巻ノ四百参拾壱 十月は僕の嘘 の巻
天文十九年十月二日。空は朝からどんよりと厚い雲に覆われていた。少し強い北風が吹き続け、時おり冷たい小雨まで降ってきてとっても肌寒い。
「そりゃそうだよな。旧暦で十月ってことは本当なら十一月なんだもん。どうりで寒いわけだよ」
「本当ならってどういう事よ? もしかして、十月は嘘だって言いたいの?」
「いやいや、そういう意味じゃないよ。まあ、『八月の嘘』とか『四月は君の嘘』とか嘘にも色々とあるけどな。とにもかくにも、太陰暦だと一年が十三ヶ月になることもあったりするだろ? だから暦と季節がズレちゃうんだよ。その点、太陽暦にはそういうのが無いから便利だぞ。天下統一が成ったら是非とも切り替えたい改革の一つだな」
「だけども、大佐。太陽暦だとお月さまの満ち欠けが暦と合わなくなるんでしょう? 十五夜が満月じゃないなんて風情が無いわねえ」
「あのなあ…… 風情でお腹が膨れるか? 膨れんだろ? 反語的表現!」
「だったら太陽暦でもお腹は膨れないわよ。それとも膨れるって言うの? いったいどんな風に?」
ああ言えばこう言うとはこのことか。そんな阿呆な話をしている間にも大作たちは朝餉を食べ終わる。
汚れた食器を白樺湖で綺麗に洗い、丁寧に水気を拭き取ってバックパックに仕舞った。
さて、いよいよ風林火山で有名な武田軍団との決戦だ。ここはひとつ、何か景気の良い話でもして発破を掛けるのが良さげだな。
大作はゆっくりとした足取りで百人の兵たちの輪の中心に進み出る。ぐるりと周囲を見回すと両の手のひらを肩の高さで掲げた。
「我が親愛なる同志諸君。暫しの間、お耳を拝借いたします。勇猛果敢で知られた武田騎馬軍団も今やその半分が村上方に討ち取られました。これぞ正しく正義の光と申せましょう。残った彼奴らが如何に足掻こうが決してこの大門峠を抜くことは叶いませぬ。敢えて申し上げましょう。カスであると!」
大作は勢い良く拳を振り上げながら絶叫する。
だが、ほのかが話の腰を複雑骨折させるように気の抜けた相槌を返してきた。
「かす?」
「えぇ~っと…… カスって知らないかな? 滓だよ、滓。ほれ、こんな字を書くんだけどなあ」
大作はタカラトミーのせんせいに大慌てで殴り書きすると皆にも良く見えるように高く掲げた。
「ああ、滓の意ね。それなら良く知ってるわよ。話を続けて頂戴な」
「そ、そうか。そりゃあ良かったな。ちなみに酒粕とか油粕とかいう場合には粕って書くよな」
「だったら糟っていう字もあるわよ。それから……」
「はいはい、ストップ。ありがとうな、メイ。カスの話は後でまたゆっくりと聞かせてもらうよ。それより『僕にはもう時間がない』んだ。話を進めさせてもらうよ。んじゃ、気を取り直して…… とにもかくにも、これ以上戦い続けては人類そのものの危機である。人類は我ら優良種たるラピュタ王国によって管理運営されてこそ真の繁栄を享受できる。そのためには此度の戦において武田晴信と二十四将を討ち取らねばなりませぬ。よって……」
「あのねえ、大佐。私、ちょっと気になる事があるんだけど?」
ようやく演説が調子に乗ってきたと思った矢先、またもや思わぬ方向から横槍が入れられる。
声の主はと振り返って見ればドヤ顔を浮かべたお園が顎をしゃくっていた。
「確か武田二十四将には晴信も入ってた筈よ。だから『晴信と二十四将』じゃなくて『晴信ら二十四将』って言った方が良いんじゃないかしら?」
