巻ノ四百七 渡れ!橋の真ん中を の巻
翌日の朝餉を済ませた大作たちは津田宗達の天王寺屋を後にした。
「これは僅かだが取っておいて下さりませ。せめてもの心尽くしにございます」
「さ、左様にございますか。では、有り難く頂戴いたします」
心底から怪訝そうな顔をしながらも津田宗達は金塊を受け取ってくれた。受け取ってくれたのだが……
「ほほぉう、此れが噂に聞きし金山で採れた黄金にございますか! 見事なる物にございますな。筑紫島ではいったい如何ほどの黄金が採れるのでございましょう? 是非とも詳らかな話を伺いとう存じまする」
「いやいや、申し訳ありませんが金山に関することは社外秘となっておりましてな。って言うか、お恥ずかしい話ですが細かいところは拙僧も存じておらぬのですよ。ご存知ですか? 米軍のパイロットは捕虜になった時、知っていることは全部話しても良いそうですぞ。そもそも敵に知られて困るような情報は初手から教えていないんだそうな」
「そ、それは口惜しゅうございますな……」
津田宗達が人を小馬鹿にしたような半笑いを浮かべながら適当な相槌を打つ。
大作はイラっときたが強靭な精神力を総動員して何とか抑え込んだ。
「そんな顔をしないで下さいな。津田様には笑顔がお似合いですよ。そうだ! 今度、見学に参られては如何でしょうか? 現地集合現地解散で宜しければ宿代と食事くらいはこちらでサービスさせて頂きますから。一番安いコースですけどね。ああ、もろちん…… じゃなかった、もちろん差額を払って貰えばグレードを上げることもできますけど」
「おお、其れは有難きお話にございます。なれば近々、筑紫島を尋ねさせて頂きましょう」
これにて一件落着! 心の中で絶叫すると大作は今度こそ天王寺屋を後にした。
一同は堺の大通りを東に向かって歩く。朝も早い時間だというのに町は既に賑わいを見せている。
掃き掃除をしている丁稚風の年端もいかない少年。店先に商品を並べている若い手代。積荷を山のように過積載した馬を引く馬子。派手な着物を着飾った買い物客らしき人々。
活気というか喧騒というか何とも形容し難い熱気に包まれた人混みを掻き分けながら進んで行く。暫く歩くと前にも通ったことのある橋が幅の広い堀に掛かっていた。
「いいか、みんな。ここは一休さんに肖って橋の真ん中を通るぞ」
「どうして? どうして真ん中なの? 端っこじゃあ駄目なのかしら?」
「いい質問ですね、ほのか。それは『この橋渡るべからず』だからだよ。端を渡っちゃ駄目だから真ん中を渉るんだ」
「うふふ…… それってただの駄洒落じゃないのよ。あはははは、大佐ったら可笑しいの!」
堀を渡ると急に町並みが変わる。って言うか、町ではなくなってしまう。薄汚い掘っ立て小屋や廃屋が目立ち、更に進むとそれすら無くなってしまった。
大仙古墳(仁徳天皇陵)を右手に見ながら河内平野をひたすら歩く。見渡す限りに広がる水田とため池の中を街道がどこまでも果てしなく伸びている。遥か彼方に聳える山々は生駒山系なのだろうか。
「今日中に奈良までは歩きたいな。そうすれば明日のうちには伊賀に着けるだろ?」
「そうねえ。途中で道草を食ったりしなければ着けると思うわよ」
「みんな一度は通った道だろ? 別に観光したいところも無いよな? んじゃ、先を急ぐとしようか。みんなぁ~っ! 頑張って行きまっしょい!」
「「「頑張って行きまっしょい!」」」
古墳だらけの平地を進むこと三時間。石川の浅いところを選んで慎重に歩いて渡る。川で水を汲み、濾過器で浄水を作ってお湯を沸かして茶を淹れる。一同は天王寺屋で作ってもらった弁当に舌鼓を打った。
あんまりのんびりとしている時間も無いので食べ終わるのも早々に出発する。石川に沿って暫く北上すると大和川と合流した。粗末な端を渡って右岸へ渡り大和川に沿って東へ進む。これが所謂『竜田越』と呼ばれる現在の国道二十五号に相当する道だ。
名前の由来は途中で越える竜田山とかいう謎の山に因んでいるそうな。
「竜田山ですって? それってどんな山なのかしら?」
「三郷町の龍田大社の西、信貴山の南にあったらしいな」
「あったらしい? 今はもう無いって言うの? 山が消えちゃうなんて話、聞いた事も無いわよ?」
