巻ノ四百五拾八 撃て!鶫 の巻
行き当たりばったりに肝付を目指すことになった大作とお園は虎居から真っ直ぐ南へ向かって街道を歩いていた。
時刻はまだ朝早いが空は良く晴れていて日差しも暖かだ。風もやや弱まってきたので朝方の冷え込みが嘘のように過ごしやすい。
「肝付ってどれくらい離れていたっけ? 昼過ぎには着くのかなあ?」
「遅くとも日が暮れるまでには着く筈よ。夕餉は何を食べられるのかしら? 楽しみねえ」
「いやいや、それは捕らぬ狸の皮算用って奴じゃね? 何せ今回は何の手土産も無いんだからさ」
「だったら鉄砲の割引クーポン券でも作って渡したらどうかしら? 今月だけの期間限定で一割引とか何とか」
そんな阿呆な話をしながら山道を登ること暫し。見覚えのあるような、ないような…… どこにでもありそうな峠に辿り着く。
大作は今まで登ってきた道を振り返ると感慨深げに呟いた。
「ここいらでちょっくら休憩しようか。思えば遠くへ来たもんだなあ」
「今さら何を言ってるのよ、大佐。江戸から数えたら何百里歩いたか分からんわよ」
「ここはお国を何百里ってか?」
二人で並んで地べたに座り、バックパックから干し柿を取り出して食べる。ペットボトルのほうじ茶を飲んで寛いでいると後ろから馬を引いた馬借がやってきた。
馬の背中には筵でグルグル巻にされた重そうな荷物が乗っている。
「良い日和にございますな」
目と鼻の先を通ろうとしている者を無視するのも変じゃなかろうか。大作は清水の舞台から飛び降りるつもりで勇気を振り絞って声を掛ける。
馬を引いている痩せ過ぎの中年男は足を止めると萎びた野菜みたいにくしゃくしゃの笑顔を浮かべて口を開いた。
「如何にも、良い日和にございますな。お坊様はもしや大佐様ではござりますまいか?」
「あちゃ~っ! バレちゃいましたか? 有名人は辛いですなあ」
「この近在で大佐様の名を知らぬ者はおりますまいて。して、今日は何処へお出掛けにござりましょうや?」
「肝付様をお訪ねしようかとお城へ…… 何て言いましたかな? ナントカ城へ参るところにございます」
例に寄って例の如く、大作の脳には霞でも掛かっているかのように記憶がハッキリしない。だが、馬借は少ないヒントから一瞬で正解を導き出してしまった。
「ナントカ城? 其は加治木錠にござりましょうや?」
「そうそう、それそれ! 加治木城! そこへアポ無しで突撃訪問するところなんですよ」
「其は奇遇な事ですな。儂も今から加治木のお城へ荷を届けに参る所にございます」
「左様にございますか。袖振り合うも多生の縁。だったらご一緒しましょう」
そんなこんなですっかり意気投合してしまった大作とお園と馬借と馬は南へ向かって歩みを再開させた。
思いもかけず同行者が増えてしまったがお陰で道に迷うリスクを大幅に減らすことができたかも知れん。
宇陀の上がらねぇ平民出にやっと巡ってきた幸運か? それとも破滅の罠か…… wktkが止まらんぞ!
