巻ノ四百参拾弐 三年目の秘密 の巻
砥石城の戦いにおいて武田晴信が率いる武田軍団は史実通りの大惨敗を喫した。
その敗残兵を大門峠で迎え撃つという大作の考えた奇抜な作戦は予想通りに実施される。実施されたのだが……
数時間に及ぶ激しい銃撃戦…… と言うか、死体蹴りと言っても過言ではない一方的な虐殺になってしまった。
終わり良ければ全て良し。とにもかくにも無事に一仕事を終えた一同は長居は無用とばかりに山道を西に向かって遁走する。
「んで、ほのか。戦果はどんな感じだったんだ? 使用した弾薬量と敵に与えた損害の比率とかは集計できてんのか?」
「いや、あの、その…… その辺りの事は私めには分からないわ。メイ、あんたは何か知ってるの?」
「ちょ、おま…… 私に言われたって分かるわけがないじゃない。サツキ、あんたは何か聞いていないの?」
「そんなの私が知るわけ無いでしょうに! 藤吉郎はどうなのよ?」
「いやいや、某こそ知る由もございません」
そりゃそうだろう。伊賀から連れてきた百人の兵たちが必死に戦っているのを尻目に大作たちは映画談義に現を抜かしていたんだもん。戦闘に関する詳しい状況など分かろうはずも無いのだ。
大作だってそんなことは百も承知の上だ。それでもこうやって会話のキャッチボールから話が膨らむことだってあるだろう。きっとそうに違いない。
だが、そんな気を知ってか知らずかドヤ顔を浮かべた百地丹波が口を挟んできた。
「ご安堵下さりませ、大佐殿。我らにて詳らかに数えておりますれば、此方をご覧頂きとう存じまする」
大作は恭し気に差し出されたB5横くらいの薄っぺらい紙切れを受け取って目を通す。目を通したのだが……
例に寄って例の如く、ミミズがのたくったような線がぐにゃぐにゃと踊っているのみだ。
『読めない! 読めないぞ!』
大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。真剣な顔で黙って紙面を見詰めた後、満面の笑みを浮かべながらお園に手渡した。
「どれどれ…… 一人当たり三百発を割り当てた弾薬は全て使い切ったそうよ。兵の数は百人だから三万発になるわね」
「え、えぇ~っ! 全部撃っちゃったんですか? 残っていない? 一発も? そんじゃあ、もしいま敵に襲われたら偉いことになっちゃいませんか?」
「どうどう、餅ついて、大佐。安堵して頂戴な。第二補給処を通った折に食料や水と一緒に弾薬補給も済ませてあるわ。一人当たり弾薬百発と新しい火縄を持たせてあるし、荷駄にもまだまだ余分があるんですから。それよりもこの戦闘詳報を見てみなさいな、大佐。敵方の死傷者は凡そ三千、乃至四千だそうよ」
「三千から四千とは随分と幅があるなあ。まあ、戦場で一人ひとり数えて歩く訳にもいかんから仕方が無いか。そうすると殺傷率は十、乃至十三パーセントってところか。そんなに悪くない数字だな」
「悪くないどころか、とっても良い数値よ。むしろ良すぎて心配になるくらいだわ。確か大佐、前に鉄砲の殺傷率は一%にも満たないって言ってなかったかしら?」
お園は紙切れを大作の手に押し付けながら不満気な顔で唇を尖らせた。
数字が良すぎても不満だとは面倒臭い奴だなあ。大作は心の中で苦虫を噛み潰しながらも精一杯の愛想笑いを浮かべる。
「ああ、アレか。あの数値はマトモな人間なら持っていて当然の殺人に対する忌避反応によるものなんだ。でも、俺たちの兵は違うだろ。今まで散々、人間の形をした標的で射撃訓練を行ったり、オペラント条件づけに基づいた教育研修、ミルグラムの服従実験を参考にした指揮命令系統、エトセトラエトセトラ…… あいつらは今や命令さえ下せば自分の親兄弟すら顔色一つ変えず平然と殺しちまうような感情の無い殺人ロボットだ。って言うか、もしかして俺たちはとんでもない化け物を世に送り出しちまったのかなあ?」
不意に不安に駆られた大作は小首を傾げながらお園の顔色を伺う。顔色を伺ったのだが……
お園にとっては死ぬほどどうでも良い話だったのだろうか。人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべると吐き捨てるように言い捨てた。
「あのねえ、大佐。そんなこと、今さら言うても詮無き事だわ。なるようにしかならんわよ」
「そりゃそうだ。ならんようにはならんもんなあ。まあ、始末に困ったら秀吉の朝鮮出兵みたいに不可能ミッションを押し付けて全滅させれば良いんだもん。話は変わるけど第二次大戦中のソ連軍には師団規模の全滅が多かったらしいな」
