巻ノ四百六拾四 逃げろ!スタコラサッサ( 死語)と の巻
加治木城の肝付兼演や竜ヶ城の蒲生範清(越前守)を訪ねた大作とお園の小さな旅はこれといった成果も出せないまま終わろうとしていた。
だが、蒲生と祁答院の国境まで戻ってきた一同を出迎えたのは意外な人物だった。
「国境警備隊所属の鰍と申します。此方に控えしは眼張と紬ににございます。畏れながらお園様と大佐にお伝えしたき仕儀がございます。此方へお出で下さりませ」
大作たちは鰍と名乗った若い美女に促されるまま鬱蒼と木々の生い茂った森の奥へ奥へと分け入って行く。
怪しさ大爆発も良いところだが武装した三人に取り囲まれては逃げることも叶わない。取り敢えず取って食われる心配も無さそうだ。大作は黙って従うことにする。
言われたことには黙って従う。それが大作の処世術なんだからしょうがないのだ。
鬱蒼とした森の中を歩くこと暫し。急にテニスコートくらいの広さの開けた原っぱに出る。奥の方には掘っ立て小屋としか形容のしようがない簡素な建物がぽつ~んと立っていた。
「何だか山ヶ野で初めに作った小屋みたいねえ」
「ああ、あの『ふしぎな島のフローネ』の木の上の家みたいな奴か。アレよりかはナンボかマシなんじゃね? 取り敢えず基礎は確りしてるみたいだから台風で飛んでいったりはしなさそうだし」
小屋の屋根には三本の長い竹竿が三脚のように立てられ、少し離れた木の先っぽまで荒縄が張られていた。良く目を凝らせば荒縄に沿ってもう一本の黒っぽい紐のような物も見える。
「アレは空中線だな。そう言えば、来るときに国境警備隊の薊が緊急通信がどうとか言ってたっけって、おかしいぞ! 薊はどうしたんだ?何でいないんだ?」
「其れは大佐が通られた道が違うからにございましょう。薊の詰め所なれば此処より二里ばかり東へ行った所にございます」
「そ、そうなんだ。薊は元気にしてるのかなあ?」
「さ、さぁ…… 便りの無いのは無事な知らせと申します。恙無うやっておるのではござりますまいか? 其れよりも、お園様と大佐に申し上げたき仕儀とは其の事とも関りがございます。今より三十五分ほど前に通信をば傍受致しました。此方がその折の記録票にございます」
例に例の如く、鰍と名乗った若い美女は豊満な胸の谷間から小さく折り畳まれた紙切れを取り出した。
こいつら揃いも揃ってどうして同じ行動を取るんだろう。もしかしてくノ一の世界では常識なんだろうか?謎は深まるばかりだ。
だが、今はそれよりも優先すべき問題がある。大作は恭し気に紙切れを受け取ると目を通した。
「・・・ー ・・・ー ・・・ー ・・ー・・ ・・・」
何だこりゃ?まるで『ジョニーは戦場へ行った』の名場面みたいだな。さぱり分からん。いやいや、そんなことはない。良くみたら段々と思い出してきたぞ。
・・・ー はラピュタ冒頭でムスカ大佐が打ってた電信だっけ。たしか試験電波だったかな?
・・ー・・ ・・・ は『トラ』だな。これを三回続けて打つと『我、奇襲に成功セリ』だったはずだ。
とは言え、国境警備隊はパープル暗号を使っているんだっけ。それに乱数表を使い捨てにしているとも言っていたような。そんなわけなので原文を見せられたって意味不明なんですけど。大作は上目遣いで鰍の顔色を伺う。
「んで?これを俺にどうしろと?」
「お分かりになられませぬか? これはR作戦の指図にございます」
「R作戦?それって何だっけ?」
大作は小首を傾げて呆けた表情を浮かべる。鰍は心底から呆れ果てたといった顔で深いため息をついた。
見るに見かねたのだろうか。二人を取りなすかのようにお園が間に割って入る。
「あのねえ、大佐。そも、R作戦の立案者は大佐じゃないの。もしかして忘れちゃったの?」
「いや、あの、その…… そんな昔のことは忘れたよ。お園の方こそ忘れちゃったのか? 俺の記憶力はハンフリー・ボガードとどっこいどっこいだってことを」
「どっこいどっこい?」
まるでどちて坊やが憑依したかのようにお園が知らない言葉に秒で食い付いてくる。いつもならイラっとくる場面だが、ことこの状況い置いては大作にとっても渡りに船だ。迷うことなく即座に拾わせてもらった。
「いや、あの、その…… 気になるのはそこかよぉ~っ! えぇ~とだな民俗学者の柳田国男先生によると『何処へ』が語源だそうだな。元々は相手の『なんの』とか『どうして』みたいな言葉を遮ろうとする感動詞なんだとさ。『ところが、どっこい』とか相撲の『どすこい』なんかも語源は同じらしいぞ」
「どすこい?お相撲でどすこいなんて言うのかしら? 私、聞いたこと無いわよ」