「GoogleMAPにも載っていない幻の山なんだよ。地殻変動か火山活動か。あるいは土地開発による造成工事なのか。理由は知る由もないが僅か五百年で巨大な山が跡形も無く消えてしまったんだ。これぞ現代のミステリーだな」
「それはだぶん誰も竜田山っていう名前で呼ばなくなっただけだと思うわよ。たぶんだけど」
大作とお園の楽しい語らいにメイが無粋な茶々を入れてくる。大作はちょっとイラっときたが空気を読んで華麗にスルーした。
進むに連れて徐々に坂道の傾斜が増してくる。だが、所詮は川沿いの道なので然程の休憩者でもない。とは言え、川が蛇行しているので山肌との間に挟まれた細い道も狭くて曲がりくねっている。
大作と愉快な仲間たちは愚にも付かないような無駄話に花を咲かせつつ一歩一歩ただひたすら前へ進んで行く。
地図によれば大和川の対岸に位置する明神山に送迎山城とかいう城があるそうな。しかし山と一体化してしまっていて城がどこにあるのかすら定かではない。
少し進むと山並みが途絶えて平地に出た。三キロほど北西には松永久秀爆死事件で有名な信貴山城があるはずだ。しかし、手前にある大きな山に隠れて見えない。
この時代、名物の平蜘蛛はどこでどうしているのだろう。謎は深まるばかりだ。
左から富雄川とかいう川が合流してきたので歩いて渡る。更に進むと今度は佐保川とかいうのが合流してくる。
暫く佐保川に沿って進むと今にも崩れそうな粗末な橋が現れたので真ん中を歩いて渡る。
周囲は見渡す限り田んぼと畑が広がっていて古都奈良の面影というか片鱗というか…… 情緒の欠片も見当たらない。
重い足を引きずるようにして、ひたすら歩いて行く。太陽が西の空に傾くころ、ようやく天理市の辺りに辿り着いた。
「やっと天理まで来たぞ。もう一踏ん張りしておこうか」
「てんり?」
「天理市を知らんのか? 天理教で有名じゃろ? 江戸時代末期に興った宗教で…… ってことは、この時代には無いのか!」
「この辺りは丹波よ。大佐ったらそんな事も知らないで伊賀を目指していたの?」
「頼りないわねえ。何だか私、気が憂いてきたわよ」
サツキとメイの視線がとっても痛い。心底から呆れ果てたといった感じの嘲り笑いを浴びせられた大作は穴があったら埋めたい気分だ。
「あのなあ、お二人さんよ。随分と言いたい放題を言ってくれるな。でも、しょうがないじゃんかよ。ここいらはお前らのホームグラウンドだろ? 詳しくて当たり前じゃんかよ」
「ほおむぐらうんど? 違うわよ。ここいらは丹波だわ」
「いやいや、丹波国っていうのは山陰地方じゃなかったっけ? そんな気がするんだけどなあ……」
イマイチ自信の持てない大作は曖昧に言葉尻を濁す。だが、暴走特急の如く勢いづいたメイの追求は留まることを知らない。眉根を釣り上げると荒々しい語気で突っかかってきた。
「そんなの知らんわよ! 平安の古から丹波庄とかいう荘園があったんだからしょうがないでしょうに!」
「どうどう、餅付きなさいなメイ。あの辺りが丹波っていうのは旧事記に出てくる物部布都久留の三男、物部多波連公とかいうお方が住んでいたからだそうよ。Wikipediaにそう書いてあったわ。あと、丹波国から市神様の恵比寿様勧請したからだとも書いてあるわね。丹波市って呼ばれるようになったのもそのせいじゃないかしら。そう言えば……」
そんな阿呆な話で盛り上がっている間にも日はどんどん西の空に傾き、辺りは急に薄暗くなってきた。
細い川に沿って谷間に入って行く。地元民のサツキとメイに任せておけば万の一つも道に迷う心配は無いだろう。と思いきや……
「今宵はこの辺りに泊まるとしましょうか」
「岩屋の磨岸仏よ。何とはなしにご利益がありそうでしょう」
切り立った山肌を見上げれば巨大な岩盤から削り出された磨岸仏が鎮座ましましている。
こんなところで寝て大丈夫なんだろうか。大魔神怒るみたいに動き出したら怖いんですけど。想像した大作は吹き出しそうになったが空気を読んで我慢した。
みんなで手分けして夕餉の支度をちゃっちゃと済ませる。明日も一日歩き通しになる予定だ。少しでも疲労を回復しておきたい大作たちは食器を洗うのも早々に床に就いた。
