巻ノ四拾弐 雲に聳ゆる高千穂 の巻
港を離れて四人は南に向かって歩き出した。大作は周りに誰もいないのを確認して三人に話を始める。
「今まで秘密にしていたが俺たちの目的地を発表するぞ。ドゥルルルルル……」
大作は少しでも盛り上げようとドラムロールを口まねをした。
「どるるる?」
「俺たちは菱刈を目指す!」
「ひしかり?」
三人が間の抜けた顔で鸚鵡返しする。
そりゃあ知るわけないよな。大作はスマホで地図を表示しながら説明した。
「ここから南西に直線距離で約百キロ、二十五里くらいだな。九州山地を縦断するわけにも行かないので徒歩だと百三十キロくらいだから三十里以上はある。荷物も重いし二泊三日ってとこだろう」
「伊賀から堺より遠いわね」
メイが少し考え込んでから言う。今回の船旅に出るまでのメイの行動範囲はそんな物だったのだろう。
「とりあえず海沿いに南下して新田原あたりで一泊。大淀川にぶつかった辺りから西に向かい山の中で二泊目。えびの市を通って山を越える。菱刈の城下を通らないのは人目に付きたく無いからだ」
「この辺りは伊東様が治めておられます。菱刈に抜ける山道は用心の上にも用心が要りますな」
ほのかがそう言って僅かに表情を険しくする。戦闘地帯では無さそうだが用心に越したことは無い。大作も気を引き締める。
「金はメイとほのかが半分ずつ持ってくれ。俺は荷物、お園は食料を運ぶ。関所があったら俺とお園が金を持って通る。メイとほのかは別行動で関銭を払って通れ」
「食べ物が軽くなったら私も金を運ぶわね」
お園が少し申し訳なさそうに言う。
「メイとほのかは護衛をしっかり頼むぞ。お園も常に周りに注意を払ってくれ。そんじゃあ南に向かおうか。がんばって行きまっしょい!」
街道を南に進む。道の両側には青々とした田んぼが広がっていた。
「この辺りでは稲がもうこんなに育ってるのね。まだ四月の頭よ」
お園が不思議そうな顔をしている。今は新暦で言うと四月下旬だ。本州ではまだ田植え前だったが九州では田植えから一月くらい経ってるんだろうか。
「南に行くほど暖かくなるから田植えも早くなるんだ。沖縄、じゃなかった琉球なんて三月と八月の二回も田植えができるんだぞ」
「年に二度も!」
三人娘が声を揃えて驚きの声を上げた。
大作は嫌な予感がしたのでスマホで調べる。沖縄で二期作が行われるようになったのは台湾の品種が導入された昭和初期からだと!
また嘘っぱちを言ってしまったぞ。すぐに訂正しないとヤバイな。
「ごめんごめん。二期作をやるようになるのは四百年くらい先の話だ。今はまだやっていないぞ」
「ふぅ~ん。そうなんだ。今それができればみんなお腹一杯食べられるのに残念ね」
やっぱりお園は食いしん坊キャラだな。大作は心の中で呟く。
水田にはアメンボがいた。アメンボは虫を食べるので益虫なんだっけ。さすがは有機農業だと感心させられた。
大きな川を越えて進むといきなり山が迫って来た。またこのパターンかよと大作は不安になる。
東海道と違ってスマホにも情報が少ないので当てに出来そうもない。
「薩た峠みたいなことにならなければ良いわね」
お園が縁起でも無いことを言う。あの時は死ぬかと思った。大作もあんな思いは懲り懲りだ。
「九州山地を通る道が無いんだから海沿いの道は整備されてるだろう。そうじゃなきゃ不便すぎるぞ」
大作は何の根拠も無い楽観論を述べる。むしろ願望と言って良いだろう。
だが二時間ほど進むと唐突に山が途切れて大きな川に出た。
