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巻ノ四百弐拾七 八月二十五日では過ぎる の巻

 塩尻峠を越えて諏訪の地に辿り着いた大作たちは先行していた百人の兵たちと無事に合流を果たした。

 下社春宮大門にある二之鳥居の脇で綺麗に整列して点呼を取る。幸いなことに誰一人として欠員はいないようだ。大作はほっと安堵の胸を撫で下ろす。


「えぇ~っと…… 皆さん長旅お疲れ様でした。我々の目的地である砥石城はここからあと十里ほどの所にあります。ここまでくれば目と鼻の先ですので戦の前に休養を取りましょう。明日は自由行動と致しますので諏訪神社を詣でるなり寝て過ごすなりご随意になされませ。些少ですが寸志をお配りしますので空に浮かぶ自由な雲のように羽を伸ばして下さい。但し、明後日の日の出にはここへ戻ってくること。もし戻らぬ場合は脱走と見做し、日当はお支払いできませんので悪しからずご了承下さい。では、これは僅かだが心ばかりのお礼だ。受け取ってくれたまえ……」


 そんな阿呆な話をしながら大作は一人ひとりの兵に銭百文が連なった銭差しを惜しげもなく配って行く。

 中国大返しの時の秀吉も決戦前に気前よく恩賞をばら撒いたんだそうな。これくらいで兵のモチベーションが上がるなら安いものだろう。

 ズラリと雁首を揃えた兵たちはちょっと怪訝な顔をしながらも恭し気に銭を受け取ると懐や袂へ仕舞い込んだ。


「では、これにて解散。調子に乗って羽目を外さないよう気を付けて下さいね」

「……」


 途端に蜘蛛の子を散らすように兵たちが走り去った。

 こいつら本当に戻ってくるんだろうか? 大作の胸中に漠然とした不安感が首を擡げる。

 とは言え、所詮は他人事だ。その時はその時。ケセラセラ、なるようになる。大作は考えるのを止めた。




 皆が立ち去った後、残った面々は下諏訪を適当にぶらついて時間を潰した。

 下馬橋を渡って手水舎で手を洗い口を漱ぐ。諏訪大社下社春宮の二之鳥居を潜り参道の端っこを歩く。

 狛犬や結びの杉の前で記念写真を撮る。念のため、子安社にもお参りして安産を祈願した。

 ちなみに、ここの柄杓は底が抜けている。その理由は水が通り易いようにお産も楽に済むようにという願いを込めて奉納されたんだそうな。


「こんなのでお産が楽になったらお産婆さんも苦労しないわよ」

「マジレス禁止。おまじないや占いみたいな物をいちいち本気にしてもしょうがないよ」

「それにしたって底が抜けた柄杓でお産が楽になるだなんて…… うぅ~ん」


 いったい何がお園の逆鱗に触れてしまったのだろうか。こうなったらもう関わらんのが吉だな。大作は考えるのを止めた。




 神楽殿、三之御柱、四之御柱、エトセトラエトセトラ…… 一同は時の経つのも忘れて遊び呆ける。

 だが、光陰矢の如し。楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまうもの。やがて日が西の空へ傾いてくる。

 大作たちは下社春宮の宿坊に転がり込んだ。


 下働きと思しき初老のおっちゃんは三十畳くらいありそうな板葺の大広間へ案内してくれた。

 部屋には既に十数人の先住者がいらっしゃる。と思いきや、雁首を揃えている顔ぶれは殆どが見知った顔。ついさっきまで一緒にいた伊賀の兵たちだ。


「いやいや、皆さん。こんな所でお会いするとは奇遇ですなあ」

「さ、左様にございますな……」

「まあまあ、そんな隅っこに固まらずこっちにお出で下さりませ。気心の知れた者同士、仲良くやりましょうよ」

「か、畏まりましてございます……」


 兵たちは迷惑そうな顔を微塵も隠そうとしていない。漸く得た自由時間を潰されるのは真っ平御免とでも思っているのだろうか。

 とは言え、他者への共感能力に致命的な欠陥を抱えている大作にとって、これくらいのことは火もまた涼し。飛んで火に入る夏の虫とばかりにグイグイと距離を詰めて行く。

 あっと言う間に伊賀の兵たちはコーナーポストに追い詰められたボクサーみたいに座敷の隅っこに押し込められてしまった。


 しかし、好事魔多し。大作が内心で『勝ったな!』とガッツポーズを決めた瞬間、座敷の襖が静かに開いて膳に乗った料理が運ばれてきた。

 ゴングに救われるとは正にこのことか。一同は有り難く夕餉を頂くこととなった。




 メニューは比較的質素で素朴な物でしかない。だが、長い船旅と野宿でマトモな食事に飢えていた大作たちに取っては五つ星レストランの豪華料理にも匹敵するご馳走に思えた。

 玄米だけれども炊きたてホカホカのご飯、美味しゅうございました。諏訪湖で獲ったと思われるワカサギの塩焼き、美味しゅうございました。得体の知れない野菜のお浸し、美味しゅうございました。大作はもう走れません……

 全てのメニューを平らげた一同はほうじ茶を飲みながら寛ぐ。大作はぼぉ~っと天井を見上げながら誰に言うとでもなく話し始めた。


「いよいよ砥石城まで十里ほどだな。明日はどうしようかな……」

「あら、呆れた。大佐ったら真に何も考えないでここまで来たって言うの?」


 心底から驚いたといった顔のメイが鋭い突っ込みを入れてくれた。

 良かったぁ~っ…… もし、誰も突っ込んでくれなかったらどうしようかと思っていたのだ。大作は内心で感謝感激しながらも余裕のポーカーチェイスで相槌を打つ。


「いやいや、計画はたくさん考えてあったんだぞ。それこそプランナインからプランゼットまで多種多様にな。だけども現地到着が何月何日になるかは道路事情とか皆の体調とか色々とあるだろ? それによって余裕日数が変わってくるから必然的に取れる選択肢も変わってくる。現地の状況だって行ってみないと分からんしな。だから最適解というのはその都度その都度で再検討が必要なんだよ」