翌朝、まだ暗いうちに目を覚ました一同は朝餉を済ませると大急ぎで出発した。
高瀬川に沿って谷間をただただひたすら東へ進んで行く。数キロほど進んだところで川から外れて尾根道を北東に向かう。北東に向かったのだが……
くねくねと曲がる山道はいったい何処へ向かっているのか皆目見当が付かない。
「なあなあ、サツキとメイさんよ。本当にこの道で合ってるんだろうな? 間違ってやせんだろうな? 弘法も木から落ちるって言うだろ?」
「そんな事、言わないわよ!」
偶に猫の額のように狭い平地が現れたかと思えばすぐにまた険しい山道が現れる。かと思えば不意に段々畑が連なっていたり。なかなか変化に富んでいて飽きないものだ。
暫く進むと左手に山城というか砦というか…… 何とも形容のし難い軍事施設らしき物が見えてきた。途端にドヤ顔を浮かべたメイが顎をしゃくった。
「アレは福住中定城よ。筒井家の御家来衆の福住氏とか申される方々のお城らしいわね。詳らかな事は知らんけど」
「知らんのかよ!」
山道を散々に歩かされて疲れ果てた大作は渾身の力を振り絞って突っ込みを入れる。
「今度は椿尾上城よ。十何年か前に筒井様が築かれたそうね。筒井城っていう平城の詰城らしいわよ」
「ふ、ふぅ~ん。そうなんだぁ~っ……」
ドヤ顔のサツキが死ぬほどどうでも良い知識を披露してくれる。だが、こんな何の役にもたたなさそうな情報では話の膨らませようがない。
「アレは椿尾城よ。ここも筒井様が築かれたんですって」
「そ、そうなんだ。筒井順慶ってよっぽど城が好きだったんだな。バイエルン王・ルートヴィヒ二世じゃあるまいし。って言うか俺、筒井順慶って大嫌いなんだよな。いつもどっちつかずの態度を取ったせいで結局は全てを失っちまったじゃんか」
「順慶? 何なのそれ? もしかして美味しいの?」
顔中に疑問符を浮かべたお園が物凄い剣幕で食らい付いてきた。大作は咄嗟に両腕でガードしながら距離を取った。
「筒井と言えば順慶、順慶と言えば筒井だろ! あの、洞が峠で有名な。天文十八年(1549)生まれだっていうから…… まだ一歳かよ! って言うか、今の当主の筒井順昭って人は来月死ぬんだな。ご愁傷さまなことで。ふぅ~ん、順昭は自分が死んだ後、一年間は死を伏せておくように言い残したんだとさ。んで、黙阿弥っていう目の見えない法師を身代わりっていうか影武者っていうか…… ピンチヒッターに立てたんだそうな。んで、一年たったらお払い箱。それが『元の木阿弥』って言葉の語源なんだとさ(諸説あり)」
「私、『もとのもくあみ』なんて聞いたことも無いわよ」
「だから、いま言っただろ。来月に筒井順昭が死んで一年経ってからの話だって。いま『元の木阿弥』なんて言ったって誰にも通じないんだから。いや、待てよ。今のうちに『元の木阿弥』って言葉を商標登録しておけば一儲けできるかも知れんぞ。夢が広がリング! そうと決まれば話は早いな。早速にも……」
そんな阿呆な話をしている間にも一同は山道をただただひたすら歩き続ける。歩き続けたのだが……
いったいどこをどう歩いていたんだろう。途中から意識が朦朧として記憶がはっきりしない。
気が付いた時には伊賀国分寺の横を通り抜けようとしていた。
目の前に急に山が迫ってきたかと思うと細い細い谷間を通り抜ける。ほんの数百メートルほど進むと突如として狭い平地が現れた。
「漸く喰代に着いたわよ。私、先に知らせに行くわね。みんなには内緒、怖がるといけないから。大佐も急いで!」
「お前はナウシカかよ!」
大作の突っ込みを軽くスルーしてメイが駆けて行く。
「ちょっと待って頂戴な、メイ! 私も、私も一緒に行くわ!」
「ちょ、おま…… サツキまで行っちまったら俺たち道が分からないんですけど……」
大作は助けを求めるようにお園、ほのか、藤吉郎の顔を順番に見回す。見回したのだが……
まるで口裏を合わせたかのように全員が揃って目を逸らせて知らん顔を勘兵衛を決め込んでいた。
「違うわ、大佐。それを言うなら『知らん顔の半兵衛』でしょうに」
「ここ試験に出るから間違えないで頂戴ね」
お園とほのかが鋭い突っ込みを入れてくる。
「負うた子に助けられたか」
大作はユパ様のセリフで反撃するのが精一杯の抵抗だった。




