巻ノ参百八拾八 並べ!待ち行列に の巻
翌日、朝餉を終えた大作たちはほうじ茶を飲みながら本日の予定に思いを巡らせていた。思いを巡らせていたのだが……
例に寄って例の如く下手な考え休むに似たり。変テコな考えが次から次へと浮かんでは消えるばかりで何一つとしてマトモなアイディアが浮かんでこない。
こういう時は頭を一度リセットさせた方が良いかも知れんな。大作はグルグルと首を回しながらゆっくりと口を開いた。
「なあなあ、お園。やっぱり一度、山ヶ野に戻った方が良いのかなあ。もう、随分と長いこと帰っていないような気がするし」
「そうねえ。でも、大佐。あんな遠い所、行くだけでも一苦労よ。大した用も無いのに思い付きで気軽に行ったり来たりするのはどうなのかしら?」
「なんだよ、お園。お前は山ヶ野の様子が気にならないって言うのか? 故郷は遠きにありて思うもの、近くば寄って目にも見よって言うだろ?」
「そんなこと言うのかしら? それに山ヶ野は私の故郷じゃないわよ。とは言え、気になるか気にならないかで言えば気にならないこともないわねえ。だけども山道を五里も歩くほど気になるかって言われたら何とも難しいところよねえ……」
半笑いを浮かべたお園は両の手のひらを肩の高さで掲げると首を竦めた。
これを正面突破するのは難しそうだ。だったら搦め手から攻めるのが吉かも知れんな。大作は素早く見切りを付けると美唯へ向き直っった。
「そうなると連絡将校の出番だな。美唯! 悪いんだけど一っ走り頼めるか? 山ヶ野の様子を見てきて欲しいんだけど」
「ちょ、おま…… ちょっとまって頂戴な、大佐。美唯に一人で山ヶ野まで行って帰ってこいって言うの? そんな殺生な。そういう力仕事はくノ一の誰かに頼むのが良いんじゃないかしら?」
「いやいや、お前は連絡将校じゃんかよ。こういう時、役に立たんでいつ役に立つと言うのだ? 今でしょ!」
「そんなあ…… 未成年者に過酷な労働をさせようだなんて非道だわ! こんなの児童虐待案件よ! ねえ、お園様。そうでしょう?」
大きな瞳をウルウルさせた美唯はお園の着物の裾を掴んで得意の嘘泣きを披露する。
だが、そんな付け焼き刃な技が通用するほどお園は甘くなかったようだ。暫しの間、小首を傾げて思案すると姿勢を正して口を開いた。
「あのねえ、大佐。山ヶ野かはら毎日、詳らかな日報が届いている筈だわ。向こうの様子ならばそれに目を通すだけで仔細まで掴めるんじゃないのかしら?」
「そこに書いてあることが本当に真実ならばそうなんだろうな。だけども、その内容が嘘っぱちだったらどうするよ? 数字が改竄されてたり、事実が捻じ曲げられてたり、重大な事実が隠蔽されてたりとかさ。それに現場の雰囲気とか空気っていうのは実際に行ってみないと分からない物だろ? 違うか、美唯?」
「そ、それはそうなんだけれど…… で、でもねえ、大佐。美唯みたいなちびっ子が一人で行ったところでそんなこと、どうにもならない気がするんだけれど……」
追い詰められた美唯はまるで迷子のキツネリスのように小さく震えている。だが、捨てる神あれば拾う神あり。横から割り込むようにお園が口を挟んできた。
「前言撤回よ、大佐。やっぱりみんなで山ヶ野に戻りましょう」
「な、何でだよ? さっきは歩くのが面倒臭いとか言ってなかったっけ? 言ってたような気がするんだけどなあ?」
「そんなこと一言も言っていないわよ。私はただ、どっちが良いか難しいって言っただけでしょう。んで、考えに考えた末、行くことにした。それ以上でもなければそれ以下でもないわ。これはもう決定事項よ。さあ、ぐずぐずしないで頂戴な。お茶碗を洗ったら直ぐに虎居を発つから美唯も支度なさいな。Hurry up! Be quick!」
「はい、お園様!」
「分かった分かった分かりましたよ。行けば良いんだろ、行けば。いま行こうと思ったのに言うんだもんなぁ~っ!」
大作は茶碗に残ったほうじ茶を一息に飲み干すと勢いよく立ち上がった。
一同は通り慣れた山道を東へと向かって歩いて行く。メンバーは大作、お園、美唯、小次郎。そして何故だか一緒にくっ付いてきた萌の四人と一匹だ。
「なあなあ、萌。別にお前まで一緒に来ることなかったんじゃね?」
「そうかしら? 私、金山って初めてだから興味津津なんだけれど?」
「いうても別に珍しい物なんて何も無いと思うぞ。とは言え、お前の知識と行動力を貸してもらえるんなら産金の効率を画期的に向上できるかも知れんけどな。どうよ? やってみる気はあるか?」
大作は卑屈な愛想笑いを浮かべながら上目遣いで萌の顔色を伺う。
