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巻ノ四百弐拾伍 善光寺は燃えているか? の巻

 中仙道を一路、北へと向かっていた大作たちはとうとう塩尻の地に足を踏み入れた。

 この辺りは既に武田の勢力圏内と言える。極力、目立つ行動は避けた方が吉だろう。

 大作は兵たちに小休止を取らせると幹部を招集した。


「ここからは敵地での行動となります。故に我らが武田に害を及ぼす存在だと悟られてはなりませぬ。事前の打ち合わせ通り小部隊に分散し、諏訪への巡礼を装います」

「心得ましてございます。物見に遣った忍びの見立てによれば武田の兵は皆、砥石城を攻めに参っておる様子。然程の数は残っておりますまい。とは申せ、用心に越した事はございませぬ」


 百地丹波は手にした紙切れに視線を落とすとニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 大作は首を伸ばして紙面を覗き見る。除き見たのだが…… 例に寄って例の如く、ミミズののたくったような字は読むことはできない。


 短い休憩を終えると早速にも行動を再開させた。十人くらいのグループに分かれて数分間隔で送り出す。

 百人を超える大集団が徐々に人数を減らして行く。その様子は正に盛者必衰と言わんばかりだ。

 こういう芋粥とは逆のパターンも偶には趣があって良いもんだなあ。大作は柄にもなくセンチメンタルな気持ちになってしまう。

 とうとう残り人数が十数人にまで減ったところで百地丹波が遠慮がちな顔で話し掛けてくる。


「では、大佐殿。一足お先に参ります。念の為、腕の立つ忍びを二人ばかり大佐殿のお手元に残します故、物見なり伝手なりにお使い下さりませ。大猿、小猿。此れより大佐殿の命に従え」

「「承知仕りました!」


 ニンジャマスターと入れ替わりで二人の男が風の様に颯爽と現れる。

 年齢は大作より少し若いくらいだろうか。背は大作より少し低いが妙にひょろっとして手足が蜘蛛みたいに長い。失礼ながら顔の方は見事なばかりの猿顔をしていらっしゃる。


 外見はともかく、腕が立つだなんて言われてたけど本当に当てにして大丈夫なんだろうか。

 大作は腫れ物に触るように慎重に言葉を選んで話し掛ける。


「えぇ~っと…… やっぱ、大きい方が大猿さんで小さい方が小猿さんですかな?」

「へい、作用で」

「儂ら二人は一つ腹の弟兄(おととい)にございます」

「弟兄? 兄弟じゃなくって? 小さなことが気になってしまう。僕の悪い癖でして」


 聞き慣れない言葉に大作が秒で食い付く。だが、その疑問はお園の手によって立ち所に氷解した。


「あのねえ、大佐。一つ腹っていうのは同胞(はらから)ってことよ。(おとと)で『おととい』って言うの。ここ、試験に出るから覚えておいた方が良いわね」

「へぇ! へぇ! へぇ! おいら、また一つ賢くなっちゃったよ。んじゃ、俺たちもそろそろ行くとしやしょうか。レッツラゴォ~ッ!」


 一つ前のグループの姿が小さくなったのを確認した大作は出発を宣言した。

 左右に田畑を見ながら暫く進んで行くと道が左右に分かれている。年代物と思しき道祖神がぽつねんと佇んでいた。


「ここが善光寺街道と中仙道の分去(わかさ)れみたいだな。左へ行けば善光寺に行けるはずだぞ」

「善光寺って今はどうなっているのかしら? 聞いた話じゃ戦で何編も焼けたり建て直したりしたそうだけれど」

「今は普通に建ってるんじゃね? ただし、Wikipediaによれば五年後の天文二十四年(1555)には武田信玄が善光寺を甲府に移転しちまうそうだけど」

「いてん?」


 ほのかが口をぽか~んと開けて呆けた顔をする。毎度のことながら相も変わらず見事なばかりの阿呆面だ。


「あのなあ、ほのか。確かに俺は知らないことは何でも聞けと言ったぞ。言いはしたけどなあ…… もう少しこう何というか手心というか…… ちょっとは自分の頭も使ってくれよ。使わんと勿体ないだろ? それに頭っていうものは使えば使うほど良くなっていく物なんだからな」

