巻ノ四百七拾壱 捕まえろ!島津忠良を の巻
けんもほろほろ…… じゃなかった、けんもほろろに人事部を追い払われた大作と蛍は当てもなく山ヶ野金山内を彷徨っていた。彷徨っていたのだが……
「何も好き好んで彷徨う必要なんてさらさら無いんじゃね? 俺たちサツキかメイの所へ行けって言われたんだよな? だったら二人のどっちかへ行きゃ良いんだよ。何でこんな簡単なことに気付かなかったんだろうな。テヘペロ!」
「然れど大佐。何方へ参られますか? サツキ様かメイ様か? 其れが問題にございます」
神妙な顔をした蛍が髑髏を掲げるかのように右手を差し出した。その評定はまるでリア王でも乗り移ったかのように真剣その物といった顔をしている。
いやいや、それはハムレットなんだけどな。大作は自分で自分に突っ込んだ。
凸凹コンビは暫しの間、当ても無く歩き回る。犬も歩けば棒に当たるとは良く言った物だ。暫くすると見覚えのある建物が見えてきた。見えてきたのだが……
「これって人事部の入ってた建物じゃんかよ! もしかして俺たち、ただ単に山ヶ野をぐるぅ~っと一回りしてきただけなのかなぁ……」
「そうかも知れませんな。そうじゃないかも知れませぬが」
相も変わらず蛍は人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべている。
こいつ、もしかして他者への共感能力に深刻な欠陥でも抱えてるんじゃなかろうな? 大作は自分のことを棚に上げて蛍を心の中で嘲り笑う。だが、決して顔には出さない。ただただ卑屈な笑みを浮かべるのみだ。と思いきや、ジロジロと無遠慮に嘗め回すような大作の視線に気付いた蛍は怪訝な顔で見つめ返してきた。
「はて、大佐。私の顔に何か付いておりましょうや?」
「目と鼻と口かな?それと耳も付いてるみたいだぞ」
「あはははは! 大佐は相も変わらずお戯れがお上手で。然れど目鼻や口が付いておらねば化け物ですぞ。のっぺら坊じゃあるまいし」
「それはさておき、どうしたもんじゃろなあ? 蛍を親衛隊に所属させるっていう俺たちの夢は時間の経過と共に現実困難であることが証明されつつある。それだというのに振り出しに戻ってきちまったんだぞ。これぞ正に『骨折り損のくたびれ儲け』そのものじゃんかよ……」
だが、捨てる神あれば拾う神あり? 好事魔多し? 天網恢恢疎にして漏らさず? 何と形容すれば良いのやら見当も付かないが途方に暮れる二人の前にデウス・エクス・マキナのように救いの手が差し伸べられた。いや、それとも破滅の罠だったりするんだろうか?
「あら! 大作ったらこんなところにいたのね。随分と方々を探させたのよ」
「どうした、萌? 何か急ぎの急用でもあったのか? まあ、急がない急用なんてあったらびっくりだけどさ」
「急用と言えば急用だけど、もう済んだ話だと言えば済んだ話ね。あんたとお園が留守の間に急いで決めないといけない議案があったんで緊急幹部会を開いたのよ。んで、ついでと言っちゃ何だけど今後あんたたちがいなくても出席者の三分の二以上の賛成があれば重要決議を採決できるようにしといたわけ。ちゃんと伝えたから後で文句を言わないでね」
「えっ?! えぇ~っ!!! ちょっと待ってくれよ。俺って一応は公正な選挙で選ばれた最高権力者ってことになってるんですけど? それを無視してそんな重要案件が決まるだなんて変じゃね? 憲法違反とか命令一元制の原則とか何かに触れないのかなあ? そうだ! 確か俺には拒否権って奴があったはずだぞ。そんなの断固拒否だ!」
ちっぽけなプライドを傷つけられた大作は瞳を攻撃色に染めて早口で捲し立てる。捲し立てたのだが…… 暖簾に腕押しとはこのことか。薄ら笑いを浮かべた萌には糠に釘と言うか蛙の面に小便というか…… いやいや、それって動物虐待案件じゃね? 蛙ってたぶん動物だよな? いや、両生類か? カエルはバァ~って飛ぶもんなぁ…… でも、両生類だって動物じゃんかよ。だったらもう……
例に寄って例の如く大作の思考は暴走特急の如く脱線し始める。だが、それよりも優先度の高いことがあったっけ。大作は無限ループに陥りかけた灰色の脳細胞を半強制的にリセットすると振り絞るように言葉を紡いだ。
「誠に遺憾ながらその件は了解したよ。んで、その代わりと言っては何だけど一つ頼みごとを聞いちゃくれないかな? 幼馴染の好でさ。な? な? な?」
「いったい何なのよ? 気持ち悪いわねえ。聞くかどうかは知らんけど取り合えず言ってみなさいな」
「良くぞ聞いてくれました! 知らざあ言って聞かせやしょう! ここにいる蛍は憲兵隊の所属なんだけどとっても優秀な奴なんだよ。天賦の才? 余人をもって代えがたし? 正に鳶が鷹を生んだみたいな稀代の傑物なんだ。そんな掛け替えのない貴重な人材を憲兵隊みたいな閑職で無為に過ごさせて良いものだろうか? いや、良くない! 反語的表現! とにもかくにもそんなわけだから蛍を親衛隊に人事異動させたいんだよ。協力してくれるよな、萌?」
「え、えぇ~っと…… なんとなく言いたいことは分かったけど、それで私にどうしろと? 人事に関することならほのかにでも言ってもらわないといろいろと角が立つでしょうに……」
