巻ノ参百九拾七 見ろ!見るべきほどのことを の巻
大作とお園は馬に跨った祁答院良重(河内守)を従えて黙々と歩いて行く。
良重に付き従うのは馬の口取りや旗持ち、槍持ち、鎧持ち、荷物持ち、エトセトラエトセトラ…… ひょろっとして貧相な顔をした小男たちがひい、ふう、みい…… 八人もの人間を付き従えている。
たった二万石くらいしかない小さな小さな国人領主とは言え、一国一城の主ともなると出歩くだけでもこれくらいの人数を引き連れるのが常識なんだろうか?
もしかしてこいつら、今夜はここに泊まるつもりなのかしら? お供の世話もしなきゃならんのだろうか? 後で宿泊費を請求したらどんな顔をするだろな?
想像した大作は吹き出しそうになったが空気を読んで必死に我慢した。
「して、大佐殿。我らは何処へ向かっておるのじゃ?」
「まあまあ、大殿。それは見てのお楽しみということで」
「ほほぉう、楽しき所じゃと申すか」
「いやいや、あんまりハードルを上げんで下さいな。あくまでも個人としての感想です。効果には個人差がございます故」
そんな阿呆な話をしながら歩いて行くこと暫し。一同は金山見学コースの入り口へと辿り着く。
受付では修道女みたいな格好をした若い女が二人、暇そうに佇んでいる。だが、こちらの姿を認めた途端に慌てた顔で立ち上がった。
「如何なされました、お園様。其方のお方は何方様にございましょうや?」
「お控えなさい。此方におわすお方は恐れ多くも祁答院の大殿様、河内守様にあらせられますよ」
解説役を買って出たお園の説明に二人の修道女は大袈裟な態度で這いつくばるように跪く。
「ははぁ~っ!」
その態度に満足したんだろうか。上機嫌な顔の良重は鷹揚に頷くと口を開いた。
「そうも気を遣わずとも良いぞ。楽に致せ。んで、大佐殿? 此の妙な着物を着た女性が楽しみじゃと申されるのか?」
「お戯れを申されまするな、大殿。その発言はセクハラと取られかねませんぞ。今日の見どころはここからが本番にございます。んじゃ、お二人さん。悪いけど見学コースを回らせて貰うぞ」
「では、大人お一人様が銭十紋にございます。ひい、ふう、みい…… 十一名様にございますな。銭百十紋をお願い致します」
「えっ…… 金を取るのか? 俺たちから?」
「そ、そうは申されましても我らには皆様方をタダでお通しして良いかどうかなど勝手に決める事は叶いませぬ故に……」
まあ、彼女たちの言い分も尤もなことだろう。一介の受付風情が勝手に顔見知りをタダで入れてやるだなんて業務上横領とかになりかねんし。大作は小さく舌打ちすると懐から二枚の銭百紋金貨を取り出して恭し気に差し出した。
「毎度ありがとうございます。では、お釣りの銭八十紋になります」
年上と思しき少女が大きなガマグチから金貨を取り出す。もう一人の少女は巾着袋の中から短冊を数えながら引っ張り出すと半券を千切りながら一人ひとりに手渡した。
「では、大殿。金山ツアーへご招待いたしましょう。レッツラゴー!」
「お、おぅ。で、あるか」
明らかに狼狽えた顔の良重を引き連れて大作は見学コースを歩み始めた。
ボールミルを使った鉱石粉砕工程は相変わらずの騒々しさだった。
顔を顰めた良重が両手で耳を塞ぎながら大声を上げる。
「いったい何じゃ! この大きな音は!」
「石を砕いて粉にしておるのです! まあ、煩いといっちゃあ煩いですね!」
大作も良重に負けないくらいの大声で言い返す。
「儂は生まれてこの方、斯様に大きな音は聞いた事も無い程じゃぞ!」
「いやいや、いくら何でもそれは盛り過ぎでしょうに! 拙僧はもっともっと大きな音を聞いたことがございますぞ!」
「其はいったい何の音じゃ? 近くに雷でも落ちたと申すか?」
「航空自衛隊浜松基地の基地祭でF-15のデモフライトを見た時に聞いたエンジン音が壮絶に煩かったですね! 二機が超低空を飛んでたんですけど、この世の物とは思えないくらいの騒音でしたよ!」
「で、であるか!」
良重は分かったような分からんような微妙な愛想笑いを返してくる。まあ、分かっているはずもないのだが。
「では、参りましょうか。これ以上、ここにいたら騒音性難聴になっちまいそうですもん!」
「いや、既になっておるやも知れんぞ! して、次は如何なる所へ参るのじゃ?」
まるで騒音に追い立てられるかのように逃げ出した一同はベルトコンベヤーに沿って進んで行く。歩くこと暫し。水銀精錬の処理場に辿り着いた。
ここは粉砕工程なんかよりもずっとずっとヤバいところだ。必要以上の長居は不要。さっさと通り過ぎるに限る。
「見るべきほどのことは見つ。今は自害せん。では、次へ参りましょうか」
