固まる。
「面を上げられよ、大佐殿」
「ははぁ~っ! 本日は修理大夫様(島津忠良)のご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じまする」
大作は床板から僅かに頭を持ち上げると上目遣いで島津忠良を観察する。
座敷の上座に座っていたのは十五歳にしては少し小柄だが良く鍛えられたガッシリとした体つきの少年だった。
鋭く険しい目つきや固く引き締まった口元からは神経質そうな雰囲気が漂っている。取り敢えずバカ殿といった感じではなさそうだ。
「うむ、遠路はるばる大義であった。して、儂に何用じゃ? 和尚は山ヶ野に寺を開かれておるそうじゃな。もしや祁答院殿から言付けでもござったか?」
「ご推察の通りにございます。時に修理大夫様。薩摩で大火があり、田畑の悉くが焼けたことをご存じにありましょうや?」
「おお、其の事ならば伝え聞いておるぞ。相州家の者は一人残らず身罷ったとは真の話か? 俄には信じがたき事じゃな」
「さ、さあ。どうなんでしょうねえ。修理大夫様がそう思うんならそうなんでしょう。修理大夫様ん中ではね」
人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべながら大作は両手の人差し指と中指を立ててチョイチョイっと曲
げた。
だが、ジェスチャーの意味するところを知らない忠良は『わけがわからないよ』といった顔で小首を傾げている。
大作はこの機を逃さんとばかりに畳みかけるように話を続けた。
「そういうわけなんで、修理大夫様。ちょっくら薩摩くんだりまで視察旅行と洒落こんでみては如何でしょう? きっと楽しゅうございますぞ」
「な、何じゃと。儂に薩摩へ参れともうすか?」
「あの、その、いや…… そう言ってるじゃありませんか。もしかして拙僧の話は難しかったですか?」
「いや、難しゅうはないが余りに急な話じゃてな。のう、弥兵衛よ?」
忠良はまるで助けを求めるようにおっちゃんの顔色を伺う。だが、おっちゃんは完全に知らぬ顔の半兵衛といった顔でそっぽを向いていた。
「さあさあ、修理大夫様。ご決断のほどを。幸福の女神には前髪しか生えておらぬと申しますぞ」
「いや、あの、その……」
「お園、お前からも何とか言ってくれよ」
「なんとか……」
能面のように無表情なお園がぽつりと呟く。
その仕草がよっぽど面白かったのだろうか。それまで我関せずとでも言いたげにしていたおっちゃんが急に食い付いてきた。
「殿。ここは一つ大佐殿のお誘いに興じるのも一興ではござりますまいか? 相州家が滅んだとなれば薩州家も何を考えておるか分かりませぬぞ。今こそ奥州家にとって千載一遇の機会と思召されませ」
「うぅ~ん…… で、あるか? ならば参るとするか?」
不承不承といった顔をしながらも忠良が重い腰を上げる。
言われたことには黙って従う。それがきっと彼の処世術なんだろう。大作は心の中で嘲笑うが決して顔には出さない。ただただ薄っぺらい愛想笑いを浮かべながら揉み手をするのみだ。
「では、そうと決まれば思い立ったが吉日。早速にも薩摩へ参りましょう。さあさあ、早く早く。Hurryup! Quickly!」
言うが早いか大作は脇目も振らずにBダッシュでその場を後にする。間髪を容れずにお園も後に続く。その場に取り残された島津忠良と本田弥兵衛は三人娘たちと顔を見合わせて呆然としていた。




