巻ノ四拾 欲しがりません勝つまでは の巻
「おはよう、大佐、メイ、ほのか」
翌朝、大作はお園の声で目を覚ました。大作も三人の目を見ながら挨拶する。
「おはよう、お園、メイ、ほのか」
昨晩、四人は遅くまで話し合って色んなことを決めた。その一つがちゃんと顔を見て挨拶することだ。人間関係の基本中の基本だ。
火を起こし、水を汲んで濾過し、雑炊を作り、食器に盛り分ける。
やっていることは昨日までと同じだ。だが今日はお園の指示の下で声を掛け合い、きちんと返事をして作業している。
チームワークという観点で見れば雲泥の差だ。
もしかして俺にはリーダーとしての素養があるんじゃね?
大作は自画自賛したい気持ちを必死で抑える。本当に有能なリーダーならそもそも危機的状況を未然に回避するものだ。
船は足摺岬に向かって真南からほんの少し西寄り、南微西に進む。これまでの実績から推測すると昼前には足摺岬を通過することになりそうだ。
昨日までは不要な心配を掛けないよう、あえて情報を制限していた。代わりに勉強で気を紛らわせようとしたのも失敗だった。
チームワークでは情報共有が重要だ。一見すると役に立たないような情報でも共有しておくことは信頼関係強化に大切なのだ。
大作はスマホに地図を表示すると堺から九州が納まるよう大きさを調節した。三人が興味深そうに覗き込む。
「みんな見てくれ。俺たちは堺から日向に船で向かってる。今朝出発したのはこの岬だ。昼前には足摺岬を通って今晩は四国の端っこ。明日の晩には夢にまで見た筑紫島だぞ」
「船って本当に凄いわね。たった四日でこんなところまで来るなんて信じられないわ」
「漕ぎ手の方々のお蔭だ。風だけが頼りだと半月では着かなかっただろうな。それはそうと今日は何の勉強をしようかな」
昨日までに小学校の算数は一通りやった。物理、化学、生物の基礎でもやっとこうか。大作は海を指差しながら話し始めた。
「水は常温常圧では液体だが冬の寒い日には凍る。鍋で沸かせば湯気になって飛んでいく。水に限らずどんな物でも温度や圧力が決まると固体・液体・気体のいずれかになる。この固体、液体、気体の三つの状態を物質の三態と言う。このような物質の三つの状態の間での変化を『状態変化』と言うんだ」
「水の他にも凍ったり湯気になる物なんてあるの? 堺で言ってた融けない銀はどうなの?」
「それは白金っていう金属だな。鉄だって白金だって強い火で熱すれば融ける。タングステンって金属は鉄が蒸発する温度でも融けない。でも最も沸点の高い物質と言われる炭化タングステンだって摂氏六千度くらいで蒸発するんだ。お天道様の表面温度より熱い温度だぞ」
実験映像でもあれば良いんだが話だけで納得させるのは難しい。そのうち機会があれば鍛冶屋にでも連れて行ってやろうと大作は思った。
予定通り昼前に船は足摺岬に近付く。波打ち際には岩礁が無数にあって怖そうだ。大作は勉強を中断した。
お園の反応が薄かった反動でここ数日というもの観光案内をなおざりにしてきた気がする。
彼女たちにとっては一生に一度の思い出になるかも知れないのだ。ちゃんとやっておかないと申し訳が立たない。
「手前の岬の先っぽが尖ってるだろ。あれが天狗の鼻だ。望遠鏡を貸してやるから見てみろ。向こうの丘の上に建ってるのが四国八十八ヶ所霊場の第三十八番札所金剛福寺だ。弘法大師の奏上により嵯峨天皇の勅願で建立されたんだ。ここからで良いから拝んでおけ」
「ぼうえんきょう? これはいったいどういう絡繰りになってるの? なんであんなに遠くにある物が大きく見えるの?」
「あとで説明してやるから今は景色を見ろ! 通り過ぎたらもう見れないんだぞ!」
船長が気を効かせて絶景ポイントを通って少し船足を緩めてくれる。大作は船長に深々と頭を下げて感謝の意を表した。
