巻ノ四百拾七 越えろ!加太峠を の巻
天文十九年八月十九日の早朝、大作と愉快な仲間と百人の義勇兵たちは砥石城への長い長い旅路を歩み始めた。歩み始めたのだが……
「今日って史実通りだと武田方の本隊も出陣してるころだよなあ? その日の夜遅くには長窪まで進軍するとか何とか」
「確か長窪には山城があったはずよ。って言うか、そこから砥石城までは四里ほどしか離れていないわ。もう目と鼻の先よね」
「とは言え、今井藤左衛門と安田式部少輔が砥石城を偵察するのは五日後の二十四日って書いてある。だから、現時点では包囲網は完成していないはずだ。って言うか、完成していなかったら良いなあ」
「でも、私たちが着くのは早くても十日後の二十九日ごろよ。んで、その日のお昼には晴信(信玄)が城の側まで行って矢入れをするはずだわ。だから私たちが砥石城に入るのはどう転んでも無理なんじゃないかしら」
お園の口調はあっけらかんと言うか気楽と言うか…… どうにも他人事みたいな微妙な距離感が漂っている。
まあ、実際のところ本当に他人事なんだけれども。
百地丹波のお屋敷を出発した一同は山と山に挟まれた幅百メートルほどの細長い平地を北上する。
百人の兵たちは皆、揃いも揃って着の身着のままの適当な格好だ。
鉄砲の銃身を錫杖のように偽装し、火挟みや火皿といったパーツは分解して様々な日用品を装っている。
火薬や弾丸を載せた馬は本隊の前後に一定の距離を取って進む。積み荷は農産物に偽装しているそうだ。
歩くこと半時間。入屋敷城とか喰代氏城とかいう小さな山城が道端に無造作に現れた。
日本にある城の数はコンビニより多いなどと良く言われる。だが、ここ伊賀はそれに輪を掛けて城が多いのだ。
正に犬も歩けば城に当たるといった感じだ。
三重県上野射撃場の傍を通り過ぎ、永井氏城、中出山城を横目に十分ほど歩くと山並みが途切れて広い平野に出た。
もう少し進むと旧伊賀街道の平田宿があるはずなのだが、この時代にはまだそんな物は影も形も存在しない。
アレが出来るのは藤堂高虎がこの地を支配するであろう数十年後の話なのだ。
進路を右に変えて服部川にぶつかるまで進む。
「もしかして服部半蔵の服部もこれが由来なのかなあ?」
「服部? そう申さば千賀地の保長が先の公方様(足利義晴)にお仕えせんと伊賀を去った折、服部を名乗っておりましたな」
聞いてもいないのにドヤ顔を浮かべた百地丹波が解説役を買って出てくれた。買って出てくれたのだが……
「も、も、百地殿?! 何で付いて来てらっしゃるんですかな?」
「はて、さて? 儂が付いて参って何ぞ都合の悪い事でもありましょうや?」
「あの、その、いや…… 別に悪くは無いんですよ。悪くは無いんですけど…… でも、百地殿もお忙しい身でしょうに。他にも色々とやることがあるんじゃないですかな?」
「此れは異な事を承る、大佐殿。我らは百の兵を率いて戦に参らんとしておるのです。其れよりも大事なる事などござろう筈もありますまい」
自信満々といった百地丹波の顔には『反語的表現!』と書いてあるかのようだ。
これはもう駄目かも分からんな。大作は潔く甲を脱ぐ。まあ、何も被ってはいないんだけれど。
未来の伊賀街道と思しき道を東に進む。服部川に掛かった土橋が現れるが渡らない。そのまま川の右岸を東に向かって歩く。
井上氏城、角部砦、井櫃山城、蘇我氏城、エトセトラエトセトラ…… 屈曲する川に沿ってどうでも良い観光スポットが続く。
「なあ、お園。今日はどの辺りまで進めるのかなあ?」
「行ける所までじゃ 知らんけど!」
「いやいや、そんな行き当たりばったりじゃ困っちゃうぞ。いつもの少人数と違って今回は百人もの大所帯だんだもん」
「ご案じ召されますな、大佐殿。此の辺りの道は良う存じておりまする。ご安堵下さりませ。今宵は亀山の辺りで休むことになりましょうて」
『百地殿がそう思うんならそうなんでしょう。百地殿ん中ではな!』
大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。ただただ卑屈な笑みを浮かべるのみだ。
天神城、植田城、岩谷山城、重頼城、安岡氏城、エトセトラエトセトラ……
城のバーゲンセールかよ! 大作が思わず悪態を付きそうになったところで道を左に逸れる。服部川に掛かった土橋を通って左岸へ渡る。
「此処から山を幾つか越えまする。道が険しゅうなります故、御覚悟下さりませ」
「心得ました」
本職の忍びが険しいって言うくらいだ。よっぽど険しい山道なんだろう。これで険しくなかったら笑っちゃうんですけど。
とにもかくにも大作も覚悟を決めざるを得ない。覚悟を決めたのだが…… 完全に取り越し苦労だった。
平松砦、神地安城、エトセトラエトセトラ……
子延川とかいう川に沿った細い山道というか獣道というか…… 所謂、道なき道を進むこと二時間余り。漸く道が緩やかになってきた。
またしてもドヤ顔を浮かべた百地丹波が聞いてもいないのに解説してくれた。
