巻ノ四百壱 翔べ!インメルマン中尉 の巻
どんぶらこどんぶらこと川舟は川内川を下って行く。貸し切り状態で乗っているのは大作、お園の仲良し夫婦とお供のメイ、ほのか、藤吉郎の総勢五名だ。
もし運が良ければサツキも追い付いてくるかも知れない。無事に合流できればラピュタ創設メンバーが勢ぞろいすることになる。
無理かも知らんけどな。大作は軽く頭を振って脳内からサツキを追い払った。
山崎を通り過ぎると川内川がクネクネと曲がり始める。この辺りが最大の難所といえば難所なのだろうか。だが、船頭の腕前は中々のものだ。擦れ違う舟や岩場を危なげなく回避しながら順調に川を下って行く。
虎居を出て二時間も経ったころ、遠く川下に斧渕が見えてきた。例に寄って例の如く、東郷の連中が旗を振り回しているのだろうか。と思いきや、見慣れた旗が綺麗さっぱり姿を消していた。
それに代わって立っていたのは天高く組み上げられた二つの櫓だ。間には紐のような縄のような物がこれでもかと張り巡らされている。これってもしかするともしかして……
「空中線じゃないかしら?」
「いま言おうと思ったのに言うんだもんなぁ~っ!」
お園に機先を制された大作は臍を噛む。と言うか、悔しさに翻筋斗を打つ。
「へぇ~っ! 翻筋斗ってこんな漢字を書くんだな。オラ、また一つ賢くなっちまったよ。へぇ~っ、へぇ~っ、へぇ~っ!」
「ちなみに、大佐。翻筋斗って言うのは蜻蛉返りの事よ」
「ふぅ~ん。ちなみに蜻蛉返りって言うと、目的地に着いてすぐに引き返すことも指すな。でも、本来の意味は蜻蛉が空中でインメルマンターンみたいに宙返りすることだぞ。話は変わるけど、マックス・インメルマン中尉って言うのは第一次世界大戦で活躍したドイツ空軍のパイロットで……」
例に寄って例の如く、大作は話題を明後日の方向へ広げようと奔走する。奔走したのだが……
その時、歴史が動いた! 川の北岸から聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。
「大佐殿! 大佐殿! 余一郎にございます!」
「おお、これはこれは余一郎殿! お元気ですかな?」
「お陰様で息災にございます。大佐殿、舟を此方に寄せては頂けませぬか。大殿が如何しても大佐殿をお連れせよと申しておられます」
川内川の流れに乗って下っている川舟の速度は五、六ノットくらいだろうか。腰に刀をぶら下げた余一郎は走り辛そうに必死に後を追い掛けてくる。
不憫に思ったのだろうか。船頭は暫しの間、竿を手繰る手を休めた。
「そ、そうなんですか? 大殿におかれましては何ぞ急用でもございますかな?」
「大方は無線機が仕上がった自慢話でもなされたいのでございましょう。お忙しいとは存じますが、暫しお付き合い頂けませぬでしょうか?」
「うぅ~ん、そうは申されましてもなあ。拙僧もこう見えて忙しい見でして。今は甲斐の国へ向かう途中にござりますれば……」
「そこを何とか。馳走を揃えた宴の支度も整うております故……」
「御馳走ですって! 船頭様、急ぎ舟を岸に寄せて下さりませ。大佐、四の五の言ってないでとっとと大殿をお訪ねするわよ! Hurry up! Be quick!」
鶴の一声とはこのことか。お園に逆らうなんてもってのほか。川舟は静かに斧渕の船着き場へと進んで行った。
余一郎の後ろを金魚の糞みたいにくっ付いて大作たちは山道を登る。久々に訪れた鶴ヶ岡城は以前と少しも代わっていない。と思いきや、城の屋根には高々とアンテナ線が掲げられていた。
「余一郎殿、アレの強度とかはちゃんと計算されていますか? 台風とか吹いたら飛んでっちゃったりしませんよね?」
「たいふう? 其は如何なる物にござりましょうや?」
「野分の意にございます」
すかさずお園がフォローを入れてくれた。大作はアイコンタクトで謝意を示すと余一郎に向き直る。
「風が吹けば桶屋が儲かるなどと申しますが台風を甘く見ない方が宜しゅうございますぞ。油断してるとごっそり持ってかれちまいますから」
「憂えずとも結構にございます。もし風が強く吹いた所で、立ち所に片付けられる様に工夫が凝らされておりますれば」
「そ、そうですか。まあ、ちゃんと考えてあるんなら良いんですけど」
そんな阿呆な話をしている間にも一同は鶴ヶ丘城の本丸へ辿り着く。
草履を脱いで足を洗い、廊下を進んで行くと前にもきたことのある座敷で東郷重治(大和守)が待っていた。