「これが耳川の合戦で有名な耳川だ。大友の兵は数では勝ってたんだけど伸びすぎた陣形を突かれて一気に壊走した。そもそも家臣団の意思不統一で勝手に戦が始まるなんて時点でどうしようもなかったんだけどな」
「ちーむわーくって大事よね」
お園が真剣な顔をして言う。やっと理解してくれたんだ。大作は嬉しくて思わず舞い上がる。
「Great! You are different!」
「さんくす! ゆ~とぅ~!」
お園がノリノリで返してくれる。って言うかノリが良すぎるだろ。メイとほのかがぽかーんとしてるぞ。
「チームワークは本当に大事なんだ。俺が作ろうとしている組織では誰でも自由に意見を言える。大事なことはみんなで決める。でも一旦決まったことは絶対服従だ。勝手は許さん。絶対にだ!」
大事なことなので大作はC○C○壱番、もとい、ここ一番の真剣な表情を作って言った。
渡し船で耳川を渡る。特に見るべき物も無いので時々休憩を挟みながらひたすら歩く。
大作はこの船旅を通じてメイとかなり親しくなれた気がしていた。だが、ほのかは未だによそよそしい口の聞き方しかしてくれない。
当初は津田様からの出向組なので使い捨てにするつもりだった。でも、吊り橋効果のお陰か知らんがある程度は懐いてくれている。
ここは勉強は一休みして一気に精神的な距離を近づけてみようか。大作の灰色の脳細胞が邪な考えでフル回転を始める。
いきなり深いところに土足で踏み込むのは不味い。まずは当たり障りの無い話題からスタートだ。
「ほのかは血液型…… じゃ無かった星座…… いや、その何だな、好きな食べ物は何だ?」
「好き嫌いなどござりません。食べ物を粗末にすると地獄に落ちると教えられて育ちましたゆえ」
大作はいきなりつまずいた。もっと考えて話せば良かったと後悔するが手遅れだ。
「趣味は…… 自分を動物に例えると…… そうだ! 行ってみたいところはあるか?」
「早く菱刈に着きとうございます」
駄目だこいつ…… 早くなんとかしないと……
そもそも女性陣は三人ともあまり身の上話をしたがらない。謎多き女でも気取ってるのだろうか。厨二病じゃあるまいし勘弁して欲しい。
やはりこっちから話題を振るしか無さそうだと大作は観念する。
何でも良いから、ほのかが興味を持ってくれそうなネタは無いだろうか。
取っ掛かりが無さすぎるぞ。そうだ、先日やったワイヤーソーから話を膨らまそう。
「こないだほのかに紐みたいな鋸をやっただろ。俺のいた国にはチェーンソーって言うあれのもっと凄いやつがあったんだぞ。エンジンって言う勝手に動く絡繰が付いているんだ。一抱えもあるような太い木だってあっという間に斬り倒せるんだぞ」
「それは恐ろしゅうございますな。手を切らぬよう気を付けねばなりませぬ」
「たぶん大丈夫だろう。安全装置が付いてて両手で持ってないと勝手に止まるようになってるんじゃ無いかな? まあ、それでも足を切らんように気を付けないといけないけど」
とりあえず最低限の会話が成り立った。ここからは俺のターン。華麗なる話術でほのかのハートを鷲掴みにするぞ。大作は挫けそうな心を奮い起たせた。
九州山地のせいなのか分からないがたくさんの小さい川を越える。途中から道は徐々に海から離れて内陸に入って行く。日が傾くころ一ツ瀬川らしき大きめの川にたどり着いた。
「それじゃあ、北極にはどうしておぞんほ~るが出来ないの?」
ほのかが何十回目か分からない疑問を口にする。すっかりタメ口だ。
一体全体、何がどうなったらチェーンソーからオゾンホールに話が繋がるんだろう。全く重い打線。
『お前らは揃いも揃って話を脱線させる達人か!』と大作は自分のことを棚に上げて心の中で突っ込んだ。
