巻ノ四百弐拾九 作れ!ドーナツを の巻
「話は良く分かったわ、大佐。取り敢えずはそのドーナツとやらを作ってみましょうよ。何はともあれ食べてみない事には話も始まらないんですもの」
「いやいやいや、何でそうなるんだよ? ちゃんと俺の話を聞いていたのか?」
「何でもへったくれも無いわ! 私が食べたいからに決まってるしょうに! 世界は私を中心に回っているのよ!」
途端に目尻を釣り上げたお園が声を荒げる。開き直ったお園に勝てる奴はいるのだろうか? いや、いない。反語的表現!
大作は方の高さで両の手を掲げると小さくため息をついた。
「そうなると…… この時代にホットケーキミックスなんてあるわけないよな? だったら、一から作らにゃならんぞ。ドライイーストも無けりゃベーキングパウダーも無い。せめて重曹か鹹水でもあればなあ。南極料理人はベーキングパウダーでラーメンを作っていなかったっけ?」
「いなかったっけって言われても知らんわよ。そうは言っても無い物はしょうがないわね。ある物で何とかしなきゃ。パンが無ければケーキを。毒を食らわば皿まで。三つ子の魂百まで!」
大きな瞳をランランと輝かせたお園は甲高い声で雄叫びを上げる。
ちょっとテンションが上がり過ぎなんじゃね? 大作は赤ん坊をあやすように精一杯の優しい声音で話し掛けた。
「あのなあ、お園。無理して格言を言わんでも良いんだぞ。そんじゃあ、まずは小麦、卵、塩が入用だな。それから揚げるのに油と鍋。それに薪とかも必要か。あと、小麦粉を作ろうと思ったら石臼で挽かなきゃならんのか。流石にあんな物は簡単に手に入らんだろうな。どっかでレンタルできんじゃろうか?」
「幸いな事に人手なら有り余っているわ。手分けして集めましょう。百地様や忍びの方々にも合力を願い奉ります。今から紙に書き付ける物を集めて下さりませ」
お園は袂から紙束を取り出すと細い棒切れで素早く文字を書き付けて行く。例に寄って例の如く、大作の目にはミミズが這ったようにしか見えない。
ああ見えて本当は適当にグニャグニャと線を引いているだけだったりしてな。想像した大作は吹き出しそうになったが空気を読んで必死に我慢した。
って言うか、お園が手にしている細い棒みたいな筆記具はいったい何なのだろう。墨を付けていないから筆ではなさそうだ。かといってボールペンの類とも違う。あんな物をいつの間に手に入れていたんだろうか。大作は記憶の糸を必死に手繰り寄せるがさぱ~り重い打線!
「なあなあ、お園。その筆記具は何じゃらほい? そんな物を前から使っていたっけ?」
「あら、大佐。これは鉛筆よ。前に墨屋に行ったでしょう? 材木屋ハウス(虎居)の事をお願いしに行った時よ。その折に話に出たじゃない。アレよ、アレ」
「そ、そうか。そう言えばそんなこともあったっけかな? アレってもう実用化されていたんだな。俺、全然聞いていなかったよ」
お園が差し出してくれた鉛筆を大作は恭し気に受け取ると舐め回すようにつぶさに観察する。軸は四角形でちょっと持ち難い。これは六角形に改良した方が良さげだな。芯はまるで色鉛筆みたいに太い。
試しに少しだけ文字を書いてみると意外と硬めの濃さだ。FとHの中間くらいといったところだろうか。だとするGだな。
大作は一人で勝手に納得すると鉛筆をお園の手に返した。
「これって一本いくらくらいするんだろうな?」
「確か銭一文(税別)だって申されてたわ。まあ、今の世に消費税なんてないんですけど」
「そいつはちょっとばかし高いんじゃね? そんな値段で売れるんじゃろか。まあ、手作業で一本ずつ作ってたらそれくらいの値段になるのもしょうがないか。製造工程を機械化して大量生産しないことには一般庶民には高嶺の花だな」
「その事ならば青左衛門様に何ぞ良い知恵があるみたいよ。何やら大掛かりな絡繰りを作っていらしたわ」
そんな阿呆な話をしている間にも百地丹波は配下の忍びたちに手早く役割分担を決めて行く。続いて忍びたちが兵の連中に細々した指示を与えた。あっという間に人が散り散りに立ち去る。
暫くすると残っていたのは堺以来のオリジナルメンバーだけになってしまった。
「どうやら生き残ったのは俺たちだけらしいな」
