巻ノ四百参 応答せよ!鶴ケ岡城 の巻
鶴ケ岡城で予想外の足止めを食らった大作たちは川下りを再開した。平佐で無事にサツキとの合流を果たした一行は川内川の河口付近にある久見崎の造船所へ辿り着く。
出迎えに現れたのは誰あろう入来院重朝(岩見守)の小姓、千手丸であった。
「ご覧下さりませ、大佐殿。これぞ入来院水軍Z艦隊の弐番艦『名前はまだ無い』にございます」
「いやいや、千手丸殿。『名前はまだ無い』って言うのは仮の名前ですぞ。ユパさまみたいに後でちゃんとした良い名を送らせて頂きます故、首を洗って…… じゃなかった。首を長くしてお待ち下さりませ。キリンみたいに」
「ミャンマーのカレン族みたいにね」
「轆轤っ首も長いわよ」
「ジェレヌクやアルパカだってそうね」
ほのかの軽口に乗っかってメイやお園が次々と口を挟んできた。サツキだけは神妙な顔をして事の成り行きを見守っている。
ここはガツンと一発かましてやらねば。大作は何でも良いから気の利いた事を言おうと無い知恵を絞った。
「そんなん言うたらブラキオサウルスとかの方が長いじゃんかよ!」
「そ、そうねえ。流石にアレには敵わないかしら。それじゃあ首の長い競争は大佐の勝ちって事にしときましょう」
「話は変わるけど蛇の首ってどこからどこまでだか知ってるか? 頭蓋骨の後ろから首の骨までが首なんだぞ。だから蛇の頭は口のすぐ後ろまでしかないんだな。口の後ろに小さな穴みたいなのがあるだろ? アレが耳なんだ。そこから後ろが首になる。ちなみに尻尾は肛門から後ろだぞ。そんでもって……」
そんな阿呆な無駄薀蓄で盛り上がっている間にも入来院水軍Z艦隊の弐番艦『名前はまだ無い』は出航した。大きな帆船は静かに凪いだ大海原を滑る様に南下して行く。
と思いきや、沖合に出るに従って海が荒れてきた。波頭は裂け、砕け散った泡が硝子の様に見える。あちこちに白波が立ち始めた。
「大佐殿、此度の練習航海は何方へ参るおつもりにございましょうや?」
「良い質問ですね、千手丸殿。って言うか、何で出航してからそんなことを聞くんですかな? まあ、丁度良いタイミングですね。船長たちにも伝えておきましょうか」
一同はゾロゾロと艫矢倉を目指して甲板を移動する。船の大きさは五百石といったところだろうか。前回に乗った入来院水軍Z艦隊の壱番艦『寧波』は二百五十石だったので倍くらいの大きさだ。
寧波が中古船の改造だったのに比べ、本船は新造艦なのでどこもかしこもピカピカで真新しい。帆桁や舵、水密式の甲板、エトセトラエトセトラ…… 何から何まで近代的かつ合理的に作られているように見受けられる。
まあ、大作は造船に関する専門的な知識なんてからっきしなのでさぱ~り分からないんだけれども。
そろりそろりと艫矢倉の引き戸を開けて中を覗き込むと見知った顔が雁首を揃えていた。
「お久しゅうございます、船長。お変わりはありませぬか?」
「おお、大佐殿こそ息災にあられましょうや?」
海図の様な物を手にした船長は振り向くとにっこり笑いながら近付いてきた。
船長の隣で一緒に海図を覗き込んでいた小柄な若い男もゆっくり振り向くと軽く頭を下げる。
相神浦松浦氏を訪問した際に当主、松浦親(丹後守)から借り受けた有田源三郎とかいう若者だ。
入来院水軍の指導育成に辣腕を振るってくれているはずだ。サボっていなければだけれども。
「ご無沙汰しておりましたな、大佐殿」
「有田様もお元気そうで何よりです」
「しかし、此度は随分と急な出立にございましたな。何ぞ火急の用でもござりましたか?」
「これも訓練の一環だと思し召されませ。実戦においては緊急出動もあり得ます。如何に短時間で出航できるかどうか。これも水軍の実力を示す重要な指標となり得ましょう」
「さ、左様にございますか」
船長と有田源三郎は分かったような分からんような表情でお互いの顔を見合わせた。
大作は心の中で『わっかるかなぁ~っ? わっかんねぇ~だろぉ~なぁ~っ!』とアフレコした。
「取り敢えずこれからの予定をお伝えしておきましょう。無論、これは予定なので状況の変化に応じて変更される可能性もあることを含み置き下さりませ」
大作は心の中で『十年後、二十年後ということも可能だろうということ……』と付け加えた。
「畏まりました」
「心得ましてございます」
そんな大作の心の内を知ってか知らずか。船長と有田源三郎は真剣な表情で深々と頷いた。
「これより本艦は西へと向かいます。海岸沿いを航行すると島津に動向を晒すことになります故、陸から視認できないほどの距離。まずは二、三里ほど離れます。そこから進路を左へと変え、沖合を南へと進みます」
「ほほぉ~う、南へ参られると申されまするか。此の間と同じにございますな。して、其処からは何処へ?」
「野間岬を回って枕崎の沖合に達する頃には日が暮れるでしょう。幸いなことに今宵は月も出て参ります故、夜通し沖合を東に向かいます。進路にさえ気を付けておれば明朝には佐多岬に着きましょう。そこで補給を済ませたら黒潮に乗って一気に室戸を目指します。風向きと潮流次第ですが二日もあれば何とかなるでしょう。後は紀伊に沿って堺まで目と鼻の先にございます」
「さ、さ、堺ですと?! 出来たばかりの船の試しと水主の修練を兼ねた短い船旅と聞いておりましたが……」
あまりと言えばあんまりな大作の発言に船長は開いた口が塞がらないといった風情だ。だが、有田源三郎はといえば対照的に内心のwktkを隠そうともしていない。ようやく巡ってきた訓練の成果を試す絶好のチャンスとでも思っているのだろう。それとも破滅の罠か?