「本日は御尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じまする」
「うむ、堅苦しい挨拶は抜きじゃ。それよりも大佐殿。もそっと近う寄って儂らの作りし無線機をとくとご覧あれ」
言われて目を凝らせばドヤ顔を浮かべる重治の傍らに木の箱が二つ並んで置いてある。
大きさは宅配100サイズのダンボール箱くらいだろうか。
「それが無線機にございますか? 随分とまあ、コンパクトに纏まっちまいましたな。前はこぉ~んなに大きかったというのに」
半笑いを浮かべた大作は両手を大きく広げた。その仕草が余程面白かったのだろうか。重治も上機嫌の笑顔を浮かべている。
「そうじゃな。アレは大きかったのう。じゃが、此の参号機は工夫に工夫を重ねて斯様に小さくできたのじゃ。小さくできたのじゃが……」
「何ぞ困ったことでもございましたかな、大殿?」
「無線機、小さいが故に貴からず。かどうかは存ぜぬが、小さいに越した事はないからのう」
「では、いったい何に不自由しておるのでしょう? 小さなことが気になってしまう。拙僧の悪い癖でしてな。拙僧でお役に立てることならば何なりとお申し付け下さりませ」
大作の返事を聞いた途端、重治の表情がぱっと綻ぶ。満面の笑みを浮かべた顔には『言質を取ったどぉ~っ!』と書いてあるかのようだ。
「では、お願い致そうか。和尚にはこの無線機の電波がいったい如何ほど遠くまで届くのか。そのテストをば頼みたいのじゃ。先日、此れを網津まで運んで此処と通信が出来るものか試した所、上首尾じゃった。三里までなら滞りのう遣り取り出来るわけじゃな。じゃが、東郷の領内では其れより遠くで試すことが叶わぬ。そこで大佐殿、此の無線機を携えて何処か遠くまで行っては貰えぬじゃろうか?」
重治は二つの木箱を軽く叩きながら上目遣いで顔色を窺ってきた。
うだつの上がらない平民出に、やっと巡ってきた幸運か? それとも破滅のワナか?
まあ、どっちでも良いんだけれど。大作は小さくため息を付くと人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべる。
「これって重さは如何ほどですかな? よっこいしょういち…… 本体はともかく、バッテリーと発電機はとんでもない重さですぞ。長距離を抱えて運ぶのは勘弁して欲しいもんですな」
「だけど大佐、船で運ぶんなら何の憂いも無いわよ」
「そ、それはそうだけど…… まあ、良いか。どうせいずれは船の上で運用することになるんだし。畏まりました、大和守様。無線機テストの大役、謹んでお受け致しまする」
無線機が早期に実用化できれば山ヶ野と虎居の連絡も飛躍的に便利になるだろう。更に性能が向上すれば今に堺や伊賀との連絡すら可能になるはずだ。夢が広がリング! 大作は心の中でガッツポーズ(死語)を作った。
「では、こちらから定期的に現在位置と共に適当な短い文章を送ります。東郷様は受信した電文をそのまま送り返して下さりませ。こちらはそれを送信文と突き合わせ、内容が一致しておれば遣り取りに相違が無かったことが確認できます。宜しゅうございますかな、余一郎殿?」
「心得ましてございます」
「日中と夜間で電離層の状態が異なっております故、日が暮れてからもテストは実施致します。とは申せ、夜通しやるわけにも参りますまい。その日のお仕舞の通信では最後に『本日の通信は終了』と付け加えます故、それ以降は傍受して頂かずとも結構にございます。それと、朝は日が昇ってからテスト開始と致しましょう」
「畏まりました」
これにて一件落着! 大作が心の中で絶叫するのを待っていたかのように重治が両の手を打ち鳴らす。暫しの後、襖が静かに開くと様々な料理を載せた膳が運ばれてきた。
「では、和尚。東郷の無線機テストが首尾良く運ぶ事を祈って、さては一献!」
「いやいや、大和守様。それってアカハラ…… じゃなかった、アルハラにございますよ。ちょ、おまっ! んがんぐ……」
大作はサザ○さんみたいな奇声を発しながら無駄な抵抗をすることしかできなかった。
翌朝、一同を乗せた川舟は川内川の川下りを再開した。
大作は二日酔いに起因する酷い二日酔いを必死に我慢することしかできない。
船べりに陣取って時折襲ってくる激しい吐き気と決死の戦いを繰り広げるのみだ。
お園はただ、黙って優しく背中をさすってくれた。




