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巻ノ四百四拾五 湯湯婆と湯婆婆 の巻

 山ヶ野への帰路の途中、鶴ヶ岡城へと立ち寄った大作とお園の仲良し夫婦は東郷重治(大和守)から一宿一飯の恩義を受けた。

 ちょっと待った! 正確に言えば今日の朝餉も食べさせてもらったので一宿二飯の恩義だな。

 これってほんのちょっとした違いに見えるけど人類に取っては偉大な飛躍かも知れないぞ。塵も積もれば山となる。意外と大きな差だから注意しないといけない。

 大作は心の中のメモ帳に極太明朝体で書き込んだ。


 座敷で重治に別れを告げて城を後にする。斧渕の船着き場までは余一郎が見送ってくれた。


「何から何までお世話になりっぱなしで済みませんなあ、余一郎殿。この埋め合わせはそのうちに必ず致しますんで」

「いやいや、大佐殿。殿の我儘にお付き合い頂いておるのは此方にございます。また近くを通られた折には必ずやお立ち寄り下さりませ」


 そうやって別れを惜しんでいる間にも船頭が川舟の艫綱と舫綱を解く。力一杯に竿で川底を突くと舟はゆっくりと船着き場から離れた。


「I'll be back!」


 大作は眼前で親指を突き立てるとドヤ顔を浮かべた。


「あのねえ、大佐。それは溶鉱炉に沈んで行く時なんじゃないのかしら?」

「いいんだよ、別に。どうせ余一郎には分からんのだし」

「それもそうねえ。余一郎様! I'll be back!」


 調子に乗ったお園も両手の親指を突き立てて大はしゃぎした。

 そんな二人を見て余一郎も半笑いを浮かべて親指を立てる。あいつ、意味が分かってやってるんだろうか? いや、分っかんねぇ~だろぉ~なぁ~っ!

 気配を感じて振り返ってみればドヤ顔の船頭までもが親指を立てていた。




 くねくねと曲がりくねった川内川を川舟が遡上して行く。北風が吹きすさんでいるので舟の上はとっても肌寒い。大作とお園は寄り添うようにくっ付いて毛布の代わりに筵に包まって暖を取る。


「閃いた! ちょっと宜しいかな、船頭殿。これってやっぱ、冬場はもっともっと寒くなりますよね? だったらお客さんに何か暖を取る物をレンタルするサービスをやってみたら如何でしょうか? たとえば…… たとえば湯たんぽなんて用意しといたらきっと喜ばれますよ」

「れんたる?」

「気になるのはそっちですか? どうせ聞くなら湯たんぽの方にしてもらえませんかな? 宜しいですか? んじゃあ、Take two…… Action!」


 大作は手振りでカチンコを鳴らす真似をする。一瞬、虚を突かれた船頭は直ちに我に返ると小首を傾げながら口を開いた。


「ゆ、ゆたんぽ? 其は如何なる物にござりましょうや?」


 船頭の顔には極太明朝体で『わけがわからないよ……』と書いてあるかのようだ。

 何度見てもこの表情は堪らんなあ。大作はこの上ない愉悦を感じつつも努めて真面目腐った表情を崩さない。


「ご存知ありませんかな? Wikipediaによると室町時代には既に日本に入ってきていたらしいんですけど。ほら、ここに書いてありますでしょう? 文明十六年(1484)に書かれた『温故知新書』や季弘大叔の『蔗軒日録』に湯婆っていうのが出てくるんだそうな」

「あぁ~ぁ! それなら私、読んだことがあるわよ。湯婆その物は見た事が無いんだけれども」


 ドヤ顔を浮かべたお園が得意気に口を挟んでくる。

 Wikipediaに書いてあることが百パーセント正しいとは限らない。ここでお園が味方になってくれたのはこの上ない援軍だ。ほっと安堵の胸を撫で下ろした大作は改めて船頭に向き直った。


