巻ノ四百六拾九 探せ!真犯人を の巻
天文十九年十月二十四日のお昼過ぎ。山ヶ野金山の幹部食堂では首脳陣が雁首を揃えて昼食をとっていた。
「お園はいったい何処まで行っちゃったのかしらねえ」
「食いしん坊のあいつが昼食をすっぽかすなんて珍しいな」
「大方、何処かで道草でも食ってるんじゃないかしら?」
「いやいや。なんぼあいつが食いしん坊だからって道端の草なんて食べないんじゃね?」
そんな阿呆な話をしている間にも一同は昼食を食べ終わる。デザートの干し柿を食べながら焙じ茶を飲んでいると桜が遠慮がちに声を上げた。
「そろそろR作戦の事を申し上げても宜しゅうございましょうや? たった今、偵察隊からの報告が纏まった由にございます」
桜が胸の谷間から小さく折り畳まれた紙切れを取りして手渡してくる。例に寄って例の如く、ちょっと湿っていて生暖かい。
広げて中身に目を通し見れば判で押したようにキチンと文字が等間隔で並んでいた。ミミズの這ったような崩し字を目にしないで済むとはラッキーだなあ。大作はほっと安堵の胸を撫で下す。撫で下ろしたのだが……
「分からん。さぱ~り分からんぞ。これって結局どういうことなんだ? 誰か分かるように説明してくれ」
「何処か分り辛い所がございましたでしょうか? R作戦は極めて上首尾に終わり、追加攻撃の必要を認めぬとの知らせにございます。島津宗家の主だった武将も悉く身罷られ、家中は大いに狼狽えておるそうな。予期せぬ成り行きで始まったとは申せ、斯様に容易く島津を討ち滅ぼす事が叶うなどと一体誰が思うておりましたでしょう? いや、誰もおりますまい! 流石は大佐。真にもって驚かしきお知恵。この桜、心底より感服仕りました」
紙に書いてある内容の説明を求めただけだというのに、桜は大作を褒め称えるような話をして肝心なところを煙に巻いてしまった。
大作の心中で桜に対する猜疑心がムクムクと鎌首をもたげ始める。もたげ始めたのだが……
直後に萌から発せられた言葉で場の空気が一瞬で変わってしまった。
「ところで大作。この後はどう始末を付けるつもりなのかしら? 戦争は始めるよりも終わらせる方が難しいとは良く言ったものよねえ」
「始末? 責任者探しってことか? だけどR作戦が発動されちゃったのは不幸な偶然だったんだよな? さっきお前がそう言ったはずなんだけど?」
「そりゃ確かに直接の原因はパープル暗号の結果が平文の作戦指示と偶然にも一致したってことよ。でもねえ、大作。そうならないように事前に策を講じるべきだったんじゃないかしら? それに命令の正当性を確認する手順とか、万一に備えて作戦を中止する手段も用意しておくべきだったわ。この辺りをおざなりにして…… じゃなかった、なおざりにして作戦計画を立案したり、承認した者の責任を問わなきゃいけないとでしょう? こんなことを許していたら組織の規律は麻の如く乱れてモラルハザードが発生しちゃうわよ。もしそんなことになったら……」
立て板に水の如く話し続ける萌は正に水を得た魚の如くだ。立て板に水を得た魚っていうのがいたらこんな感じなんだろうか。想像した大作は吹き出しそうになったが空気を読んで必死に我慢した。
ふと気が付くと萌は話し終わってこちらの返事を待っているようだ。でも、マトモに話を聞いていなかった大作は『こんなとき、どう返せば良いか分からないよ……』といった気分だ。
笑えばいいのか? 取り敢えず笑っとけばいいんだろうか。大作は満面の笑みを浮かべながら口から出まかせで逃げ切ろうとする。
「知っているか、萌? 問題解決に臨む際、犯人探しは禁じ手なんだぞ。それを始めた途端に皆が皆、揃って非協力的になっちゃうんだそうな。それよりも、いま考えなきゃならないことは事後処理なんじゃないのかなあ? 薩摩には数万人の民草がいて、このままではとてもじゃないが冬を越せそうにない。島津が滅んだとなりゃ権力の空白も生じているだろうし。難民化した百姓たちの胃袋を満たしつつ、治安を回復せねばならんのだ。極めて迅速な対応が要求されるぞ。誰か良い案はないかな?」
「本来ならV作戦がそれに相当していたんでしょうねえ。伊東に身を寄せている島津実久の嫡男を拉致というか誘拐というか…… とにもかくにも強引に連れてきて軟禁状態にしたうえで薩摩守護を名乗らせる。誰でも良いから適当な女を大作の養女に迎えてから嫡男に嫁がせて義父の肩書を手に入れる。なし崩し的に私たちに権限を委譲させたところで事故死か病死に見せかけて亡き者にする。仕上げは適当に見繕った赤ん坊を後継ぎとして担ぎ上げ、外戚として権勢を振るう。ばんざぁ~い!ばんざぁ~い!」
