巻ノ四百五拾壱 食べろ!きつねうどん定食を の巻
大作とお園の仲良し夫婦が幹部食堂に着いたのは丁度お昼休みが始まるタイミングだった。
遠くの方で正午を告げる鐘の音が鳴り響き、彼方此方の作業場から疲れ切った表情の老若男女がのろのろと移動し始める。
「ラッキーだったな。混雑する前に来られて」
「そうねよねえ。幹部食堂だって混むときは混むものねえ。私、待たされるのは大嫌いなのよ」
「奇遇だな。俺もそうだよ」
そんな阿呆な話をしながら暖簾を潜って中に入る。まだ誰もいない二十畳ほどの座敷は妙に寂しげだ。
カウンターの奥に立っていた少女がこちらの姿を認めて声を掛けてきた。
「らっしゃ~せぇ~っ! 今日はきつねうどん定食ですよ…… って、お園様と大佐! 戻ってらしたんですね。お久しゅうございます!」
「そういう貴方は静流でしたね? 船木村の」
「知っているのか、お園?!」
「大佐こそ覚えていないの? 反乱鎮圧作戦の折、一緒にいたでしょうに」
ちょっと呆れた顔のお園の視線が厳しい。静流とかいう少女も不満気な顔で頬を膨らませた。
「私の顔をお忘れとは悲しゅうございます。荷を担ぐか否かで虫拳を致したではござりませぬか。よもやお忘れになられましたか?」
「虫拳? なんだっけ、それ? 美味しいの?」
「あのねえ、大佐! それは私の決めセリフでしょうに! 勝手に使わないで頂戴な。虫拳っていうのは大佐が言ってたジャンケンとかうのと似たような指遊びよ。親指を蛙、人差し指を蛇、小指を蛞蝓に見立てて軋ろうのよ。んで、蛙は蛇に、蛇は蛞蝓に、蛞蝓は蛙に負けるの」
「あぁ~あ…… だんだんと思い出してきたよ。だけども何で蛇が蛞蝓に負けるんだ? 俺は未だに納得が行かんぞ」
不条理も此処に極まれりだな。どこの世界に蛇に勝つ蛞蝓がいるというのだ? いるわけがない! 反語的表現! わけがわからないよ……
だが、半笑いを浮かべたお園は歯牙にも掛けないといった顔で言い返してきた。
「それを言うんなら瀬田の唐橋の下にいた龍だって百足に勝てなかったじゃないのよ。まあ、アレは相手が悪かったんだけどね。大きな山を七巻半もする大百足だったんですもの。とにもかくにも、世の中には規格外の化け物が案外といるものだっていうお話なんじゃないのかしら」
「って言うか、俺たちはいったい何でこんな阿呆みたいな話をしているんだ? 悪いんだけど先にご飯を済ませちまっても良いかな? 混んでくる前にさっさと食べちゃいたいんですけど」
「それならば何の憂いもございません。最高幹部専用食堂がオープンしました故、此方は見ての通り閑古鳥が鳴いておりますれば」
静流の声に振り返って見れば座敷は相変わらず閑散としていた。数人のくたびれ果てた顔の老若男女が黙々ときつねうどんを啜っている。だが、書き入れ時の昼食タイムにこのざまでは商売繁盛とは全く持って言い難い状況だ。なにせ、正午を告げる鐘が鳴ってから既に十分近くも経っているのだから。
「静流、その最高幹部専用食堂っていうのは何なんだ? 俺、そんなのができたなんて初耳なんですけど?」
「金山で働く者が増えました故、萌様の計らいで幹部を増やしたのでございます。初めのうちは皆、上下の別け隔て無く仲良うやっておりました。然れども、其れでは誰が誰に指図すれば良いのやら分かり難うなって参りまして。止むを得ず幹部に成りたての者は準幹部という扱いになりました。んで、其れとは別に幹部の中でも早うから幹部だったお方を特別幹部として敬う事となったのでございます」
「そのせいで? そんなことのためにこうなったのか?」
「そのせいもありましょうが、今日の場合はきつねうどん定食の人気が無いからと存じます」
言われて机の上に目を見やれば丼に入ったきつねうどんがホカホカと湯気を立てていた。熱々のうどんには甘辛く煮込んだ薄揚げが三角に切られて乗っている。