「湯たんぽの名前の由来は中国語の湯婆(タンポ)だそうな。中国では婆という字は妻とか母親を現しているらしいですな。知らんけど!」

「湯婆ってなんだか『ゆば~ば』みたいだわねえ」


 横からキリンみたいに首を伸ばしてスマホ画面を覗き込むお園が心底から感心したように呟く。

 良くぞ聞いてくれました! 得意満面の大作は破顔一笑すると立て板に水の如く話し始める。


「鋭いな、お園。セラミック刀よりも鋭いぞ。湯湯婆(ゆたんぽ)湯婆婆(ゆばあば)の名前のモデルになったっていうのはファンの間では昔から実しやかに囁かれているらしいな。まあ、公式に認められた話ではないんだけれども。ちなみに湯屋には特定のモデルは無いぞ。これは宮崎駿が公言しているから間違いはない。とはいえ、美術監督の武重洋二は道後温泉や日光東照宮、江戸東京たてもの園を参考にしたとも言ってるんだけれど。台湾の九份に関しても公式としては認めていないな」

「そう、良かったわね。んで、大佐。千と千尋の神隠しの話は置いといて湯湯婆に話を戻しても良いかしら? どうして中国の湯婆が日本では湯湯婆になっちゃったのよ? 私、その故が知りたいんだけれど?」

「それはアレだな、アレ。さっきも言ったように中国では湯婆(tangpo)って読むんだけど、それだと日本人には意味が分からんだろ? だから態々、頭にもう一回『湯』をくっ付けて湯湯婆にしたんだろうな。知らんけど!」

「あっそう、知らないんだ……」


 突如としてお園の瞳が輝きを失う。同時に満面の笑みが消えて怖いくらいの仏頂面へと変わる。ぷぃっと横を向くと遥か遠くの川上へと視線を逸してしまった。

 いったい今の説明の何が気に食わなかったのだろう。わけがわからないよ…… 大作は考えるのを止めた。




 ぼぉ~っとしている間にも舟は勝手に進んで行く。いや、勝手にではないな。船頭さんが頑張って漕いでくれているお陰だ。大作は心の中で草葉の陰の船頭さんに合掌した。

 まあ、今に技術革新が進んで自動運転川舟とかが実現できるかも知れんけどな。だけど、もし事故ったら誰が責任を取るんだろうか。そうそう、救命胴衣の開発を完全に忘れていたぞ。

 そんな益体も無いことを考えているうちにも川の左右に広がる平和が険しい山に変わり、川が大きく右に曲がる。

 半時間ほども山間を進むと急に視界が開け、真正面に見慣れた景色が広がった。


「フン! 半年前と同じだ。何の補強工事もしておらんわ!」

「いやいや、大佐様。ついこの間まで何やら普請をしておりましたぞ。良うご覧下さりませ」

「マジレス禁止! って言うか、確かにそうですな。土塁や曲輪が増えておりますぞ。手前の堀も新たに掘られたみたいですし」

「ささ、着きましたぞ。終着の虎居、虎居にございます。お忘れ物の無きようお気を付け下さりませ。本日はご乗船頂き真に有り難うございました。またのご利用をお待ちしております」


