巻ノ四百弐拾参 進め!一日中山道を の巻
一夜が明けて天文十九年八月二十三日。大急ぎで朝餉を済ませた一同は今日も今日とて木曽川に沿って中仙道を一路北上する。
川に沿って歩くだけなので昨日に比べれば道程は平坦そのものだ。お陰で非常に楽に歩いて行くことができる。
ただ、見事なまでに何も無い山の中だ。とは言え、途中途中のちょっとした平地にへばりつくように集落が点在していたりもする。
神明神社の大杉の下で小休止を取った後、暫く進むと今までの物よりも随分と大きな集落が姿を現した。どうやらここが上松という土地のようだ。
「ここには縄文時代から割りかし大きな村があったみたいだな。吉野地区ってところに遺跡があるそうだぞ。他にも木曽川に沿った集落で縄文から弥生時代にかけての土器や石器が色々と出土しているんだとさ。良かったら後で見学してみるか?」
「じょうもんじだい?」
ほのかが小首を傾げて口をぽかぁ~んと開ける。
「気になるのはそこかよぉ~っ! 縄文っていうのはこういう字を書くんだよ。縄の文様って意味だな」
「ふぅ~ん、そうなんだぁ~っ…… 変なの!(笑)」
いったい何が壺に嵌ったのだろうか。ほのかが暫しの間、腹を抱えて大爆笑した。
笑いが自然に引くのを大作は辛抱強く待ってから話を再開させる。
「ちなみに中仙道よりずっと昔から木曽古道っていうのがあったらしいな。『続日本紀』には大宝二年(702)の岐蘇山道とか和銅六年(713)の吉蘇路が出てくるらしい。詳しいことは分からんが東国から防人を九州へ送るための道だったのかも知れん。とにもかくにも、木曽駒ヶ岳を中央アルプス沿いに南北に抜ける街道のうち何キロかが上松町を通っていたそうな」
「まあ、こんな所でも山を越えて歩くよりかはずっと楽ですものねえ」
「ところで話は全然変わるけど、有賀さつきが『旧中山道』を『1日中山道』って読み間違えたっていうのは都市伝説らしいな。実際には『きゅうちゅうさんどう』って読んだんだとか」
「それって聖徳太子を『せいとくぶとこ』って読んだり天照大神を『てんてるだいじん』って読むような物よね。どうせ読むなら『1日中山道』の方がよっぽど楽し気だわ」
「ですよねぇ~っ!」
一同はそこそこ立派な建物が立ち並ぶ大通りを歩いて行く。暫く進むと山奥の片田舎にしては立派といっても差し支えない程度のお屋敷が発っていた。この大きさならギリギリで御殿と呼んでも恥ずかしくないレベルだろうか。
「この辺り一帯を支配する木曽一族は上松に住んでるらしいな。あと、荻原には遠山主水とかいう家来が住んでるんだとさ。いや、だからといって何ということも無いんだけどな」
「それで、その木曽氏ってお方はこの後、どうなるのかしら?」
「確か連中は四年後に武田氏に降ったはずだ。んで、信玄の三女を嫡男の嫁に娶って御一門衆として遇される。ところが武田の将来が明るくないと悟ったんだろうな。天正十年(1582)に織田信長の誘いに乗って裏切るんだ。これが切っ掛けで甲州征伐が始まり、武田はあっけなく滅亡する。ばんざぁ~い! ばんざぁ~い!」
「だけども、大佐。此度の戦で私たちが首尾よく晴信を討ち果たせば武田の勢いは弱まるでしょうから木曽氏がどうなるかも分からんわね」
「うぅ~ん、そうかも知れんな。そうじゃないかも知らんけど。まあ、木曽氏は基本的には木曽谷に籠もって外には出てこんじゃろうから放って置いても害はなかろう。触らぬ神に祟りなしって奴だな」
そんな阿呆な話をしながら木曽川に沿って道なりに歩いて行く。道なりに歩いて行ったのだが……
暫く進むと川に沿って続く断崖の幅がどんどん狭くなってきた。遂にはせり出した巨大な岩で通行が不可能なレベルにまで悪化してしまう。
これはまるで薩た峠の再来だな。こんな所を命懸けで通らにゃならんのだろうか。大作は捨て鉢的な覚悟を決めて進んで行く。
と思いきや、特に危険そうな百メートルほどの区間には立派な桟道が整備されていた。断崖に穴を開け、丸太を差し込んだ上に板を並べて藤づるで結わえているようだ。
