表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
430/516

巻ノ四百参拾 翼よ!ここが大門峠だ の巻

 予定より一ヶ月も早く諏訪に着いてしまった大作と愉快な仲間たちは持て余した時間を潰すため、ドーナツの製造と販売に明け暮れる。

 しかし、光陰矢の如し。どうして楽しい時間というのは早く過ぎてしまうのだろうか。あっという間に九月二十三日が訪れてしまった。


「それでは皆さま方。大門峠を目指して出発!」

「「「おぉ~っ!」」」


 威勢の良い掛け声で気勢を上げた後、一同は少人数ごとに別れて前進を開始する。


「だけども良かったわねえ、大佐。中仙道で最も険しいと言われた和田峠を通らずに済んで」

「そうかなあ? 俺はちょっとばかし興味があったんだけどな。黒曜石とか満礬柘榴石とかにさ」

「あら、満礬柘榴石は乱獲防止のために現在は採集禁止だって言ってなかったかしら?」

「いやいや、その現在っていうのは二十一世紀のことだから!」


 そんな阿呆な話をしながらも一同は諏訪湖の東側を通って上諏訪を南東に向かって進む。

 既に武田方が砥石城を攻め始めて一月も経っている。戦場から四十キロも離れた諏訪の地も何となくバタバタと慌ただしい空気が漂っているような、いないような」

 高島城、多門城、井森城、桑原城、金子城、上原城、エトセトラエトセトラ……


「まるでお城のバーゲンセールだな……」

「これだけあると有り難みってものが無いわねえ」

「そうだよなあ。『過ぎたるは猶及ばざるが如し』とは良く言った物だなあ」


 二時間ほど歩くと急に山並みが途絶えて東の方向に大きな平野が広がっていた。

 茅野の辺りで北東へと進路を変え、上川に沿って歩く。

 齢松山城、栗沢城、鬼場城、吉田城、植原田城、エトセトラエトセトラ……

 またもや城のバーゲンセールかと思いきや、渋川と滝の湯川に挟まれた高台にひと際大きな城が現れた。


「これは湯川城だな。んで、あっちが枡形城と原ノ城かな。間に深い堀があるのがみえるだろ?」


 城と城の間を長さ一キロ以上の長い堀が隔てている。すぐ脇を通る道は地の果てまで真っ直ぐに続いていた。どうやらこれが信玄が整備させたと言われる棒道なんだろう。

 武田方の兵に見咎められたら厄介だ。十分に距離を取ったうえ、精一杯にさり気なさを装って城を大きく迂回する。


 渋川に沿って一キロほど東に歩き、山裾にぶつかった所で北へと進路を変えた。

 田畑の中を進むこと暫し、徐々に山々が迫ってきて平地が狭くなる。

 一時間も歩かないうちに道は高い山に挟まれた谷間になってしまった。

 一同は道端に座り込むと少し早目の昼食をとる。


「目的地の大門峠まで後たったの二里足らずだぞ。最後まで気を抜かずに頑張ろう!」

「そりゃあ気なんて抜く筈も無いわよ。だった、其処は戦場から目と鼻の先なんでしょう?」

「そ、そうなのかなあ? いや、それならそれで結構なんだけども……」


 食事を終えた一同は歩みを再開させた。山と山に挟まれた緩い谷間を上川に沿って北上する。


「この上川は音無川とも呼ばれるそうだぞ。何でも昔、信玄が軍議を開いていたんだけど川の流れる音が物凄く大きかったらしいな。んで、信玄が『煩い!』って怒鳴ったら急に川の音がしなくなったんだとさ」

「えぇ~っ! それって真の話しなのかしら? 何だかとっても嘘臭い話しよねえ」

「ですよねぇ~っ! 俺だったらまずは突発性難聴を疑うな。アレは基本的に片耳しか起こらん。でも、非常に稀なケースで両耳同時ってパターンもあり得ないわけじゃない。徐々にではなく、急に耳が聞こえなくなったら土日だろうと急いで病院へ行けよ。何せ最初の一週間が勝負だからな。ステロイド治療とか高気圧酸素療法とかさ。兎にも角にもやれることは全部やった方が良いぞ。後からじゃどうにもならんからな。それとあと……」


 突発性難聴のち療法の話で盛り上がりながら進むこと小一時間。険しい丘を幾つか越えて歩くと急に道が緩やかになる。やがて目の前に巨大な湖が姿を見せた。


「翼よアレが白樺湖だ!」

「翼ですって? それっていった誰のことよ? もしかしてその女にも懸想していたのかしら?」

「はいはい、お約束お約束。さて、俺たちの目的地の大門峠は白樺湖から北にたった数百メートルしか離れていない。武田方が現れるのは十月二日の予定だ。それまでに防御陣地を構築し、出現に備える。それから戦闘後に脱出するための経路や手筈も整えなきゃならんな」

「其れより先に寝床を見付けなきゃ。武田方に見付かっちゃ都合が悪いわよねえ。彼方の茂みの向こうはどうかしら? それと夕餉の支度に水が入用ね。誰ぞ白樺湖とやらから汲んできてくれないかしら?」

「へい、只今!」


 大猿、小猿が小走りで掛けて行く。こうして天文十九年の九月二十三日の夕方は寝床を作ることに費やされた。




 翌日からは百人の兵を総動員して終日、防御施設の構築を行った。

 射線を邪魔する気を切り倒し、木材に加工してバリケードの材料にする。塹壕を掘って出た土を向こう側に盛って土塁を作る。道路を塞ぐための逆茂木や撒き菱、落とし穴、低い位置に張ったロープ、エトセトラエトセトラ……