「あっちにあるのが白山洞門だ。トンネル、じゃなかった大きな穴が開いて向こうが見えるだろ。海蝕洞門って言って海の波が長い年月を掛けて岩を削って穴を開けたんだ」
「波の力って凄いわね。あっちの海岸が入り組んでるのも波に削られたからなのね」
三人は代わる代わる望遠鏡を覗いては歓声を上げる。やっぱり観光は重要だな。ガス抜きには丁度良かった。
岬の先端で船は右に大きく進路を変える。真西より僅かに北寄り。北西微西と言ったとろこだろうか。進路上には何も見えないが沖の島に向かっているのだろうと大作は思った。
メイがふと思いついたように疑問を口にする。
「ねえ大佐。この海の向こうには何があるの?」
「いい質問ですねぇ。メイは何があると思う?」
大作は池○彰になったつもりの上から目線でメイを褒める。だが、どちて坊やは困る。少しは自分で考えて貰わないと。
「何か別の島があるのかしら。もしかして南にあるから南蛮って言うの?」
「何だ。知ってるんじゃないか。海の向こうには別の国があってその向こうにはまた海がある。しまいにはぐるっと回って反対から帰って来るんだ」
「え~~~! 反対から帰って来るの?」
メイが大げさに驚く。その疑問はもっともだが大作は先に望遠鏡の話を片づけようと思う。後回しにすると忘れてしまいそうだ。
「お園、光の屈折について説明したいからレンズを貸してくれるか?」
しかし話は大作の思惑を外れて意外な方向に脱線する。
「お園はれんず、らいたー、すまほ、うでどけいまで大佐から貰ったのよね。羨ましいわ」
メイが妬ましさ一杯の目で大作を見つめる。自分にも何かくれと決して口には出さない。だが無言のプレッシャーを感じて大作はたじたじとなる。
ほのかも黙っているが今まで見た事も無いような目をしている。お前らはクレク○タコラかよ!
「俺とお園は一心同体少女隊。なんでも二人で半分こする大型犬と少年みたいなもんだ。お前らはオマケの子犬だ。やったとか貰ったとかじゃ無くて生計を一にする夫婦の共有財産なんだ」
「めんば~は対等なぱ~とな~だって昨日言ったわよね!」
「私めも大佐への忠義心ではお園に負けておりません!」
大作は目の前が真っ暗になる思いがした。昨日あれだけ頑張ったのにたった半日で元通りかよ。
女三人寄れば姦しいとか言うけど女子三人グループは仲良くなれないと言うのは本当だったんだ。Perfu○eとかチャーリズエ○ジェルも実は仲が悪かったりするんだろうか。
もうこいつらには期待するのは止めだ。『一区切り付いたら全部焼き払ってやる!』と大作は心の中で絶叫する。
そうやって簡単に切り捨てることが出来れば良いのだが現実にはそうも行かない。今まで掛けた手間暇を考えたらそんな勿体無い真似は出来っこ無い。大作は自分の貧乏性がつくづく嫌になった。
「お園、メイに腕時計を渡してくれ。スマホにも時計が付いてるから時間は分かるだろ。ほのかにはこのワイヤーソーを預ける。紐みたいだけど細かい棘が付いてて鋸になるんだ。アマゾンで百二十円もしたんだぞ。試したいからって船を切ったりするなよ」
「ありがとう大佐。無理言ってごめんね」
「有り難き幸せにござります」
「勘違いするなよ。やったんじゃ無いぞ。どれもチーム全体の共有財産だ。お前らはそれらを適切に管理するという重大な責務があるんだぞ」
値段の差は百倍近くもあるというのに二人とも素直に喜んでいる。まあ、どっちが役に立つかは状況次第だろう。
藤吉郎にはネオジム磁石を預けた。合流できたらサツキにも何かやらないと絶対に拗ねるな。千二百円で買ったシグナルミラーでも渡して誤魔化そう。
それにしてもみんな結局は物欲かよ。俺は何て人望が無いんだろう。たった一人で良いから物じゃなくて俺を必要としてくれる奴はいないんだろうか。
俺はサンタさんじゃ無いぞ。大作はなんだか悲しくなって深いため息をついた。
「何を考えているのか当ててあげましょうか?」
