巻ノ四百拾四 建設しろ!王道楽土を の巻
翌日、朝餉を食べ終わった大作たちは百地丹波と一緒に屋敷を後にした。
向かったのは北西に一キロほど離れた山奥にある谷間だ。
「二十一世紀にはこの辺りに三重県クレー射撃協会の管理棟が建ってるみたいだな」
「くれえしゃげき? それっていったい何を射撃するのかしら?」
「いい質問ですねえ、ほのか。clayって言うのは粘土のことだ。水を混ぜて錬ると粘っとして、火で焼いたら固くなる細かい土だな。主成分は含水ケイ酸アルミニウムなんかで焼き物とかレンガの材料になるんだ」
「そんな物を鉄砲で撃ったところでいったい何の得があるっていうの? 私、その故を知りたいわ」
「いや、あの、その…… 何でだろうな? できたら俺も知りたいよ。もし分かったら教えてくれるかな?」
真面目に相手をするのが阿呆らしくなってきた大作は適当なところで一方的に話を打ち切った。
だが、ほのかにはどちて坊やの怨念が憑依でもしているんだろうか。大きな瞳を爛々と輝かせながら執拗に食い下がってくる。
しかし、ほのかの扱いに関してならば大作にも些か心得がある。機先を制するように左右の手のひらでTの字を作ると素早く話題を転換させた。
「ちなみに今日は天文十九年八月六日だから西暦で言うと1550年9月16日だな。ってことは…… 火曜日じゃんかよ! がぁ~んだな、出鼻を挫かれたぞ」
「なんで?! どうして火曜日だと出鼻を挫かれちゃうの? わけが分からないわ」
未だにどちて坊やの呪縛から逃れなれないのだろうか。ほのかがまたもや新たな疑問を口にする。だが、この展開は完全に大作の計算の範囲内だ。余裕の笑みを浮かべながらスマホの画面を眼前に翳した。
「なんでってお前。三重県上野射撃場は月曜と火曜は定休日なんだよ。ほら、ここを見てみ」
「違うわよ、大佐。もっと良く見て頂戴な。月曜と火曜に休場しているのは十一月十五日~二月十五日の猟期間中だってちゃんと書いてあるじゃないの。今は通常期だから祝日でない限り休場日は月曜だけの筈よ」
「そ、そうなんだ…… お園は賢いなあ。とにもかくにもラッキーだったな。こんな遠くまで歩いてきたのに休みだったら無駄足になっちまうんだもん」
そんな阿呆な話をしながらも一同は薄暗い谷間へと足を踏み入れる。
数百メートル続く緩やかな斜面は射撃の練習をするには丁度良い塩梅だと言えないこともない。そうじゃないかも知らんけど。
「ここは三重県では唯一の散弾銃の射撃場なんだ。競技用の小口径ライフル射撃場なら他にもあるんだけどな」
「あそこにいるのは猪じゃないかしら?」
「左様にございますな。田畑を荒らしますが故、郷の者が大層と苦労しております」
待ってましたと言わんばかりの勢いで百地丹波が口を挟んでくる。振り返って顔を見てみれば如何にも忌々し気に唇の端を歪ませている。どうやら本当に害獣に迷惑しているようだ。
「閃いた! だったら山ヶ野でやったように害獣駆除と鉄砲の訓練を同時にできるんじゃね? 正に一朝一夕…… じゃなかった、一石二鳥って奴だな」
「あのねえ、大佐。虎居から鉄砲が届くのは早くても十日は先の筈よ。それまでは木銃で修練しようって言ったのは大佐じゃないの。どうやって木銃で猪を退治するって言うのかしら?」
「いや、あの、その…… 申し訳ない。考えが足りなかったよ。前言撤回。すまんすまん。今の言葉は忘れてくれ」
「吐いた唾は飲めぬって言うわよ。んで? こんな山の中まで歩いてきて、いったい何をしようって言うのかしら?」
大作の謝罪を右から左へ華麗にスルーするとお園はいきなり話題を変えた。
百地丹波やほのか、藤吉郎といった面々もそれを聞きたくてうずうずしているようだ。
ここは少しばかり焦らしてみるのも面白いか?
