巻ノ四百参拾伍 木下家の一族 の巻
砥石城からの帰路の途中、大作たち一行は尾張国の中村にある藤吉郎の実家へと立ち寄っていた。立ち寄っていたのだが……
案内された場所に建っていたのは荒ら屋といっても過言ではない薄汚れた小さな掘っ建て小屋だった。
しかも、開けっ放しの戸口から土間を覗き込んで見ても人っ子一人見当たらない。
「もしかして、アレかな。夜逃げでもしたのかな?」
「そんな筈ないでしょうに、大佐。きっと田んぼの世話でもしてるんじゃないかしら?」
「そうかしら。今はもう十月よ。田畑とは違うんじゃないの?」
「そんなことはないわ。麦なら今が丁度よ。畑を耕す頃合いだと思うんだけど?」
「然れど、某の家では麦はやっておらぬはず。もしや……」
一同は手前勝手な当て推量で大いに盛り上がる。だが、下手な考え休むに似たり。何一つとしてマトモなアイディアが浮かんでこない。ただただ、時間だけが無駄に過ぎ去って行く。
これはもう、駄目かも分からんな。大作はポンと両手を打ち鳴らすと声も高らかに宣言した。
「なあ、藤吉郎。これで気が済んだか? 真に遺憾ながら退く勇気も必要だ。ここは潔く諦めよう。お前の弟の…… 小竹だったかな? そいつとは縁が無かったんだ」
「然れど、大佐。いま暫くお待ち頂く事は叶いませぬか? どうせ今から尾張を立ったとて、船に乗れるのは明日の朝にございましょう? ならば今宵は此処で一夜を明かして下さりませ。この藤吉郎めが腕に撚りを掛けて精一杯の持て成しををば致しとう存じまする」
「いやいや、せっかくだけどノーサンキュー。俺たちにはもう本当に時間が無いんだ。竜宮城での三年は地上世界での七百年にも相当するんだぞ。山ヶ野に帰ったは良いけれど、一万二千年とか経ってたら困っちゃうだろ?」
「そうかしら? それはそれで面白いかも知れんわよ。オカエリナサイのイが左右反対になってるんじゃないかしら?」
一同がそんな阿呆な話をしている間にも藤吉郎は勝手知ったる他人の家…… と言うか、自分の家なのを良いことに竈で火を起こして土鍋に湯を沸かし始めた。
隣ではお園が米と麦の混合物をチタン製コッヘルに入れて水に浸している。どうやら二人ともここで一泊するのを既成事実化しようとしているらしい。
まあ、良いか。大作は考えるのを止め…… その時、歴史が動いた!
「おみゃあらは如何なる者じゃ! 儂らの家で何をしよるか? 事と次第によっちゃあ…… って、日吉丸でねえか! やっとかめだがね! 小竹、旭! 日吉丸が帰ってこよったぞ!」
「おお、兄さま。まめだったきゃ?」
「また、ぎょうさんのお連れで。おっさまは何方様じゃ?」
「此方に御座すは儂が世話になっちょる大佐とお園様だで。んで、此方が堺で出で会ふたサツキ殿、メイ殿、ほのか殿。伊賀で出で会ふた大猿殿と小猿殿だで」
「……」
藤吉郎の母親、確か名前は『なか』といっただろうか。ちょっと疲れた様子の痩せ型の中年女性は余りにもと突然の出来事で気が動転して目が点といった感じだ。
もしかしてフリーズしちゃったんだろうか? 大作は軽く頭を下げ、上目遣いで顔色を伺う。だが、なかは直ぐに再起動すると突如として立て板に水の如く喋り始めた。
「いと遠き所をようけ来やぁした。こんな所ではなんでござりまするに、ちょこっと家にお上がりあそばぃてちょうでぁ~ぃあすばせ。随分と日吉丸が世話になっとるようで、本にありがとうござりまする。ちょっくら田んぼへ出てまぁ~りましたもんだで。日吉丸の母のなかにござぁ~いますもんだでぇ」
「そ、そうなんですか。それは良かった良かった。拙僧は大佐と申しまして、しがない生臭坊主にございます。本日は御母堂様のご尊顔拝し奉り恐悦至極に存じまする。それでは、たいへん名残り惜しゅうございますがこれにて失礼仕りまする」
言うが早いか大作は脱兎の如く逃げ出そうとする。逃げ出そうとしたのだが……
しかしまわりこまれてしまった!