「師団規模? そも、ソ連の一個師団って如何ほどの人数なのかしら?」
「狙撃師団の定員は一万四千三百人だったらしいな。まあ、膨大な損害を出したせいで九千人とか八千人って具合に縮小されていったらしいけど」
「八千人でも大した数よ。それだけ大勢のお方が全滅しちゃうっていうの?」
根が素直なお園は大作の話題転換に見事なばかりに引っ掛かってしまった。
ほのか、サツキ、メイ、藤吉郎たちは話に加わるつもりは無いらしい。怪訝な表情を浮かべたまま少し離れて聞き耳を立てている。
「一般的には軍隊の全滅って言うのは損耗率が三割くらいに達した時のことを指す。普通の軍隊には直接戦闘に参加する兵士の他にも様々な人がいるだろ。例えば補給や医療、工兵、通信、食事当番、エトセトラエトセトラ…… さらに後方には人事や経理、総務みたいな人たちだっているんだ。マトモな軍隊はそういう連中まで戦闘に参加せざるおえなくなる前に戦闘継続不可能とみなして後方に下げて再編成する。だって戦い慣れていない奴を無理に戦わせても無駄死にするだけで効率が悪いからな」
「ふ、ふぅ~ん」
「ところがソ連軍は一味違うんだ。何が理由なのかは知らんけど奴らは自分たちが優勢な状況でも味方部隊が全滅するまで戦わせたりしちゃうんだ。そのせいでさっき言ったみたいに師団規模での全滅が珍しくないそうな。そもそも最初から全滅するのを前提に作戦を立ててるのかも知れんな。有名な話だけどソ連軍の歩兵は突撃する時、部隊を三波に分けるそうだ。まず第一波が突撃する。第一波が全滅したら第二波は弾だけ持って突撃する。銃は死んだ第一波の奴らのを拾って使う。続いて第三波も同じようにやるんだ」
「そ、そうなんだ。まあ、どうせすぐ死んじゃう兵ならば皆に鉄砲を持たせる意もないものね」
「ロシア軍の戦い振りは二十一世紀になっても変わっていないらしいな。聞いた話じゃ未だにシャベルを使って戦ってる奴すらいるそうな」
大作は変テコな方向へと向かい始めた話を打ち切るつもりで両手をポンと打ち鳴らす。
だが、どちて坊やのほのかが予想も付かない方向からリアクションを入れてきた。
「ねえ、大佐。シャベルとショベルって何が違うんだったかしら?」
「気になるのはそこかよぉ~っ!」
「それと、ついでと言っちゃ何だけどスコップとの違いも教えてほしいわねえ」
「そ、そうか? なら、丁度良い機会かも知れんな。この際、一から…… いや、ゼロから勉強するとしようか。そのためにはまず、円匙のことを知らにゃならん。円匙っていうのはこんな字を書くんだけれど……」
大作はバックパックからタカラトミーのせんせいを取り出すと下手糞な字や絵で懸命に説明した。懸命に説明したのだが……
下手な説明、休むに似たり。誰一人として大作の熱弁に耳を傾けてくれる者はいなかった。
そんな阿呆な話をしながら大作と愉快な仲間たちは山の斜面を這うように伸びるトラバース道を西に向かって歩いて行く。
未来では恐らくこの辺りにビーナスラインが通っているんだろう。車山高原スキー場と思しき広大な斜面を右手に見ながら通り過ぎる。
車山をぐるりと反時計回りにやり過ごすと南東に向かって真っ直ぐに尾根が伸びていた。
一同は暫しの間、足を止めて遥か遠くに目をみやる。瞳を凝らせば澄み渡った青空を背景に真っ白い雪の冠を頂いた富士山の先っぽが見えていた。
「ねえねえ、大佐。見て頂戴な。富士のお山よ。随分と綺麗に見えるわねえ」
「そうだな。きっと昨日に雨が降ったお陰で空気が澄んでるだろう。そうだ! ここで記念写真でも撮っとこうか。ささ、みんな並んで並んで」
「きねんしゃしん? 其は如何なる物にございましょうや?」
「百地殿、説明は後でゆっくりと致します。いまはただ、そっちに並んで下さいな。二列…… だと窮屈ですな。三列になって下さい。手前の人は座って。真ん中の人は中腰でお願いします。良いですかな? はい、チーズ!」
「ち、ちいず? 其は如何なる物にございましょうや?」
「いいから黙って並べぇ~っ!」
そんなこんなで一同は面白おかしく記念撮影を行う。小休止を取った後に歩みを再開させる。
車山から鷲ヶ峰の辺りにはなだらかな高原が広がっていた。
「ここがエアコンで有名な霧ヶ峰高原だな。レンゲツツジとかニッコウキスゲ、マツムシソウみたいな珍しい高山植物の宝庫なんだ」
