巻ノ四百六拾 足るを知る者は富む の巻
加治木城の肝付兼演を訪ねた大作とお園は鉄砲購入の割引クーポン券と引き換えにそこそこ豪華な夕餉にありつくことができた。
一同は山海の珍味に舌鼓を打ち、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎに興じる。すっかり夜も更けたころ、二人は案内された寝室で床に就いた。
ちなみに鶫は隣の部屋で一人寂しく寝ているらしい。
「期待してたよりかは質素な夕餉だったな。まあ、俺が期待し過ぎてただけかも知らんけど。もしかすると肝付の懐事情って案外ヤバいのかも知れんな」
「そうかしら? 私はアレで十分に満足がいったわよ。何せタダで食べさせてもらったんですから。『足るを知る者は富む』って言うでしょう? 若いうちから贅沢ばっかしてると碌な大人にならんわよ」
「いやいや、お園が納得してるんなら俺は別に文句はないんだけどさ。でもなあ…… できることならもっと美味しい物を食べさせてやりたかったんだよ」
「食べさせてやりたかったって言われてもねえ…… 大佐が作ってくれるんなら兎も角、肝付様の所まで一緒に来ただけじゃないの。他力本願も良い所だわ」
頬を膨らませたお園にじっと見詰められた大作は思わずドキっとした。
もしかして怒ってるのか? いやいや、目が笑っている。どうやらふざけているだけのようだ。
「そう言われてもなあ。餅は餅屋。料理は料理人に任せるのが一番だろ?」
「あら、大佐が作ってくれた安倍川餅や蒲鉾は美味しかったわよ。まあ、空腹が最高の調味料だったのは間違いないんだけれども」
「あぁ~あ、アレは美味しかったな。とは言え、いまアレと同じ物を作って食べてもそんなに美味しくは感じないと思うんだけどさ。思い出っていうのは必ず美化される物なんだよ。悲しいけどな」
「ふぅ~ん。まあ、良いわ。過去よりも未来に目を向けましょうよ。昨日よりは今日。今日よりは明日。チャップリンも申されてるわ。『Next one!』ってね。明日はもっと美味しい物が食べられるかも知れないんですもの」
「そうそう! ケセラセラ、明日は明日の風が吹く。なんくるないさぁ~っ!」
そんな阿呆な話をしているうち、いつの間にか二人は深い眠りに落ちていた。
「知らない天井だ……」
「はいはい、お約束お約束。さあ、大佐。とっとと起きて頂戴な。布団を畳んじゃうわよ」
一夜が明けて天文十九年十月二十二日。スッキリ爽やかに目を覚ました大作は顔を洗って歯を磨く。
「ねえねえ、大佐。つまるところ、歯を磨くのって朝餉の前と後のどっちが良いんだったかしら?」
「それに関しては諸説あるみたいで俺にも良く分からなくなってきたよ。どうしても心配なら前と後の両方で磨いたらどうなんだろう?」
「それはそれでどうかと思うわよ。磨き過ぎるのも歯に悪いんじゃなかったかしら?」
「知らんがなぁ~っ! 俺は歯医者じゃないんだからさ。ちなみに毛沢東は歯を磨かなかったらしいぞ。テレビで誰かがそんな話をしてるのを聞いたことがあるような、無いような……」
「ふぅ~ん」
そうこうしている間にも朝餉の支度が出来たことを告げに肝付の家人がやってくる。
大作とお園は連れ立って座敷へと向かう。座敷へと向かったのだが……
「大佐! お園様! 鶫のことを忘れないで下さりませ。鶫はお二方の護衛。命に代えても御身をお守り致します」
「ああ、めんごめんご。完全に忘れてたよ。テヘペロ! って言うか、鶫さんよお。お前さんはもうちょっと存在感をアピールした方が良いぞ。もっと目立つ髪型とか特徴的な語尾とかさ。今度、俺が考えてやるから首を洗って待っとけよ」
「畏まりましてございます」
言われたことには黙って従う。それが鶫の処世術なんだろう。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。ただただ黙って卑屈な笑みを浮かべるのみだ。
三人が座敷に辿り着くと既に上座には肝付兼演が座って朝餉を食べていた。
「随分と遅うござったな、和尚。先に食うておるぞ」
「おやおや、ちょっぴり遅刻しちゃいましたかな? これは失礼仕りました。でも、人を訪ねる時は少し遅れて行くのがマナーだってテレビで見たことありますぞ」
「まあ良いわ。和尚らも早う食え。冷めてしまうぞ」
朝食のメニューは昨日の夕餉に比べると随分と寂し気だった。
まあ、朝からあんまり重い物を食わされるのも困っちゃう。このくらいが丁度良いのかも知れんな。大作は半ば無理矢理に自分で自分を納得させた。
「時に大佐殿。此の後は如何なさるおつもりじゃ?」
「そうですなぁ~っ…… 折角こんな遠くまで来たことですし、帰りに蒲生様をお訪ねするのも悪くないかも知れませんなあ。越前守様(蒲生範清)には随分とご無沙汰しておりますし」
「うぅ~む、左様か。して、和尚。儂の事は如何様に伝えるおつもりじゃ?」
