巻ノ四百六拾五 翼よあれが山ヶ野の灯だ! の巻
竜ヶ城からの帰り道、蒲生と祁答院の国境にまで辿り着いた大作たちは思いも寄らぬ知らせを耳にする。
国境警備隊に所属する鰍の口から伝えられたのはR作戦と言う名の薩摩に対する総攻撃命令であった。
『こんな時、どういう顔をすれば良いか分からないよ……』
思考停止に陥った大作は取り敢えず状況確認のため山ヶ野への帰路を急ぐ。帰路を急いだのだが……
「はぁ、はぁ、ふう…… やっぱ山道はしんどいなあ。平地の倍。いや、三倍は疲れるんですけど」
「そりゃそうよ。平地を歩くのとは違って自分の体重を常に持ち上げ続けているんですもの。下りの時にこの位置エネルギーを運動エネルギーに変換できれば楽なのにねえ」
「そうなると例に寄ってトロッコ問題だな。でも、アレを作ろうと思ったらレールを敷くのに大量の鉄を必要とするんだっけ。そのためには砂鉄だけじゃあ足りんぞ。海外から鉄鉱石を輸入して本格的に製鉄をやらなきゃならん。いったい何年くらい掛かるのか見当もつかんな」
「少なくともでも年単位の手間が掛かりそうねえ。でも、その話は一先ず置いといて取り敢えず今は山ヶ野へ急ぎましょうよ。R作戦を中止することが叶わないからには今後の身の振り方を思案しなきゃならんわよ」
物思いに耽るように遠い目をしたお園は小首を傾げるとそれっきり黙り込んでしまった。黙っていては間が持たない。大作は無駄話のターゲットを護衛の鶇へと切り替える。
「なあなあ、鶇。お前さんはどう思うよ? R作戦って本当に成功するものなのかなあ?」
「そ、それは…… 勝って頂かねば困りまする。大佐も常日頃から申されておられましょう? 『勝てるかなじゃねえ、勝つんだよ!』と。其れに『為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり』とも申します」
「それって何だか早口言葉みたいだな。『なせばなるなさねばならぬなにごともならぬはひとのさなぬなりけり』って。どうだ、お園。三回続けて言ってみ?」
「んんっ…… 『なせばなるなさねばならぬなにごともならぬはひとのさなぬなりけりなせばなるなさねばならぬなにごともならぬはひとのさなぬなりけり。なせばなるなさねばならぬなにごともならぬはひとのさなぬなりけり』どうよ?」
お園はよっぽど自信があったのだろうか。ドヤ顔を浮かべて顎をしゃくる。
その得意気な笑顔を見ているだけで大作はムカついてしょうがない。ぶん殴ってやりたい衝動を何とか必死に抑え込むと卑屈な笑みを浮かべて揉み手をした。
「うぅ~む…… 流石だな、お園。やはり俺の目に狂いは無かったか。もしかして、お前。アナウンサーや声優になれるんじゃね?」
「あのねえ、大佐。別にアナウンサーや声優は早口言葉の達人ってわけじゃあないのよ? アナウンサーは如何に正確に聞き取り易く話せるか否か。声優には演技力や表現力が求められるんですから。それとキャラのイメージに合ってるか合っていないかも重要なんじゃないかしら」
「そりゃそうだよな。どんなに優れた演技力があろうとも、お爺さん声優に美少女の声はアテられんもんなあ。とは言え、近年のAIの進歩は恐ろしいぞ。単純に原稿を読むだけのアナウンサーなんて数年後にはAIに取って変わられてるかも知れん。そう言えばNHKのニュースとかでも……」
そんな阿呆な話をしている間にも山道が徐々に緩やかになり木々も疎らになってきた。だが、田畑の広がる平野を暫く歩くと再び険しい山道が現る。
そんな感じで延々と歩くこと数時間。太陽が西の空に傾き始めたころ、とうとう待ちに待った見覚えのある木浦の村が見えてきた。
「ここまで来れば山ヶ野は目の前だな。『翼よあれが山ヶ野の灯だ!』ってか?」