「問題は実久がまだ生きてるってことだよなあ。計画が三年も早まったんで計算が狂っちまったぞ。早過ぎたんだ、腐ってやがるってか? どうしたもんじゃろなぁ~っ! うぅ~ん……」
降って湧いた難題に大作は小首を傾げて頭をフル回転させる。だが、下手な考え休むに似たり。何一つとしてマトモなアイディアが浮かんでこない。
これはもう、駄目かも分からんな。暫しの沈黙の後、淀んだ空気を打ち払うかのようにほのかが気の抜けた調子で口を開いた。
「だったら…… だったらもう実久ってお方を殺める事は出来ないのかしら?」
「えっ、なんだって?! それってもしかして暗殺するってことなのかな?」
「あんさつ?」
「不意打ち? 闇討ち? 正面から名乗りを上げて討ちに行くんじゃなくて油断してるところを殺っちゃうってことだよ。でも、それってコンプライアンス的にどうなんじゃろな?」
戦時下ならば敵の司令官を個人的に狙うことに法的な問題は無い。山本五十六の乗った一式陸攻はP-38ライトニングに撃墜されたし、バックナー中将は榴弾砲で狙い撃ちされた。だが、それを違法行為だと文句を言う奴なんているはずもない。
そう言えばロンメル将軍もイギリス軍のコマンド部隊に何度も命を狙われたとか何とか。嘘か本当かは知らんけど映画ではそんな場面があったっけ。まあ、最後はヒトラー暗殺未遂事件への関与を疑われて自殺を強要されるんだけれども……
大作が取り留めのない考えに現実逃避し始めたのを見て取った萌が強制的に割り込みを掛けた。
「あのねえ、大作。違法性云々を言うんなら薩摩に対する先制テロ攻撃の方がよっぽど問題大アリでしょうに。いくら薩摩の脅威が高まっていたとは言え、先制的自衛権の範囲を大きく逸脱しているわよ。イラクの幻の大量破壊兵器じゃあるまいし、いったいどういう風に言い訳するつもりなのかしら?」
「知らん! だって俺は本当に知らなかったんだもん。だけども実久を暗殺するとなれば知らぬ存ぜぬは通らんだろ? でも、だからこそ違法性の有無だけはきちんと確認しておきたいんだよ。分かってくれるよな? まあ、そんなわけで閑話休題! 桜、早急にも実久暗殺計画の検討を始めてくれ。並行して法務部に違法性が無いかどうかを確認させる。問題無しとなったらゴーだ」
「ご、ごお?」
キョトンとした表情のほのかがオウム返しする。その顔にはどちて坊やの魂が乗り移っているかのようだ。
「おうむがえし?」
「いや、あの、その…… ほのかさん? 何でもかんでも言葉尻を捉えて繰り返すのは止めて欲しいんですけど」
「ことばじり?」
「うがぁ~~~~~~っ!]
堪忍袋の緒がブチ切れた大作は茶碗に残った焙じ茶を一息に飲み干すと幹部食堂を飛び出して行く。後に残された面々はぽかぁ~んと口を開けて後姿を見送ることしかできなかった。
「はぁ、はぁ、ふう…… どうやら生き残ったのは俺だけみたいだな」
適当に山ヶ野金山の中を走り回った大作は選鉱場から少し離れた人気のない残土置き場で歩を緩めた。
肩から荷を下ろすと斜面にもたれ掛かるように座って辺りを見回す。遠くの方からボールミルが金鉱石を粉砕する音が風に乗って小さく聞こえてきた。
「随分と長閑だなあ。ここだけ別世界みたいだぞ。って言うか、またまた知らんうちに異世界転生してたらびっくりだなな。いつもいつも過去だから偶には未来世界に行ってみれんもんじゃろか。そういえば……」
「そこな坊主! 見かけぬ顔だな。何者だ?」
とりとめのない妄想世界に現実逃避していた大作の意識が突如として現実に呼び戻される。
声の主はと視線を泳がせれば十メートルほど離れた残土の小山の脇に少女が一人立っていた。
年齢は大作と同じくらいだろうか。濃い灰色の着物を着て腰にはこれ見よがしに短銃をぶら下げている。ってことは親衛隊の者かも知れない。だが、全体の雰囲気が鶇とは似ても似つかぬ感じだ。
無遠慮にジロジロと値踏みするような大作の視線を不快に感じたのだろうか。少女は苛立たしさを隠そうともせずに声を少しだけ荒げた。
「重ねて問うぞ、坊主。和尚は何者じゃ?」
「せ、拙僧は拙僧ですよ。それ以上でも、それ以下でもございませぬ。って言うか、拙僧の顔をご存じありませんかな?」
「知らぬ! 知らぬから問うておるのじゃ! ぐずぐず言わんと早う答えんか! 怪しい奴じゃな。真に僧なのか?」
少女は腰に吊るした短銃のグリップを強く握り締めながら慎重に大作の動きを伺っている。
こいつは随分と揶揄い甲斐がありそうな娘だなあ。大作は自らの命をチップにした危険な賭けに身を投じる覚悟を決めた。