「肝付様のことを? それって…… まあ、元気にしてましたよとでも言っときましょうか? あと、夕餉と朝餉をご馳走になったとかですかなあ?」
口にご飯を頬張ったまま大作は肝付兼演の問に答えた。
隣に座ったお園が『お行儀が悪いなあ』とでも言いたげな目で睨んでくる。でも、大作は目上の人からの問い掛けには即答する方が吉だと思ったのだからしょうがない。
しかし、その答えはどうやら質問者が期待していた物とは違っていたらしい。肝付兼演は小首を傾げるとちょっと呆れた顔で聞き返してきた。
「いやいや、和尚。左様な事を問うておるのではござらぬ。祁答院や入来院、蒲生が島津と戦になった折、肝付が如何致す所存かを如何様に伝えるつもりかと聞いておるのじゃ」
「えっ? あの、その、いや…… そのことならば昨夜の内に散々お話申し上げませなんだかな? 肝付殿は曖昧戦略を取るのが宜しかろうと結論が出たではござりませぬか」
「けつろん?」
「如何致すか決心が付いたとの意にございます」
解説役を買って出たお園がドヤ顔を浮かべながら口を挟む。
肝付兼演は無表情のままチラリとお園の顔を見て軽く頷き、短い思案の後に大作の方へ向き直った。
「昨夜の話は左様な事を決めておったのか? 儂はてっきり…… いや、まあ良いわ。して、次なる戦において我ら肝付は曖昧戦略をとるのじゃな。曖昧戦略と申すは…… 何じゃったかな?」
「でぇ~すぅ~かぁ~らぁ~っ! 曖昧戦略とは何をするやら…… って言うか、何をするかどうかすらはっきりとは表明しないことを申すのです。祁答院、入来院、蒲生の連合軍に付くのか。あるいは島津に付くのか。はたまた、何方にも付かぬのか。それを確と表明しないからこその曖昧戦略なんですから」
「さ、左様であるか。うむ、相分かった。しかし、和尚。そうなると、真に戦が起こった折には如何すれば良いのじゃ?」
「それはその…… その時になってから考えれば良いんじゃないですかな? って言うか、仮にいま決めたところで状況は常に変化しておるではございませぬか。どうせその時になったらなったで再検討しなきゃならんのですよ。だったらその場で決めた方が良いに決まってますから」
段々と面倒臭くなってきた大作は吐き捨てるように言い切る。
そんな適当な説明で納得が行ったのか、行かなかったのか。肝付兼演は相も変わらず小首を傾げて唸っていた。
「では、肝付様。拙僧どもは此れにて失礼をば仕ります。割引クーポンの有効期限は一年です。切れてから文句を言ったりしないで下さいな」
「うむ、良う分かった。では、和尚らも達者でな。次に相見えるのは戦場になるやも知れぬのう」
「その時はお手柔らかにお頼み申しますぞ」
どこまで本気でどこからが冗談なのか分からないような挨拶を交わして大作たちは加治木城を後にした。
肝付を後にした大作とお園と鶫は西へ向かってのんびりと進んで行く。歩くこと暫し、やがて見覚えのある川が見えてきた。
「網掛川とかいう川だったかな。歩いて渡れるような浅い川だけど注意して行くぞ」
危うく引っ繰り返りそうになりながらも一同は何とか無事に渡り終えた。
半時間ほど田園地帯を西に向かって歩き、関所を通って平山城の前を素通りする。
別府川を渡し船に乗せてもらって越え、北西へ向かって歩くこと小一時間、漸く夢にまで見た竜ヶ城の姿が見えてきた。
城門の脇には槍を手にした門番風の小男が暇そうに突っ立っている。
「頼もぉ~ぅ! 拙僧は大佐と申します。越前守様(蒲生範清)はご在宅でしょうか?」
「大佐様、斯様に大きな声を出されずとも良う聞こえております。大殿ならば今時分は本丸におられるのではありますまいか?」
男は小首を傾げて曖昧な笑みを浮かべた。会いたきゃ勝手に行けってことなんだろうか。こんなので門番の役目は務まるんだろうか。謎は深まるばかりだ。
「では、お邪魔おば致します。ああ、道ならば良く分かってますんで案内は不要ですよ。失敬、失敬」
軽く頭を下げると大作たちは城門を潜って城へと入る。
勝手知ったる他人の城とばかりに三の丸を通り抜ける。二の丸を目指して急な坂道を登って行く。
シラス台地を削って作った堀切は前に来た時と少しも変わっていない。
岩壁に刻まれた磨崖一千梵字を目にした大作は吐き捨てるように呟いた。
「フンッ! 半年前と同じだ。何の補強工事もしておらん」
「そうねえ。今度ばかりはそうみたいかしら。まあ、こんな物が半年やそこらで変わる筈もないんでしょうけど」
どうやらお園も同意見らしい。それに比べてこの城に初めて訪れた鶫は興味津々とばかりにキョロキョロと落ち着かない。まるで迷子のキツネリスのようだ。
「餅つけ、鶫。お前がいま感じている感情は精神的疾患の一種だ。静める方法は俺が知っている。俺に任せろ」
「か、畏まりましてございます……」
時刻は既に正午を回ったようだ。歩き疲れて足が棒のようになったころ、漸く一同の眼前に竜ヶ城の本丸が姿を現した。




