巻ノ参百八拾伍 減らせ!ノイズを の巻
山ヶ野への帰路の途中、鶴ヶ岡城を訪れた大作たちは東郷重治(大和守)の熱烈な歓迎を受けた。歓迎を受けたのだが……
「久方ぶりじゃな、大佐殿。お園殿も一緒か。相も変わらず仲睦まじきことじゃな」
「そ、そうですか? まあ、拙僧とお園は一心同体少女隊ですんで。それはそうと大和守様もご機嫌麗しゅう存じます」
「うむ、儂のご機嫌は麗しいぞ。じゃが無線機の事で相も変わらず難儀しておってな。実を申さば発電機が発するノイズとやらのせいで電波の受信感度に障りが出ておるそうなのじゃ。大佐殿、何ぞまた一つばかり知恵を授けてはくれまいか?」
口調こそ丁寧だが、言葉の端々から拒絶し難い強制力が伝わってくるような、こないような。重治の視線の先を追って行くと部屋の隅っこに手作り感が満載の謎の装置が鎮座ましましていた。
グルグルと細い銅線が巻き付けられたコイルが禍々しい存在感を放っている。少し離れたところに置かれた無線機本体は当然ながら木製だ。電鍵やレシーバーといった関連機材も一通り揃っているのが見て取れる。
「も、もう完成しちゃったんですか? 予定では半年くらい掛かるんじゃなかったでしたっけ?」
「早過ぎて腐ってなければ良いわねえ」
隣に座ったお園がクロトワみたいな合いの手を入れてきた。
「いやいや、世の中には発酵食品って物もあるんだぞ。ヤクルトにだって乳酸菌がたくさん入っているんだしさ」
「あのねえ、大佐。発酵と腐敗は丸っきり違うものよ。それに乳酸菌と腐敗も関わりが無いわねえ。あんまりいい加減な事を言ってると今にヤクルトに訴えられるわよ」
「そ、そうだな。前言撤回、過ちては改むるに憚ること勿れ。お詫びして訂正いたします。だったら…… だったら豆腐なんてどうだよ? あれって腐るって字が入っているだろ? だけども腐っていないじゃんかよ。嘘か本当かは知らんけど豆腐と納豆って名前が逆だって話をネットで見たことがあるぞ」
「あぁ~ぁ、その話なら私も聞いた事があるわねえ」
目の前の重治をガン無視して大作とお園は話の脱線で盛り上がる。盛り上がっていたのだが……
流石に我慢の限界が近付いてきたのだろうか。重治は小さく咳払いすると強引に話に割り込んできた。
「大佐殿、そろそろ儂の話に戻って頂いても宜しいかな? 無線機のノイズ対策でお知恵をお借りしたいのじゃが」
「そうですなあ…… お貸ししても良ござんすが、後でちゃんと返して下さるんでしょうねえ?」
「返す、返す。きちんと耳を揃えて返すぞ。武士に二言は無い! じゃから早う貸して下され」
瞳をキラキラと輝かせた重治が半歩ほど躙り寄ってきた。大作は思わず両手でガードしながら正座したまま後退する。
「まあまあ、そう急かされますな。慌てん坊のサンタクロースの悲劇を繰り返したくはないでしょう?」
「なんなの? その『あわてんぼうのさんたくろ~す』っていうのは? 美唯、それが気になってきになってしょうがないわ!」
「あのなあ…… 頼むからこれ以上、話を脱線させんでくれよ。美唯は暫くお口にチャックな」
「ちゃっく? ちゃっくって何なのかしら? 教えて、教えて! 教えて頂戴な、大佐!」
「だぁかぁらぁ~っ!」
どうにかこうにか美唯を抑え込んだ大作は漸く話を元のコースへと復帰させる。
「それにしても素晴らしいですなあ、大和守様。僅か一ヶ月でこれ程までの物を拵えるとは。お見逸れ致しましたぞ。いよっ、日本一!」
「そ、そうか? 大佐殿にそうまで褒めて頂けるとは思うてもおらなんだぞ」
「いやいや、大和守様。ご謙遜も過ぎたるは猶及ばざるが如しですぞ」
折角、機嫌良くしているんだ。ここはとことん褒め殺しで攻めてやろう。大作はお得意の人を小馬鹿にした様な薄ら笑いを浮かべると激しい勢いで揉み手をする。
しかし、大作の意に反して重治は賛辞と受け取ったらしい。上機嫌で破顔一笑するとドヤ顔で顎をしゃくった。
「東郷には優れたる腕前の職人が数多と控えておるのでな。其れに大佐殿の描かれた素晴らしき絵図面のお陰じゃろうて。然れど先ほども申した様にノイズとやらに難儀しておってな。肝心の信号を拾うことも儘ならぬ有様なのじゃ」
「ふぅ~ん、ノイズにございますか…… そう言えば戦前の日本軍の無線機も本当にノイズが酷かったそうですな。とてもじゃないけど音声通話なんて使い物にならなかったんだとか。仕方がないんでモールス信号を使ってたらしいですね。ちなみに戦争も末期に差し掛かったころ、エンジン周りからのノイズが原因だと分かったんだそうな。銅板で確りとシールドを施すことで劇的に改善できたとか、できなかったとか」
「左様であるか。銅板でシールドを施せば良いのじゃな。然らば早速にも……」
