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巻ノ四百九 呷れ!一気に酒を の巻

 遠い遠い伊賀くんだりまで遥々やってきた大作と愉快な仲間たちは百地丹波のお屋敷で歓待を受けた。歓待を受けたのだが……


「さあさあ、大佐殿。まずは一献!」

「いや、あの、その…… 実は先月の人間ドックで肝臓の数値が悪かったんですよ。だもんで、医者からアルコールを止められておりまして」

「おやおや! 大佐殿ともあろうお方が、たかが『あるこおる』如きに怖気づかれましたか? 然らば儂が大佐殿の分まで飲むと致しましょうか。うわはははは!」


 百地丹波は豪快に高笑いすると大きな盃を一息に(あお)った。

 だが、人間離れしたレベルにまで研ぎ澄まされたお園の注意力はト書きに潜んだ僅かな違和感すら見逃すつもりは無いらしい。


「あらあら、大佐。呷るって言うのは残さず飲み干すって意味でしょう? 『一息に呷る』だと語彙が重複してるんじゃないかしら?」

「そ、そうかなあ? でも、慣用句として普通に使われてるんじゃね? えぇ~っと…… ほら、ここを見てみ。『一気に呷った』って使い方だけど馳星周が夜光虫って作品の中で使ってるみたいだぞ。この本は腐っても直木賞の候補に上がった名作なんだからな」

「あのねえ、大佐。『上がる』じゃなくて『挙がる』よ。とにもかくにも、それって詰まる所は選ばれなかったって事でしょう? だったら信じるには値しないわね。他には無いの? 他には?」


 けんもほろほろ…… じゃなかった、けんもほろろと言うか取り付く島もないと言うか…… この件でお園は一切の妥協をするつもりが無いらしい。

 だが、大作としてもここは絶対に譲ることのできない一線だ。

 必死になってスマホを操ること暫し。どうにかこうにか役に立ちそうな情報を見付けることができた。


「夜光虫は直木賞を取れなかったけど『少年と犬』で馳星周は第百六十三回直木賞を受賞してるみたいだな。それに吉村萬壱のハリガネムシって作品にも『一気に呷った』っていう表現は出てくるみたいだぞ。ほれ見ろ! こっちは芥川賞受賞作なんだ。どんなもんだ、参ったか!」

「何で大佐が偉そうにしてんのかしら? って言うか、芥川賞と直木賞ってとっちが偉いのかしらねえ?」

「ど、どっちが偉いってことはないんじゃね? だって両方とも賞金は百万円なんだぞ。賞金だって懐中時計だしさ。ちなみに芥川賞が純文学なのに対して直木賞は大衆小説だって言われてるみたいだな。それと芥川賞は新人作家の登竜門って感じだけど最近の直木賞は中堅作家がメインになってきてるんだとさ。そう言えば……」


 そんな愚にも付かない与太話で一同が盛り上がっている間にも百地丹波はすっかり出来上がってしまっていた。


「大佐殿! 大佐殿は儂の酒が飲めぬと申されますか? んん~っ?」

「いやいや、先ほども申し上げましたでしょうに。医者にアルコールを止められておるんですって。こないだネットで見た話ですけど健康を考えると一週間の純アルコール摂取量は百五十グラム以内にしておいた方が良いみたいですぞ。エタノールの比重って0.789くらいでしたっけ。そうなると日本酒の場合は……」


 そんな阿呆な話で時間を稼ぎながら大作はスマホの電卓を叩いて…… と思ったけれど、この時代の日本酒のアルコール度数が分からないんですけれど?


「まあ、アレですよアレ。飲み過ぎには注意しましょうって話ですよ。それより百地殿。そろそろ仕事の話に入って宜しいですかな?」

「しごと?」

「仕事とは生業(なりわい)の意にございます。此度、我らが遠く伊賀まで参ったのは何故かをお話したいと申してオラれるのでございます」


 もはや解説キャラと成り下がったお園が必要にして十分な説明をしてくれた。大作はアイコンタクトで謝意を表すと百地丹波にグイグイと詰め寄る。


「単刀直入に申しましょう。伊賀から兵を百人ばかり融通して頂きたい」

「ひゃ、百人?! 兵を百人にございますか?」


 予想外の展開に百地丹波は一遍に酔いが覚めてしまったらしい。一瞬で真顔に戻ると思わず姿勢を正した。

 さて、ここからが本番だ。こういう時は始めに結論。それから理由を三つ上げるのが定番とされている。大作は頭をフル回転させながら次に話すことを考える。考える。考えたのだが……

 しかしなにもおもいつかなかった!