この女はどうやら居候を決め込むつもりらしい。だが、働かざる者食うべからず。無駄飯食いを養う余裕なんざあるはずもない。何でも良いから食い扶持くらいは自分で稼いでもらわなきゃならん。
そんな大作の気持ちを知ってか知らずか、半笑いを浮かべた萌は他人事みたいに気軽に言ってのける。
「うぅ~ん、あんまりやりたくはないわねえ。水銀とかチオ硫酸とか使うんでしょう? どう考えても美容と健康に悪そうなんだもん」
「だったら他のことでも良いんだぞ。今の山ヶ野は猫の手も借りたいくらいの大忙しなんだもん」
「にゃあ、にゃあ!」
「いやいや、小次郎。別にお前に言ったんじゃないんですけど」
大作は美唯が抱っこしている小次郎の頭を軽く撫でながら再び萌の顔色を伺う。
暫しの沈黙の後、萌はまるで独り言を呟くようにぽつりぽつりと話し始めた。
「そうねえ…… 昨日の夜に聞いた話だと兵器の製造や製鉄に関しては青左衛門って鍛冶屋に任せてるんだったわね。無線は東郷が開発中だし。だとすると私が首を突っ込んで良さそうなテーマは…… やっぱ無煙火薬あたりじゃないかしら? オストワルト法なら小田原で一度やってるから再現するのは簡単かも知れないし」
「んじゃ決まりだな。椎田萌殿、現時刻を持って貴殿を科学技術顧問に任命する。期待しているぞ、シンジ」
満足源に微笑みながら大作は萌の方を軽く叩く。だが、予想外の方向から突っ込みが入った。
「えぇ~っ! ちょっと待ちなさいな、大佐。そんな事を勝手に決めちゃいけないわ。人事に関することはサツキに任せたはずよ。重大な越権行為じゃないの!」
「いや、あの、その…… 聞いてくれ、お園。この場合の顧問っていうのは公的な役職じゃないんだ。山ヶ野のリーダーたる俺が個人的な相談をお願いするアドバイザリースタッフ的な? 何かそんなアレだな、アレ。当然のことながら報酬も俺のポケットマネーから支払う。無論、その金額も政治資金収支報告書に細大漏らさず記載するからさ。こんなところでご勘弁をば願えませんかな?」
大作は両手で激しく揉み手をしながら米搗きバッタのようにペコペコと頭を上げ下げする。やがて根負けしたといった顔のお園が小さくため息をついた。
「しょうがないわねぇ~っ。分かったわ。それじゃあ、萌。科学技術顧問の任、気張って努めて頂戴な」
「言われるまでもないわ。私を誰だと思っているのかしら?」
「そりゃあ、萌でしょう? 違うのかしら? あはははは……」
「違いないわね。うふふふふ……」
「にゃあ! にゃあ!」
そんな阿呆な話で盛り上がりながら一同は暫しの間、山道を進んで行く。
途中で何度もいろんな馬借に擦れ違ったり追い越したり追い越されたり。今までになく沢山の人や馬を目にした。
山のように荷物を積んだ馬もいる。一方で配達の帰りなんだろうか。何も荷を積んでいない馬もいる。
「これってやっぱ、山ヶ野に食料とか生活必需品を運んでいるんだろうな」
「そうみたいねえ。食べ物や着る物だけじゃなくて材木なんかも運んでいたわよ。いったい向こうは今、どうなっているのかしら」
「やっぱ気になるだろ? それを自分の目で確認できるだけでも歩いた甲斐はあったっていうものさ。それはそうと、何だか勿体無い話だなあ。帰りの馬は何も積んでいなかっただろ? 何でも良いから荷を運べば良いのになあ」
「今の山ヶ野では金を掘っているだけなんだからしょうがないわよ。そうだ、閃いた! 虎居に戻る折には馬に乗せて頂いたら良いんじゃないかしら?」
突如としてお園が不敵な面構えをしながら顎をしゃくった。大作は何だか急に真面目に相手をするのが阿呆らしくなってくる。
「あのなあ、お園。お前、平佐城では『乗らない。私、馬嫌いだから……』とか言ってたじゃんかよ」
「ああ、アレはただレイの真似をしただけよ。本意じゃないわ。五里の山道を歩かずに済むんなら馬だろうと牛だろうと何にでも乗るわよ」
「ふ、ふぅ~ん。そう言えば萌。お前、駝鳥に乗ったことがあるんだっけ? 何が面白くて駝鳥に乗るんだ?」
「さ、さあ…… そこに駝鳥があるからじゃないかしら?」
そんな阿呆な話をしながら歩くこと数時間。太陽が真南まで昇ったころ道が平らになり、視界が急に開けてきた。
遥か彼方には見覚えのない無数の建築物が整然と地の果てまで立ち並んでいる。大作は慌てて単眼鏡を取り出すと食い入るように覗き込んだ。
「な、なんじゃこりゃあ~っ!」
「はいはい、お約束のリアクションね。いったい何が見えたのかしら?」
落ち着きはらった顔のお園は大作の手からひょいっと単眼鏡を取り上げると目に近づける。近づけたのだが……
