巻ノ参百八拾弐 そして美唯がいなくなった の巻
突然の暴風雨を避けるため大作たちを乗せた貨物船、寧波は野母崎半島の先っぽに浮かぶ小さな島、横島に避難する。
そこへ偶然にも現れたのはイエズス会のフランシスコ・ザビエル司祭、コスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、そして通訳兼ガイドを務める日本人の弥次郎たちであった。
彼らは乗ってきた船が難破してしまい平戸へ向かう方法を失ってしまったのだそうな。大作は彼らに言葉巧みに取り入ると、入来院ならキリスト教の布教が認められるに違いないという希望的観測で一同を久見崎へと誘った。
「漸く久見崎が見えて参りましたぞ、ザビエル殿。あれが川内川にございます。船長!このまま平佐城まで川を上って頂くことはできましょうや?」
「いや、あの、その…… この船で仙台川を上るのは些か難しゅうございますな。久見崎で小舟に乗り換えるのが宜しゅうございましょう」
船長がやんわりとした拒絶の言葉を返してきた。カチンときた大作は何か言い返してやろうかと船長の顔を睨みつける。睨みつけたのだが……
目が笑っていないんですけど? って言うか殺気立った目つきをしていらっしゃる。
これは逆らわん方が良さ気だな。大作は卑屈な愛想笑いを浮かべると袂から小銭を取り出した。
「船長殿。いや、船長様。此度の船旅、大層と楽しゅうございました。大佐はもう走れません。これは僅かだが心ばかりのお礼にございます。受け取って下さりませ」
「いやいや、大佐殿。此度の船旅は大殿の命によるもの故、斯様な物を頂く訳には参りませぬ」
「そこを何とか……」
「滅相次第もございませぬ……」
大作と船長がそんな阿呆な遣り取りをしている間にも船は川内川の河口に辿り着く。
左岸を少しばかり遡ると以前にも訪れたことのある造船所が見えてきた。川岸には貨物船、寧波の同型艦らしき船が仲良く三隻並んでいる。
どうやら左の一隻はまだ建造中らしい。真ん中は艤装中なのだろうか。右の一隻はすでに完成しているようだ。
「有田殿! 有田源三郎殿は何処におられますかな?」
「へい、大佐殿。お呼びにございましょうか?」
「うわぁ! びっくりしたなあ、もう…… 真後ろにおられるとは思いもしませんでしたぞ。アレをご覧下さりませ。アレが我ら入来院水軍の新型艦にございます。年内には本艦も含めて同型艦が八隻、一回り小さい高速艇が八隻からなる八八艦隊。通称Z艦隊の再編が完了致します。有田殿にお願いしておる水主の修練もあの船に乗せんが為にございます」
「それはそれは。さぞや見事なる水軍になりましょうな」
「ちなみに入来院水軍は完全実力主義を謳っております。結果さえ出せば必ず評価されます。ボーナスだってたっぷり出ますし、もし希望されるなら正社員への登用だって十分にあり得ます。そうそう、社会保険の話を忘れておりましたな……」
その時、歴史が動いた! というか、船が港へ到着した。
軽い衝撃と共に船が川岸へと乗り上げる。陸で待機していた男たちが四方に群がると立ちどころに船を固定して行く。
「大変お待たせ致しました、ザビエル殿。無事に久見崎へ到着しました。済みませんが急いで降りて頂けますかな。ここからは川舟に乗り換えて平佐城まで参ります。ささ、どうぞどうぞ。と思ったけど、レディーファーストだな。お園、美唯。とっとと降りてくれるかな」
「分かったわ、大佐」
「美唯、分かった!」
「にゃあ! にゃあ!」
「いやいや、小次郎は雄猫だろ。レディーファーストとは関係無いじゃんかよ」
一同は梯子を伝って次々と陸地に降り立つ。
船長は水主たちとはここで一旦お別れだ。大作は一人ひとりに労いの言葉を掛けながらお礼の小銭を渡して回った。
ちょっと離れた船着き場では駅のタクシー乗り場みたいに川舟が三艘ほど客待ちしている。
大作はつかつかと歩み寄ると船頭らしき初老の男に話し掛けた。
「あんのぉ~っ、済みません。ちょっくら平佐城まで乗せてもらいたいんですけど、料金はお幾らですかな?」
「なに? 平佐城じゃと? お城までなら一人銭十文じゃ。ひい、ふう、みい…… って、お坊様は大佐様ではござりますまいか?! 暫くお戻りになられましたか。大佐様からお題を頂戴するなど滅相次第もございませぬ。ささ、早うお乗り下され。何処なりとご随意にお申し付け下さりませ」