「へぇ~っ! いと珍しき草もあったものだわねえ。一つ摘んで行こうかしら」
「ちょ、おまっ! やめとけ、ほのか。国立公園や国定公園の特別地域内は自然公園法第二十条第三項第十一号によって『高山植物その他の植物で環境大臣が指定するものを採取し、又は損傷すること』が規制されてるんだぞ」
「そ、そうなの?」
「植生というのは国立公園や国定公園の風致にとって重要な構成要素だろ? だからそれを適切に管理し、絶滅の恐れのある貴重な種を保存するためには……」
「ねえねえ、大佐。国立公園と国定公園っていうのはどう違っているのかしら?」
「き、気になるのはそこかよぉ~っ! それはアレだな、アレ。国定公園は都道府県知事の縄張り…… って言うか、何だろ? 管轄? 管理? そんなんだよ。そうそう、そう言えば……」
そうこうしている間にも一同は険しい山道を通り抜け、上諏訪の東の端へと辿り着いた。
「ここまで逃げれば一安心かな? もうすぐ日も暮れそうだ。今日のところはこれでお開きとしようか。皆さん、今日は本当にお疲れ様でした。これは僅かだが心ばかりの礼だ。受け取ってくれたまえ。明日は丸一日、自由行動と致しますので久々に羽を伸ばして下さい。出発は明後日の早朝ですので遅刻しないで下さい。では、状況終了!」
居並ぶ兵たちに小隊長経由で『寸志』と書かれた紙に包まれた銭が渡される。男たちは怪訝な顔をしながらも恭し気に受け取ると足早にどこかへ消えて行った。
「これぞまさしく『そして誰もいなくなった』だな」
あっと言う間に百人の兵が姿を消し、後にはお園、サツキ、メイ、ほのかたち女性陣と藤吉郎だけが残った。
「いやいや、儂らも控えておりまするぞ」
「ああ、百地殿。それに大猿さんと小猿さんも。まだいらっしゃったんですか。皆さんも羽をのばしてきて良いんですよ」
「さ、左様にございますか? では、有り難くお言葉に甘えまして……」
言うが早いか三人は風の様に足早に立ち去ろうと……
「ちょっと待ったぁ~っ! 一つだけお願いして宜しいかな」
「お願いと申されますと?」
「いやなに、大したことじゃありませんよ。ただ、行く先々でさり気なく噂を流して下されば宜しいのです」
「噂? 如何なる噂にござりましょうや?」
興味津々といった顔で忍びたちが詰め寄ってくる。
ちょっと近すぎるんですけど。大作は身を仰け反らせて距離を取った。
「こんな噂ですよ。武田晴信は大門峠の戦で手傷を追って身罷られて。ですが、亡くなる前に『我の死を三年の間、世に伏せよ』と申されたと」
「な、何と! 此れは異な事を承る。其は真にございまするか?」
「いやいや、そんなの知るわけありませんよ。だって誰も晴信が死ぬとこなんて見てないんですもの。とは言え、仮に晴信が死んでたとしたら武田方は秘密にしたいはず。だからこそ大騒ぎにしてやるのですよ。って言うか、その方が面白いでしょう? 面白くないですかな?」
人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべると大作は上目遣いで百地丹波の顔色を伺う。
だが、流石の忍者マスターにも大作の深い考えは理解不能だったようだ。さぱ~り分からんといった顔で小首を傾げている。
これはもう駄目かも分からんな。大作は早々と諦めの境地に達してしまった。
と思いきや、捨てる神あれば拾う神あり。意外な方向から救いの手が差し伸べられる。
「大佐が言いたいのはアレよね、アレ。『面白きこともなき世を面白く、住みなすものは心なりけり』って言いたいんでしょう?」
「そうそう、それそれ。とにもかくにも晴信は死んだけど三年間は秘密。我々はこの線で押して行きますから宜しく!」
大作は強引に話を終わらせるとポンと両の手を打ち鳴らす。
分かったような分からんような顔をした三人の忍びたちは肩を落としてとぼとぼと立ち去って行った。
「さて、どうやら生き残ったのは俺たちだけらしいな。馬鹿どもには丁度良い目眩ましだ。俺たちも久々に羽を伸ばすとしようか」
「だったらまずは夕餉ね。何処で何を食べましょうか?」
「私は出来るならゆっくりと湯に浸かりたいわ」
「私めは柔らかい寝床で寝たいわね。布団なんて贅沢は言わないから」
「某は…… 某は屋根のある所なら文句はございません。いや、屋根でなくとも雨風さえ凌げれば文句はございませぬ」
堺以来のオリジナルメンバーだけで過ごす夜は随分と久方ぶりかも知れんなあ。
大作は柄にもなく感傷的な気分に浸っていた。




