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巻ノ参百九拾八 受けろ!仮払いを の巻

 祁答院良重(河内守)の電撃訪問を受けてから一夜が明けた。

 思いもかけず山ヶ野金山の秘密を見られてしまった大作は事後処理に余念が無い。余念が無いはずだったのだが……


「どうすれバインダ~! うぅ~ん、分からん! さぱ~り分からんぞ!」

「もぉう、大佐ったら。朝っぱらからやかましいわよ。もうちょっと気を平らかにして頂戴な」

「申し訳次第もございません……」


 お園に叱られた大作は素直に頭を下げる。何せ反省だけなら猿でもできるのだ。

 だが、のんびりと朝餉を食べている間にも灰色の脳細胞は邪な考えでフル回転を続けていた。


 ご飯を食べ終わるとお茶碗でほうじ茶を飲んでゆったりと寛ぐ。二人で綺麗に食器を洗い、丁寧に食器棚へと返す。

 さて、そろそろ話を切り出しても良い頃合いだろうか。大作はほのかの近くへそろりそろりと這い寄ると努めて明るい調子で話し掛けた。


「あのなあ、のほか。砥石城の件で仮払いをお願いしたいんだけれど……」

「仮払い? もしかして金子が入用ってことなのかしら? いったい幾らくらい入用なのよ?」

「えぇ~っと…… まずは伊賀で雇う百人の兵に支払う日当だな。相場は幾らくらいなんだろ? 事前の訓練に一週間。往復の移動に二週間。現地滞在が一週間として合計一ヶ月。一人当たり銭一貫文として銭百貫文でどうだろな?」

「どうだろなって私めに言われてもねえ。まあ、そんなところじゃないかしら? 仮にそうしておきましょうか」


 ほのかは小さくため息をつくと懐から算盤を取り出して親指で駒を一つ弾いた。


「それから? 食べ物や宿代はどうするのかしら?」

「百人の一月の食費だって? そんなの俺には見当も付かんな。まあ、これもざっくり銭百貫文としておくか」

「大目に見積もっておくに越した事はないでしょうからねえ。でも、余ったら後でちゃんと返して頂戴な」


 半笑いを浮かべたほのかは勿体ぶった手付きで更に一つ駒を弾く。

 興味津々といった顔で様子を窺っていた美唯が急に話へ割り込んできた。


「伊賀から甲斐まではどうやって行くつもりなのかしら? 船に乗るか歩いて行くか。どっちにしろタダって訳には行かないわよねえ」

「甲斐は内陸だから船は無理だな。とは言え、山ヶ野から歩いて行く訳にもいかん。途中までは船に乗り、適当な所から。例えば…… 駿河湾まで帆船で行って富士川を川舟で遡るっていうのはどうじゃろな?」

「あのねえ、大佐。いま決めているのは伊賀から連れて行く百人の兵の話でしょうに。伊賀から尾張、木曽を通って甲斐となれば山道を百里くらいかしら。風任せの船に乗るよりかは歩いた方が余程に確かなんじゃないかしら」

「いや、あの、その…… それが分からんから相談してるんだよ。まあ、それに関しては伊賀の連中に自分で決めてもらおう。ただ、山ヶ野から百丁の鉄砲や大量の弾薬を伊賀まで運ばにゃならん。これに関しては船で一択だな」


 少し離れた所で聞き耳を立てていた今井宗久が不意に顔を上げる。大作と目が合った途端、物凄い速さで近付いてくると口を開いた。


「堺から鉄や鉛を運んで参る船が月に何度かございます。此れが帰る折に運ばせれば宜しゅうございましょう。如何なされまするか?」

「そ、そうなんですか。そいつは助かりますなあ。だったらご厄介になりましょうか。佐助殿にも伝えておいて下さりませ」

「畏まりましてございます」

「そうそう、堺と言えば例のお金が借りっぱなしになっておりましたな。早く返さないと利子が利子を生んでとんでもない金額になっちまうかも知れません。この機会に耳を揃えて返済させて頂きましょう」