浮かれた大作は即興でサックスを吹き鳴らし、お園が適当に歌詞を付けて歌う。初めはドン引きしていた馬借も暫くすると半分呆れた顔をしながらも乗っかってきた。
楽しく歌って踊りながら歩くこと暫し。長らく続いた山道が漸く終わり、急だった傾斜がなだらなになった。森の木々も急に疎らになり、雑草の生い茂った原っぱがどこまでも広がっている。
ふと気が付くといったいどこから現れたのだろう。眼の前に小柄な人影が立っていた。
十代後半くらいの見た目をした少女はお園より少し背が高いくらいだろうか。ほっそりしてスマートな割には随分と立派なプロポーションをしていらっしゃる。顔もかなりの美形で可愛いというよりかは美人の部類にカテゴライズされそうな感じだ。
鮮やかな色の着物には良く見ると地味に柄が入っている。こんな物を着ているってことは百姓娘ではなさそうな。だとするともしかして商家の娘なんだろうか? でも、そんな娘がどうしてこんな山の中にいるんだろう。
大作はまるで値踏みするが如く無遠慮に少女の顔や体を舐め回すように見詰める。舐め回すように見詰めていたのだが……
少女は全く気にする素振りも見せずに屈託の無い笑顔を浮かべると口を開いた。
「失礼仕ります。お園様と大佐ではござりますまいか?」
「何だ何だ、次から次へと。もしかして俺たちって物凄い有名人になっちまったのか? 今日はオフの日なんでサインとかなら遠慮して欲しいんですけど?」
「申し遅れました。私は国境警備隊所属の薊と申します。虎居より緊急通信にて、お園様と大佐が南へ向かわれるならば必ずや護衛を同行させよとの命を受けております」
「そ、そうなの?」
余りにもびっくりした大作は思わず素っ頓狂な返事をしてしまう。だが、薊と名乗った美少女はほんの少しも慌てた素振りを見せない。軽く咳払いをすると豊満な胸の谷間から小さく畳んだ紙切れを取り出して広げた。
大作はほんの一瞬だけ受け取るかどうか躊躇する。躊躇したのだが…… 半ば強引に押し付けられるように手渡されたので思わず脊髄反射で受け取ってしまった。
手にして紙切れは僅かに湿っていて生暖かい。なんだかエロいなあ。思わず大作の頬が緩む。
そんな大作の心中を知ってか知らずかお園が奪い取るかのように紙切れを取り上げた。
「どれどれ…… 本当ね。確かにそう書いてあるわ。命令者は桜よ。それで? 貴女が護衛に付いてくれるのかしら? 薊」
「いえ、お園様。私には国境警備のお勤めがございます故、此方におります鶫がお供をば致します」
「親衛隊所属の鶫にございます。以後、お見知りおきのほどを」
何時の間に現れたのだろうか。気が付けば薊の隣にもう独りの少女が現れて深々と頭を下げていた。
背丈はお園と同じくらいだが、がっしりとした体つきと良く日に焼けた肌の色は如何にも百姓の娘といった趣を漂わせている。質素で地味な着物が如何にも良くお似合いだ。だが、その背中には銃口を下に向けた鉄砲が三点式のスリングでぶら下がっていた。
「変わった銃だな、鶫さんとやら。俺は初めて見たぞ」
「つい先日、親衛隊にのみ配備が始まった最新式の鉄砲にございます」
少し緊張した面持ちの鶫は素早い動作で肩から銃を降ろすと捧げ銃の姿勢を取った。
鉄砲は相変わらずのブルパップ式だが複列式と思しき箱型弾倉が機関部の上に乗っている。
「あぁ~あ、例の六ミリ弾だな。装弾数は三十発くらいか。しかし何で弾倉を下に付けなかったんだろうなあ? お陰で照星や照門をブレン機関銃みたいに銃身の横に付ける羽目になっちゃってるじゃんかよ」
「長い弾倉を下に付けると寝撃ちの折に邪魔になるからだと伺っております。それにバネの力が足りぬと弾が上がって来ぬ事があるそうな」
「そ、そうなんだ。ちゃんと考えあってのことなんだな。んで? 鶫さんの鉄砲の腕前は確かなんだろうなあ?」
「修練においては常に秀を頂戴しております。隊の射撃大会でも優勝をば致しました。此の徽章はその折に頂いた物にござりますれば」