「残念ながら現時点では行き先や作戦の目的を明らかにすることはできません。例えるならば装甲騎兵ボトムズの第一話みたいな感じですかな。ですが、楽しくて実りある旅になることを保証いたします。期間は行き帰りを含めて一ヶ月くらい。食べ物は基本的に現地調達になります。ですが、軍資金はたっぷり用意してありますんでご安心下さい」

「そうは申されますが、大佐殿。行く先すら分からぬ戦に誰が喜んで集まりましょう? 斯様な仕儀では人の集めようがございませぬぞ」

「いやいや、そんなことはありませんぞ。マジカルミステリーツアーみたいで面白そうじゃありませんか? 最近は行き先の分からん航空券とか、どこまで乗れるか分からんサイコロきっぷとかあるんですよ。ここは一つ、騙されたと思って参加して下さいな」

「うぅ~ん…… 大佐殿がそこまで申されるならば郷の者に声は掛けてみますが。はたして如何ほどの人数が集まるものやら」


 百地丹波は苦虫を噛み潰した様な顔をしながら盃を呷る。

 って言うか、このおっさんまだ飲んでたのかよ! いくら何でも飲み過ぎじゃね? 介抱させられる羽目にでもなったら嫌だなあ。

 と思いきや、百地丹波は手を叩いて家人を呼ぶと膳を下げさせた。どうやら宴もたけなわということらしい。


「然らば大佐殿。明日から兵を集めに村々を回ると致しますか。長旅でさぞやお疲れにございましょう。今宵は早うお休み下さりませ」

「そ、そうですな。では、お言葉に甘えて」


 どうやら明日は二日酔いに悩まされる心配は無さそうだ。大作はほっと安堵の胸を撫で下ろした。




 翌朝、まだ夜も開けぬうちに目を覚ました大作たちは急いで朝餉を済ませる。東の空が白み始めたころ百地丹波の後ろに金魚の糞みたいにくっ付いて屋敷を後にする。


「既に村々には人を走らせておりますれば、行く先々で支度が整っておる事にございましょう。然れども、いったいどれ程の人数が集まるかは見当も付きませぬなあ」

「同種の過去事例とかはございませぬか?」

「どうしゅのかこじれい? うぅ~む、儂も斯様な仕儀で人を集めるのは初めての事にございますれば」


 百地丹波は分かったような分からんような表情を浮かべて首を傾げるのみだ。


「だったら…… だったらフェルミ推定してみましょうか。確か伊賀全体だと人口十万人くらいなんですよねえ? そのうち半分くらいが男。子供や年寄を除けても対象となるのは二、三万人ってところですかな? みなさん仕事もあるでしょうけど、仮に百人に一人が参加してくれるだけで二、三百人は集まるんじゃないですか? ちょっと楽観的過ぎますかな?」

「さ、さあ…… 如何なる物にございましょう。言われてみれば、高が百人ほどの兵ならば容易く集められるかも知れませぬなあ。集まらぬかもしれませぬが」

「そうよ、大佐。案ずるより産むが易しって言うでしょう? むしろ人が集まり過ぎて困っちゃうかも知れないわよ。そうなった時の事も考えておいて頂戴な」


 お園が何の根拠も無い気休めを言う。とは言え、集まり過ぎても困っちゃうのは確かだな。大作はストップを掛け忘れたせいで大惨事になった孤児院の件を思い出して頭を抱え込んだ。


 山道を西に数分ほど歩いて行くと急に視界が開ける。細い川の左右の狭い平地に青々とした田畑が連なっていた。


「大佐殿、このまま二里ばかり歩けば上野にございます」

「上野って言っても西郷さんが立ってたりはしないんでしょうなあ?」

「西郷さんって誰なのよ? もしかして、大佐。その女にも懸想してたんじゃあないでしょうねえ?」

「いやいや、懸想していないから! そもそも西郷さんは男ですから!」


 そんな阿呆な話をしながら田畑の中を歩いて行くこと暫し。遠くの方から足早に駆けてくる二人の人影が現れた。


「大佐ったら、こんな所にいたのね! 私たち一晩中駆け回って探していたのよ!」

「まさか父上と一緒にいたとは思いもよらなかったわ!」


 手が届きそうな距離まで詰め寄ってきたサツキとメイが興奮気味に捲し立てる。

 って言うか、こいつらのことを完全に忘れていたぞ。大作は冷や汗を掻きながら適当な言い訳を探して頭をフル回転させる。フル回転させたのだが……

 しかしなにもおもいつかなかった!


「アレだ、アレ。俺たちも死ぬほど心配してたんだぞ。だけど何の連絡手段も無いだろ? だもんで、当初の予定通りに百地様のお屋敷へ行ってたんだよ。それ以上でもそれ以下でも無いんだからな。まあ、今度からは逸れた時の集合場所とかをちゃんと決めておこうか」

「次からは気を付けてね。一つ貸しよ」

「いやいや、貸しとか借りとかじゃ無いですから」


 和気藹々と燥ぐ大作たちの輪から少し離れた所で百地丹波が仲間に入りたそうに立ち尽くしている。

 大作は気が付いていながら敢えて気付かないふりを装った。


「ところでサツキ、メイ。久々に父上に会えたんだ。お互い積もる話もあるんじゃないのか? 俺たちはちょっと休憩するから三人で……」

「そんなことより、大佐。私たち夜も寝ないで一晩中駆け回っていたからとっても眠いしお腹も空いてるのよ。だからお屋敷に帰って朝餉を食べて寝ることにするわね」

「父上、大佐。また後でね!」


 唖然とした顔の百地丹波を後に残してくの一コンビは颯爽と風の様に走り去った。


『食べて直ぐ横になると牛になるぞ』


 大作は心の中で小さく呟くと上野へ向かう歩みを再開させた。


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