 大作は両の手で自分の耳を左右に引っ張りながら宗久とほのかの顔色を交互に伺う。同時に精一杯の誠意を示すつもりで満面の愛想笑いを浮かべる。だが、無情にも返ってきたのは怪訝な表情だった。


「大佐様。あの金子なれば、とおの昔にお返し頂いておりますが?」

「今井様の申された通りよ、大佐。一括で繰り上げ返済してあるわ。ほれ、証文もこの通り」


 ほのかが胸元から小さく折り畳まれた紙切れを取り出して広げる。見なくても分かっていたことだが紙切れには例に寄って例の如くミミズがのたくったような文字らしき文様が絵ががれていた。


「そ、そうなんだ。それは知らなかったな」

「もう一月も前の話よ。ちゃんと会計報告書に目を通してくれているのかしら?」

「いや、あの、その……」


 たじたじとなった大作は卑屈な笑みを浮かべながら米搗き飛蝗みたいにペコペコと頭を下げることしかできなかった。




 そんなこんなでほのかから仮払い金として銭三百貫文の金塊を騙し取る…… じゃなかった、受け取った大作は次なる行動に取り掛かる。取り掛かろうとしたのだが……


「やっぱ、金って重いなあ。まあ、銅銭で持つのに比べたら全然マシなんだけれども」

「一貫三百匁くらいにはなるわよねえ。良かったら私も半分持つわよ?」

「いやいや、これくらいが筋トレには丁度良い重さなんだよ」


 強がりを言いながら大作は手に持った金塊を上げたり下げたりしながら幹部食堂を後にした。次に目指すは中央指揮所だ。

 昨日、散々に迷ったことを深く反省した大作は山ヶ野の地図を完全に頭の中に叩き込んでいる。叩き込んでいたのだが……

 辿り着いた目的の場所に建っていたのは開店休業状態で閑古鳥が鳴いている茶店だった。


「あの地図、ちょっと古かったみたいね。それか、保安上の理由から態と嘘を描いてあったのかも知れんわね」

「うぅ~ん、そうかも知れんな。そうじゃないかも知らんけど。まあ、とにもかくにも当たって砕けろだ。頼もう! 頼もぉ~う!」


 へんじがない、ただのしかばねのようだ…… と、思いきや。いった何処から現れたのだろう。突如として見知らぬ顔の女が姿を見せた。


「お園様、大佐。いったい如何なされました?」

「あら、蓮華じゃないの。貴女こそ斯様な所で何をしているのかしら?」

「な、何と申されましても…… 此処、中央指揮所に怪しい者が寄り付かぬ様に見張っておりまする。そう、門番を致しておるのでございます」

「あぁ~っ、やっぱり此処が中央指揮所だったのね。良かった、大佐。私の勝ちね」


 いやいや、そんな賭けをした覚えは無いんですけど。大作は口まで出掛かった言葉を飲み込んだ。


「そんじゃあ、蓮華。中に入れてもらっても良いかな? いいともぉ~っ!」


 大作は袂からIDカードを取り出すとドヤ顔を浮かべる。ほんの一瞬だけ遅れてお園もIDカードを翳した。




 中央指揮所の中は思っていたよりかは明るかった。だが、内装は殺風景そのもので風情の欠片も無い。

 まあ、潤いや美とは縁も所縁も無いような場所なんだからしょうがないんだろうけれども。


「愛様、お園様と大佐がお見えです」

「ありがとう、蓮華。持ち場に戻りなさい」

「畏まりました。失礼致します、お園様」


 蓮華は深々を頭を下げたかと思った途端、風のように姿を消してしまった。


「忙しいところを邪魔して悪いな、愛。急に押し掛けちゃって。実は砥石城の件で急遽、出掛けることになっちまったんだ。実作業は猿飛殿や静流がやってくれるんだけれど、堺や伊賀にも話を通さにゃならんだろ? 前乗りしてネゴっとこうかと思ってな」