鶫は僅かに腰を捻って斜めに構えると着物の襟元を正面に向けた。そこには見覚えのある鉄砲形のピンバッジが鎮座ましましている。
「そ、そうなんだ。俺、射撃大会で優勝したのは静流だと思っていたよ。もしかして優勝者って沢山いたのかな?」
「静流は短銃部門の優勝者にございます」
「ふぅ~ん。ってことは優勝者は二人いたんだな」
「然れども短銃は所詮サイドアームに過ぎませぬ。戦場においては小銃に勝る物がありますでしょうか? いえ、ございませぬ。小銃部門で優勝した鶫こそが山ヶ野で一の。いや、日の本で一。いやいや、三国一の鉄砲上手と申せましょう!」
小銃を腰撓めに構えた鶫はドヤ顔を浮かべる。その顔には『褒めて褒めて』と書いてあるかのようだ。
「そ、そいつは良かったな。だけど静流は静流で短銃に関しては上手いんだぞ。そこんところはお互いに認め合ってリスペクトというか何というかだな…… 仲良くやって貰えるかな?」
「お命じとあらば」
「ならばお願いするよ。短銃と小銃が仲良く手と手を取ってこその山ヶ野だろ? んじゃ、先を急ごうか。お待たせしましたな、馬借殿」
「お気を付けて行ってらっしゃいませ!」
深々と頭を下げる薊に手を振って別れを告げ、四人と一匹は歩みを再開させる。
暫くすると薊は現れた時と同じくらい唐突に姿を消した。
花シリーズだけあって彼女も伊賀から来たくノ一の一人なんだろうか。謎は深まるばかりだ。
「んで、鶫さんよ。お前さんの夢はいったい何なんだ? どんな話でも聞いてやるから言うてみ」
「あのねえ、鶫。ここで問うている夢っていうのは夜に寝ている時に見る夢とは違うのよ。先々の先途って言うか、やりたい事やしたい事を問うているのよ」
「私が今やりたい事にございますか? うぅ~ん…… ならば厠に行きとうございます!」
「あのなあ…… そんなん先に済ませとけよ! 鉄砲を持っててやるからさっさと行って来い!」
途中で何度か休憩を挟みながら歩くこと数時間。日が西の空に傾くころ、一同は加治木城の麓にある城門に辿り着いた。
「頼もぉ~う!」
「いやいや、斯様に大きな声を出されずとも聞こえておりますぞ。大佐様」
暇そうな顔で城門の脇に突っ立っている足軽風の中年男がちょっと呆れた顔で答えてくれた。
「そうは申されても、これをやらんことには遥々と遠くから訪ねてきたって気がせんでしょう? とにもかくにもこんにちは。肝付兼演様はご在宅…… ご在城? お城にいらっしゃいますかな?」
「うぅ~む…… 何と申しましょうか。いらっしゃると言えばいらっしゃいますが……」
「おるのかおらんのか? どちらにございますかな?」
半笑いを浮かべた大作は門番の顔を真正面から覗き込む。覗き込んだのだが……
答えは意外な方向から返ってきた。
「儂なら此処におるぞ、大佐殿」
「うわぁ! びっくりしたなあ、もう……」
急に背後から声を掛けられた大作はガラスの心臓が砕け散るかと思うほど肝を冷やした。だが、慌てた顔を笑われるのだけは勘弁して欲しい。精一杯に平静を装い、ゆっくりと振り返る。
後ろに立っていたのは歯茎を剥き出しにして大笑いする見覚えのある老人の姿だった。
「おやおや、肝付のお殿様。こんなところにいらっしゃいましたか。拙僧、これっぽっちも気付きませんでしたよ」
「そうか? 別に隠れておった訳ではござらぬぞ。しかし久しいな、大佐殿。前に訪ねて来られたのは城の普請をしておった頃じゃったかな。おや、もう半年近うも経っておるだけではないか。ささ、和尚。参られよ。今日は泊まって行かれるのじゃろう?」
「宜しゅうございますか? これは有り難いことで。ご厄介になりまする」
大作は全身をフルに使って喜びを表現する。隣ではお園も愛想笑いを浮かべながらお礼の言葉を述べた。
背後に控えた鶫は『わけがわからないよ……』といった顔で呆然と立ち尽くしている。
馬借はといえば『付き合ってられんわ!』とばかりに城へと続く急な坂道を馬と一緒に駆け登って行った。