 無い知恵を振り絞って考えられる限りの嫌がらせを用意する。


 同時に忍びを総動員して退路の策定も急がせた。

 ここから南に向かうと甲府盆地に出る。いくら何でも武田の本拠地を突破するのはリスクが高すぎるだろうか。

 だったら北に向かって上杉のいる越後を目指すか? しかし、そのためには数千の敵の真っ只中を突破する必要がある。

 いくら敗残兵の群れとはいえ、敵中を強行突破だなんて島津の連中みたいな真似は嫌だなあ。それに上杉も嫌いだし。

 やっぱ、来る時に通った伊那谷へ脱出するのがベストなんだろうか。

 大作は灰色の脳細胞をフル回転させて無い知恵を振り絞る。だが、下手な考え休むに似たり。マトモなアイディアが何一つとして湧いてこない。


 そうこうしている間にも彼方此方に放った忍びたちから敵の動向が続々と入ってきだした。

 お園たちと夕餉を食べていた大作の眼前に百地丹波が突如として姿を現す。


「晴信は今日も軍議を開いておったそうな。砥石城から退くか否かで長らく揉めておりましたが漸く決心が付いた様子。兵どもが慌てて身支度を整えておる様子が遠目にも良う見えたと言うてきておりまする」


 ドヤ顔を浮かべた百地丹波はハガキくらいの大きさの紙切れを恭し気に差し出す。

 大作はキリンみたいに首を伸ばして紙面を覗き込む。覗き込んだのだが…… 例に寄って例の如く、ミミズがのたくったように不思議な線にしか見えなかった。


「ふむふむ、左様にございますな。そうなると史実通りに明日、十月一日の夜明けを持って武田方は撤退を始めることでしょうな。村上方は直ぐに気付いて後を追うはず。武田方の大敗は確定ですな。wktkが止まりませんな」

「御意! 時に大佐殿。武田が退く事を村上方に知らせてやっては如何にございましょうや?」

「いやいや、別に知らせんでも良いでしょう。夜陰に乗じて退くならともかく、夜明けを待って動くんなら砥石城からも丸見えですし。触らぬ神に祟りなし。放って置きましょう。ちなみに明日の夜は雨の予報ですぞ。鉄砲や火薬を濡らさぬよう、くれぐれも気を付けて下さい」

「畏まりましてございます」




 一夜が明けて運命の十月一日が訪れる。緊張と不安で一杯の大作は良く眠ることができない。お陰でまだ空も暗いうちに目が覚めてしまい二度寝する羽目になった。


「大佐、そろそろ起きて頂戴な。朝餉の片付けをしたいんだけれど?」

「えっ?! いま何時だ?」

「もうすぐ九時よ。あんまり寝すぎると体内時計が狂っちゃうんですからね」

「はいはい、起きますよ。いま起きようと思ったのに言うんだもんなぁ~っ!」


 大作が一人でご飯を食べているとメイが息を切らせて駆けてきた。


「大佐、砥石城で大戦(おおいくさ)が始まったみたいよ。物見の忍びが旗を振って知らせてきたわ」

「よっしゃよっしゃ。後は史実の通りに大門街道を通って大門峠へ来てくれるかどうかだな。引き続き監視と連絡を頼む」

「任せて頂戴な」


 威勢の良い返事をするとメイは急ぎ足で来た道を駆け戻って行く。

 大作が食器を丁寧に洗って乾かしていると今度は百地丹波がやってきた。


「大佐殿、いよいよにございますな。今一度、我らの作りし砦のご検分を賜りとう存じます」

「検分? ああ、最終チェックってことですな。了解です。お園、ほのか、サツキ、藤吉郎! 誰か一緒に来てくれるかなぁ~っ?」

「皆、いろいろと忙しいみたいよ。私も本当は手一杯なんだけど、大佐だけじゃ心配だから付いていってあげるわ」


 お園は苦笑を浮かべると先頭に立って歩き出す。百地丹波と大作は金魚の糞みたいに後ろにくっ付いて行った。

 大門峠へと続く曲がりくねった坂道を暫く進むと急に視界が開ける。視界が開けたのだが……


「何も無いぞ?! 鉄壁の防御陣地はどこに? こんなんで明日は大丈夫なんですか?」

「いやいや、大佐殿。今はまだ隠しておるのです。丸見えでは敵とて用心をば致しましょう。逆茂木や柵もほれ、彼方にございます。塹壕や土塁も下からでは殆ど見えぬようになっておるのです。ささ、彼方へ登ってみられませ」

「そ、そうですか? では、ちょっくら失礼して。って、うわ! これは凄いですね。かなり本格的だ。クルスクの戦いのパックフロントみたいですな」

「彼方が第二陣地。その向こうが第三陣地にございます。此方の連絡通路をお通り下さいませ。彼方に見えまするが百七十間の目印。谷の向こう側の陣とは此処の旗振り通信にて遣り取りをば致します。戦を終えし後は彼方から西に向かって山を越えて諏訪へ逃げる腹積もりにございます。万一、西へ逃れられぬ折は南から大回りして茅野へ逃れる道も用意しておりまする故、ご安堵下さりませ」


 ドヤ顔を浮かべた百地丹波はまるで用意してきた原稿を読むかのように淀みなく説明を続ける。

 だが、余りにも完璧すぎる説明を聞いていると却って不安感が増してくるのは何故なのだろうか。

 きっと例に寄って例の如く、思いも寄らないアクシデントが起こって大失敗する未来しか予想できないんですけど。


 大作は最悪の事態に陥っても自分とお園だけは安全に逃げられるよう、イメージトレーニングに余念が無かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