「そうみたいね、大佐。それじゃあ、果報は寝て待つとしましょうか。って言っても、こんな昼間から寝たりはしないんですけど」
「別に良いんじゃね? 三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたいって言うだろ?」
「あのねえ、大佐。私は高杉晋作じゃないのよ。何も朝寝をしたいがために三千世界の鴉を殺さなくても良いんじゃないかしら? 動物虐待とか鳥獣保護法とかで捕まるわよ」
必要な食材や機材が集まるまでの間、大作たちには特にすることが無い。手持ち無沙汰な一同は非生産的な無駄口を叩いて無為に時間を潰していた。
日が南の空に高く登るころ、人が次々と戻ってきた。皆が両手に大きな荷物を抱えている。いったいどれほど大量のドーナツを作るつもりなんだろうか。
そうか! またもや芋粥のパターンだな。大作は一人で勝手に納得すると激しい勢いで頷いた。
「まずは小麦を粉にして…… って、既に小麦粉になってますやん。感心感心、ちなみにこれって薄力粉? それとも強力粉かな? 分かりませんか? で、ですよねぇ~っ! んじゃ、水と卵を混ぜたら良く掻き混ぜて……」
「水と卵はどれほどの割合で入れたら良いのかしら? って分かるわけも無いわね。例に寄って例の如く、何パターンか作って試すしかなさそうね」
「あくまでテストだから少量ずつで十分だぞ。失敗作が大量にできても困っちまうからな」
温度計が無いから油の温度も良く分からない。そもそも天ぷら油とは違って荏胡麻油でドーナツなんて揚げられるのだろうか。謎は深まるばかりだ。
とは言え、道具箱にハンマーしか無ければネジ釘だって叩かにゃならん。大作は覚悟を決めてドーナツもどきを煮え滾った油の中に勢い良く放り込んだ。
数刻後、大作と愉快な仲間たちと百人の兵、及び百地丹波と配下の忍びたちは輪になってドーナツもどきの試食会と洒落込んでいた。
「ちょっと硬くて食べ難いけど割かし良い風味ね」
「これくらい確りしていた方が歯ごたえがあって良いんじゃないかしら?」
「某も同じ思いにございます。柔らか過ぎると食べた気がしませぬ故」
意外と評判は悪くないようだ。とは言え、こんな代物がドーナツだと思われるのは心外だなあ。
ドライイーストやベーキングパウダーが無いので生地が膨らんでいない。お陰で出来上がった物はかなり歯ごたえのある代物だ。しかも中心部には火が通っていないらしく生焼けときている。
どげんかして改良せねばならん。大作は無い知恵を振り絞って改良に尽力した。尽力したのだが……
第二世代として出来上がったのは麺類のように細く長く伸ばしたパン生地を短時間でさっと揚げた代物だった。
こんな物がドーナツだなんてちゃんちゃら可笑しいな。大作は鼻で笑い飛ばす。だが、意外や意外。予想外に好意的な評価が返ってきた。
「前に頂いたカロリーメイトと何やら似た食べ心地にございますな」
「なんとも美味ねえ。風味が芳しいわ」
「味はともかく、長靴一杯食べたいわねえ」
皆が口々に好き勝手な感想を言ってくるが大作は馬耳東風とばかりに聞き流す。舌の肥えたこいつらの評価は当てにならん。
それよりも忍びや兵たちの感想の方が遥かに重要だろう。なぜならば、連中の方がこの時代の平均的な味覚に近いはずなのだ。
「如何ですかな百地殿? 大猿殿や小猿殿は? お口に合いましょうや?」
「何とも珍妙なる食べ心地にございますな。じゃが、決して悪うはございませぬぞ」
「いやいや。むしろ、この上ない馳走ではござりますまいか?」
「油を斯様にして用うる料理など、初めて目に致しました。珍しき物を賜り、恐悦至極に存じまする」
お世辞を言っている可能性は無きにしも非ず。とは言え、結局この世は声の大きい奴が勝つと相場が決まっているのだ。
大作は考えるのを止めた。
「では、これをもって我らのドーナツと致します。ただちに大量生産に取り掛かって下さい。ほのかは第一分隊を率いて営業に回ってくれ。ローラー作戦だ」
「ろおらあさくせんね。分かったわ、任せて頂戴な」
ほのかがこれ以上はないドヤ顔を浮かべて大きく胸を張る。だけども、本当に分かっているんだろうか。甚だ疑問ではあるが考えてもしょうがない。所詮は他人事だ。
