巻ノ四拾壱 九州上陸 の巻
翌朝、大作たちはまだ暗いうちに目を覚ました。
目的地の日向は西南西に九十キロある。少しでも早く出発して今日中に着くつもりらしい。
天候に恵まれたとは言え、まさか堺から日向まで僅か六日で着くとは思わなかった。きっと宇宙人か未来人の干渉だろう。大作は考えるのを止めた。
夜明け前に早目の朝食を済ませて船はまだ薄暗い海を進む。
今日は何をして時間を潰そうかと大作は思案する。陸地から本当に遠く離れているので観光案内は無理だ。
「メイには何か夢はあるか」
「夢? たまに見るけどよく覚えてないわ」
『お園と同じリアクションかよ!』と大作は心の中で突っ込んだ。もしかして夢って言葉が『将来の願望』って意味で使われるようになるのは近世からなのか?
「寝ている時に見る夢じゃないよ。ラピュタのお宝が手に入ったら何がしたい? 何になりたい? 十年後はどこでなにしてると思う?」
「私は忍びよ。大佐が要らないと言わない限りいつまでも側でお仕えするわ」
メイは巨大な胸を張るようにして自信満々の態度で宣言する。聞いておいて何だがそりゃあそう答えるしかないよなと大作は思った。
とは言えこの機会にそういうことを真剣に考えてもらうのも悪くないはずだ。
言われたことしか出来ないような奴は要らない。チームの目的を達成するためにメンバーの一人一人が自分に何が必要なのか考えることは大切だ。
「まあ、急に言われても分かんないかも知れないけど考えといてくれ。適切な目標設定はゴールへの最短の近道なんだ。いつでも相談に乗るぞ」
「私めには聞いて頂けないのでしょうか?」
ほのかが少し遠慮がちに言う。面倒臭い奴らだと大作は呆れ果てた。だが、極力顔に出さないよう注意して愛想良く答える。
「拗ねるなよ。次に聞こうと思ってたんだ。ほのかは何になりたいんだ」
「私めも大佐のお側で末永くお仕えしとうございます。津田様には何としてもお許しを頂きますので、この命が果つるまで終生お世話させて下さいませ」
お前らは何で質問の意図を正しく理解出来ないんだ。俺の説明が悪いのかと大作は自己嫌悪しそうになる。
「そうじゃ無くてだな。俺の仕事を手伝うにしてもいろいろあるじゃないか。ほのかの場合は財務経理を任せるって言っただろ。だったら簿記の資格を取るとか、社会保険労務士を目指すとか。メイに言った話をちゃんと聞いてたか? 常に自分自身のスキルアップを心掛けてくれ」
「心得ました」
返事は良いが全然分かって無いって顔に書いてある。まあ、金山開発が一段落して余裕が出来たらキャリアパス制度を策定しよう。大作はスマホのto do listに記入する。大作にだって学習能力はあるのだ。
どうせこのハーレム状態は船旅の緊張下における吊り橋効果だ。小さな女の子が『大きくなったらお父さんと結婚する』とか言ってるのと同じで絶対に長持ちしない。
すぐに『お父さんとのパンツと一緒に洗濯しないで』とか言い出すに決まっているのだ。
吊り橋効果が切れてもチームが空中分解しないように今のうちに結束を固めなければ。
お園も聞いて欲しそうにチラチラとこちらを見ている。言いたきゃ勝手に言えよ。お前そんなに控えめなキャラだっけと大作は思う。
「お園は何か目標は出来たか? 前は食べるのを仕事にしたいって言ってたよな」
「そんなこと言ったかしら? 私は天文学をもっと勉強したいわ。大きな反射望遠鏡を作って目で見えない暗い星を見たいの。白色矮星や赤色矮星を見たい。超新星爆発とか降着円盤とか他にも……」
「どうどう、分かったから落ち着いて。やりたいことが見つかって良かったな。応援するぞ。ただしラピュタのお宝が一段落するまではこっち優先で頼むぞ」
「分かってるわ。望遠鏡を作るのにもお金が掛かるんでしょう」
理解が早くて助かる。
反射望遠鏡の原理が考案されるのは1663年だがこの時代でも実現可能だろう。
1789年にハーシェルは百二十二センチの反射望遠鏡を作ったが、その頃は金属板を研磨して使っていた。
熱膨張の少ないパイレックスで作るのがベストだし組成は分かるんだが、ホウ素なんてこの時代に入手出来るんだろうか。中国から輸入か?
