巻ノ参百八拾参 布教しろ!キリスト教を の巻
長い長い船旅の末、ようやく大作たちは懐かしい久見崎へと帰り着くことができた。
船着き場で川舟に乗り換えるとそのまま平佐城を目指して川を遡って行く。
運の良いことに入来院重朝(岩見守)はご在宅とのことだ。座敷へ案内された一同は久々の再開を喜び合った。
「大変長らくお待たせ致しました、岩見守様。此方に御座す御方は畏れ多くも先の副将軍…… じゃなかった。イエズス会の司祭、フランシスコ・ザビエル様にあらせられますぞ。えぇ~い頭が高い、控えおろう! んで、そのお隣はコスメ・デ・トーレス神父とフアン・フェルナンデス修道士。それから通訳兼ガイドの弥次郎殿にございます。以後、お見知り置きのほどを。ささ、ザビエル殿。皆様方も殿にご挨拶して下さりませ」
言うが早いか大作は素早く脇へと退く。ザビエルたちに前へ出るよう促すと同時に重朝の顔色を伺った。
急に連れてこられた南蛮人たちの顔には『わけが分からないよ……』と書いてあるかのようだ。だが、空気を読んで型通りの挨拶をするくらいの余裕はあったらしい。暫しの間、ザビエルから順番に紋切り型の決まり切った挨拶が続いた。
重朝の方も若干は面食らっているのだろうか。普段の鷹揚な態度とはかけ離れたおっかなびっくりの挨拶を返してくる。
「そ、そ、そうであったか。んで、ザビエル殿らは異国から参られたのか? いったい入来院に何用で参られた? 大佐殿とは何処で知り合うたのじゃ? もしや貨物船寧波で異国まで参ったのではあるまいな? そうじゃ、忘れておったぞ! 寧波は如何した? 船は無事じゃろうな? 何処でどのような事をしてこられたのじゃ? 何ぞ土産話でも聞かせてはくれまいか?」
入来院重朝の慌て振りは見ている方が恥ずかしくなるほどだ。まるで迷子のキツネリスみたいだな。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。
とは言え、このまま放置するのも仁義に悖る。義を見てせざるは勇なきなり。助け舟を出さざるを得ない状況だ。
「ねえねえ、大佐。それを言うなら『信義に悖る』じゃないかしら?」
「そ、そうとも言うな。ナイス突っ込みありがとう、お園」
「例には及ばないわ。仕事ですから」
ドヤ顔を浮かべたお園の横顔はどことなく國村隼さんに似ているような、似ていないような。
「そ、そうなんだ…… お仕事、ご苦労さん。とにもかくにも岩見守様。斯様に多くのことを一遍に尋ねられては困っちゃいますぞ。まずは順を追ってご説明をば致しましょう。船は久見崎へ無事に戻っております。船長以下、水主の皆様方も息災です。航海中には様々な出来事がございましたが、とても短時間ではお話が出来かねます。現在、レポートを作成中ですので纏まり次第、順次提出させて頂きます。ご一読のほど、お願い申し上げます」
「そ、そうじゃったか。んで? 其方の御仁は?」
重朝は顎をしゃくってザビエルたちの方へ向き直る。どうやら船のことなんかより目先の異国人の方がよっぽど気になっているらしい。
とは言え、どう説明したら良いんだろう。ここへきて大作は何の考えもなしにザビエルたちを入来院へ連れてきたことを後悔し始めていた。し始めていたのだが…… 突如として何もかもが面倒臭くなってしまった。
「岩見守様にお願いがございます。此処、入来院の地においてキリスト教の布教を行うことをお許しいただきとう存じます」
「き、きりすときょう? 其は何ぞや?」
「詳しい話はザビエル殿からお聞き頂くとして簡単に説明するとすれば…… この世界はその昔、神様が六日掛かって創られたそうな」
「何ですって?! それって『世界五分前仮説』みたいなお話ねえ。だとすれば七日前はどうなっていたのかしら?」
秒で食いついてきたお園によって早くも話が脱線し始めた。だが、こと話の脱線に関しては大作にも些か腕に覚えがある。ここは一歩も退くことができない場面だろう。
「残念ながら七日前のことは良く分からない。って言うか、ビッグバンの瞬間は所謂『特異点』と呼ばれる特別な瞬間だろ? それ以前の状態を観測することは原理的に不可能なんだ。ただし、七日目のことなら分かっているぞ。神様は草臥れたから休みを取ったんだ。だから日曜日は安息日なんだよ」
「ふぅ~ん、だからカレンダーは月曜日から始まっている…… って、そうだったかしら? 壁掛けや卓上のカレンダーって日曜始まりの方が多いんじゃないの? 知らんけど!」
「いやいや、知らんのかいな! だけども手帳のカレンダーなんかは月曜始まりがほぼ百パーだぞ。って言うか、週休二日が一般化した現代では土日が繋がっていた方が便利だからじゃね? そんなことないのかなあ?」
大作はスマホを起動するとgoogleカレンダーを表示させた。
「ちなみにgoogleカレンダーでは土、日、月の好きな曜日を週の始まりに設定できるんだぞ。凄いとは思わんか?」
「はいはい。凄い、凄い、凄いわねえ。でも、一週間が土曜から始まる人ってどんなお方なのかしら」
「いるんじゃね? 知らんけど! まあ、いるからこそ設定できるんじゃね?」
「だったら火曜や水曜から始まる人もいるかも知れないわよ? 木曜や金曜始まりも設定できるようにして欲しいわね」
口を尖らせたお園が心底から不満そうな顔で愚痴る。だが、言っている本人も屁理屈だとは自覚しているらしい。その口調にはどこかしら普段の勢いが欠けているような、いないような。
