巻ノ四 大草原の小さな城 の巻
男はにこやかな笑みを浮かべ手を振りながら川上の方へ去って行った。
大作は感情の振れ幅の大きい男だなと自分のことを棚に上げて感心していた。
残された大作と娘の間には何とも言えない微妙な空気が漂っている。
神か悪魔か知らんけど超常パワーで最低限のコミュニケーションは確保出来た。
テレパシーの類では無いようだ。連中の言葉が中途半端に現代語に聞こえる。こっちの話は通じているんだろうか。
言語変換サービスだとすれば不安定も良いところだ。金を取るレベルには達してないぞ。
いや、ちょっと待て。猿の惑星みたいなパターンもあり得るんじゃね?
あの映画では、たまたま漂着した惑星に住んでいた猿がなぜか英語を話している。この突っ込みどころが実は衝撃のクライマックスへの重大な伏線なのだ。
さっきの男やこの娘の中途半端な似非古語も実は重大な伏線かも知れない。ここは昔の日本かと思いきや遠未来の日本だったとか。
一度、文明が崩壊した後に戦国時代みたいな文化や言語を持った社会が復興される? そんな超展開ありなのか?
考えたって分かるわけない。大作は考えるのを止めた。
とりあえず娘を安心させよう。大作はさっきの男にドン引きされたのを反省して可能な限り自然な笑顔を作る。
「私の名前は生須賀大作。生須賀大佐と呼んでくれ。安心したまえ、彼の石頭は私より頑丈だ」
「生須賀大佐様?」
娘は恐る恐るといった様子で口を開く。
「大佐で良い。どうしても付けたいなら様では無く殿にしてくれ」
「大佐殿?」
「やっぱり大佐の方が良い。それで君の名前は?」
「お園と申します」
「おソノ?」
何か聞いたことある名前だなと大作は脳をフル回転させる。
「パン屋のおソノさん!」
大作が急に大声を出したのでお園は目を丸くしている。
何だか知らんけど不思議な縁を感じる。大作は急に娘への親近感が増した。
そして右手を差し出し、爽やかな好青年を気取って言った。
「よろしく、おソノさん」
お園は差し出された右手を不思議そうに見つめる。
大作はお園を驚かせないように注意しながら右手を取るとやさしく握手した。
「何卒よしなに願い奉る」
お園もやさしく握り返した。
とりあえず友好関係の構築に成功したようだと大作は安堵した。
だが問題はここからだ。人買いから逃げて来るような娘だ。
金を払ったからといってご主人様みたいな態度を取れば絶対に好感度が下がる。
「よかった。どうも人間らしい。さっきまでもしかしたら天使かもって心配してたんだ。おソノさんは帰る家とかはあるのかな?」
「ございません」
お園は悲しそうに答えた。大作は悪いことを聞いたと思い努めて明るく言う。
「良かったら一緒に旅をしないか? 気に入った土地が見つかればそのままそこに住めば良い」
お園は唖然としている。良かったらも何も、こんな知らない土地に置き去りにされても生きていけない。
だが逃げ出しておきながら今更そんなことを言ってもどうしようもない。
お園は吹っ切れたようににっこり笑うと元気よく言った。
「しょうがないわね~ 銭一貫文が何文かも分からない人をほっとけないわ」
なぜ急に現代語に? しかも妙になれなれしい。つられて大作も笑った。
大作が時計を見ると十三時を少し過ぎた頃だった。
「お腹空いてない?」
「朝から何も食べてないわ」
「口に合うか分からないけど良かったらどうぞ」
大作は五種類のカロリーメイトの中から一番嫌いなチーズ味のパックを破って開けるとお園に渡す。
好きな物を最後に残して置くのは基本中の基本だ。
ちなみに一日三食が一般的になったのは元禄年間(1688-1704)らしい。
それ以前は朝夕二回しか食事をとらなかったことを大作は失念していた。
口の中がパサつく。飲み物無しでカロリーメイトはキツい。
せっかく近くに川があるんだから水を飲もう。
大作はバックパックからソーヤーミニSP128という携帯浄水器を取り出して川の水を濾過する。