アルミ蒸着メッキやシリコンコートも難しそうだ。まあ青板ガラスに銀メッキするだけでも金属鏡の三倍以上の集光力だ。
大作は『空から日本○見てみようplus』で町工場がカーブミラーを作っているのを見たのを思い出す。
アクリル板を真空で引っ張って窪ませ、真空チャンバーでアルミ蒸着していた。
あまりにも簡単に作っていたので驚いた記憶がある。まあ、カーブミラーと反射望遠鏡じゃ比較にならんけど。
赤色矮星はラランド21185の発見くらいなら楽勝だろう。いま持っている単眼鏡ですら見えるんじゃないだろうか。
白色矮星はかなり難しそうだ。エリダヌス座40番星BやシリウスBを狙うよりヴァンマーネン星を探した方が良いだろうか。
超新星は1572年にカシオペヤ座で-4等星のが見れるはずだ。
それにしてもなんだってお園は天文学に夢中になってしまったんだろう。
次々に天文学の重要な発見をして後世に偉大な天文学者として名を残したら大変だぞ。
お園の法則、お園定数、お園の限界、お園宇宙望遠鏡。
お園って名前は可愛くて好きなんだけど論文を発表する時は名前を変えた方が良いかも知れない。頃合いを見て勧めてみようと大作は思った。
「残念ながら降着円盤は難しそうだな。はくちょう座X-1を望遠鏡で見てもBO型の青色超巨星が見えるだけだ。人工衛星でX線観測でもしないと降着円盤を見たことにはならん。でも他は全部見れるから安心しろ。Trust me!」
「ありがとう大佐。楽しみにしているわね」
「みんなもお園を見習って目標を立ててくれ。適切な目標があれば俄然やる気がでるぞ。さて、俺たちは夕方には筑紫島に着く。なので少し予習しておこう。筑紫島には筑前国・筑後国・肥前国・肥後国・豊前国・豊後国・日向国・大隅国・薩摩国の九国があるんで九国とも言う。とりあえず俺たちは九州と呼ぶことにしよう。三世紀っていうと、えーっと、千三百年くらい前かな。その頃に書かれた魏志倭人伝には……」
大作は必死になって九州に関して説明したが三人の関心を引くのは至難の技だと思い知らされた。
まあ、立場が逆だったら絶対に退屈する自信がある。精一杯面白そうな話題を盛り込んだが半分以上は聞き流されているようだ。
昼過ぎには進路上に九州が見えてきた。女性陣はもちろん大作も興奮を隠し切れない。もう勉強どころでは無くなって来たので九州に関する雑談と質疑応答で時間を潰した。
「じゃあ大佐は邪馬台国は九州にあったと思うの?」
お園が少し不満げに聞いてくる。そんなこと知るわけ無いだろう。大作は考えても分からないことを延々と考えるのは嫌いなのだ。
「知らん! ただ、魏志倭人伝に書いてある通りに進むと、とんでもないところに行ってしまうな。まあ、当時の九州は吉野ヶ里遺跡からも分かるように群雄割拠の戦国時代だったのは間違い無いな」
「千三百年前の人たちも戦ばっかりしていたのね。なんで仲良くできないのかしら」
「人間の業って奴じゃ無いか? 衣食足りて礼節を知るとか言うけど腹一杯でも宗教とか自治権とかどうでも良いことで殺し合う奴はいるぞ。片方が仲良くしたくても相手が戦いたければ戦になる。戦が嫌なら戦をしたがってる奴を皆殺しにするしか無いな。まあ、俺がやろうとしてるのは正にそれだけど」
お園は何か思うところがあったのだろうか。それっきり黙りこんでしまった。
メイとほのかも空気を読んで静かに海を見つめていた。
夜明け前に出発して漕ぎ手が頑張ってくれたお陰で日没前に余裕を持って日向の港に着くことが出来た。
本当に長い旅だった。江戸から数えて二十日くらいだろうか? ちゃんと日記を付けておけば良かったと大作は後悔する。まあ、お園に聞けば分かるだろう。
「お園。俺は今、猛烈に感動している!」
「そうなの? 他と変わりない港よね。堺の方が何倍も大きいわ」
「大きさじゃ無いよ。江戸から二十日も掛かった旅が終わったから喜んでるんだ」
「二十四日よ。それに旅は終わってないわよね?」
細かいことに拘る奴だな。それはそうと感動出来ないって失感情症って病気じゃないだろうかと大作は邪推する。
どうせこれも船旅のストレスだろう。当たり前だが特効薬なんて無い。心理面もあるだろうが六日間ほとんど運動していない影響も大きいのだろう。明日からまた歩きだから運動は大丈夫だ。とりあえずストレッチでもやっておこう。