大作は人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべると両手を方の高さでひらひらさせた。
「我らは辺境の国々を統合し、この地に王道楽土を建設する! 我らに従い、我が事業に参加せよ! 我等の敵はただひとつ。 ゴルグ・ボドルザーを倒し、再び文化を取り戻すのだ!」
「おうどうらくど? それって美味しいの?」
「いや、美味しくは無いんじゃないのかな。知らんけど。まあ、ぶっちゃけた話をすると射撃の練習をしようと思ってここまでやってきたんだよ。でも、良く考えたら肝心の銃がまだ無かったと。めでたしめでたし。んで、俺たちこの後いったいどうすれば良いんだろうな?」
「笑えばいいと思うわよ」
「あは、あはははは……」
大作は照れ隠しに引き攣った笑みを浮かべる。呆れ果てたといった顔の一同は苦笑いを浮かべるのみだった。
三重県上野射撃場を後にした大作と愉快な仲間たちは重い足を引きずりながら百地丹波の屋敷へと戻る。
ウキウキわくわくしていた行きと違って帰りはお通夜みたいに暗く沈んだ雰囲気だ。
こんな風に辛気臭いのは堪らんなあ。大作は何とか淀んだ空気を入れ替えようと無い知恵を振り絞る。振り絞ったのだが…… しかしなにもおもいつかなかった!
下手な考え休むに似たり。そうこうするうちに遠くに百地丹波の屋敷が見えてくる。
顰めっ面をして目を凝らしていたお園が急に大きな声を上げた。
「アレってもしかしてメイじゃないかしら?」
「どれどれ…… 本当だ! あいつ、もう戻ってたんだ。メイちゃ~~ん!」
大作はカンタのおばあちゃんみたいに思いっ切り大声を張り上げてメイを呼ぶ。こちらに気が付いたのだろうか。メイが足早に駆け寄ってきた。
「もぉ~う、大佐ったら。いったい何処に行ってたのよ。大急ぎで堺から戻ってきたっていうのに皆そろっていないんだもん。私、びっくりしちゃったわよ」
「すまんすまん。こう見えて俺も意外と忙しい身なんだよ」
「って言っても、丸っ切り無駄足だったんだけどね」
お園が茶化すように横から口を挟んでくる。その言葉はどうやらメイの関心をがっしり引き付けてしまったようだ。興味津々といった顔で大作の眼前まで詰め寄ってきた。
「なになに? いったい何があったのよ? 私が堺まで夜通し懸命に駆けてる間、大佐たちはいったい何処で油を売っていたっていうの?」
「あのなあ…… その話はもう済んだことなんだよ。過去ばかり振り返っていてもしょうがないぞ。倒れる時は前のめり。これからは前だけを見て歩いて行こうじゃないか」
「そ、そうなんだ…… とにもかくにも、大佐の文はちゃんと船長に届けてきたわよ。後は荷が届くのを待つばかりね。んで? それまで私たちは何をして過ごすのかしら?」
「だぁ~かぁ~らぁ~っ! それを決めようとしていたんだよ。みんな何か良いアイディアはないのか? 何でも良いぞ。どんな下らんことでも良いからブレインストーミングだと思って言ってみ?」
大作は両の手をポンと打ち鳴らす皆の顔をぐるりと見回す。後のことはお前らで考えろという確固たる強烈な意思表示のつもりなのだ。
だが、空気を読むことに関しては壊滅的とも言える女子軍団に大作の深慮遠謀が通じるはずもない。
まずはトップバッターのほのかが言葉尻に食い付いてきた。
「下らない? 何がどう下らないのかしら?」
「えぇ~っ?! 気になるのはそこかよ? 確か江戸に都が開かれた当初、京から運ばれてくる物品が重用されたんだっけかな? それら品々は都から下ってくるから『下り物』と呼ばれたとか何とか。それに対して関東で生産された物を『下らない物』といって蔑んだ。みたいな話をチコちゃんか誰かが言ってたような、言ってなかったような…… 情報ソースがちょっとあやふやだけど、多分そんな話だったと思うぞ。多分だけど」
その瞬間、突如としてお園のスイッチが切り替わる。眉を吊り上げたお園が怒声が雷鳴のように轟いた。
「チコちゃんですって?! まさか大佐、その女にも懸想していたのかしら?」
「はいはい、お約束お約束。いくら俺だって五歳の幼女に懸想はしませんから。懸想しない! 絶対ニダ! んで、閑話休題。何でも良いからアイディアを出せ! 出さないとお母さんを殺すぞぉ~っ!」
大作の絶叫が伊賀の郷に木霊し、遠くを行き交う人々が何事かと振り返る。
こうして一同は今日も一日、無為な日々を過ごしていた。