一人で物思いにふけっていた大作は急にお園に声を掛けられてドキっとした。なんでお園はそんなに嬉しそうにしてるんだろう。
「百二十円って一文くらいでしょ。れんず、らいた~、じしゃく、わいや~そ~、どれもそれくらいなのはみんな分かってるわ。二人とも物を貰ったから喜んでるんじゃ無いわよ。大佐が信じて託してくれたから嬉しいの。みんな大佐が大好きなのよ」
「スマホや腕時計は高いんだぞ。俺も何か欲しいよ」
「しょうがないわね~ 今はこれが精一杯」
二人から死角になっているのを確認してお園は素早く大作に口付けした。
大作は『例の怪盗のセリフだ~~~!』と叫びたかったが空気を読んで何とか我慢した。
そういえば腕時計を手放したのにお園は嫌な顔をしなかった。とりあえずお園だけは無条件に信じてみることにしよう。
これで何度目になるか分からないが大作は改めて心に誓った。
物凄い脱線だったが気を取り直してレンズや望遠鏡を使って夕方まで光学の話で盛り上がった。
「ハワイのマウナ・ケア山っていう富士山より高い山のてっぺんには口径が六間もある望遠鏡があるんだぞ。複数の望遠鏡を光ファイバーで繋いでVLT干渉計として使うことで実質口径は六十間以上だ。空間分解能が二十五倍にもなるんだ」
「そんな大きな望遠鏡をどうやって山のてっぺんに運んだのかしら」
「パーツを運んで現地で組み立てたんだろ。そんなこと言ったらハッブル宇宙望遠鏡なんて百五十里の空の上だぞ。さて、今日はこんなところにしとこうか」
日が傾いてきたので大作は本日の勉強を切り上げる。それを待っていたようにお園が口を開いた。
「大佐は堺でれんずを手に入れるよう津田様にお願いしてたわね。ぼうえんきょうを作ろうと思ってるの?」
「そうだ。先物市場には腕木通信とか旗振り通信といった長距離通信網の構築が必須だ。そのためには望遠鏡が無くてはならない。暇があればレンズから作りたいが金で手に入るならそれに越したことは無いからな」
「早く手に入ると良いわね。楽しみだわ」
四国の南西端から五キロほど沖合に南北六キロほどの小さな島が見えて来た。
沖の島と言う島だ。鎌倉時代から人が住んでいるらしいが、北にある母島地区と南にある弘瀬地区に分かれていて伝統や風習が大きく違っているそうだ。一説によると弘瀬の住民は三浦という平家の子孫、母島は山伏が開拓したと言われている。
室町時代には土佐と伊予に分断され、江戸時代にも土佐と宇和島に分断された。明治以降は高知県だ。
日が沈む前に船は沖の島の南西、弘瀬地区にある小さな漁村に停泊した。
山と海に挟まれた狭い平地に疎らに家が建っている。平地が全然無いので田畑とかは無い。住民は全員が漁業従事者なんだろうか。
「横山や○しはこの島で生まれたらしいぞ。生まれて三か月で堺に引っ越したらしいけどな。なんか不思議な縁があるな」
「そんな小さな赤子を堺まで連れてったなんて大変だったでしょうね」
「やっさんと言えばモーターボートだな。競艇は時速八十キロ以上も出るんだぞ。一時に四十里くらいか。馬よりずっと早いんだ。でも、半里くらいしか走らないけどな」
九州はここから六十キロほど西にあるはずだが水平線には薄靄が掛かっていて何も見えない。
四人は手早く夕飯を済ませて船に戻って横になった。
「今日で船で寝るのも最後だな。順番だとメイが右隣、ほのかが左隣、お園は頭の側だけど文句無いな?」
とりあえず誰も不平を言わなかったので丸く収まった。でも明日からはどうやって寝るんだろう。考えると大作は気が重くなった。
一人用テントで四人は無理だ。俺一人が外で寝るのは別に良い。問題は三人がそれで納得するかどうかだ。十二時間を四分割して三時間ずつ金を見張るために不寝番に立つくらいしか思い付かない。まあ、その時はその時だ。大作は考えるのを止めた。