普通の浄水器はフィルターが消耗品だがこの浄水器は違う。
付属の注射器で洗浄することによりフィルター交換せずに約三十八万リットル使用可能という優れものだ。
一日二リットル水を飲むとして五百二十年は使える計算だ。
大作は二口ほど飲んでみる。濾過は問題ないようだ。
「喉乾いて無い? 良かったら飲んで」
「ありがとう」
お園は遠慮がちにボトルを受け取ると水を飲んだ。
まさか間接キスとか気にしてるのだろうか。
にこにこと機嫌良く食べているが美味しいのだろうか。
嘘か本当か知らんけどチーズは飛鳥時代には蘇と呼ばれる超高級食材で口にできるのは天皇や貴族だけだったらしい。
チーズかバターかヨーグルトだか良く分からないけど醍醐と言う言葉は五味の中で最も美味しい味なんだとか。
たぶん不味くは無いのだろう。どっちにしろカロリーメイトチーズ味を食べることはもう二度と無いだろう。
大作は少しだけ寂しくなった。
一箱を二人で分けたのでたったの二百キロカロリーにしかならなかったが食糧は温存したい。
お腹一杯とは程遠いが一息付いたところで今後の心配だ。
日没まで五時間足らずしかない。
今晩は野宿なのか? 西の空は晴れているので急に雨になる心配は少なそうだ。
お園から情報収集したうえで今後の活動方針を早急に決定する必要がある。
状況から考えて丘の向こうに集落があるのは間違いなさそうだが無警戒に近づくのは危険だ。
「お園の歳は幾つだ」
「十七になるわ」
おそらく数え歳だろう。ということは満年齢だと十五か十六だから同じくらいだなと大作は思った。
「生まれ年は何年だ?」
「天文三年七月二十二日よ」
大作はスマホを出して確認しようとした手を止めた。
天文三年といえば信長が生まれた年と同じだ。
西暦だと1534年だから今は1550年辺りだろう。
「今年は天文十九年だったかな?」
「そうよ。お金だけじゃ無くて暦まで分からないなんて大丈夫?」
「分からないわけじゃ無い。確認しただけだ」
本当かよというお園の視線を無視して大作は質問を続ける。
「あの丘の向こうには何がある?」
「私は甲斐の国から連れてこられたからこの辺りのことは分からないわ。岩槻道を通っていて湯島郷に着く手前で逃げ出したの」
お園にも分からないとなると、これはもう行ってみるしか無い。
ある意味、諦めがついた。大作は丘を登ることに決めた。
だがその前に川を渡るのが先だ。
川幅は数十メートルだが流れは緩やかでそれほど深くなさそうだ。せいぜい膝下くらいに見えた。
上流や下流を見ても橋は見当たらない。川が曲がっているため葦原に邪魔されて見通しが悪いのだ。
念のためにお園に聞いてみる。
「橋は無いのかな?」
「私は見なかったわ」
「歩いて渡るしか無いか」
上流や下流に行っても橋があるとは限らない。
さんざん歩き回ったうえに夜になっても橋が見つからなかったらショックで動けなくなりそうだ。
靴を脱ぐべきだろうか? 川から上がった後に濡れた靴と靴下で歩くのを考えると気が重い。
川の中の石は丸みを帯びているので足を切る心配は少なそうだ。
大作は靴と靴下を脱いだ。お園は草鞋のままで渡るつもりらしい。
二人は転ばないよう手をつないで一歩一歩ゆっくりと川を渡った。
川の水はまだ冷たくて渡り切る頃には足の裏の感覚が鈍くなっていた。
大作は冷え切った足をしばらくマッサージした後、靴下と靴を履いた。
そこからさらに千歩ほど歩いて二人はようやく台地の麓にたどり着いた。
腕時計を見るとすでに十四時を回っていた。いろいろあったとはいえ、たった一キロほど歩くのに二時間近くも掛かってしまった。先が思いやられる。
台地は高さ十メートルくらいでかなりの急傾斜に見えた。
「少し休むか?」
「大丈夫よ」
昔の人は元気だなと大作は思った。
滑り落ちると大変なのでまた二人は手をつないで斜面を登った。
台地の上には鄙びた集落があった。