「イイエ、ナモ。ほんなこといわんと。大佐様もせっかくここまで来てちょうだぃしたことですに、サアサア。小竹、盥に水を汲んでいりゃあ! 大佐様とお園様の御御足を拭いやんせ」
「いやいや、本当にもうお構いなく……」
「旭もおりますことですに、サア、ここまでおあがりあそばぃてちょうでぁ~ぃあすばせ。ナモ、ナモ。日吉丸、米をかしてちょうゃぁ!」
わけがわからないよ…… 大作は考えるのを止めた。
「大佐、大佐! ご飯が炊けたわよ。そろそろ起きて頂戴な」
「へぁ? ああ、お園か。って言うか、今は何時だ? 何年何月何日だ? あれからどれくらい経った?」
「どうどう、餅ついて。今は天文十九年十月七日よ。此処へ着いてから半時も経っていないわ。大佐ったら急に寝ちゃうんだも。随分と憂えたわよ。よっぽど疲れていたのね」
「ささ、大佐様。此方へどうぞ。何もございませぬが、たんと召し上がって下さりませ」
大作はゆっくり体を起こしながら声のする方へ顔を向ける。声の主はと目を見やれば藤吉郎の母親を自称する『なか』とやらの姿が目に入った。
「しかしまあアレだな、アレ。ひらがなで『なか』って名前は地の文章の中に入ると分かり難いな。ほのかとかもそうなんだけどさ」
「だったらカタカナで書いたらどうかしら。サツキやメイみたいに」
「そ、そうだな。だったらこれからはホノカのこともそう書こうかな」
「ちょっと待ってよ、大佐。私めの名前の書き方を変えないでくれるかしら?」
一同がそんなメタ発言で盛り上がっている間にもお椀にはほかほかの白米…… と思いきや麦と玄米が半々くらいで混ざったご飯が盛られていた。
大作は誰に促されるでもなく般若心経を超絶早口で唱える。終わりを待つのももどかしく、お園がご飯を頬張った。
「うぅ~ん。やっぱり空腹は最高の調味料ねえ。とっても美味しいわ」
「この味噌汁は八丁味噌なのか、藤吉郎?」
「如何にも、八丁味噌にございます。前に大佐が申されておったので急ぎ買って参りました」
「そうかそうか。やっぱ藤吉郎にとっては故郷の味なんだろうな。ところで食べながらで悪いんだけど、小竹殿。藤吉郎から話は聞いてるかな? 貴殿を山ヶ野にお迎えしたい。誰にでもできる簡単な軽作業で年俸は銭五十貫文。それに衣食住は無料。社会保障も完備。最初のうちは住み込みで働いてもらいますけど、昇進するか結婚すれば通いも可能です。その場合、交通費は出るけど家賃は自分持ちでお願いします。まあ、そのうち社宅も用意するつもりですし住宅手当も考えてはおりますが。それから……」
大作はここぞとばかりに口から出まかせマシンガントークをぶちかます。マシンガントークをぶちかましたのだが……
思った通り、小竹は豆鉄砲を食らった鳩のように目を白黒させている。まあ、そんな動物虐待案件は実際にはできるはずもないんだけれど。
だって、動物が大好きなんだもん。でも、ペットを飼うとしたらやっぱ猫だよなあ。そう言えば、世にも珍しい雄の三毛猫の小次郎はどうしているんだろうなあ。美唯の奴、ちゃんと面倒を見てくれているんだろうか。急に心配になってきたぞ。早く山ヶ野に帰りたいなあ。ぎゅっと目を瞑ってからぱっと開けたら山ヶ野に戻ってたりしてな。そうだ、閃いた……
ふと我に返ると目の前から忽然と食器が消えていた。代わりに置かれたチタン製マグカップの中には茶色い液体が湯気を立てている。
察するにこれは焙じ茶ではなかろうか。大作は両手でカップを持ち上げると息を吹きかけて熱々のお茶を冷ます。だって猫舌なんだもん。
「それじゃあ、大佐。明日も早い事だし今日は早目に寝ましょうよ」