「き、気になるのはそこかよ…… 分かった分かった。お詫びして訂正いたします。んで、何だっけかな? そうそう、この悲しみを怒りに変えて立てよ国民! ジーク・ラピュタ! ジーク・ラピュタ! ジーク・ラピュタ!」
「「「じいく、らぴゅた!!!」」」
ドン引きしている兵たちが不承不承といった顔で唱和する。
この刺々しい空気だけは何編やっても堪らんな。大作は深々と頭を下げるとその場を後にしようと……
「ちょっと待ったぁ~っ! 最後に一つだけ大切なことを言い忘れておりました。耳をかっぽじって良く聞いて下さいな。此度の戦は鉄砲のコンバットプルーフ…… 実証試験が目的にございます。故に勝ち負けや討ち取った首の数なんかはどうでも宜しい。極端な話をすれば武田が勝ったとしても特段の不都合は無いのです。それよりも大事なることを二つだけ覚えておいて下さい。一、絶対に死んだり大怪我したりしないこと。労災とか面倒ですからね。二、絶対に鉄砲を持って帰ること。何せ最新の軍事機密の塊ですから。そういう訳で危険と判断されたら速やかに戦場を離脱して頂きます。常に司令部との連絡が取れているかを意識し、チームで行動することを心掛けて下さい。以上、何か質問は?」
「……」
「では、状況開始!」
銃と弾薬を重そうに担いだ兵たちが足早に散って行き、大作たちは挙手の敬礼で見送る。
どこからともなく百地丹波が現れると軽く頭を下げた。
「では、大佐殿。儂は司令所にて待機をば仕りまする。御用の折は手旗か伝手にてお知らせ下さりませ」
「拙僧らは彼方の山の上の司令部から高みの見物をしております。くれぐれも御無理はなさらぬよう。ヤバくなったらとっとと逃げて下さりませ」
「良う心得ております。然らば御免!」
言うが早いかニンジャマスターは疾風の様に走り去る。
後に残ったのは堺からのオリジナルメンバーだけであった。
「さて、俺たちもさっさと移動しようか」
「早くしないと良い席が無くなっちゃうかも知れないしね」
一同は大門峠から西に四百メートルほど離れた小高い山の頂に移動する。
峠の東側には木が生い茂っているが、西側には背の低い木が疎らに生えているだけだ。
傾斜は然程でもないのだが、大きな岩がゴロゴロしていて歩き難いことこの上ない。
えっちらおっちらと歩くこと十数分。漸く山頂に辿り着くことができた。
「こんなんだと、もし脱出することになった時に無事に逃げられるのかなあ? 俺、だんだん心配になってきたぞ」
「まあ、追う方にしたって歩き難いのは同じ事じゃないかしら。予め逃げ道を決めている私たちの方に利があると思うわよ」
「いざとなれば我らが控えておりまする」
「大佐様が逃げる暇くらい、幾らでも稼いでご覧に入れましょう」
呼んでもいないのにどこからともなく姿を現した大猿と小猿が自信満々の笑みを浮かべる。
何の根拠もないこの自信はいったいどこから湧いて来るんだろう。大作は嫌味の一つも言ってやりたくなる。
だが、良い言葉が思いつかないまま時間が過ぎてしまい完全にタイミングを逸してしまった。
「フッ、タイミングずれの和平交渉に何の意味がある?」
「さ、さあ? 私には分からないわ」
「俺にも分からんよ。って、そんなことを言ってる間にもお出でなすったみたいだぞ。どれどれ……」
大作はバックパックから単眼鏡を取り出すと瞳を凝らした。八倍のレンズを通して目に飛び込んできたのは人、人、人…… まるでロシア遠征から敗走するナポレオン軍の如き敗残兵の群れだった。
ミルスケールの目盛りに合わせると人間の背丈がおよそ二ミルくらいに見える。奴らの身長が百五十センチくらいだと仮定すると距離は…… 分からん! さぱ~り分からん!
