巻ノ四百四拾壱 ロケットのひみつ の巻
天文十九年十月十六日。内之浦を出港した大作と愉快な仲間たちは火崎の沖合をぐるりと回って大海原へと漕ぎ出した。晴天の下、大隅半島を右手に見ながら南西へ向かって意気揚々と進んで行く。
「船長殿、今日はどの辺りまで行けそうですかな?」
「風向きも丁度良い塩梅です故、この辺り。枕崎と申しましたかな? 其の手前辺りで船を休めるのが宜しゅうございましょう」
「いや、あの、その…… 枕崎? 枕崎はちょっと困っちゃうんですけど……」
「おや? 枕崎で船を泊めては何ぞ触りでもござりましょうや? 詳らかな事が気になってしまう。儂の悪い癖にございます」
悪戯っぽい笑顔を浮かべた船長がクィっと小首を傾げる。人を小馬鹿にしたようなドヤ顔を見ているだけで大作のやる気がモリモリと削がれて行く。もうどうでも良いや。大作は考えるのを止めた。
「駄目な物は駄目なのです。枕崎、坊津、吹上浜。薩摩半島は勘弁して下さいな。最低でも串木野の辺りまでは行って頂けねば困ります。主に我々が」
「さ、左様にございますか…… 訳を伺うても宜しゅうございますかな?」
「わ、訳ですか? 訳と言われましてもなあ…… 強いて上げれば機密保持でしょうかな? この船の三角帆は島津に見せとう無いのですよ。真似されたら我々の優位性が揺らいじゃいますでしょう? ね? ね? ね?」
「ゆ、ゆういせいが揺らぐのでございますか。うぅ~む、それは難儀な事にございますなあ…… とは申せ、今宵は風も穏やか。月も出ております故、左程の用心も要りますまいて」
取り付く島もないとはこのことか。船長は大作の杞憂を歯牙にも掛けないといった顔で愛想笑いを浮かべている。
こいつはガツンと言ってやった方が良いのかも知れんな。大作は急に表情を強張らせると精一杯にドスを効かせた低い声で唸った。
「これは拙僧の機関の仕事にございます。船長は船を必要な時に動かして下さればよい。もちろん拙僧が政府の密命を受けていることもお忘れなく」
「さ、左様にございますかな? ならば儂に依存はございませぬ。仰せのままに致しましょう」
人に言われたことには黙って従う。それが彼の処世術なんだろう。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。ただただ卑屈な笑みを浮かべて後ろ姿を見送るのみだ。
それから暫くは退屈な時間が続き、やがてMセンター(イプシロンロケット打ち上げ場)が見えてきた。いや、正確に言えば四百年後にロケット打ち上げ場が作られる高台が見えてきた。
「ちょっと聞いても良いかしら、大佐? どうしてロケット打ち上げ場をあんな所に作らなきゃならなかったの? いったい宇宙航空研究開発機構は何を考えていたのよ? ねえねえ、どうして?」
「おいおい、ほのか。どちて坊やの復活かよ? って言うか、お前は根本的な勘違いをしているぞ。日本が米、ソ、仏に続いて自力で人工衛星『おおすみ』を打ち上げたのは昭和四十五年(1970)のことだろ。当時は宇宙開発事業団って言ってたんだよ。航空宇宙技術研究所や宇宙科学研究所と統合して宇宙航空研究開発機構に改組されるのは平成十五年(2003)のことなんだ」
「あのねえ、大佐。誤魔化さないで頂戴な。私めが聞いてるのはそんなことじゃないわよ。何故にあんな山の上にロケット打ち上げ場を作らねばならなかったのかと問うているんだけれど? もしかして大佐。知らないんじゃないでしょうねえ?」
ほのかは意地の悪そうな薄ら笑いを浮かべて挑発的な言葉を口にする。だが、鋼のように強靭な自制心を持った大作は全くといって良いほど動じることは無い、動じることは無かったのだが……
「それはねえ、ほのか。ロケット打ち上げには大層と大きな速度が入用になるでしょう? 其れに地球の自転速度を使わんとするからなのよ。北極の上から見下ろせば地球は反時計回りに回っているでしょう? 故に最も速い赤道ならば秒速四百六十四メートル。種子島の辺りでも秒速四百メートルで動いているのよ。だから東の方へロケットを打ち上げる折はこの運動エネルギーがロケットのスピードに加わるのよ」