「うわらばっ!」
「何々? どうしたのよお園様!」
「いったい何の騒ぎ?」
「にゃあ! にゃあ!」
寄りにも寄って美唯や萌どころか小次郎までもが激しい突っ込みを入れてくる。
暫しの間、大作とお園は呆然と固まっていることしかできなかった。
気を取り直して一同は歩みを再開させる。少し進むと人だかりというか人混みというか…… 行列に出くわした。
人、人、人…… 人という字を三つ重ねた漢字があったっけ。音読みでギンとかゴンとかシュウ。訓読みだと『おおい』と読むはずだ。意味は人が集まるとか集団ということらしい。
さらに近付いて行くと行列の最後尾へと辿り着いてしまった。何せ最後尾の人が『最後尾』と書いた看板を持っていたのだ。
まるでコミケみたいだな。大作は吹き出しそうになったが空気を呼んで何とか我慢した。
「あの、お持ちします」
「おお、忝ない。お坊様」
行列の一番後ろに位置していた男は軽く頭を下げると看板を差し出す。大作も愛想笑いを浮かべながら会釈を返した。
男の年齢は二十代から三十代、ことによるとそれ以上だろうか。要するにさぱ~り分からん。
頭髪の手入れはきちんとされているようだが伸び放題に伸びている。それに真っ黒に日焼けした上に煤けた顔のせいでどこからどう見ても年齢不詳なのだ。体つきは中肉中背、身長はこの時代の男性としては平均値といったところだろうか。要するに何の特徴もない。強いて言うならどこにでもいるような典型的な百姓だ。
大作は腫れ物に触るように慎重に言葉を選んで話し掛けた。
「えぇ~っと…… 拙僧は大佐と申します。始めまして、どうぞよろしく」
「これはこれはご丁寧に。儂は時吉から参った三吉じゃ。何卒よしなに願い奉る」
「ところで三吉殿。この行列って何なんでしょうか? 良かったら教えては頂けませんか?」
「おや、此れは異な事を承る。もしやお坊様は知らずに並んでおられるのか?
男の視線がほんの一瞬だけ険しくなる。と思いきや、くしゃみを我慢していただけらしい。盛大なくしゃみをすると小さく鼻を啜った。
「いや、あの、その…… お恥ずかしい限りで。でも、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と申しましょう? 袖振り合うも他生の縁。教えては下さりませぬか?」
「まあ、そこまで申されるなら教えて進ぜよう。京から参った偉いお坊様が此処、山ヶ野の地にお寺を開かれるそうな。其のお寺の普請に数多の人足を方々から集めておられるとの由。朝晩に白い飯を腹一杯食わせてくれるうえに日当は銭二十文。寝泊まりする所まで面倒を見てくれるそうじゃ」
嬉しそうに話す男の顔には満面の笑みが浮かんでいる。だが、予想外の方向から思いもしない反応が返ってきた。
「白い飯をお腹一杯ですって! じゅるるぅ~っ! そう言えば、もうお昼よ。私、お腹が空いてきたわ」
「美唯も! 美唯もお腹が減ったわ!」
「にゃあ! にゃあ!」
「はいはい、じゃあ昼飯にしゆおか。こんなこともあろうかと握り飯を用意してきてたんだ。良かったら三吉殿もお一つどうぞ」
大作はバックパックからお握りを取り出すと一人ひとりに手渡した。
お握りの昼食を食べ終わった大作たちはペットボトルに入れておいたほうじ茶を飲んで寛いていた。
時刻は午後一時といったところだろうか。一同が行列に並んでから既に一時間近くが過ぎようとしている。
大作はバックパックから再び単眼鏡を取り出すと行列の先頭の方を観察した。
「どうやら行列は一本だけど先頭には三つの受付があるみたいだな」
「ってことはM/M/s型の待ち行列ってことね。そうすると状態方程式は…… ρ=λ/sμとしてλP0=μP1だからλPn-1+(n+1)μPn+1=(λ+nμ)Pnよね。んでもってλPn-1+sμPn+1=(λ+sμ)Pnになると。さっき窓口は三つだって言ったわね? だとするとρ=λ/3μだからP0=2(1ーρ)/(2+4ρ+3ρ^2)ってことよね」
「そ、そうなんだ。んで、その計算だと俺たちはあと、どれくらい待たなきゃならんのだ? って言うか、俺たち関係者だろ? VIP専用の受付ちか無いのかなあ?」
「我儘を言わないでよ、大佐。皆様方はちゃんと並んでおられるのよ。私たちだけがズルしようだなんてお天道様が許しても巫女頭領の私が許さないんだから!」
ここぞとばかりにドヤ顔を浮かべた美唯が大笑いする。両腕で抱き抱えられた小次郎もチェシャ猫みたいに不気味な笑顔を浮かべていた。




