巻ノ四百弐拾弐 越えろ!馬籠峠を の巻
何とか無事に池田(現在の多治見市)を通り過ぎた大作たちは東を目指してひたすら歩く。進むのは中仙道の下街道だ。土岐川(庄内川)に沿って通るこの道は現代の国道十九号線にほぼ相当しているそうな。
「この道は日本武尊が東征の帰りに通ったらしいな」
「内津峠を通ったっていうんだからそうなんでしょうねえ」
「まあ、それくら街道としての歴史は古いってことなんだろう。土岐川は川底が浅くて急流だから舟が使えん。だから歩くしかなかったんじゃろな」
「そうねえ。私たちも舟に乗れたら随分と楽ができたにのねえ」
お園がしみじみとボヤき、一同が禿同といった顔で激しく頷く。
土岐川に沿って高山(現在の土岐市)を進んで行くと日が西の空に傾いたころ高山城が姿を現した。一同は少し東に離れた河原で一泊する。
「あの城の城主は高山伊賀守光敏って人らしいな。まあ、弘治二年(1556)に死んじまうらしいんだけどさ。ちなみに天正二年(1574)に武田勝頼に攻められて落城するみたいだぞ。それまで当分の間は平穏無事みたいだけど」
「ふ、ふぅ~ん。今日もたくさん歩いて本に草臥れちゃったわ。夕餉を頂いたらさっさと寝ましょうよ」
「そうだな。俺たちの旅はまだ始まったばかりだ。って言うか、百里の道は九十九里を半ばとすだもんな」
そんなこんなで一同はとっとと眠りに就く。無論、交代で歩哨を立てるのも忘れてはいない。
翌朝、天文十九年八月二十二日。空も暗いうちに朝餉を済ませると東へ向かって歩みを再開する。
肥田川を渡ったかと思う間もなく土岐川が現れる。
「いったい誰だよ。東海道に比べたら中仙道は川が少ないとかいい加減なことを言ったのは!」
「誰もそんな事を言っていないわよ、大佐」
「いやいや、俺は確かに聞いたぞ。そんな話を真に受けて鉄道を明治政府が中山道に通したりしなくて本当にラッキーだったよなあ」
「大佐がそう思うならそうなんでしょう。大佐ん中ではね」
釜戸から槙ヶ根追分に出る。ここは中仙道の大井宿と大湫宿の中間地点にあるジャンクション的なところである。
暫く進むと景色の良い原っぱに出たので昼休憩を取ることにした。
「どれどれ、お弁当の中身はなんじゃろな?」
「朝に炊いたご飯の残りよ、大佐。みんなにお茶をあげて頂戴な」
「はいはい。いま淹れようと思ったのに言うんだもんなぁ~っ! って言うか、これも朝に淹れたお茶の残りなんだけどな」
「何でもかんでも残り物ばっかりよねえ」
マイお茶碗にお茶を注いでいるとほのかが不服そうに頬を膨らませた。
もしかして住民不満度が上昇しているのか? 反乱の芽は早目に摘み取っておかねば危険が危ない。大作は腫れ物に触るように慎重に言葉を選んで話し掛ける。
「なんだ、ほのか。不服か? でもなあ、残り物には福があるんだぞ」
「私めは福なんて要らないから淹れたてのお茶が飲みたいわ。鬼も十八番茶も出花よ!」
「だったら自分で勝手に湯を沸かして飲めよ!」
「別にいいわよ。だって、面倒臭いんですもの。だけども大佐、朝に淹れた冷めたお茶よりかは淹れたてのお茶の方が美味しいのは確かでしょう? ねえ、違うかしら?」
ああ言えばこういうとはこのことか。真面目に相手をするのが阿呆らしくなってきたなあ。
大作は考えるのを止めるとチタン製マグカップに入った冷たいお茶を一息に飲み干した。
食事と終えるのももどかしく、一同は何かに追われるかのように足早に歩みを再開させた。
先ほどまでの川沿いの平地と違って中仙道は鬱蒼と木々の茂った山の尾根に差し掛かる。道路も整備されているとは言い難い状態で歩き辛いことこの上もない。それに何だか薄暗くて気持ちまで落ち込んでしまいそうだ。
ここは一つ、楽しい歌でも歌って気分を高揚させた方が良いかも知れんなあ。大作はバックパックからサックスを取り出した。
「取り敢えず『突撃隊は敵地を進む』でも歌っとくか?」
「私は『どんぐりころころ』が良いと思うわよ」
「某は『海行かば』を所望致します」
「こんな山の中なのにか? 藤吉郎も中々に変わった趣味を持ってるようだな」
みんなで好きな曲を順番に一曲ずつ歌いながら七本松坂を下る。
ほのか、サツキ、メイ、藤吉郎、百地丹波が一曲ずつ歌い終わったころ、道端に人の背丈よりも少し小さいくらいの五輪塔が姿を現した。
「これがかの有名な西行法師を供養した塚だぞ。取り敢えずは拝んどこうか」