「そ、そうなんだ。だけども私『いてん』なんて見た事も聞いた事も無いんですもの。下手な考え休むに似たり。幾ら考えたって分りっこないわよ」

「だったらせめて『どんな字を書くの?』とか聞いてくれよ。『いてん?』なんて聞き方だと阿呆丸出しみたいじゃんかよ」

「ふぅ~ん。じゃあ、どんな字を書くの?」


 ああ言えばこう言うとはこのことか。大作のやる気がモリモリと失せて行く」

 だが、ここは乗りかかった船だ。話の結論だけはきっちり付けておかねばならん。

 大作はバックパックからタカラトミーのせんせいを取り出すと下手糞な字で『移転』と書いて掲げる。

 だが、反応は思いも寄らない方向から返ってきた。


「大佐様。その珍妙なる板切れはいったい如何なる絡繰にござりましょうや?」

「斯様に不可思議な物は初めて拝見仕りました」


 流石は忍びの端くれという奴なんだろうか。大猿と小猿が物珍しい物に目敏く食い付いてくる。

 とは言え、こういう時は先入れ先出し法に従うのが世の道理だろう。大作は先のほのかの疑問を片付けるべく振り返る。


「Wait a mitute! 移っていう字は『うつる』って意味だな。場所や位置が変わったり、動いたりすることを言う。んで『転』っていう字は転がるとか回るって意味だけれども、位置を変えるって

意味もあるんだ。『転居』とか『転進』とか言うだろ?」


「言うだろって言われても私は知らんわよ。だけども移転って言葉の分かったわ。要は家渡(やわた)りって事なんでしょう?」

「やわたり?」

「あのねえ、大佐。聞けば何でも答えが返ってくると思わないで頂戴な。ちょっとは自分の頭で考えた方が良いわよ」


 こりゃあ一本取られたなあ。大作は照れ隠しに卑屈な笑みを浮かべることしかできない。


「いや、あの、その…… とにもかくにも善光寺は一時、甲府に引っ越す。って言うか強制移住させられる。先祖伝来の土地を追われたネイティブアメリカンみたいにな。だけども武田だってそのうち滅びちゃう。んで、その後は織田が本尊を美濃国とかに持ってっちまうんだ。まあ、ナチスの美術品強奪みたいな感じだな。その本尊も結局は徳川家康の手を経由して甲府へ返還される。ばんざぁ~い! ばんざぁ~い! 大英博物館やルーブル美術館の盗品も早く返還されれば良いのになあ」

「此度、晴信を討つ事さえ叶えば其れも要らぬ憂いね。そうなったら善光寺は移転せずに済むんでしょう?」

「どうなんだろな? この地を支配した誰かが自分の領国に移転する可能性は依然として残されている気もするけど。まあ、それをいま考えたってしょうがないよ。ケセラセラ、なるようになる。先のことなんか分りっこないんだし」

「そ、それはそうだけれど……」


 これにて一件落着! 大作はほのかの戯言を心の中のシュレッダーに放り込むと大猿と小猿の凸凹コンビの方を振り返った。


「さて、大猿殿と小猿殿。この板切れはタカラトミーのせんせいと申します。板の内側に封じ込められた磁石の粉をこうやって磁石の棒で引き付けて字や絵を描く絡繰にございます。さあさあ、お手に取って試してみられませ。どうぞ、どうぞ」

「おお! さても面妖な!」

「じしゃくと申されましたな? 其れは如何なる物にございましょうや? いま少し詳らかにお聞かせ下さりませ」

「じ、磁石ですか? えぇ~っと……」


 答えに窮した大作を哀れに思ったのだろうか。例に寄って例の如く、頼んでもいないのにお園が助け舟を出してくれた。


「大猿殿、小猿殿。磁石と申すは二つの極を有し、双極性の磁場を発生させうる物の事にございます。鉄、コバルト、ニッケル、ガドリニウムといった強磁性体を引き寄せる事が叶います。他にも正方晶のルテニウムは強磁性を示すそうにございますな。例えば鉄は二十六個の電子を持っておりますが3D軌道を占有する六個の電子のうち四個のスピンは対を組む相手がおりませぬ。しかもこれらの電子は同じ向きを向いておりますが故に……」


 お園の独演会を拝聴しながら大作と愉快な仲間たちはひたすら道を歩き続ける。

 塩尻の田園地帯を突っ切る中仙道は徐々に右へと向きを変えていた。


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