「これまでの常識から考えれば無茶な航海に思えるのも無理はありません。ですが、本艦の性能を持ってすれば十分に達成可能なのです。船長、有田殿。自分を信じないで頂きたい。お二人を信じる拙僧を信じて下さりませ!」
「は、はぁ……」
最終的に大作は例に寄って例の如く、乗りと勢いだけで無理矢理に強行突破を計った。
順風満帆で船は南へ進んで行く。天気は晴れ。雲量は七。北北東の風、風力は三。所謂、軟風といったところだろうか。
進路に対して左斜め後ろから風を受けた『名前はまだ無い』は順調に航海を続けて行く。
って言うか、そろそろちゃんとした名前を付けた方が良いんだろうか。でも、焦って変な名前を付けるのも何だしなあ。いやいや、『名前はまだ無い』の方がよっぽど変な名前なんですけど。大作は自分で自分に突っ込んだ。
小人閑居して不善をなす。手持ち無沙汰な大作は時おり思い出したように無線機を取り出しては電鍵を叩く。今のところ、レシーバーからはクリアにモールス符号が聞こえてきている。
遥か彼方に野間岳が見えているので鶴ヶ岡城からの距離は六十キロくらい離れているのだろうか。
グリエルモ・マルコーニの無線機がドーバー海峡を挟んで通信に成功したのは1895年に行った最初の実験から四年後のことだったらしい。
それに比べれば入来院の無線機は相当に高性能なんじゃなかろうか。なにせ水銀コヒーラとか瞬滅火花放電だとかで色々と改良を加えているのだから。もしかしたら百キロくらい離れても通信できるかも知れんな。夢が広がリング!
そんな阿呆なことを考えている間にも船は進んで行く。枕崎の沖合に達するころには日が暮れてしまった。
マルコーニは最初期には波長三十センチ(周波数1GHz)くらいの電波を実験に使っていたそうな。箱型のパラボラアンテナで指向性を高めたりもしていたらしい。
だが、こんな極超短波では地平線を超えて通信することはできない。そう考えたマルコーニは1897年ごろからは接地型の垂直アンテナで短波を使っていたようだ。
その後、中波の方が遠距離通信に向いていると思ったのだろう。1908年ごろからは波長六百メートル(周波数500kHz)や波長三百メートル(周波数1MHz)の電波を利用するようになってしまった。
日本海海戦で『敵艦ミユ』を報じた三六式無線機も確か波長六百メートル(周波数500kHz)だったはずだ。
しかし、短波は昼間はD層とE層を通り抜け、F層で反射して遠くへ届く。一方、夜間にはF層が弱まるので低い周波数の方が遠くまで届くという特徴がある。
マルコーニがこれに気付いて短波で遠距離通信しようとしたのは1923年ごろ。つまり無線の実験を始めてから二十八年も経ってからのことだ。
科学者たちが度重なる観測や実験を繰り返して漸く手に入れた電離層の存在と特徴。それを初めから知っている。これを知識チートと言わずして何だと言うのか! 大作は心の中で絶叫する。絶叫したのだが……
「通信が返ってこないんですけど……」
目視で確認した限りではアンテナ線に異常は見受けられない。帆柱の先っぽから帆に触れないよう注意して張られた電線は甲板を通って艫矢倉まで繋がっている。テスターで導通を調べてみるが断線とかはしていなようだ。
もしかしてバッテリーなのか? いやいや、電圧にも問題は無いらしい。電鍵にもおかしなところは見受けられない。
他にどうにかしてチェックする方法は無いのか? 一台では送信と受信を同時に行うことはできない。どっちに問題があるのか切り分けさえできればなあ。大作が頭を抱え込んでいると横からほのかが口を挟んできた。
「ねえ、大佐。夜が更けたら通信テストはお仕舞いにするって言ってなかったかしら?」
「そ、そんなこと言ったかなあ? 俺、さぱ~り記憶に無いんですけど?」
「言ったわよ。ねえ、お園。言ったでしょう?」
ぼぉ~っと死んだ魚のような目で海を見詰めていたお園は急に名前を呼ばれてビクッとした。
「な、な、なに? 何を言ったのかしら?」
「鶴ヶ岡城で東郷のお殿様に言ったわよねえ? 日が暮れたら通信テストは止めるって」
「そうだったかしら?」 確か大佐は『日中と夜間で電離層が異なっております故、日が暮れてからもテストは実施致します。とは申せ、夜は移動せぬので夜通しやる必要もござりますまい。その日のお仕舞いの通信で『本日の通信は終了』と付け加えます故、それ以降は傍受して頂かずとも結構』とか何とか言ってたわよ」
言い終わるとお園はまた、死んだ魚のような目をして真っ暗な海面に視線を戻してしまう。
お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな。大作は心の中で呟くと無線機の片付けを始めた。




