巻ノ四百五拾参 天は落ちてくるか? の巻
大規模通信障害の悲劇から一夜が明けた天文十九年十月二十日。今日も今日とて山ヶ野金山は平常運転だった。
朝餉を食べ終わった大作とお園はほうじ茶を飲んでのんびりと寛ぐ。遠く離れた作業場からは金鉱石を砕く音や老若男女たちの楽しそうな歌声が聞こえてくる。種々雑多に混ざり合った喧騒はまるで異世界に迷い込んでしまったかのようだ。
このまま何事も無く毎日が穏やかに過ぎて行けば良いのになあ。大作の意識が幽体離脱しそうになったころ、ふと気付くと目の前に音もなく突如としてメイが突っ立っていた。
「うわぁ! びっくりしたなあ、もう…… お前、急に脅かすんだよ! 忍者みたいにふわっと湧いて出やがって」
「いや、あの、その…… 私も一応はくノ一の端くれなんですけど?」
「そ、そういうことを言っとるんじゃないよ。ああ言えばこう言う奴だなあ。んで? 何か面白いことでもあったのか?」
メイとしてもこんな些事に目くじらを立てるほど暇ではないらしい。小さくため息をつくと豊満な胸の谷間をまさぐる。勿体ぶった手付きで細かく折りたたまれた紙切れを引っ張り出すと丁寧に開いた。
「バックアップ回線が稼働するのは早くても週明け。遅ければ来週の半ばになりそうだって萌が言ってたわ。もし、それまでに再び通信障害があったら発光信号か旗振り通信で対応するしかないんですって」
「ふ、ふぅ~ん。まあ、伝声管なんて電気も可動部品も無い単純明快なシステムだ。意図的な破壊工作でも受けなければ簡単には障害なんて起こさんさ」
「でも、もしそれが起こったら大事だってお話なんでしょう? 万一に備えて心構えをしておく事も大事なんじゃないかしら?」
「いやいや、そういうのを杞憂って言うんじゃね? んん~? 違ったかなぁ~っ?」
「きゆう?」
「古の唐土に杞っていう国があったそうね。其処に住んでいたある男が天が落ちてこないかって何時も憂いていたんだって。列子の天瑞篇にあるお話ね」
良くぞ聞いてくれましたと言わんばかりの得意気な表情でお園が滔々と解説する。
だが、メイはイマイチ釈然としない様子だ。小首を傾げ、視線を天井の隅へとやった。
「起こりそうも無いから備えが要らないなんて事は無いんじゃないかしら? 前に大佐は言ってたわよね。五億年か十億年もすれば地球の大気は無くなり、海も全て蒸発するだろうって。それに六十億年もすれば太陽が赤色巨星になって現在の地球軌道の辺りにまで膨張しちゃうんでしょう? そうなってから慌てたって手遅れだと思うわよ。だったら今からそれに備えて……」
「はいはい、分かった分かった分かりましたよ。そんじゃあ今日は地球の未来に関してところん話し合うとしようじゃないか。といっても、太陽系を捨てて他の恒星系へ移住するくらいしか活路は無いと思うんだけどなあ」
「うぅ~ん…… どうにかしてお天道様を延命させる手立ては無いものかしら? 例えば何らかの方法でお天道様の核融合反応をコントロールするとか」
得意満面の笑顔を浮かべたお園は気楽に行ってのける。だが、大作としてもこんな無責任な発言を見過ごすわけにはいかない。余り気乗りはしないが突っ込みを入れざると得ない。
「な、何らかのって具体的には何だよ?」
「それが分かってたら苦労は無いわよ。だからそういうのを考えようって話をしてるんでしょうに!」
これぞ見事な逆ギレだ。お園の怒声が狭い室内に木霊する。
だが、綺羅星の如く居並ぶ面々たちは不満げな顔だ。
「あのねえ、お園。そういうお話だったら私はお役に立てそうも無いからもう行くわね。大佐は人に褒められる立派な事をしたのよ。頑張ってね。お休み!」
メイは機を見るに敏とばかりに素早く逃げ出す。逃げ出そうとしたのだが…… しかしまわりこまれてしまった!