「だけども大佐。百里の道は九十九里を半ばとすよ。ここが半ばだと思った方が良いわね」
「はいはい、そうだなあ。そう言えば百里基地って知ってるか? あそこの滑走路は……」
一同は無駄話に興じながら田畑の中を進んで行く。だが、普段と比べて村の中は閑散として人の気配が全く無い。まるでゴーストタウンにでもなったかのようだ。皆、いったい何処へ行ってるんだろう。まあ、農繁期じゃないから揃いも揃って金山で働いているのかも知れんな。考えるのが面倒臭くなってきた大作は一人で勝手に納得した。
村から出てまたもや谷間を通ること数分。漸く懐かしい山ヶ野が見えてくる。例に寄って例の如く、出入国ゲートには長い長い行列が…… と思いきや、普段は解放されているゲートが今日に限って固く閉ざされていた。
「どないしたんじゃろな? もしかして今日はお休みだったりして」
「何を阿呆な事を言ってるのよ、大佐。R作戦の規定に従って山ヶ野を封鎖してるんでしょうに。もしかして忘れちゃったの?」
「あたぼうよっ! って言うか、封鎖ってことは中に入れないのかな? だったら戻ってきた意味が無いじゃんかよ! 分かってたんならもっと早く言ってくれたら良かったのに……」
「どうせ言っても聞きゃあしなかったでしょうに。それより山ヶ野に入る道なら私に任せて頂戴な。前にクーデター騒ぎがあったでしょう?あの時に通った獣道を通れば大丈夫な筈よ」
勝手知ったる他人の家とばかりにお園は先頭に立って歩きだす。大作と鶇は金魚の糞みたいに黙って後にくっ付いて歩くのみだ。
人っ子一人としていない道をとぼとぼ歩くこと暫し。それまでずっと無口キャラを保っていた鶇が突如として口を開いた。
「お園様。『くうでたあ』とは如何なる意にございましょうや?」
「気になるのはそこかよぉ~~っ!」
余りにも予想外の突っ込みに大作は思わず脊髄反射してしまう。だが、お園は華麗にスルーを決めると満面の笑みを浮かべた。
「良くぞ聞いてくれたわね、鶇。知らざあ言って聞かせやしょう。そも、クーデターというのはフランス語で……」
そんな阿呆な話をしている間にも一同は生い茂る草むらを描き分けて道なき道を進む。道なき道を進んだのだが…… 道に迷ってしまった!
「参ったわねえ。さぱ~り道が分からんわ。此処はいったい何処なのかしら?」
「いや、あの、その…… お前は完全記憶能力者じゃなかったのかよ!? 何で覚えていないんだ? つまんないことは細かく覚えているくせに。おかしいだろ!」
「あのねえ、大佐。いきなり大きな声を出さないで頂戴な。完全記憶能力者だって万能じゃないのよ。って言うか、完璧に覚えているが故に具合の悪い事だって沢山あるんですからねえ。例えば私はクーデターの折に通った道を寸分違わずに覚えているわ。だけども、あれから季節が変わって草木の生え方も随分と変わっているでしょう? 時刻だって違うからお天道様の加減も違っているし。私だって一生懸命やってるんだから大佐だってちょっとは手伝ってくれたって……」
「はいはい、分かりましたよ。めんごめんご。俺が悪うございましたっと! んで、どうするよ? 今は責任問題を追及するよりも善後策を検討すべき状況なんじゃね? このままじゃ最悪、ここで夜を明かすことになりそうだぞ」
大作は腫れ物に触るようになるべく穏便な態度で接する。お園もそこまで本気で怒っていたわけでは無さそうだ。真っ赤な攻撃色に染まっていた瞳も徐々に落ち着きを取り戻し、表情も目に見えて柔和になってくる。
だが、そのとき歴史が動いた! 何者かが草むらを掻き分けながら走ってくるような大きな物音が聞こえてきたのだ。
慌てて音のする方向を確認した大作の目に飛び込んできた物は……
「猪だぁ~っ!」
咄嗟にお園を庇おうとした大作は次の瞬間、強い衝撃と共に意識を失った。