断固拒否といった顔の萌は胸の前で両手をクロスさせながら少しずつ後ずさる。だが、調子に乗った大作の前でこの行動を取るのは自殺行為だったようだ。
ここぞとばかりに大作はグイグイと詰め寄せる。詰め寄せたのだ……
「ストップ! 近い、近い、近過ぎるわよ! ソーシャルディスタンス! もうちょっとだけ距離を取りなさいな。まあ、あんたの言いたいことなら何となくわかったわ。なんてったって一を聞いて十を知る私ですからね。どうせ国防省と内務省が絡んでくるからサツキとメイの了承を得なきゃならんとか言うんでしょう? んで、ほのかはほのかで板挟みになんてなりたくないと。とは言え、私だって二人の仲介役になれるかって言われると何とも言えんわね。そもそも憲兵隊から人材を放出することになるんだけど内務省から交代要員を出させる当てはあるのかしら?」
「いや、あの、その詳しいことは話し合いで決めれば良いかと……」
「人の当てが付かないんなら金銭トレードってことになるけど予算の目途は立ってるの? って言うか、その予算は内務省に出させるつもり? どういう名目で?」
「だ、だからその……」
「もしかして何にも考えていないの? 私に相談するからには最低限の準備はしておいて欲しかったわねえ。うぅ~ん…… じゃあ、こうしましょう。蛍、あんたは今日付で総合化学研究所に移動よ。んで、明日付けで親衛隊へ移動してもらうわ。これなら波風も立たんでしょう?」
ドヤ顔を浮かべた萌は両の手のひらを肩の高さに掲げてひらひらさせた。
どうやら危機は去ったようだ。大作はほっと安堵の胸を撫で下す。
「いやあ、流石は困った時の萌様だな。助かったよ。ほれ、蛍。お前からもちゃんとお礼を言っとけ」
「萌様、誠に忝のうございます。報謝に堪えませぬ」
神妙な表情をした蛍が深々と頭を下げる。釣られた大作も思わず最敬礼してしまった。
「では、これにて一件落着!」
「いやいや、そうはいかんざきよ。さっき言ったでしょう? あんたがいない間に重要案件が決まったって。結論から言えば実久暗殺は中止よ。倫理委員会から物言いが付いたの。祁答院良重の妻、虎姫は実久の娘でしょう? いくら渋谷三氏と諍いがあるからって近しい縁者を殺すのは止めとこうって話になったわけ」
「そ、そう言えばそんな設定もあたっけ。でも確か虎姫って十何年か後に良重を切り殺すんだよな? そんな人の顔色を伺う必要があるのかなあ…… まあそんなこと死ぬほどどうでも良いか。んで? 反対するなら対案があるんだよな?」
「これも元からあった案の一つなんだけど伊東へ身を寄せている島津忠良を使うことになったわ。実久の前の守護をしていた島津勝久の長男よ。日新公とは別人だから注意してね。そうそう、この人は幼少期には短い間だけれど祁答院に預けられてたこともあるんですって」
いったい何がそんなに面白いのか分からないが満面の笑みを浮かべた萌が得意げに捲し立てる。
だが、大作にとっては対岸の火事というか隣の芝生は青く見えるというか…… 丸っきり自分には関係の無い話だと思っていた。思っていたのだが……
「そうだ! 丁度良いわ。あんたたち二人で島津忠良とやらを捕まえて来なさいな。お二人の初めての共同作業よ」
「いや、あの、その…… 流石にその任務は俺なんかには荷が重すぎるんじゃね? いやいや、蛍の優秀さはいまさら言うまでも無い。だけども俺の方が足を引っ張っちまいそうだからさ。な? な? な? 蛍、お前からも何とか言ってくれよ」
「なんとか……」
「あはははは! あんたたち、良いコンビになれそうね。そんじゃあ後は若い二人にまかせるとしましょうか。期待していないから頑張ってね!」
その時歴史が動いた! 背後から途轍もなくどす黒い殺気を感じて振り返った大作の目に思いもしない光景が飛び込んできたのだ。
「お、お、お園…… こ、ここれはその…… アレだよアレ!」
「たぁ~いぃ~さぁ~っ! いったい誰なのよ、その女は?」
「ほ、ほ、蛍だよ、蛍。憲兵隊から今日付けで総合科学研究所に移動になって明日からは親衛隊に所属する予定なんだ。宜しく頼むよ」
「それで? もしかして大佐はその女にも懸想しているのかしら?」
例に寄って例の如く、お園がここぞとばかりに得意の名セリフを披露した。
ぷぅ~っと河豚みたいに頬を膨らませているが目が笑っているので本気で怒っているわけではなさそうだ。
大作は余裕の笑みを浮かべると両手の人差し指と中指をクロスさせる。
「してない、してない、してませんから。ただ、急に野暮用が入っちまってな。二人で伊東まで行って島津忠良って奴を連れてこなきゃいけなくなったんだよ。そうだ、閃いた! もし良かったらお園も一緒に来るか? 来るものは拒まん。対話の門は常に開かれているからな」
「喜んでぇ~っ! んじゃ、とっとと行きましょうか大佐。その、伊藤とやらヘレッツラゴー!」
「いやいやいや、もう日も傾いてきたぞ。行くのは明日にしよう。お腹も空いてきたし」
「そ、それもそうね。んじゃ、幹部食堂へレッツラゴー!」
四人は仲良く並んで夕焼け空へ向かって歩いて行った。