「逃さないわよ、メイ。って言うか、この話を始めたのはあんたでしょうに! 勝ち逃げなんて許さないんですからね!」
「勝ってない、勝ってない。全く持って勝ってませんから。ねえ、お園。もう本当にこの辺りで見逃して頂戴な」
「そうはいかんざき! 今日という今日はとことんまで付き合ってもらうぞ! さあさあ、座れ座れ」
大作はセクハラ扱いだけはされないよう最大限の注意を払って用心深くメイの着物の袖に触れ、半ば無理矢理に座らせる。
だが、好事魔多しとはこのことか。その時、歴史が動いた!
「大佐! 大佐! 大事よ。って、メイったら斯様な所で油を売っていたのね! 方々を探し回ったんだから」
「いや、あの、その…… あのねえ、サツキ。私は油なんて売っていないわよ。大佐やお園と地球の将来について有意義な話し合いを……」
「そんな事はどうでも良いわ。それより大佐。大事よ。祁答院の大殿から火急の御用とかで文が届いたのよ。それも早馬でね。御使者様は取り急ぎ返書を頂きたいと申されてお待ちよ」
サツキは豊満な胸の谷間に挟んでいた文と思しき書状をひょいと引っ張り出す。って言うか、どうしてこいつら揃いも揃ってこんなエロい真似をするんだろう。もしかして微乳のお園に対するあてつけか? だが、馬耳東風といった顔のお園は知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。
大作は受け取った書状をひらりと広げると徐ろに目を通す。目を通そうとしたのだが…… 例に寄って例の如く、ミミズののたくったような文字と思しき文様は全く持って解読不能だった。
「うぅ~ん…… お園、どう思う?」
ポーカーフェイスを決め込んだ大作はお園に文を手渡す。手渡したのだが……
「大佐。上と下があべこべよ。読めなくても良いけど、せめて読んでる振りくらいは上手にやって頂戴な」
「いやいやいや。読めます読めます読めてます。全く持って読めてますから。俺くらいの達人になると上下が反対でもちゃんと読めちゃうんだから。ここは一つ、そんな感じで何とか手を打ってもらえんもんじゃろか?」
「はいはい、今日の所はそうしておいてあげるわ。だけども一つ貸しよ」
「えぇ~っ! 貸しとか借りとかじゃないから……」
二人がそんな阿呆な遣り取りをしている間にも山ヶ野の一日は過ぎようとして……
「違うがなぁ~っ! 何か知らんけど火急の用件なんだろ? いったい何が書いてあるんだ? 早く読んでくれよ」
「あら、大佐には読めたんじゃなかったかしら?」
「いいから、意地悪せんで教えてくれよ。な? な? な?」
「しょうがないわねぇ~っ! 教えて上げるわ。でも、大佐。また一つ貸しよ。とは言っても、肝心の用件は何一つとして書いてないんですけどね。はっきり言って、取り急ぎお城まで来て欲しいとしか書いてらっしゃらないわよ」
ズコォ~ッ! 大作は自分で自分に突っ込むように盛大にズッコケた。
取り急ぎ参上仕りますとだけ使者に伝えると早馬は来た時と同じ位の速さで道を駆け戻って行った。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送った大作は大慌てで身支度を整える。
「四十秒で支度しな! って言うか、三分待ってやる!」
「いったいどっちなのよ?」
「いや、ムスカはああ言ったけど実際には三分も待っていなかっただろ? あれって実は空になった拳銃の弾を込め直したかっただけみたいだしな。あはははは……」
「まあ、それを言うならパズーの大砲だって弾は入ってなかったんですけどね。うふふふふ……」
仲良し夫婦は暫しの間、腹を抱えて大笑いする。
だが、そんな二人の姿を草葉の影から鋭い瞳が監視していることに誰一人として気付くことはなかった。




