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巻ノ四百弐拾六 急がば回れ、塩尻峠 の巻

 砥石城を目指して中仙道を進む大作と愉快な仲間たちの旅もいよいよ終盤に差し掛かってきた。

 一同は塩尻の中心部を突っ切るように東南東へと歩いて行く。山奥の片田舎にしては妙に大きな村を通り過ぎ、道の周囲には再び田園地帯が広がり始める。

 そんな一方でお園は相も変わらず二人の若い忍びを相手に独演会を繰り広げていた。


「ここまでは宜しゅうございますか? 大猿殿、小猿殿。大統一理論においてはクォークとレプトンは同じ粒子の異なった状態だと考えられておるのです。インフレーションの折に相転移で分化した此れらは互いに変換する事が叶うそうな。陽子の中のクォークがレプトンへと変じればバリオン数が保てぬ故、陽子が崩壊いたします。然れども陽子の寿命は途方もなく永うござりますればクォークからレプトンへと変じる事は真に稀なる事にござりましょう。とは申せ、モノポールはインフレーションが起こる前、クォークとレプトンが分かれる折の空間の位相欠陥にございます。其処においてはクォークとレプトンは分化する事も叶わず、分かれる前の粒子に戻ってしまいましょう。故に通常空間に戻りし粒子はクォーク、レプトンの何方にも変われる筈。陽子や中性子のクォークはモノポールの磁力に寄って引き寄せられ、レプトンへと変ずる折に陽子が崩壊いたすのでございます」

「うぅ~む…… モノポールその物はクォークを変化せしめただけの事。其れならば此れを触媒に見ててる事も叶いまするな」


 大猿が心底から関心したといった顔で分かったような分からんような相槌を打つ。だが、本当に話を理解できているんだろうか。適当に返事をしているだけだったりしてな。大作は吹き出しそうになったが空気を呼んで必死に我慢する。

 上機嫌のお園はにっこり笑うと話を纏めに掛かった。


「左様にございます。此れをお考えになったお方の名前を取りてルバコフ効果と申すそうにございます。然れどもモノポールを見付けた者は未だに一人としておりませぬ。あの、スーパーカミオカンデにおいても大統一理論を証明する為の一環としてモノポールを探しておられるそうな」


 そんな阿呆な話をしている間にも一同は上の山城を横目に通り過ぎる。田川を渡って歩いて行くと石塔群があったので傍らで小休止した。

 暫しの後、歩みを再開するとすぐに永井坂の首塚と胴塚が見えてきた。


「こいつは一昨年に塩尻峠であった武田と小笠原の戦における死者を弔った物らしいな。武田の連中は首狩り族みたいに首だけ刈って胴体を放って帰ったそうな。んで、困り果てた村人たちが処理する羽目になっちまったんだとか」

「ふぅ~ん。それで? いったいどれほどの方がお亡くなりになったのかしら?」

「Wikipediaによると小笠原方は千人くらいの戦死者を出して総崩れだったみたいだな。動員兵力では小笠原のほうが勝っていたらしい。でも、そのせいで完全に油断していたんだとさ。作戦行動中にも関わらず何の警戒もしていなかったそうな。んで、何の警戒もせずにぐっすり寝ていたら朝の六時に奇襲を受けて一方的に虐殺されたとさ。めでたしめでたし…… 本当に阿呆みたいな話しだろ?」

「どうして歩哨くらい立てなかったのかしら? 私、その故が気になるわ。小さな事が気になってしまう。私の悪い癖なのよ」


 お園が小首を傾げて挑発的な笑みを浮かべる。これは真面目に相手をせねばならんのか? 大作は答えを求めてスマホを弄る。


「たぶんだけど慢心、環境の違いなんだろうな。同じ年の二月に小県郡上田原の戦いで村上義清が武田方の板垣信方と甘利虎泰を討ち取っている。村上方も損害は出しているけど重臣を二人も失った武田方の実質的敗北といえるだろう。晴信の代に代わって初の敗北に動揺した信濃の国人衆は挙って村上や小笠原に付く。諏訪でも西方衆が反乱を起こす。武田による信濃支配が揺らぎかけていたんだ。きっと小笠原にも根拠の無い楽観主義が蔓延していたんだろうな」

「だからって小笠原は仮にも信濃国の守護なのよ。どうしてそんなに差がついちゃったのかしらねえ。そんなんだから小笠原って滅びちゃったんだわ」

「いやいやいや! 滅びてない、滅びてない、滅びていませんから! つい先月には本拠の林城も失って手酷い没落をするんだけど、そこらか奇跡の復活劇が始まるんだよ。なんてったって家康の時代には信濃松本八万石へ復帰できたんだもん。守護大名が完全に領地を失ってから本領復帰って滅多に無いことじゃね? とは言え、小笠原長時は家臣の嫁さんにセクハラして逆ギレされ、側室や娘三人とセットで斬り殺されるという最低最悪の死に方をするんだけどな。きっとマジモンの糞馬鹿野郎だったんじゃね? 知らんけど!」