 船頭がとびっきりのビジネススマイルを浮かべて深々と頭を下げる。

 大作はお園の下船に手を貸すと後に続いて陸に上がった。


「そういえばVIPゲートが見当たらないな。アレはどうなったんだろ?」

「ああ、アレは評判が頗る悪うございましてな。早々に打ち壊してございます」

「そ、そうなんですか? なかなか面白いサービスだと思ってたんですけど。まあ、無くなっちまった物はしょうがありませんな。では、これにてさらば!」

「お園様、大佐様。失礼仕ります」


 船頭と大作たちがそんな阿呆な遣り取りをしている間にも下りの川舟に乗る人たちの乗船手続きが始まろうとしている。二人は追い立てられるように桟橋を後にした。




 虎居の城下を歩くこと暫し。船着き場が見えなくなった辺りで二人は立ち止まる。


「どうやら生き残ったのは俺たち二人だけみたいだな」

「そうねえ。でも、良かったじゃない。独りぼっちじゃないんだし」

「あはははは……」

「うふふふふ……」


 大作とお園は人目も憚らずバカップルぶりを堪能する。堪能していたのだが……


「お園様、大佐殿。斯様な所でお会いするとは真に奇遇ですなあ。随分とお久しゅうございますが、如何なされておられましたかな?」

「うわぁ! びっくりしたなあ、もう…… 青左衛門殿ではござりますまいか。もし、拙僧がゴルゴ13だったら今ごろ大変なことになっておりましたぞ。命拾いなされましたな」

「さ、左様にございますか。大佐殿が『 ごるごさあていん』と違うて安堵致しました。して? 今日( けふ)は如何なされましたかな?」


 こいつ、同じセリフしか吐かないNPTかよ! だったらもう……


「違うわ、大佐。それを言うならNPCでしょうに。NPTっていうのは核兵器不拡散条約のことよ」

「そ、そうとも言うな。めんごめんご。んで、青左衛門殿。何でしたっけ?」

「ですから、大佐殿。いったい如何なされましたかな?」


 青左衛門はまるで壊れたラジオ…… じゃなかった、壊れたレコードのようにひたすら同じ言葉を繰り返す。その姿は一度でも食らい付いたら絶対に話さないというスッポンを彷彿させる。

 もうこいつ、スッポン鍋にして食っちまおうかな。コラーゲンとか豊富に含まれていそうだし。


「うぅ~ん…… どうしても答えなきゃなりませんかな、青左衛門殿? そもそも、この取り調べって任意なんですか? 任意なら拒否することもできるんじゃありませんか?」

「大佐、それは止めといた方が良いわよ。そりゃあ理屈の上では拒否することだってできるけど、反って疑いを増すだけだわ。それに逃亡や証拠隠滅のおそれがあるとかいって逮捕されるかも知れないのよ」

「だったら…… だったらもう当番弁護士を呼んだらどうじゃろな?」

「それも駄目よ、大佐。逮捕されてからなら国選弁護人を呼べるでしょうけど、まだ逮捕されていないんですもの。いま弁護士を呼んだら自腹じゃないの」

「それって逮捕された方がマシってことか? そんな阿呆なことがあるのか? これでも放置国家…… じゃなかった、法治国家かよ! 誰かぁ~っ! 誰か助けて下さぁ~ぃ!」


 大作はあらん限りの大声を張り上げて世界の中心で叫ぶ。そう、俺こそが世界の中心なのだから!

 だが、捨てる神あれば拾う神あり。突如として現れた救いの神が颯爽と手を差し伸べてくれた。いや、それとも破滅の罠か?


「如何なされたのじゃ、大佐殿。斯様な往来の真ん中で。みな、何事かと怯えておるぞ」

「く、く、工藤様? 工藤弥十郎様ではございませぬか。地獄に仏とはこのことか。いったい如何なされました?」

「いやいや、問うておるのは儂のほうじゃ。大佐殿、いったい如何なされましたかな?」

「……」


 永久ループかよ! もしかして、これに答えないと絶対に脱出できないのか?

 何だか意地でも答えたくなくなってきたんですけど? これはもう覚悟を決めた方が良いかも知れんな。大作は考えるのを止めた。


「取り敢えず場所を変えましょうか。座って落ち着けるところが良いですね。うぅ~ん……」

「では、三の姫様の御座所に参っては如何かと。工藤様も今日の寄り合いにお出でになる所にございましょう?」

「如何にも。では、参ると致そうか」

「ちょ、おま……」


 左右から二人の男が大作の両手をガッシリとホールドして引き摺るように歩き出す。

 その姿はさながらエリア51で捕まったエイリアンを彷彿させる。

 ちょっと呆れた顔のお園は三人から少しだけ離れて付かず離れず後を追って行った。


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