「いやいや、流石にそんな人は極少数派なんじゃなかろうか。どにもかくにも日曜日はキリスト復活の日とされる特別な日なんだ。だから一週間の始まりとされている。十字架に架けられたのが金曜日。その三日後の日曜に復活したって新約聖書に書いてあるんだからしょうがないだろ?」
「ふぅ~ん、書いてあるんじゃあしょうがないわねえ。まあ、そういうことにしといてあげるわ」
「それはともかく、確かヨーロッパだとイギリスが1971年に国際標準化機構の決議で一週間は月曜から始まるって決めたんじゃなかったっけ? 前に曜日計算をする話をしたよなあ?」
「そう言えば、そんな話をしたわねえ。それじゃあやっぱり週の始まりは月曜ってことになるのかしら」
「案外、次のバージョンでは設定できるようになってたりしてな。そう言えば……」
その時、歴史が動いた! それまで傍観を決め込むかのように沈黙を守っていたザビエルが突如として声を上げたのだ。
「いやいや、大佐殿。そも、ユダヤ教での安息日は土曜日にございますぞ。それも金曜日の日没から土曜日の日没までの間のことにございます。故にカレンダーは日曜から始まって土曜で終わっておりまする」
「そ、そうなんですか? が~んだな、出鼻を挫かれたぞ。うぅ~ん、どっちかに統一して頂くことは叶いませぬでしょうかな? まあ、取り敢えずその話は脇に置いとくとしますか。創世記の話しに戻って宜しいか? 良い? んじゃ、戻りますね。とにもかくにも産めよ増やせよ地に満ちよで世界人口は爆発的に増加したんです。ところがその結果、年月の経過と共に神様を信じない輩が増えたんだとか。そこで神様は人為的に大洪水を引き起こして神様を信じるノアとかいう一家族だけを残して全人類の大粛清を決行します。そんなわけで現生人類は全てその子孫らしいんですよ」
「ふぅ~ん。それって何だかイブ仮説みたいなお話よねえ」
お園が人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべながら合いの手を入れてくる。大作はアイコンタクトを取ると軽く頷いて謝意を示した。
だが、納得が行かないといった顔の重朝は小さな唸り声を上げながら小首を傾げている。
こいつはフォローが必要なのか? 大作は腫れ物に触るように恐る恐る言葉を選んで話し掛けた。
「まあ、神話なんて物はどこの文化圏だろうとヘンテコなのが当たり前ですよ。日本の国産み神話だって阿呆みたいな話でてんこ盛りじゃないですか。とにもかくにも岩見守様、どうか布教活動を認めては下さりませぬか? 絶対に損はさせませんから。絶対ニダ! ね? ね? ね?」
「うぅ~ん…… 然れど大佐殿。以前、和上は異国の神に抗わんが為に此の地へ参ったと申してはおらなんだかのう? 南蛮の坊主は敵じゃとも言うておった筈じゃぞ。儂の思い違いであろうかのう?」
そんなこと言ったっけかなあ? いや、そう言えば口から出まかせで適当なことを言ったのかも知れん。
大作は暫しの間、細くて途切れそうな記憶の糸を必死に手繰り寄せる。手繰り寄せたのだが…… 糸の先っぽは鋭い刃物で切断されたかのように何も付いてはいなかった。
「その件に関しては否定も肯定も致しません。ただ、当時と現在とでは状況が異なっているとだけ申し上げておきましょう。とは言え、ザビエル殿はこうも申されております。薩摩において布教を試みたところ、島津の邪魔に遭うたのだそうな。一方で入来院、祁答院、東郷の渋谷三氏は今現在、島津からの深刻な脅威に晒されておりますな? 古より敵の敵は味方じゃと申しましょう? だったら切支丹と手を結ぶのが道理ではござりますまいか?」
「そ、そうは申されるがなあ…… 異国の神など詣でては領内の寺社と揉めはせぬかのう?」
落ち着かない顔の重朝はキョロキョロと視線を彷徨わせる。この人ってもしかして宗教にトラウマでも抱えてるんだろうか? 身内が新興宗教に嵌って酷い目に遭ったとか。だとすると無理強いは避けた方が良いのかも知れんなあ。
分からん、さぱ~り分からん。面倒臭くなった大作は力任せに強行突破を図る。
「何故に岩見守様ともあろうお方が寺社如きの顔色を伺わねばならぬのですかな? 文句を言いたい奴には好きなように言わせておけば宜しゅうございましょう。いや、ここはむしろ強く出るべきタイミングにはござりますまいか? 今、全国各地では一向宗が勢力を増長させておるのはご存知ですかな? お陰で三河や伊勢は荒れに荒れ、越前においては百姓の持ちたる国とか何とか言われておる有様だそうな。マルクスは申された。『宗教はアヘンだ』と。過激化する一方の一向宗を放置しておいては国が滅びかねませんぞ。地球が持たん時が来ておるのです。なぜそれが分からんのですか? 岩見守様、何卒ご決断のほどを!」
「きゅ、急にそんな事を言われても儂には良う分からんのう…… 千手丸、其方は如何じゃ? 思うた事を申してみよ」
進退に窮まった重朝は寄りにも寄って小姓に助けを求める始末だ。もしかしてこのおっさんにプライドって物は無いんだろうか。無いんだろうなあ。
それはともかく、ここまで来れば後ひと押しで落ちそうだぞ。大作は余裕の笑みを浮かべるとザビエルたちの方を振り返った。振り返ったのだが……
「誰もいないんですけど……」
「異国の方々ならば今しがた席を外されましてございますが?」
屈託の無い笑顔を浮かべた千手丸が小首を傾げる。
「……」
大作はザビエルたちを十把一絡げに纏め上げると心の中のシュレッダーへ放り込んだ。