「サツキは広報担当。第二分隊と行動を共にせよ。メイは仕入れ担当。第三分隊の指揮を頼む。藤吉郎はマスコミ対策だ。第四分隊を使え。お園は第五分隊と一緒に肝心要のドーナツ製造だ。最も重要な任務だから心して掛かれ。以上、何か質問は?」
大作は軽く顎をしゃくって一同の顔を見回す。だが、返ってきたのは予想外に冷たく凍りついた視線だった。
「ねえ、大佐。大佐はいったい何をするのかしら?」
「お、俺か? 俺は…… 食べる人だ。試食? 検品? 学校給食だって生徒より先に校長先生が毒見をするだろ。アレと一緒だよ」
「するだろって言われても知らんわよ! とは言え、製品検査とて大事なるお役目よねえ。分かったわ。それじゃあ皆様方、レッツラゴー!」
「「「れっつらごぉ~っ!!!」」」
皆が揃って雄叫びを上げ、蜘蛛の子を散らすように一斉に動き出す。
これはもう駄目かも分からんな。大作はまるで他人事のように覚めた目で見送っていた。
大作たちが下諏訪の地で始めたドーナツ販売事業はお世辞にも好調な滑り出しとは言い難かった。
初週の売り上げは販売目標の三割にも届かない。お陰で一同は朝昼晩の三食を毎日毎日ドーナツで過ごす羽目になった。
「確かに長靴一杯食べたいとは言ったけど、こうも毎日ドーナツばかりじゃ飽き飽きしちゃうわね」
「健康面で悪影響は無いのかしら? まさかとは思うけど、揚げ物に使う油にトランス脂肪酸とか含まれていないでしょうね?」
「きっと栄養バランスとか何かで問題があるはずよ。必須栄養素で足りていない物がないかどうか調べた方が良いかも知れんわよ、大佐」
「それだ、閃いた!」
蛙の目玉、蛇の舌、イモリの尻尾、蝙蝠の羽、蜘蛛の足、梟の巣…… 大作はドーナツの原材料に手当たり次第に適当な物をぶち込んで行く。
「いったい何なのよ、大佐。この気持ち悪い物は?」
「健康ドーナツだよ。朝昼晩に一個ずつ食べるだけで一日に必要なビタミン、ミネラル等を接種することができるんだ。こいつさえあれば人類はもう二度と脚気や壊血病の恐怖に怯える必要は無いんだ。人々の健康を画期的に改善し、健康寿命を飛躍的に伸ばすことのできる偉大な発明だぞ。こりゃあ、ノーベル医学生理学賞も夢じゃないな」
「そ、そう。良かったわね……」
お園は例に寄って例の如く、レイの名セリフで応えてくれた。
再起を期して売り出した健康ドーナツであったが、現実という壁は想像以上に厳しかった。
初日こそ大々的な宣伝の効果で過去最高の売り上げを見せる。だが、翌日からは早くも販売数量が下降線を辿った。
どげんかせんと、どげんかせんといかん。
資金繰りが怪しくなってきた大作は起死回生の一発逆転を狙って販促に注力した。
まずは女性陣を総動員して参道を練り歩きながら美味しそうにドーナツを食べさせる。
二之鳥居の前に陣取って神社から出てくる人に無料サンプルを配る。
サクラを使ってドーナツ売り場に長い行列を作らせたりもした。
こういった涙ぐましい販促活動のどれが切っ掛けだったのかは定かではない。だが、二週目の終わりごろには売り上げが持ち直してくる。
流れが変わったのは三週目の半ばだった。不意にブームが訪れ、突如として売り上げが数倍にも増えたのだ。
捌き切れないほどの注文が殺到し、製造現場は悲鳴を上げる。
下諏訪に四店舗目がオープンし、上諏訪にも出店が決まった。
「ははぁ~ん、分かったぞ。これって久々に見る夢オチだな。もうすぐ突如として侍がやってきて白刃が煌めくっていう定番の展開だろ? お園、覚悟しておけよ」
「はぁ? 夢ですって? 寝言は寝て言って頂戴な、大佐。ところがどっこい現実です! って言うか、今しがた忍びから文が届いたわよ。村上義清と高梨政頼が和睦して埴科郡寺尾城を攻めてるらしいわ。今日は九月二十三日だから史実の通りに進んでいるみたいね」
「な、な、な、なんだってぇ~っ! 『夢だけど、夢じゃなかった』ってか?! 砥石城の戦いが始まるまでの一月を俺たちはドーナツを売って過ごしていたって言うのかよ? マジで?」
「マジもマジの大マジよ。武田方が砥石城の戦いで敗れるまであと八日だわ。丁度良い頃合いね。ドーナツビジネスを畳んで移動を開始しましょう」
お園は有無を言わせぬ勢いでピシャリと言い切る。
何一つとして代案を思いつけない大作は黙って従うことしかできなかった。