「そ、そうか? ところで小竹の件はどうなったんだっけかなあ? 俺、途中から良く覚えていないんだけれども」
「え、えぇ~っ! たった今の話を覚えていないっていうの? それって大事無い? どこか体に障りでもあるんじゃないでしょうねえ?」
「いやいや、心身ともに至って健康だぞ。ただ、ちゃんと聞いていかなっただけなんだよ。ごめんごめん、そんな鬼みたいな顔をすんなよ。せっかくの美人が台無しだぞ。んで? 小竹は山ヶ野に来てくれるのかなぁ~っ? いいともぉ~っ! ってか?」
大作は話をはぐらかそうと頻りに囃し立てる。囃し立てたのだが…… 返ってきたのは氷のように冷たい視線だった。
「来て下さる事になったわよ。御母堂のナカ様と妹の旭様も御一緒にね」
「な、なんだってぇ~っ! 三人セットで来るってか? バラ売りはしないってことだな? マジで?」
「あのねえ、大佐。今さっき大佐が自分で良いって言ったんじゃないの。泣き言なんざ聞きたくないわ。今さら駄目だなんて言わないで頂戴な。そんなの許さないわよ!」
「あのなあ、別に駄目だなんて一言も言ってないじゃんかよ。まあ、信頼できる人間は喉から手が出るほど欲しいし。いやいや、本当に喉から手が出るわけじゃないけど。とは言え、小竹はともかくナカ殿や旭殿いったい何をやってもらったら良いのかなあ」
大作は広隆寺にある国宝彫刻第一号の弥勒菩薩半跏思惟像になったつもりで沈思黙考する。沈思黙考したのだが…… 下手な考え休むに似たり。例に寄って例の如く何一つとしてマトモなアイディアが浮かんでこない。
「そうだ! ご自分でテーマを決めてチャレンジしてみては如何かな? それぞれの得意分野を活かせる道を探るが宜しかろう。ナカ殿、小竹殿、旭殿。お三人の得意分野は何ですかな?」
「皆さま方の得手を問うておられるのです」
阿吽の呼吸でお園が通訳を買って出る。木下ファミリーは暫しの間、黙って考え込む。やがて小竹が一同を代表するかのように口を開いた。
「儂ら百姓に得手と申されても田畑の世話くらいしか出来る事がございませぬ。いったい何をすれば大佐様のお役に立てるものやら。とんと見当が付きかねまする」
「ん? いやいや、どんな大ベテランだって最初は初心者ですよ。初めから自転車に乗れる奴なんていないでしょう?」
「じてんしゃとやらは存じませぬが、初めのうちは赤子の手ほども役には立ちますまい。左様な事で年に銭五十貫文も頂いて真に宜しいのでしょうか?」
「まあまあ、お気になさらずに。そんなん言い出したら巫女軍団改め、修道女軍団の連中だって同じ様な物ですよ。研修期間中だってちゃんと賃金を払うんですから。うちはホワイト企業。インターンとか言ってタダ働きさせるブラック企業とは違うんですから。ところで……」
何だか知らんけど先ほどからの会話に奇妙な違和感があるんですけど。大作は原因を探して頭をフル回転させる。閃いた!
「ところで小竹殿。貴殿らのコテコテの尾張弁。アレはどこへ行っちゃったんですかな? まあ、今は今で変テコな口調なんですけど」
「おわりべん?」
「ああ、大佐。その事ならば私から話すわ。さっき、大佐が寝てる間にスカッド様から電話があったのよ。言語変換システムのアップデートが終わったんですって」
「そ、そうなんだ。そりゃそうだよな。そうでもしなきゃこの時代、薩摩や甲斐や伊賀の人間が相互にコミュニケーションを取れるはずがないもんな」
「分かって貰えて嬉しいわ。それじゃあ、今度こそもう寝ましょう。明日も早いんだし」
狭っ苦しい木下家では一同は寿司詰め状態となって雑魚寝する。
大作とお園だけは土間でテントを張って仲良く一緒に横になった。