「へぇ、へぇ、へぇ! やっぱ、お園は何でも知ってるのね。大佐とは大違いだわ!」
「ちょ、おま…… 俺だって今言おうと思ってたのに言うんだもんなぁ~っ! だけどな、お園。単純に赤道に近けりゃ近いほど良いってわけでも無いんだぞ。たとえばフロリダなんかは東側が海になってるだろ? アレは何でだと思う? 海があるからなんだ。もし失敗しても海に落とせば良いからな。そう考えるとロシアは不運だろ? バイコヌールなんて北緯で言えば稚内と同じくらいなんだもん。もっと南に作りたいのは山々なんだろうけど山岳地帯だったり東が中国だったりするからな。そう言えばこんな話を聞いたことあるか? ガガーリンより先に宇宙へ行ったイリューシンっていう宇宙飛行士がいたって話を。そいつは宇宙船が制御不能になってゴビ砂漠へ落ちて中国に捕まったとか何とか。そうそう、そう言えば……」
そんな阿呆な話をしている間にも船は何にも無い大海原をひたすら進んで行った。
太陽が南の空に高く昇る頃、船は佐多岬の沖合を通り過ぎる。船は大きく右に進路を曲げると北西へと進路を変えた。
鹿児島湾から出てくる何艘もの船を巧みにやり過ごして進むこと暫し。またもや陸地から遠く離れてしまったが、皆は既に慣れっこになっているらしい。特に狼狽えている様子は見受けられない。
「今いるのはこの辺りかな。知っているか、お園? 高田みづえは頴娃町の出身だって」
「たかだみづえ? いったい誰なのよ、それは? まさか、大佐。その女にも懸想してたんじゃないでしょうねえ?」
「はいはい、お約束お約束。って言うか、高田みづえは若島津の奥さんですから!」
そんな阿呆な話をしている間にも船はひたすら進み続ける。
何もしないでも勝手に進んで行くって本当に助かるなあ。いまさらながら大作は船の便利さに感動を禁じえない。
いやいや、勝手に進んでるわけじゃないか。これも偏に船長や水主の皆さま方のご苦労があってのことなんだけれども。大作は誰に言うとでもなく心の中で弁解した。
遠くを見やれば水平線の彼方に開聞岳が薄ぼんやりとか霞んで見える。いったいどれくらい離れているんだろうか。
「開聞岳の標高は確か九百二十四メートルだったかな? それがこの大きさに見えるってことは…… 十キロくらいなんじゃないかな?」
「どれどれ、私にも見せて頂戴な。そうねえ、そんなもんじゃないかしら」
「何となくだけど富士山に似てるだろ? だから薩摩富士って言うらしいぞ。知覧の陸軍飛行場から飛び立った特攻隊は開聞岳の近くを通って南へ向かったらしいな」
「……」
何の感想も無いのかよ! いやいや、こんな話にどんなコメントを返したら良いのかなんて俺も良く分からん。大作は考えるのを止めた。
枕崎を通り過ぎ、暫く進むと坊ノ岬が見えてくる。
「坊ノ岬沖海戦ってどの辺りであったんだろうな? 大和が沈んでるのは二百キロ以上も先らしいんだけど」
「……」
「もしもぉ~し、聞いてるか?」
「……」
へんじがない。ただのしかばねのようだ。大作は考えるのを止めた。
またもや船がふるりと進路を右に変え、今度は北に向かって進み始める。
「なあなあ、お園。南さつま市が見えてきたぞ。あそこの吹上浜には特攻隊の出撃地、万世飛行場があったんだ」
「また特攻の話なの? 私、特攻は嫌いなのよ。お願いだから違う話をしてくれないかしら?」
「そ、そうなの? ごめんごめん、お園が特攻の話が嫌いだとは知らなかったよ。んじゃあ、もう特攻の話はしない。絶対ニダ! だ、だったらそうだなあ…… 知ってるか、お園? 女優の上白石萌音と上白石萌歌は串木野市の生まれだって。まあ、育ったのは鹿児島市だったらしいんだけど」
「上白石萌音と上白石萌歌ですって?! まさか大佐。その二人にも懸想していたんじゃないでしょうねえ?」
「はいはい、お約束お約束!」
大作とお園は例に寄って例の如く、そんな阿呆な遣り取りに興じる。そんな二人をサツキやメイ、ほのか、藤吉郎、ナカ、小竹、旭、船長、水主たちが生暖かい目で見詰めていた。