「間もなく加太にございますぞ、大佐殿」
「加太ですと? それって、あの神君伊賀越えで有名な加太峠の加太ですかな?」
「しんくんいがごえ? 恥ずかしながら『しんくん』とやらは存じ上げませぬ。然れども加太峠を越えれば伊賀を抜けたと申しても過言ではござりますまいて」
「そ、そうですか? それは良かった良かった」
虚ろな目をした大作は犬みたいに舌をベロ~ンと出して大きく肩で息を付く。
その仕草がよっぽど面白かったのだろうか。百地丹波は大作の背中を何度も強く叩きながら豪快な笑い声を上げた。
「もしや、お疲れにございますかな。大佐殿? 宜しければこの先の地蔵堂で一息着くと致しましょう」
「で、ですよねえ。いい加減、休憩とか無いのかと心配してたんですよ」
大作はハンドタオルで額の汗を拭いながら力なく応える。
「あら、大佐。もう草臥れちゃったの? まだまだ、先は長いっていうのに」
「あのなあ、メイ。お前らみたいな体力モンスターを一緒にせんでくれよ。俺たちは普通の人間なんだもん」
「それって私たちが常ならざる者だって言いたいのかしら?」
「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな」
山門の脇に腰を下ろしながら大作は吐き捨てるように呟く。
「全隊、止まれ! 此れより四半時の小休止を取る。班毎に交代で見張りを立てろ。もし、体に障りのある者がおれば早めに班長まで申し出よ。以上、解散!」
いつの間にか全体の指揮を執っていたお園が声も高らかに宣言する。途端に兵たちはその場に腰を下ろして荷物の中から弁当を取り出し始めた。
大作たちも端っこで車座を作ると荷物を漁って弁当を引っ張り出す。
「うぅ~ん、お弁当の中身は何じゃろな? ってお握りかよ。まあ、予想通りっちゃあ予想通りだな」
「大佐。こっちに魚の干物があるわよ」
「良かったら漬物もどうぞ」
「私の梅干しも食べて頂戴な」
「某も一つ頂いて宜しゅうございますか?」
一同は賑やかなランチタイムの一時を楽しく過ごす。お茶を沸かしている時間も用意も無いのでペットボトルに入れておいたお茶を一人に一杯ずつ配給して飲む。
ほっと一息付く暇もなく行動再開。大和街道を通って関宿を目指す。
「関宿って千葉にもあったよなあ? 関宿城に泊まったじゃん」
「あれは関宿でしょう、大佐」
「そ、そう言えばそうだな。って言うか、関に宿場が作られるのは江戸時代に東海道五十三次が整備されてからだ。今はまだ、影も形もあるはずがないか」
「いやいや、大佐殿。関は古の鈴鹿の関に由来する由緒ある地にございますぞ。壬申の乱の折、大海人皇子が鈴鹿の関を閉ざしたという話はご存知にありましょう」
「あの、その、いや…… そんな話は初耳ですな。とにもかくにも、今現在は関所なんて無いんだから華麗にスルーしちゃいましょう」
そんな阿呆な話をしながら進むこと暫し。大方の予想に反して関所が街道を塞いでいた。
「がぁ~んだな、出鼻を挫かれたぞ」
「うぅ~む、前に通った折には関所などございませんでしたぞ。如何なされますかな、大佐殿?」
「如何と言われましてもなあ…… 街道を外れて迂回すると大きなロスタイム…… じゃなかった、アディショナルタイムになりそうですな。ここは普通に関銭を払って通りますか」
「致し方ございませぬな」
早くも諦めの境地に到達した大作たちが足取りも重く進んで行く。関所の手前には先行していた馬借たちが手持ち無沙汰な顔で佇んでいた。
近付いて良く見てみれば関所と言っても箱根の関みたいに立派な物とは大違いだ。風が吹いたら倒れそうな安っぽい木の柵。
手作り感が満載のチャチな門の傍らには短い粗末な槍を持った眠そうな顔をした初老の男が二人、呆然とした顔で立ち尽くしていた。
「良い日和にございますな」
「い、如何にも。良い日和にござる。此の者らは和尚の連れか? 何処へ参られる。斯様な大人数でいったい何用じゃ?」
「お尻に…… じゃなかった、お知りになりたいですかな? 知らざあ言って聞かせやしょう。我らは諏訪の大明神へ参拝しようとしておるツアー客みたいな? そんな集団なんですよ。宗教法人って非課税じゃないですか? 関銭もちょっとくらい負けてもらうことは出来ませんかな? 無論、タダでとは申しませんよ。これは僅かだが心ばかりのお礼だ、とっておきたまえ」
大作はお得意の名台詞を飛ばしながら百紋金貨を男の手に握らせる。
「な、何じゃ此れは? 百紋? 紋とは何じゃ?」
「き、気になるのはそこですか? まいったなあ、こりゃあ。うぅ~ん、どこから説明したもんですかな。まず、地域通貨って言葉はご存知ですか? ご存知ない? 地域通貨と申しますは法定通貨ではございませんが、何らかの目的を持って特定地域内でのみ法定通貨と同じような値打ち、または全く異なった値打ちを持った物として発行され流通する貨幣のことにございます。たとえば……」
そんな阿呆な話をしている間にも日は徐々に西の空へと傾いて行った。