「ふぅ~ん。んで? 現時点で最も良いと思うのは如何なる策なのかしら? 言ってみなさいな、大佐。笑わないで聞いてあげるから」

「いや、あの、その…… どこから湧いてくるんだ? その、上から目線は?」


 流石にカチンときた大作は少しだけ語気を荒らげて問い返す。問い返したのだが……


「何処からって言われても…… そんなの私、知らんわよ。とにもかくにも早く言いなさいな、大佐。Hurry up! Be quick!」


 こちゃあマトモに相手をするのも阿呆らしいな。大作は早くも諦めの境地に陥ってしまった。


「そ、それじゃあ発表するよ。砥石城は目の前だとは言え、その途上には中仙道でも最大の難所と言われる和田峠が控えている。その標高はなんと千五百三十一メートルにも達するそうな。ちなみにここは有名な黒曜石の産出地だ。縄文時代には大量に採掘されてたらしいな。一番遠い所だと直線で六百五十キロも離れた北海道木古内村で発掘された(やじり)が和田峠産の物だったそうな。ちなみに元治元年(1864)の和田峠の戦で水戸の天狗党が高島藩と松本藩の連合軍を破ったのもここだな。そうそう、そう言えば……」

「あのねえ、大佐。今はお婆ちゃんの豆知識は結構よ。もっと時にゆとりのある折にして頂戴な。今はただ、話を先に勧めて貰えるかしら?」

「はいはい、いま進めようと思ったのに言うんだもんなぁ~っ! んで、何の話だっけ? そうそう、今後のプランだったな。今日は二十五日だったっけ。これって確か晴信の所に『村上義清と高梨政頼が和睦。共同で埴科郡寺尾城を攻撃中』とかいう清野氏からの文が届く日だよな。朝方にそれを読んだ晴信は焦って真田幸隆や勝沼信元を清野氏への援軍として派兵するんだ」

「それはさぞや慌てたことでしょうねえ。ただでさえ砥石城を攻めあぐねていたかと思ったら、いつ後ろを突かれるか分からなくなったんですもの」


 ほのかが横から分かったような顔で口を挟んでくる。だが、本当に話を理解しているんだろうか。実は適当に相槌を打ってるだけだったりしてな。大作は皆の理解度を確認しようと話を少しだけ膨らませることにした。


「年表によれば真田幸隆は二十八日の夜に帰還したそうな。そこで晴信は村上と高梨の連合軍が寺尾城から撤退したことを知らされる。だが、数千もの軍勢は素早く動けない。三十日になって漸く晴信は軍議を開いて砥石城からの撤退を検討し始める」

「まる一日の間、いったい何をしていたのかしら?」

「昔は…… って言うか、この時代は兵を動かしたり戦を始めたりするにも軍師が吉凶を占ってたりしたんじゃないのかな? 知らんけど! とにもかくにも翌十月一日の夜明けを待って撤退を開始。ところが村上方はすぐに気が付いて追撃戦を仕掛けてくる。世の中の大抵の戦は撤退中に背後を襲われた側が大損害を出すと相場が決まっててな。今回も御多分に漏れず武田方が大損害を被るんだ。命からがら何とか逃げ延びた武田の敗残兵は望月の古地で宿営。その日は夜通し雨が降っていたらしい。雨が降ると火縄銃の運用が難しくなるな。まあ、我々は雨対策もばっちりしてあるから心配は要らんけどな」

「ふぅ~ん、それで? 大佐はいったい何処でどうやって晴信を討つつもりなのかしら?」

「候補地は幾つかあるけどベストと思われるのはここかな。晴信は翌二日に大門峠から諏訪に入って湯川(茅野市)に着くって書いてあるだろ。地図で見た感じでは狭くて真っ直ぐな峠道だ。バリケードで道を塞ぎ、左右の高台に陣を敷いて遠距離から銃撃。退路にも伏兵を置いて十字砲火を掛ける。最低レベルまで士気が低下した敗残兵なんて為す術もなく一方的に虐殺できるんじゃね? wktkが止まらんな。夢が広がリング!」


 有頂天になった大作はスマホから視線を上げると一同の顔をぐるりと見回す。見回したのだが……


 退屈そうに横を向いているほのか。小声で無駄話に興じているサツキとメイ。自分のスマホ画面に目を落とすお園。眠そうな顔で虚ろな目をしている藤吉郎……

 誰一人として真面目に聞いていないんですけど! 大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。


 と思いきや、捨てる神あれば拾う神あり。大猿と小猿の凸凹忍びコンビがちょっと遠慮がちな顔で声を上げた。


「恐れ入りますが大佐様」

「先ほど、十月一日ともうされましたな?」


 そ、そんなこと言ったかなあ? 大作はスマホの画面に視線を落として確認する。


「あぁ~あ…… 確かに書いてありますな。十月一日の夜明けを待って撤退開始と。それが如何致しましたかな?」

「今日は八月二十五日ではござりますまいか? もし大門峠とやらで敵を待ち伏せするとして、一月余りの間を如何にしてお過ごしになられるおつもりにございましょうや?」

「……」


『まるまる一ヶ月も間違えていたぁ~っ!』


 大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。

 ゆっくり立ち上がると部屋の隅に置いてあった筵に包まって横になる。


「明日のことは明日に考えよう。ケセラセラ、なるようになるさ。んじゃ、お休み!」


 大作は考えるのを止めた。


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