二人は地面に伏せる。大作は単眼鏡で集落を時間を掛けて慎重に観察した。
見た限りではのどかな農村で脅威になりそうな人や物は確認できない。
お園は単眼鏡を興味津々で見つめているが空気を読んで話しかけてこない。
近づいても大丈夫だろうかと大作は思案する。
現地の人の意見も聞いてみるべきだろう。
「この格好であそこに行ったら目立つかな?」
「そりゃあ目立つわよ!」
お園は即答した。
馬鹿なことを聞いたと大作は反省した。
戦国○衛隊でも最初に現れた百姓がすぐに武士を呼んできた。
目立つのは絶対に不味い。
だが大作にとってこの程度の状況は十分に想定済だ。
まずバックパックから遊行僧の僧衣を取り出して羽織るように着た。
かなり薄っぺらい生地のまがい物だがぱっと見は本物にしか見えない。
僧侶は世俗から縁を切った無縁の存在。
関所だらけのこの時代でも全国ほぼフリーパスだ。
大作が髪型をかなり短めのスポーツ刈りにしているのもこんな時のためだ。
一休禅師の肖像画とかを見るとみっともないボサボサ頭をしている。
あんなのが許されるんならスポーツ刈りだってたぶん大丈夫だろう。
靴と靴下を脱いでバックパックに入れる。
裸足は変だが靴を履いているよりは目立たないだろう。
草鞋と菅笠か網代笠が欲しいところだがとりあえず何とかなるだろう。
織田信長は天正九年(1581)に畿内の高野聖千三百八十三人を捕え殺害している。
なので年代を特定する前にこの方法をとるのはお勧め出来ない。
ちなみにWikipediaの高野聖の項目には大作が読んだ時は天正六年(1578)って書いてあった。
それに気付いた時、Wikipediaを心の底から信用していた大作はショックで寝込みそうになったものだ。
「あんたいったい何者なの? 銭の数え方も知らないなんて間者とも思えないし」
「言うなれば時の漂流者さ」
お園の痛い子を見るような視線にもすっかり慣れた大作は立ち上がるとバックパックを体の前に下げた。
黒いバックパックなのでそれっぽく見える。
「Let's go together!」
「しかたないわね~」
二人はゆっくりと歩き出した。
大作は台地の向こう側に興味があったので集落を素通りして先を急いだ。
僧侶と娘が連れ立って歩く様子は人目を惹かないわけではない。
だがみんな暇では無いのだろう。わざわざ二人のところまでやってくるような者はいなかった。
岩槻道らしき道に辿り着いたので南に向かう。
しばらく歩くと台地の縁に近付く。
そしてその向こうの景色が見えて来た。
それを見た大作は予想していたことが確信に変わるのを感じた。
そこにあったのは高さ二、三十メートルくらいの崖の上に建つ城郭だった。
南北に三区画に区切られていて南側区画には金閣、銀閣のような望楼が建っている。
城の手前には北から南に川が流れていて南の入り江に流れ込む。
その遙か南は海に繋がっていた。川の手前には簡素な家屋が建ち並んでいる。
城の少し西には沼があった。
「太田道灌の江戸城だ」
「そうね」
「お前、さっき知らないって言っただろ!」
「丘の向こうに何があるって聞いたからよ。こっち側にお城があるのは誰でも知ってるわ」
『お前は融通の利かないロボットかよ!』と大作は心の中で叫んだ。頭が痛くなってきた。
ようするにタイムスリップはしたけど場所は移動していなかったのだ。
なんで気付かなかったんだろう。戦国○衛隊ではいつもそのパターンなのに。
というか大抵のタイムスリップ物は場所はそのままなのが普通だ。
異世界トリップ物が多いので惑わされたんだろうと大作は思った。
秋葉原のすぐ南にあったのは幕末までに埋め立てられたお玉ヶ池だろう。
靴を脱いで渡ったのは旧石神井川で間違いない。
本郷台地に登った縁の辺りがお茶の水なのだろうか。
そして眼下に流れる川は1616年に神田川に付け替えされる平川だ。
生須賀大作の奇妙な冒険まだ始まったばかりであった。