「ねごっとくのね。分かったわ。それで? 私は何をすれば良いのかしら?」

「護衛と荷物持ちを兼ねて二人ほど人手が欲しい。それなりの手練。だけども今現在は重要な任務に就いていない奴を貸してくれんか」

「うぅ~ん、そうねえ…… そんな娘、いたかしら? って、大佐。伊賀に行くんだったらサツキ様かメイ様を連れて行けば良いんじゃないかしら。そりゃあ二人とも大事なお役目があるっちゃあるんだけれど。だけども、大概のことは他の誰かに任せられない訳じゃあないでしょう?」


 愛は完全に他人事だと思っているのだろうか。深い考えも無しに適当なことを言ってくれる。とは言え、せっかく伊賀に行くのに伊賀出身者を除け者にするっていうのもどうなんだろう。これって(うだつ)のあがらねぇ平民出にやっと巡って来た幸運か? それとも破滅の罠か?

 分からん! さぱ~り分からん! 大作は考えるのを止めた。




 愛に礼を言って中央指揮所を後にする。外に出ると相変わらず蓮華が暇そうに屯していた。


「よっ、暇か?」

「いえいえ、大佐。こう見えて存外と忙しゅうございます」

「ふぅ~ん。まあ、気張ってお勤めを果たしてくれ。んじゃ、失礼するよ」

「……」


 深々と頭を下げる蓮華にお園もお辞儀で返す。大作はナチス式敬礼で別れを告げた。




 再び幹部食堂に戻った二人は白湯を飲んで一息付く。茶碗を綺麗に洗って返すと総合案内所を目指した。

 途中で何人かの修道女や案内係と擦れ違う。大作はその都度、メイを見かけなかったか聞いてみる。だが、揃いも揃って皆が異口同音に知らないと答えた。

 いったい、メイは何処をほっつき歩いているんだろう。謎は深まるばかりだ。と思いきや、総合案内所で全ての謎は解けてしまった。


「こんなところで油を売ってたのかよ、メイ」

「姿が見えないから案じていたのよ」

「あら、大佐にお園じゃない。私に何か用かしら?」

「用が無いと会いにきちゃいけないのかよ?」


 売り言葉に買い言葉。イラッときた大作は思わず語気を荒げてしまう。しかし、意味不明の怒りを向けられたメイは迷子のキツネリスみたいに見を固くして縮こまってしまった。


「ほら、怖くない。怖くない」


 思わず助け舟を出したお園がメイの頭を優しく撫でる。


「いやいや、めんごめんご。実は今から伊賀に行こうかと思ってるんだ。良かったらメイも一緒に行かないか?」

「い、伊賀に行くですって? 今から? 今すぐに行くつもりなの?」

「そうだけど? 行くなら早くしろ。行かんのなら帰れ!」


 大作はゲンドウになりきって冷たく言い放つ。とは言え、帰れって何処になんだろうか。謎は深まるばかりだ。

 だが、メイはそんなことを全く気にしていないらしい。満面の笑みを浮かべると二つ返事で食い付いてきた。


「行く、行く、行くに決まってるわよ。すぐに…… 四十秒で支度してくるからちょっとだけ待ってて頂戴な」

「いやいや、ゆっくりしてくれて良いぞ。って言うか、俺たちは先に虎居に向かうから後から追いかけてきてくれ。お前の方がずっとずっと足が速いからな」

「分かったわ。でも、必ず虎居で待っててよ。先に行っちゃ駄目だからね」

「はいはい、それと、今抱えている仕事をきっちり誰かに引き継ぎしておいてくれ。それだけは頼んだぞ」

「そんなの当たり前でしょうに! 言われなくても分かってるわよ。ちゃんと心得てますから安堵して頂戴な」


 言うが早いかメイはテキパキと周りの修道女たちに指示を出す。


「馬鹿どもには丁度良い目眩ましだ……」

「兄上も意外と甘いようで……」


 大作とお園は言語明瞭意味不明瞭な捨てゼリフを吐き捨てると脱兎の如くその場を後にした。


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