丼の隣に置かれた平たい皿の上には小さめの稲荷寿司が三つ並んでいた。まるで専用マシンで握ったように綺麗な形に整った完璧な成形だ。いや、本当に機械を使ったのかも知れないな。
味は食べてみないことには分からんが、匂いを嗅いだだけでも食欲がそそられる。
「取り敢えず話は後だ。伸びちゃわないうちにとっとと食おう」
「I think so! 私もお腹が空いて目が回りそうだわ。とにもかくにも積もる話は後にしましょうよ。ところで静流。あんたはもう食べたの?」
「はい、お昼休みが始まる前にお稲荷さんを二つばかり食べてございます」
「そう、良かったわね。んじゃ、いただきます。ハムッ、ハフハフ、ハフッ!!」
心の中でそう思いつつも二人はきつねうどんをズルズルと豪快に啜る。
稲荷寿司をムシャムシャと食べていると静流がお茶を淹れてくれた。粗末な木の椀に入った茶色い液体が暖かそうな湯気を立てている。色から見たところ、どうやらほうじ茶のようだ。
モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず。自由でなんというか、救われてなきゃあダメなんだ。独り静かで豊かで……
大作とお園は至福の時を過ごす。至福の時を過ごしていたのだが…… その時、歴史が動いた!
「大変よ、静流! 山ヶ野の全ての通信回線が接続できないわ。何処の伝声管も呼び鈴も応答が無いでしょう?」
大きな声のする方を振り返って見れば戸口の脇に血相を変えた桜が立ち尽くしていた。額には汗が滲み、呼吸も少し荒いようだ。
現職の統合参謀本部議長にしてくノ一軍団桜組のセンターを務めるくノ一マスターは大作たちの姿を認めると一段と声を荒げた。
「って言うか、お園様に大佐! 此方に御座しましたか。呑気に昼餉など食されておられる暇はございませぬぞ。たったいま申し上げた様に、山ヶ野に何やら禍事が迫っております。萌様が申されるには『てろこうげき』の恐れあり。通信システムの破壊は敵の初動やも知れぬそうな」
「それってアレか? 『ロボットにより通信回路が破壊された。緊急事態につき私が臨時に指揮をとる!』みたいな状態なのかなあ?」
「如何にも仰せの通りにございます。此れよりくノ一衆はお園様の配下に入ります故、御采配を賜りとう存じまする」
桜が素早くお園の前に跪く。後ろに控えていた二人の女声もシンクロするように素早く動いた。
「そ、そうなのか? んで、俺は何をどうすれバインダ~?」
「何はさておき、お園様と大佐の御身が大事。故にお二人には退避壕へ御動座をば頂きとう存じます。道中の守りは親衛隊が努めます。退避壕の周りは修道女軍団が十重二十重に固めておりますれば万に一つの憂いもござりますまい。牡丹、桔梗! 片時たりともお二方のお傍を離れるな」
「はっ! 命に代えてもお守り致します!」
こいつら口では威勢の良いことを言っているけど本当に信用しても大丈夫なんだろうか。実はこいつらこそ刺客だったなんて良くありそうな話だし。
って言うか、片時たりとも離れるなっていうけどトイレとかどうするんだろう? 二人とも結構な美少女なんですけど? そんなことを考えていたら急にトイレに行きたくなってきたんですけど?
「お急ぎのところ悪いんだけど、先にトイレを済ませてきても良いかな?」
「事は急を要します!」
「そうは言っても漏れちゃったら余計に手間が掛かるだろ? ぱぱっと言ってささっと戻ってくるからさ。お園、悪いんだけど食器を洗って返しといてくれるかな?」
「もぉ~う、しょうがないわねぇ~っ。一つ貸しよ」
「いやいや、貸しとか借りとかじゃないですから!」
「それと大佐、いくら急いでてもちゃんと手を洗って帰ってきて頂戴ね!」
そんな阿呆な遣り取りをしながら大作はトイレを目指して小走りに駆けて行く。
柔らかな微笑を浮かべたお園は生暖かい眼差しで黙って見詰めていた。