ほのかとの心の壁をぶち壊すという大作の試みは見事に成功した。
だが、最も恐れていたどちて坊やという名の怪物を野に解き放ってしまったようだ。大作は激しい後悔の念に駆られるが完全に手遅れだ。
お園に助けを求めるように視線を送ってみるが軽くスルーされてしまう。
「それにはまず、ブリューワー・ドブソン循環について理解する必要があるな。でも続きは今度にしよう。今晩はこの河原で野宿だ。みんな手分けして手伝ってくれ」
「分かったわ。私めは薪を拾ってくるね」
ほのかが嬉しそうに手を振って走り去る。大作は先送りという名の究極奥義で厄介ごとを後回しにした。
まあ、あの笑顔を見られたのだから苦労に見合った成果は得られただろう。
お園が大きめの石で竈を作りながら声を掛けてくる。
「ほのかって、あんな風に笑うのね。初めて見たわ。やっぱり大佐は凄いわね」
「ちょっとくらい手伝ってくれよ、半日以上も質問攻めにあったのは生まれて初めてだぞ」
「でも、お陰ですっかり仲良くなれたみたいよ」
何でお園はこんなに機嫌が良いんだろう。理由は知らんけど焼き餅の対象では無いらしい。
考えても分かりそうも無いので大作は考えるのを止めた。
「この新田原には航空自衛隊の基地がある、じゃなかった、未来に作られるんだ。1983年から2016年までアグレッサーって言って飛行教導隊がいたんだけど小松基地へ移転しちゃったんだ。航空自衛隊の訓練空域は全国に二十くらいあるけど、一番広いG空域が能登半島沖合にあるから仕方無いんだろうな」
夕飯を食べながら大作は三人に話をする。意味が全く伝わっていないのは承知の上だ。
戦国○衛隊の伊○三尉は半年ほどで土着化してしまった。
だが、大作にはそんなつもりは全く無い。今は移動のために僧侶に化けているが、基本的に言葉も習慣も戦国時代に合わせる気は一ミリたりとも無いのだ。
たとえ最初は一方通行でも話し続けていれば適応してくれるはず。現にお園はエ○ァネタに反応してくれた。
強制する気は無いがメイやほのかも文化的に洗脳してやろう。そのためには根気よく話続けるのみだ。努力は一日にして成らず。
散々悩みに悩んだテント問題はメイとほのかと大作が交代で不寝番に立つことにした。
翌日、四人は朝早くから出発した。小高い丘の間を縫うように細道を通って南西に進む。
「地図が全然役に立たないぞ。GPSが無いって悲しいな」
「なんでじ~ぴ~えすはもってこなかったの?」
「私が異次元ポケットを持っていて、そこから何でも取り出せるとでも思っているのか?」
戦国○衛隊を始めとするタイムスリップ小説では現代の詳細な地図が非常に役に立つことになっている。
だが、現実には平野では川は大きく移動している。田畑が開墾されたり宅地が造成され、道も全く異なっている。
方位と距離が正確に分かるだけでも凄いことなのだが大作にはそこまで頭が回らなかった。
太陽、コンパス、遠く北西に見える山脈などを目標にしてなるべく南西に向かって進むが現在位置がさっぱり分からん。
十一時前に本庄川を渡る。川幅が二百メートルもあったが水量は大したことないので歩いて渡った。
「こんなの大井川に比べたら全然たいしたことないわよ」
お園がメイとほのかに向かって勝ち誇ったように自慢している。大作は笑いそうになるのを必死に我慢した。
そこから一時間ほど南西に歩くとさらに大きな川にぶつかった。大作は田んぼで草取りしていた老人に特殊な交渉術で聞いてみる。
左流川という名前とのことだ。だが、川の名前が変わるなんて良くあることだ。
位置的には大淀川のはずだ。南には山しか無い。これで間違い無いだろう。大作たちは西に向かって細い山道を進む。