「そ、そうなのか? うぅ~ん…… そうみたいだな。良く見たら『江戸時代の村相撲では』とか書いてあったよ。とにもかくにも相撲を取る時に力士が相手の勢いを削ごうとして『何処へ?』とか言ってたのが訛って『どっこい』になったんだとさ。その『どっこい』が『どっこいしょ』になったのは明治以降らしい。要は相手の動きを邪魔しようして『何処へ行って何をする気かは知らんけど、お前の行きたい方へは行かせないぜ!』みたいな感じだな」
「つまるところ二人の関取が互いに『どっこい、どっこい』って鬩ぎ合っている様を示しているわけね。漸く合点が行ったわ。ありがとう、大佐。待たせたわね、鰍。話を戻してもらっても構わなくてよ。鰍? 聞いてる? もしもぉ~し!」
鋭い眼差しで周囲を警戒している鰍はお園の声がまるで耳に入っていないようだ。でも、これって警戒していることになるんだろうか。さぱ~り無警戒みたいなんですけど。大作は吹き出しそうになったが空気を読んで必死に我慢する。
見るに見かねたんだろうか。とうとうお園が鰍の着物の袖を掴んで軽く引っ張った。
「へぁ? ああ、お園様。此れはとんだ失礼をば致しました。お話は終わりましたでしょうか? 然らば話を戻させて頂きます。今より三十五分…… いえ、既に四十分ほど経っておりますな。R作戦の指図が届いてから」
「んで、悪いんだけどそのR作戦について詳しく説明してもらえるかな? 誰でも良いからさ」
鰍はお園と鶇の顔を暫しの間、交互に見比べる。だが、二人とも口を開く気は無いようだ。長い沈黙の後、鰍は諦めたようにため息をつくとぽつりぽつりと語り始めた。
「R作戦とは山ヶ野の中央指揮所から発せられる島津への総攻撃命令にございます。敵の奇襲攻撃などにより党指導部や軍幹部が致命的な損害を被った際、複雑な手順を経ることなく報復攻撃の指示が出せるよう定められたと聞き及んでおりまする。先ほどお見せした短い電文を送信するのみで数千にも及ぶ手の者が動き、薩摩の隅々までを焼き尽くしまする。此処、伊牟田の詰め所からも先ほど女子挺身隊の特別攻撃班が二十名ばかり出撃しております。他の詰め所や前進基地から数百。予め島津に潜んでおった者や島津側の内通者、協力者など合わせれば千を超えましょう。それぞれが十、乃至二十発の時限発火装置やロケット焼夷弾を用いて田畑や蔵、城屋や城下の屋敷、エトセトラエトセトラありとあらゆる物を燃やす手筈となっております」
「ちょ、おま…… マジで?! それって中止命令とか出せないのかな? 悪いことは言わんから今日のところは止めといた方が良いんじゃないのかなあ?」
四年後の予定を三年後に前倒しするだけでも調整に四苦八苦しているのだ。それを今すぐ攻撃だなんて準備不足も良いところじゃないか。大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。ただただ、余裕のポーカーフェイスを浮かべるのみだ。
「然れども大佐。既に大方の攻撃部隊は島津領内で作戦行動中の由。中止命令を出そうにも伝える術がございませぬ。そも、R作戦は敵の謀略を妨ぐる為に中止命令が設定されておりませぬ。一旦始まれば決して止める事は叶いませぬ」
「いや、あの、その…… 良くもまあそんな欠陥作戦を立てたもんだなあ。もしも命令が誤りだったらいったい誰が責任を取るっていうんだよ? そもそもいったい誰がこんな命令を出したんだ? って言うか、山ヶ野の現状はどうなってるんだ? 本当に島津からの攻撃なんてあったのか? 俺たち蒲生から歩いてきたけど何処にもそんな素振りはなかったんですけど?」
いくら記憶に障害を抱えている大作と言えども、これほどの大事が起こっていれば気付かぬはずがない。いや、多分だけども。大作は少しだけ声を荒げて鰍に詰め寄る。
思ってもみなかった反撃に遭った鰍はほんの僅かに狼狽えた表情を浮かべる。
「さ、さあ…… 私には分かり兼ねまする。我らはただ、命が下れば黙って其れに従うのみ。命が誤っておらぬかなど思いも及びませぬ。R作戦の諸規定にも左様な事は書かれてりませなんだ」
「そ、そうなんだ。いや、あの、その…… これってもし誰かのミスだったらコンプライアンス的に凄い問題になるんじゃね? どう思うよ、お園?」
「そりゃあタダでは済まないでしょうねえ。でも、私は何も悪くないわよ。もちろん大佐もね」
「つ、鶇も何ら後ろ暗い所はございませぬ。お二人とずっとご一緒しておりました故」
「ですよねぇ~っ! んじゃ、鰍。俺たちはもう行くよ。貴重な情報、ありがとな。お達者で!」
唖然とした顔の鰍たちを放置して大作とお園と鶇はスタコラサッサ(死語)とその場を後にした。