「アッ~! これがかの有名な波計の桟なのか。何とびっくり、今から百五十年も昔に架けられたらしいぞ。いや、あの、その…… 二十一世紀の現代じゃなくて十六世紀の現代から百五十年前って言いたかったんだよ。ほら、ここを見てみ。今昔物語集にも出てくるんだとさ。慶長五年(1600)には秀頼が犬山城主の石川備前守に改良を命じたんだそうな。へぇ~っ! あの、前田慶次もここを通ったんだとさ! もしかして松風に乗ってたのかな? ちなみに、波計の桟は日本三奇橋の一つらしいぞ」
「日本三奇橋ですって? 残りの二つは何処なのかしら?」
元祖どちて坊やの本領発揮。ほのかが頭の天辺から絞り出すように素っ頓狂な声を上げた。
大作はここ一番とばかりに腹の底から響くような野太いどら声を張り上げる。
「聞けば何でもすぐに答えが返ってくると思うなぁ~っ! いやいや、そんな鬼みたいに怖い顔をすんなよ。マジレス禁止! んで、答えはだなあ…… えぇ~っと、岩国(山口県)の錦帯橋、甲斐(山梨県)の猿橋、黒部(富山県)の愛本橋なんだとさ」
「え、えぇ~っ! 波計の桟は入っていないの? わけがわからないわ……」
お園の口から当然と言えば当然の鋭い突っ込みが飛び出した。だが、大作は少しも慌てずスマホで情報を探して即答する。
「Wait a minute! ちょっと待っちくりぃ~っ! うぅ~んと…… 愛本橋の代わりに木曽の桟、もしくは祖谷(徳島県)のかずら橋を入れる場合もあるんだとさ。でも、桟って厳密な意味では橋じゃないよな? とは言え、愛本橋は明暦二年(1656)に創建されたオリジナルはもう残っていないんだとさ。1891年に架け替えられちゃったんで現存はしていないらしいな」
「あら、大佐。今は天文十九年(1550)よ。まだ架け替えられてはいないんじゃないかしら?」
「あのなあ、お園。俺、明暦二年(1656)の創建だって言ったよなあ? 百年も未来に架けられる橋が現存してるはずが無いじゃんかよ」
「そ、そう言えばそうよねえ。あは、あはははは……」
お園の乾いた笑い声が木曽川の河畔に木霊する。
そんな風に和気藹々と一同は桟を渡って行く。渡って行ったのだが……
ギシギシ、ミシミシと軋む音がとっても怖いんですけど! これは一度に大勢で渡るのは危険が危ないぞ。大作たちは少人数に分かれて細長い隊列を組んで時間を掛けて渡る。
「こういうのを渡っていると『戦場に架ける橋』を思い出すなあ。そうだ! 皆で『クワイ川マーチ』を口笛で吹こう! 一小節ずつ区切って吹くから知らない人も後から付いてきてくださぁ~い!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って頂戴な、大佐! 『クワイ川マーチ』の著作権は切れていないわよ! 原曲の『ボギー大佐』の方を吹かなきゃ!」
「そ、そうだった、そうだった。ナイスアシスト、お園。それでは『ボギー大佐』を吹きます。聞いて下さい!」
大作が音頭を取りながら一同は口笛を吹きつつ元気に木曽の桟を渡る。どうにかこうにか急峻な場所を無事に通過するとまたもや代わり映えのしない景色が続いていた。
と思いきや意外や意外、天竜川との合流を過ぎた辺りから川岸の平地が徐々に広がってくる。
川岸なので田畑こそ少ないが彼方此方に人家が目立ち始め、林業や狩猟でもやっていそうな人影もチラホラと見え出した。
小一時間ほど歩くと木曽川沿いの高台に小丸山城が見えてきたので小休止を取る。ここでは幸いなことに関銭を取られたりはしなかった。
短い休息の後、歩みを再開すると道端に木曽義元の墓が現れる。
と思う間もなく今度は木曽義仲の墓。続いて木曽義仲の墓、エトセトラエトセトラ……
「どうしてこうもお墓ばっかなんだろな? もしかして王家の谷みたいなところなんじゃろか?」
「さあねえ…… もしかして『そこに墓があるからだ!』なんじゃないのかしら。知らんけど!」
下手な考え休むに似たり。いくら考えたところで分かろうはずもない。そうこうする間に日が西の空に傾いてくる。結局、この日は原野の石仏郡にほど近い河原で野宿することになった。