「いやいや、そういう訳にもまいりませぬ。えぇ~っと、ハンター協会の四十人と忍びの九人に有田殿。拙僧とお園と美唯と…… そうそう、それとイエズス会の三人。全部合わせると……」
「大佐、菖蒲をわすれているわよ。全部合わせると五十七人ね。猫は手荷物扱いなんでしょう?」
「ってことは銭五百七十文にもなるのかよ。うわぁ、物凄い金額だなあ…… って言うか、早いとこ十紋金貨や百紋金貨を流通させないと小銭の重さでギックリ腰になりそうだな」
大作は紐で束ねた一文銭を重そうに取り出すと船頭に手渡した。男は何度も遠慮していたが最後には根負けしたのだろうか。押し切られるように現金を受け取った。
どんぶらこどんぶらこと舟は川内川を上って行く。もう何度目になるのだろうか。すっかり見慣れた景色ではあるが、季節が初夏に変わったせいもあるのだろうか。前に通った時とは少しだけ趣が異なっているような、いないような。
いったいどこが違っているんだろうか。大作は気になって気になってしょうがない。だが、何度見てもさぱ~り分からない。
下手な考え休むに似たり。そうやって時間を持て余している間にも舟は川を遡る。まるで『地獄の黙示録』のPTボートみたいだなあ。大作は船縁にもたれ掛かってゆっくりと流れる川の水面をぼぉ~っと眺めて時間を潰した。
「大佐、もうすぐお城に着くわよ。降りる支度は出来ているのかしら?」
「へぁ? もう着くのか? 何だか知らんけどあっと言う間だったな」
「大佐がそう思うんならそうなんでしょう。大佐ん中ではね」
レディーファーストでお園と美唯を先に降ろす。続いて降りた千手丸は先触れのためにお城へと駆けて行った。
って言うか例に寄って例の如くアポ無しで来てしまったが、入来院のお殿様はご在宅なんだろうか。もしかして清色城にいるかも知れんな。だったら全くの無駄足なんじゃなかろうか。その場合、川舟の運賃はどうなるんだろう。乗り継ぎ割引とかあったりするのかなあ。交渉次第でどうにかなれば良いんだけれど。
そんな益体も無いことを考えながら歩いて行くこと暫し。平佐城の城門まで進むと千手丸が手持ち無沙汰な顔で立ち尽くしていた。
「大佐様。殿が座敷にてお待ちにございます。此方へお出で下さりませ。ああ、皆様方は彼方でお寛ぎ下され」
どうやらハンター協会員や忍びたちまで熱烈歓迎してくれる訳ではなさそうだ。大作、お園、美唯、小次郎、菖蒲までがゲスト枠ということらしい。
用意してくれた桶の水で足を洗って城の中へと案内される。
狭くて薄暗い廊下を進んで行くと前にも通されたことのある座敷へ到着した。
「大佐殿、久しいのう。皆も息災であったか?」
座敷の一番奥、一段高くなったところに入来院重朝が胡座を組んで座っていた。
相変わらずの年齢不詳の髭達磨みたいなおっさんだ。だが、にこやかな表情から察するに機嫌は悪くなさそうに見える。
「岩見守様におかれましてもご機嫌麗しゅうございます。なかなか刺激に満ちた旅でしたが入来院水軍衆の皆様方のご助力により一人の欠員も出すこと無く無事に帰ってくることが叶いました。そして此度、此方の有田源三郎殿を水軍衆の指導教官としてお迎えすることが…… って、有田殿? 有田殿は何処に?」
「あの御方なら忍びやハンター協会と一緒に連れて行かれちゃったわよ」
「そ、そうなんだ…… じゃあ、その件は後ほどと致しましょう。ところで岩見守様。本日は特別ゲストをお呼びしております。遠い遠い異国の地、ポルトガルから遠路遥々やってきたイエズス会のフランシスコ・ザビエル司祭、コスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、そして通訳兼ガイドを務める日本人の弥次郎殿です。以後、お見知りおきのほどを……」
大作は切支丹伴天連たちを重朝に紹介しようとゆっくり後ろを振り返る。振り返ったのだが……
「……」
「皆様方なら忍びやハンター協会と一緒に連れて行かれちゃったわ。良かったら美唯が呼んでくるわよ?」
食い気味に詰め寄ってきた美唯の勢いに大作は思わず一歩引いてしまう。
って言うか、急激にやる気が消え失せて行くのが実感できた。
「そ、そうなんだ。何だか俺、どうでも良くなってきちゃったぞ」
「そんなこと言わないで頂戴な、大佐。それじゃあ美唯、悪いんだけど一っ走りお願いするわね。異国の方々を呼んできてくれるかしら」
「畏まりました、お園様!」
ドヤ顔を浮かべた美唯がBダッシュで駆けて行く。その背中を見送りながら大作は切支丹伴天連たちのことを心の中のシュレッダーに放り込んだ。