 一同が小笠原長時の悪口大会で盛り上がっている間にも山道は少しずつ厳しさを増して行く。

 ちなみに小和田哲男先生の最近の研究によれば『塩尻峠の戦』は実際には塩尻峠から少し南になる勝弦峠で起こったのではないかとされているらしい。


 こうそうする間にもいよいよ塩尻峠が間近に迫ってきたようだ。ここを越えれば待ちに待った諏訪に入る。

 まだ日は高いが日没までに辿り着けるのだろうか。一同はペース配分に気を払いながら先を急ぐ。


「がぁ~んだな…… 今さらだけどショッキングな情報が見つかったぞ。江戸に幕府が開かれたころの中仙道は木曽の贄川から桜沢、牛首峠を越えて小野宿で三州街道に繋がっていたそうな。そこから小野峠を越えて尾根伝いに岡谷に抜けて下諏訪に出るらしい。戦国以前の東山道に沿っていたそうだ。俺たちが今から向かう塩尻峠を通るようになったのは慶長十九年(1614)なんだとさ」

「それってつまり…… どゆこと?」


 相変わらずの阿呆面を浮かべたほのかが小首を傾げながら間の抜けた相槌を返してくる。

 だが、それをガン無視するかのようにお園が言葉を継いだ。


「要するに随分と遠回りをするって事じゃないかしら? もし其の道を通っていたら今頃は諏訪に着いてたんじゃないでしょうねえ?」

「いやいやいや。そりゃあ遠回りと言えば遠回りなんだろうけどさ。でも、新たに作られたってことは元々の道は物凄く険しかったはずだろ? そうでもなきゃ遠回りの街道を手間暇を掛けて作るわけが無いじゃんかよ」


 お園は今一つ釈然としない顔をしている。だが、それ以上は文句を言うつもりも無いらしい。そもそも、あと数キロで諏訪という状況で引き返すわけにもいかないのだ。


 刺々しい空気をちょっとでも和らげようとでも思ったのだろうか。ほのかがちょっと遠慮がちに口を開いた。


「まあ、アレよアレ。急がば回れって言うでしょう、お園」

「瀬田の唐橋でもそんな事を言ってたわよねえ」

「あの時は回り道をした方が良かったじゃないの。そうでしょう、お園?」

「某も左様に存じまする」


 話の流れに乗っかるようにほのか、サツキ、メイ、藤吉郎が我先にと口を挟んでくる。

 だが、ほんの僅かな違和感を覚えた大作は素早く反論した。


「ダウト! 藤吉郎、あの時のお前はお留守番組だったはずだぞ。瀬田の唐橋を渡ってはいないはずだ。違うか?」

「いやいや、大佐。某はその場におりましたぞ。瀬田の唐橋と申すは見事なる形の擬宝珠があった橋の事にござりましょう? 手前と奥の二つが最も見事となる擬宝珠にございましたな。確とこの目で見た覚えがございますぞ?」

「ふふふ…… 良く騙されなかったな、藤吉郎。フェイントに引っ掛からないとは見事な冷静さだ」

「大佐こそ流石にございます。負うた子に教えられとは此の事にございますな」

「いやいやいや! 何時お前に負われたんだよ!」


 一同がどっと大爆笑する様を藤吉郎が満足そうに見回している。

 こいつ、自らを犠牲にして笑いを取りに行きやがったな。大作は藤吉郎のお笑い評価を一ポイント引き上げた。




 そうこうしている間にも進めば進むほど、どんどん道が悪くなってくる。お仕舞にはとうとう獣道のような惨状になってしまった。

 とは言え、大勢で踏み均した跡があるのでこの道で間違いはないのだろう。恐らく先行した百人の兵たちもこの道を通ったはずだ。

 鬱蒼と生い茂った森の中をひたすら登ること小一時間。坂が徐々になだらかになってきたかと思う間もなく視界がぱっと開けた。


「八ヶ岳、諏訪湖、諏訪の町並みが一望できるぞ。見ろ! 人がゴミのようだ!」

「大佐、遠すぎて人なんか見えないわよ?」

「マジレス禁止! 後は坂道をちょいと下れば諏訪に到着だ。久々にマトモな所に泊まってちゃんとした飯が食えそうだな。諏訪湖と言えばワカサギとかかな?」

「そうねえ。もう八月も終わりだから釣れるんじゃないかしら。知らんけど!」

「知らんのかよ! まあ、俺も知らんけどな! あはははは……」


 思っていたよりも随分と急な坂道を降りって行くと暫くして黒々とした岩が道端に鎮座ましましていた。


「これがかの有名な塩尻峠の大岩らしいな。ほれ、google MAPにも載ってるぞ」

「大岩って言う割には小さいんじゃないかしら?」」

「いやいや、お園の背丈よりも大きいぞ。取り敢えずは記念写真でも撮っとこう。ほれ、みんな岩の周りに並ぶんだ。大猿、小猿。お前らもこっちさこい!」


 怪訝な顔の凸凹忍びコンビも交えて全員が撮影タイムに挑む。

 そんなことをしている間にも日は徐々に西の空へと傾いて行った。


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