「西行法師ってあの新古今和歌集の西行法師の事かしら? あのお方ってこんな所でお亡くなりになっていたの?!」
「定説では河内国の弘川寺で亡くなったと言われてるみたいだな。だけども全国各地に十か所以上も西行終焉の地があるんだとさ。有名人ってこんなのばっかだな。いったいどこが本物なんだろう」
「諸国を行脚なさったお方ですからしょうがないわよ」
何がしょうがないのか良く分からんが深く掘り下げるほどのことでもないんだろう。大作は考えるのを止めた。
西行坂を下って再び平地に出る。暫く歩いて行くと中野観音堂が見えてきたので小休止を取る。
「しまったぁ~っ! どうせ立ち寄ったんだから阿弥陀如来立像とか弘法大師像とか三十三観音像とか見とけば良かったなあ」
「今さら言うても詮無き事よ。私たち先を急ぐ旅なんだし。運が良ければ帰りにでも寄らせて頂きましょう」
洗橋とかいう質素な板橋を渡ると山と山に挟まれた狭い平地に小さな古墳が幾つか点在していた。
永田川とかいう小さな川を渡る。暫く進むと阿木川とかいうちょっと大きな川を渡った。
地面は平坦なのにどういう訳だか道があっちに曲がったかと思うとすぐ反対に曲がったりして歩き難いことこの上ない。きっと土地所有者が道路建設に反対とかしているんだろう。実に迷惑千万な話だ。
当分、そんな平地が続くのかと思っていたら中津川を渡ると再び起伏の激しい土地が現れる。
と思いきや、今度は道が木曽川に沿って蛇行を始める。小さなアップダウンが繰り返されるものの、余り登っている気がしない。
だが、落合を通り過ぎた辺りから急に登り坂が険しくなってきた。狭い谷間を進んで行くと突如として山城というか砦というか…… 軍事施設らしき建築物が姿を現す。
たぶんこれが馬籠城なんだろう。ということは既にここは木曽氏の勢力圏内ということだ。
「知っているか、お園。この城の島崎重綱っていう奴は相模の三浦氏一族らしいんだけど、島崎藤村の祖先らしいぞ。明治五年に妻籠の本陣で生まれたんだとさ」
「ふ、ふぅ~ん。島崎藤村って『破戒』とか『夜明け前』の人よねえ? 私、どっちもタイトルは知ってるけど読んだ事がないわ」
「ですよねぇ~っ! うちも本棚にあったから背表紙だけは見覚えがあるけど読む機会に恵まれなかったなあ。こんなことになるんなら目を通しておけば良かったと反省することしきりだよ」
そんな阿呆な話をしながら進んで行くと斜めに丈を組み合わせた粗末なバリケードで道路が封鎖されている。
ひょろっとした中年男が短い槍を抱えて現れた。どうやらこいつがゲートガーディアンのようだ。
大作は巧みな交渉術を総動員して関銭を払わずに通ろうとする。通ろうとしたのだが……
散々に粘った末に一人当たり銭十文を払わされてしまった!
「堪らんなぁ~っ! 百人で銭一貫文も取られたぞ。これって一般家庭が一ヶ月は食っていけるくらいの金額だよなあ。あいつら阿漕な商売をしやがって。人の心っていうか信仰心ってものが無いのかよ。それとも神をも畏れぬ鬼畜の所業か?」
「しょうがないわよ、大佐。あのお方たちだってアレで食べていってるんですから」
「ドンマイ、ドンマイ!」
「百人分だと思えば安いものにございますぞ。そうお気に病まれまするな」
「サンクコストは回収できないのよ。悔やんでも仕方が無いわ」
みんなが口々に適当なことを言って慰めようとしてくれる。だが、大作の心は沈み込むばかりだ。
城を通り過ぎて少し進むと視界がぱっと開けて狭い盆地が現れる。しかし、五分も歩かないうちに道はまたもや急な山道になってしまった。
景色もすっかり変わって大木の密集した森林になってしまう。曲がりくねった道はかなりの急傾斜で三キロ進む間に二百メートル以上も登っているようだ。
だが、永遠に登り坂が続くはずもない。やがて馬籠峠が現れて急に視界が開けた。
「随分と眺めの良い所ねえ。あんな所に滝が流れているわ。此処でちょっと一休みしましょうよ」
「そうだなあ。もう日も傾いてきたし、今日はあと二里も進めれば良い方だろうな」
こんな寂しい山道で野宿するのは勘弁して欲しい。今日は行けるところまで行っておきたい。
大作は短い小休止を終えると足早に歩みを再開させる。
だが、結局この日は東山城とかいう城から少し離れた木曽川の河原で一泊する羽目になってしまった。