「どうどう、大佐。餅ついて。1.5×1000÷2=750だから七百五十メートルよ。ということは丁度いま、第一防衛線の有効射程に入ったわね。間もなく始まるわよ。ほら!」
お園の言葉通り、その瞬間にも左右の高台から一斉に煙が立ち上った。二秒ほど遅れて小さな破裂音が無数に轟く。ほとんど同時に人混みの中から大勢の姿が倒れ伏した。
どうやら奇襲は完璧に決まったようだ。って言うか、敵の大部分は攻撃を受けていることに気付いてすらいないらしい。足並みを止めたり戸惑ったりする様子がまるで見えない。
まあ、数千もの大部隊になると全体の様子なんて誰にも把握できていないものなんだろう。それに、最初の攻撃は指揮官クラスを徹底的に狙い撃ちするよう指示を出していたし。そう言えば……
「晴信はどうなったのかしら? 見事、討ち果たせていれば良いんだけれど」
「それはどうなんだろな。だって、あいつは自分の死を三年間も伏せておけだなんて言う奴なんだぞ」
「何で? 何でそんな事をするのかしら?」
「さ、さあなあ…… 例えばだけど一時期、親の年金を不正受給するために死亡届けを出さない奴がいただろ? 覚えていないかな?」
ドヤ顔を浮かべた大作は一同の顔を一人ひとり見回す。だが、返ってきたのはさぱ~り分からんという怪訝な表情だった。
これは話題を変えた方が吉だな。大作は咄嗟の機転で話題を大きく転換させる。
「それに、もし首尾良く晴信を殺せたとしても影武者が出てくる可能性があるだろ?」
「えぇ~っ! そんな事ってあるのかしら?」
「私もよ。影武者なんて武者は見たことも聞いたこともないわ」
「それっていっったいどういう武者なのかしら? 禿武者とは違うのよねえ?」
「某も初めて耳に致しました」
少し離れたところにいる大猿と小猿も禿同といった顔でしきりに頷いている。
「なんだと? この中の誰もあの名作映画を知らんのか? ちなみに主役は最初、勝新太郎が演じる予定だったんだぞ。中盤のお城が燃えるシーンは取り直しなんてできるわけ無いから一発本番だったんだ。仲代達矢はマジで死にそうになったらしいな。当時はCGなんてなかったから……」
「あのねえ、大佐。もしかしてそれって『乱』と間違えてるんじゃないかしら?」
「そ、そう言えばそうだな。ごめんごめん、ちょっと勘違いしてたよ。でも、乱で仲代達矢が酷い目にあったっていうのは本当だぞ。って言うか黒沢監督って映画に関しては無茶苦茶なところがあるからな。『蜘蛛の巣城』の矢が沢山飛んでくるシーンでも三船敏郎が本当に死にそうになったとか。そんな話は枚挙に暇が無いらしいぞ。そうそう、黒沢監督と言えば……」
映画談義に花を咲かせている間にも大門峠は武田方の死体が足の踏み場が無いほど堆く積み重なっていく。
またもや芥川龍之介の芋粥パターンかよ! みるみる盛り上がって行く死体の山を見ているだけで大作はお腹が一杯になってしまった。
「ところで話は変わるけどヒトラー総統にも影武者がいたらしいぞ。ベルリン陥落から数日後にヒトラーそっくりの死体がソ連軍によって発見されたらしい。でも、本物の遺体は総統官邸裏の中庭にあった砲弾孔でガソリンを掛けて生焼けにされてるんだ。ってことはそっくりさんの遺体は影武者の物だったんだろうな。スターリンやチャーチルだって影武者を使ってたみたいだし。『鷲は舞い降りた』って映画があっただろ。まあ、アレはフィクションなんだけど。そうそう、最近だとフセイン大統領も影武者を使っていたっけ。まあ、そんなわけで……」
「大佐殿! 大佐殿!」
大作の無駄蘊蓄は突如として明後日の方向から聞こえてきた声に中断される。慌てて振り向いて見れた見知った顔が息を切らせて駆けて来るところだった。
「ん? ああ、百地殿ではございませんか。如何なされましたかな?」
「如何も何もございませぬ。幾度も幾度も手旗信号を送っておりましたが一向に返事が無いので肝を冷やしましたぞ。何事かと思い、急ぎ駆け付けて参ったのでございます」
「んで? 如何いたしたのですか?」
「いやいや、如何なされたかと聞いておるのは此方にございます。まあ、何事も無かったのであれば重畳。戦いはお味方の大勝利にございますぞ」
「えっ? もしかして終わっちゃったんですか? いつの間に?」
こうして何が何だか訳も分からないうちに大門峠の戦いは終わっていた。