「つ、次へじゃと? もう行ってしまうのか? まだ何も見てはおらぬぞ?」
「それはつまり見るほどの物が無かったってことじゃないですかね? とにもかくにも、とっとと先へ参りましょうよ。ぐずぐずしてると置いてっちゃいますよ」
大作とお園は返事も待たずに脱兎の如くその場を後にした。
そんな調子で一同は見学コースを巡る。砂金採り体験コーナーに着くころには太陽が真上に昇っていた。
「和尚よ。砂金とやらは斯様に容易く採れる物なのか?」
良重は平べったい皿をクルクルと器用に回しながら口を開いた。
「いやいや、そんなはずはありますまい。これは観光用にあらかじめ砂金を撒いてあるんですよ。観光用の潮干狩りだって事前に貝を撒いておるそうですよ」
「うぅ~む、そうであったか。やはり世の中にそう甘い話が転がっておる筈もないか」
「でも、ご安堵下さりませ。今日採った金はお土産に持って帰って頂いて結構ですぞ。ささ、どうぞ。御遠慮のうお持ち帰り下さりませ」
「で、あるか。これは忝ないことじゃな。礼を申すぞ、大佐殿」
皿の底に溜まった小さな金塊を掻き集めながら良重が無邪気な笑顔を浮かべる。
『馬鹿どもには丁度良い目眩ましだ!』
大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さなかった。
「では、和尚。今日は此れにて帰ると致そう。虎居へ参った折は顔を見せに参るが良いぞ」
「おや、もうお帰りですか? 夕餉の支度をして追ったのですが」
お園の辞書には空気を読むという言葉が載っていないのだろうか。このタイミングで引き止めるとは思ってもいなかった大作は白目を向いて引っ繰り返る。
だが、良重は空気を読めるマトモな人間だったらしい。爽やかな笑みを浮かべながら颯爽と馬に跨った。
「いやいや、暗くなる前には城へ戻りたい。馳走はまたの楽しみに取っておくとしようぞ」
「そうですか。残念ですなあ。では、お気を付けてお帰り下さりませ」
「うむ。では、さらばじゃ」
やって来た時と同じくらい唐突に良重が帰って行く。無論、お供の衆も金魚の糞みたいに一緒にくっ付いている。
なんて自由奔放な奴らなんだろう。まるで自由な蜘蛛…… じゃなかった、自由な雲みたいな奴だなあ。俺もあんな風に生きられたら良いのに。大作は自分のことをすっかり棚に上げて羨ましさに臍を噛んだ。
大作とお園は良重たちの姿が見えなくなるまで出入国ゲートの脇で見送る。
「なあなあ、お園。良重の奴、いったい何の用事でやってきたんだろうな?」
「さあねえ。でも、大佐。大殿に金山の事を教えて良かったのかしら? 確か、もう暫くは伏せておくつもりじゃなかったのかしら?」
「うぅ~ん、そう言えばそうだったかも知れんな。だけど、知られちゃったものはしょうがないだろ? まさか、今から後を追って口を封じる訳にもいかんだろうし」
「そりゃそうだけど…… でも、大殿。金山を寄こせって言い出したりしないかしら?」
少し眉根を寄せたお園が不安そうに呟く。だが、大作は歯牙にも掛けないといった風に顎をしゃくった。
「どうじゃろな。まあ、その時はその時だ。大人しく金山を引き渡す振りをしながら実質的な経営権を維持できるかも知れん。あるいは竹原なり入来院なりと手を組むってのもアリだろうし。今や現有戦力だけでも祁答院くらい瞬殺できるじゃろ」
「あら、大佐ったら。もしかして祁答院と争うつもりなのかしら?」
「だからそれは向こうの出方次第だって言ってるだろ。まあ、丁度退屈していたところだ。対津島戦の腕試しには持ってこいかも知れんぞ」
「そう、良かったわね……」
真面目に相手をするのが阿呆らしいとでも思ったのだろうか。お園は一方的に話を打ち切ってしまった。
これはフォローが必要な場面だろうか? 大作は腫れ物に触るように慎重に言葉を選ぶ。
「あの、その、いや…… これはアレだな、アレ。ほとぼりが冷めるまで甲斐国にでも行ってこいっていう神様のお告げかも知れんぞ。そうじゃないかも知らんけど」
「ふぅ~ん」
「そうと決まれば話は早い。立つ鳥跡を濁さずんば虎子を得ず! とっとと出掛けるとしようか」
「え、えぇ~っ! たった今から甲斐へ行こうって言うの? 今すぐに? と、取り敢えずは昼餉にしましょうよ。腹が減っては戦はできないわ」
言うやいなやお園は大作の手を掴んで強引に幹部食堂へと引っ張って行く。
ドナドナされる子牛ってこんな気分だったのかなあ。完全に集中力の切れた大作は頭を空っぽにして抜けるような青空をぼぉ~っと見上がることしかできなかった。