「全員集合。いまからラジオ体操をやるぞ。俺の真似をして体を動かしてくれ」
「らじおたいそう?」
ラジオ体操には第一と第二があり、さらに第一だけでも初代から三代目まで三種類ある。
一番ポピュラーなラジオ体操第一(三代目)は服部正(1908-2008)作曲で権利はかんぽ生命が持っており、使用に当たっては申請が必要となる。
ただし幾つかの例外があり、企業・自治体等において職場の健康増進を目的として始業前や昼休みなどに使用する場合は申請が不要となる。
始業前でも昼休みでも無いが『など』を拡大解釈させてもらおう。我々は株式会社ラピュタの従業員であり、今は業務時間中の休憩時間だ。
俺が社長なのでそうだと言ったらそうなのだ。
「まずは背伸びの運動!」
ラジオ体操第二は團伊玖磨(1924-2001)作曲で権利はかんぽ生命とNHKが持っている。第一の場合とは違って申請不要の例外は無いようだ。
とはいえ『商業的利用には申請が必要です』と書いてあるということは商業的利用で無ければ申請不要なのだろう。
大作たちは続けて第二を行う。第一よりテンポが速く運動量が多い。
両脚で跳ぶ運動ではメイとほのかの巨乳が大揺れした。お園の慎ましやかな胸は微動だにしない。
その様子を見た大作は必死になって限界まで我慢した。だが結局は大爆笑してしまい三人から冷たい視線を浴びた。
日向の人々が物珍しそうに眺める中、四人は一心不乱にラジオ体操して夕飯までの時間を潰した。
四人も船もこんな時間から出発する訳にもいかない。明日の朝食まではお世話になることにして四人は今晩も船で眠らせてもらうことになった。
明日の夜こそ、どうやって一人用テントで四人で寝るかを考えなければならない。大作は今から頭が痛くなってきた。
床に入ってから寝るまでの少しの間、大作はちょっとした気まぐれで四人にとある歌を教えた。九州に着いて最初の夜はそうやって更けて行った。
翌朝、四人で手分けして慎重に金を陸まで運んだ。
食事を終えるといよいよ船乗り達とのお別れの時が来た。
「船長のお陰で僅か六日で筑紫島に着くことが叶いました。お礼の申しようもございません。せめてもの感謝の気持ちに四人で歌わせて頂きます。お耳汚しでしょうがお楽しみ頂ければ幸いにぞんじます」
大作は勿体ぶって挨拶すると三人に向き直り軽くうなずく。
故郷
作詞 高野辰之(1947年没) 作曲 岡野貞一(1941年没)
「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと
如何います父母 恙無しや友垣
雨に風につけても 思い出ずるふるさと
志を果たして いつの日にか帰らん
山はあおきふるさと 水は清き ふるさと」
盛り上がるような歌では無いと思ってはいたが船乗りたちの表情が暗い。って言うか泣いてる人がいるぞ。背を向けた船長も肩を震わせている。
別れに涙は禁物だとか聞いたことがある。選曲をミスったかと大作は焦る。だが今さら手遅れだ。大作は考えるのを止めた。
「け、結構な歌をお聞かせ頂きありがとうございました。船乗りたちもみな、里が恋しゅうなってしもうたようにございます。餞別代わりにこれをお受け取り下さいませ」
船長が得体の知れない雑穀が入った袋を差し出す。予定より早く着いたので余分の食料を恵んでくれたのだろうか。大作は丁重に礼を言って受け取った。
「それでは拙僧たちはこれにてお別れさせて頂きます。堺に戻る際にも是非お乗せ頂きたい。その時はよろしくお願いいたします」
「畏まりました。堺に戻った折りには大佐様が無事に日向に着いたことを津田様にお伝えしておきますのでご安心下さりませ。それでは旅のご無事をお祈りしております」
「船長も道中お気を付けて、しからばこれにて」
船は滑るように走り去った。四人は船が見えなくなるまで港で見送る。
ここからは少しの油断も許されない。緊張感を持ってもらうため、ガツンと一発言っておこう。
大作は三人に向き直り、ニヤリと邪悪な笑みを浮かる。
「諸君、地獄へようこそ」
「え~~~!」
「冗談だよ」
女性陣の冷やかな視線が大作のガラスのハートに突き刺さる。
『なんでこいつらこんなにノリが悪いんだ!』と大作は心の中で逆ギレした。