「いやいや、いくら銅の展延性が高いとはいえ、大きな銅板を作るのは随分と手間が掛かりますぞ。もし宜しければ拙僧にお任せ頂けますかな? 安価で良質な銅板をご用意させて頂きましょう」
青左衛門の圧延機を借りれば楽勝だ。大作は心の中で取らぬ狸の皮算用を弾く。弾いたのだが……
「大佐殿、それでは幾日も掛かってしまうのではないか。儂は今すぐにでも何とかしたいのじゃが? 立ちどころにノイズを減らす手立ては無いものかのう?」
「そ、そうは申されましてもなあ…… あとは発電機とアンテナを遠く離すくらいしか無いんじゃないですかな? うぅ~ん……」
大作は一休さんみたいに両手の人差し指の先っぽを頭の上でクルクルさせると暫しの間、考え込む。考え込んだのだが……
しかし、下手な考え休むに似たり。何一つとしてマトモなアイディアが浮かんでこない。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。お園が割り込むように話に加わってきた。
「だったら大佐、送受信の間だけ発電機を止めれば良いんじゃないかしら。バッテリーだけでも暫くは持つんでしょう? それが駄目だって言うんならバッテリーを大容量化するしかないわねえ」
「そ、そうかも知れんな。そうじゃないかも知らんけど。んじゃ、取り敢えず試してみますか?」
「そうじゃな、何事も試してみねば始まらん。夜叉丸、ひとっ走り行って参れ。発電機を止めてバッテリーを使うのじゃぞ」
「御意!」
幼い小姓が風の様に走り去る。彼はいったいどこまで走って行ったんだろう。待っている間に猫の爪でも切ろうかなあ。
そう言えば小次郎は何処へ行っちまったんだ? まさかとは思うけど迷子になっていたら困っちゃうぞ。と思いきや、美唯の膝の上で丸くなって寝ているのが目に入る。
人の気も知らないで呑気な寝顔をしていやがる。その綺麗な顔を吹っ飛ばしてやろうか? いやいや、そんな動物虐待を許す訳には……
そんな阿呆なことを考えながら待つこと暫し。レシーバーを耳に当て、固唾を飲んで待ち侘びていた重治が眉毛をピクリと動かした
「聞こえる! 聞こえるぞ!」
「大和守様、何と言うて参りましたかな?」
「暫し待たれよ。なになに? ホ・ン・ジ・ツ・ハ…… セ・イ・テ・ン・ナ・リ…… 本日は晴天なり! おお、そうかそうか! でかしたぞ、夜叉丸!」
上機嫌な顔の重治がガッツポーズ(死語)を取る。
「おめでとうございます、大和守様。して、夜叉丸殿は何方におられるのでしょう? 通信距離は如何ほどにございますかな?」
「うむ、夜叉丸なれば彼方じゃ。見えるかのう? 彼方に見える二の丸から送信しておるのじゃ」
重治の指差す先に目を向けてみれば高く掲げられた竹竿から垂れ下がった電線が見えた。どうやらアレがアンテナらしい。電線の先を目で追って行くとテーブルの様な台の上に無線機らしき装置が並んでいる。周りに立ち並ぶ何人もの人影の中、一番小柄な者が先ほどから頻りに手を振っているようだ。大作はバックパックから単眼鏡を取り出して覗き見た。
「おお、真にございますな。夜叉丸殿は彼方におられましたか…… って、たったの百メートルくらいしか離れておられませんぞ。こんな至近距離の通信で苦労されておられたとは。先が思いやられますな」
「そうかそうか、まだまだ先は長いか。まあ良いわ。初めて和尚と会うた折に申されておられたな。『美味い料理には手間が掛かる』と。苦労が多いほど仕上がった折の喜びもまた一入というものじゃろうて」
「とにもかくにも初めの一歩は踏み出せたのです。あとは徐々に改良を重ねて参りましょう。マルコーニがドーバー海峡を挟んで通信を行った際の無線機は一人で持ち運べるほどの大きさだったそうな。当面の目標は交信距離を十里まで伸ばすことに致しましょう。姶良や出水あたりまで届けば実戦で大いに役立つに違いありません」
「うぅ~む、夢が広がりんぐじゃな。うわっはっはっはっ!」
上機嫌な顔の重治が大口を開けて豪快に笑う。大作、お園、美唯、菖蒲が引き攣った顔で愛想笑いを返す。
雄の三毛猫の小次郎は退屈そうに大きく欠伸をした。
その後、座敷に集った一同は無線機の改善について熱い議論を戦わせた。と言うか、無い知恵を絞った。
やがて西の空に日が傾いてきた頃、大した結論も出ないままに発展的解消というか自然解散というか…… なし崩し的に終わってしまった。
夜の帳が降り、場所を座敷に移して盛大な宴が催される。例に寄って例の如く大作は酒を無理矢理に勧められる。勧められたのだが…… 大作にだって学習能力という物があるにはあるのだ。ほんのちょっぴりだけれども。
酒を飲む振りをして懐に仕込んだペットボトルに流し込んだり、酔っ払った振りをしたりという涙ぐましい努力を行う。お陰で酷い悪酔いをすることだけは何とか回避することができた。