なるべく遠くに目標物を定めて方向を見失わないよう注意する。お園には歩数を数えてもらって進んだ距離を概算した。
このあたりからは大隅国肝付氏の庶流である北原氏の支配下にある。
天文二十三年(1554)島津貴久に対して祁答院良重、入来院重嗣、蒲生範清が叛くとこれに十三代・北原兼守は菱刈隆秋と共に呼応する。
大作が計画通りに菱刈へ取り入ることが出来れば一時的に同盟関係になる予定だ。
歴史通りなら岩剣城が陥落し連合軍は敗走する。これを変えることが当面の目標だ。
その後、永禄元年(1558)に北原兼守は三ツ山城にて後継者も残さず病没。遺言により女子を兼守の叔父の北原兼孝の子に嫁がせるはずだったが三、四歳で早世する。
伊東義祐は自分の次女が兼守の室であることや、禅宗・真宗の対立を利用して北原氏の乗っ取りを画策する。
大作としては岩剣城の戦いで勝利して勢力を拡大。伊東の代わりに北原氏を乗っ取りたいところだ。
豊富な資金と千名ほどの兵力さえ手に入ればそこからは容易い。後は回り全部を同時に敵にしないようにだけ注意していれば良い。
第二次大戦シミュレーションゲームの小国スタートと同じ要領だ。
大作は不意にラドヤード・キプリングの『王になろうとした男』を思い出した。原作を読んだのではなくショーン・コネリー主演の映画を見ただけなのだが。
十九世紀後半、二人の男が最新式のマルティニ・ヘンリー銃を二十丁持って中央アジアに乗り込む。
ひょんなことから現地人に伝説の神だと崇められて王になる。最後はちょっとアレだったけど。
いろんな理由はあるけれど九州ではキリスト教がかなり広まった。権力者や民衆の心の隙に付け入る余地はありそうだ。
せっかく僧侶のコスプレしてるんだから新興宗教でも立ち上げようか。大作の妄想はまたもや変な方向に広がって行った。
十六時ごろ山道を抜けて少し開けたところに出る。地図によると野尻湖って湖があるはずなのだが見当たらない。
「こんな一本道を間違えるわけないぞ。野尻湖はどこ行ったんだ?」
大作は目を皿のようにして地図を確認する。岩瀬ダムだと。これって人造湖だったのか。
方位と距離の確認に忙殺されて大作はオリエンテーリングをやっている気分だ。
会話も滞りがちになりメイとほのかは退屈そうにしている。かわいそうだが相手をしている余裕は無い。
日没前に山の谷間を抜けると西南西に霧島連山が見えた。高千穂峰の標高は千五百七十四メートル。距離は十キロ以上ありそうだ。
「あの左端の高い山がかの有名な高千穂峰だ。瓊瓊杵尊が葦原中国を治めるために天孫降臨されたんだぞ。坂本龍馬とお龍が日本初の新婚旅行であそこに登って天逆鉾を抜いたらしいな。俺たちもチャンスがあれば登ってみよう」
「高千穂峰って本当にあったんだ!」
「あるに決まってんだろ!」
大作が大声を出して突っ込んだのでメイとほのかが目を丸くして驚く。
「噴火口の中に『007は二度死ぬ』ではスペクターのロケット工場があったんだぞ。丹波哲郎が率いる忍者部隊が懸垂降下してたな。ドナルド・プレザンスがスペクターの首領を演じてたっけ」
大作は必死になって説明するが三人娘にはさっぱり伝わっていないようだった。
今日も本当に良く歩いた。これだけ人気が無いところなら不寝番を立てなくても大丈夫だろう。
もう春だし九州南部は十分に暖かい。大作たちはインナーを張らずにポールにフライシートだけ被せて四人並んで横になる。
長かった旅もようやく明日で終わりだ。大作たちは期待で胸を膨らませながら眠りに就いた。




