巻ノ参百七拾伍 登れ!愛宕山を の巻
次に大作が目を覚ました時、眼前に広がっていたのは荒々しい木目の板切れだった。
これって杉なのかな? それとも檜? ひょっとすると欅だったりして? 分からん、さぱ~り分からん。木目だけで木の見分けが付くほど木材に詳しくないのだ。
だったら材木屋に聞いてみたら…… いやいや、そんなことより大事なことがあるぞ。
「ここはどこ? 私はだれ?」
「あら、漸く目を覚ましたのね、大佐。ここは赤い嵐。あなたは能勢慶子よ」
首を浮かせて声のする方に目をみやれば枕元に半笑いを浮かべたお園がちょこんと座っていた。
隣には美唯と小次郎もオプションみたいにくっついている。
「あはははは…… 今の返しはなかなか良かったぞ。七十点…… いや、七十五点ってところかな?」
「あら、案外と厳しいのね。じゃあ、大佐だったらどんな風に返すのかしら? 是非ともお手本を見せて頂きたいものね」
「あ、そうだなあ…… まず、ここは船の中だな。だって、ゆらゆらと揺れてるんだもん。それに潮の香りもするしさ。んで、この天井の低さから察するに三段ベッドの最下段に寝てるってことだろ?」
大作は卑屈な笑みを浮かべると上目遣いでお園と美唯の顔色を交互に伺う。だが、二人は般若の面みたいに険しい表情を崩さない。
と思いきや、お園が不意に斜に構えると軽く顎をしゃくった。
「ファイナルアンサ~?」
「ファ、ファイナルアンサ~!」
内心の不安を抑えつつ、大作は自信満々の振りをする。
次の瞬間、お園と美唯が弾けるように手を叩き出した。
「驚いたわ、大佐。そんなこと、良く分かったわね」
「何で分かっちゃったのかしら。本に不可思議だわ」
「なぁ~に、簡単な推理だよ。ワトソン君」
得意げな顔の大作は右手の人差し指を一本だけ立てると眼前でゆっくり左右に振る。同時に小さく舌打ちをするのも忘れない。
しかし、お園から返ってきたのは今では定番中の定番とも言える懐かしいリアクションだった。
「わとそんくん? それって誰なのかしら? もしかしてその女にも懸想してたんじゃないでしょうねえ?」
「はいはい、お約束、お約束。んで? 現在位置はどのあたりなんだ? って言うか、俺は何日寝ていた? 今は何年何月何日だ? 今の日本の総理大臣は誰だ? 電子レンジで目玉焼きを作ろうとするとどうして爆発しちゃうんだ? それから……」
次から次へと矢継ぎ早に質問を繰り出す大作を目の前にした二人と一匹は開いた口が塞がらないといった顔だ。もはや真面目に相手をするのが阿呆らしいとでも思っているのだろうか。何一つとしてリアクションを返してこない。
反応が無いのは辛いなあ。急激に大作のやる気が萎み、マシンガントークも尻すぼみになってしまう。
それを好機と見たのだろうか。話が途切れたタイミングを見計らったかのようにお園が口を開いた。
「大佐、落ち着いて聞いて頂戴な。私たちが今いるのはオールトの雲の少し内側にある連邦軍の宇宙基地よ。今から六年前、人類は未知の地球外生命体と遭遇したの。だけども残念なことにファーストコンタクトは悲劇的な結果に終わったわ」
「それってもしかしてアレか? あっという間に地球は壊滅。ほんの一握りの人間だけが脱出してここに辿り着いた。みたいな?」
「相変わらず理解が速くて助かるわね。それと今年は2214年よ。あれから664年もの年月が経過したの」
「マ、マジかよ……」
大作は思わず深いため息を付く。付いたのだが……
落ち着いて二人の顔を良く見てみれば何かを我慢するかのように奥歯を食いしばっているような、いないような。頬がピクピクと引き攣り、肩をプルプルと震わせている。その様子は抑えきれない感情を必死に堪えているかのように見受けられなくもない。
もしかしてもしかすると、サツキやメイ、ほのか、愛、舞、エトセトラエトセトラ…… その他の雑多な面々は十把一絡げに死んじまったのかも知れんな。
もしそうだとすれば気の毒なことだ。大作は心の中で合掌する。
とは言え、くノ一軍団や忍びの連中に加えてハンター協会やら何やらでキャラが増え過ぎて収集が付かなくなっていたのも事実だ。自分の手を汚さずにリストラできた。そう思えば有り難いことなのかも知れん。こりゃあ宇宙人様に感謝しなきゃならんな。
とにもかくにも済んだことだ。今さらくよくよしたってどうにもならん。究極のポジティブシンキング男、大作は立ち直りの早さだけは誰にも負けない自信があるのだ。
と思いきや……
「あはははは!」
「うふふふふ!」
「にゃあ! にゃあ!」
お園と美唯と小次郎が突如として腹を抱えて大笑いを始めた。もしかして悲しみのあまり、頭がおかしくなったのか?
こんな奴らの相手をするのは面倒臭いなあ。大作は二人を無視して宇宙基地とやらの様子を見に行こうと三段ベッドから体を起こす。起こそうとしたのだが……
突如として目の前に眩しい火花が散る。と同時に額に酷い激痛を感じた。
「あ痛っ! 痛たたた……」
「あら、大佐。頭をぶつけちゃったのね。三段ベッドは天井が低いから用心しなくっちゃ。さあさあ、痛いの痛いの飛んで行けぇ~っ!」
お園は大作の頭を軽く抱きしめるとツルツルのスキンヘッドを優しく撫で回す。途端に痛みが少しだけ和らいだような、そうでもないような。まあ、何もしないでも痛みなんて勝手に引いていくものなんだろうけれど。
良く分からんが不思議な力じゃ。大作は心の中で突っ込みを入れるが決して顔には出さない。
「さあ、大佐。甲板に出てみましょうよ。今どこにいるのか知りたかったんでしょう?」
「んっ、甲板ですと? 俺たちは宇宙基地にいるんじゃなかったっけ? 宇宙基地に甲板なんてあるのかな?」
「マジレス禁止! 宇宙基地なんて空言に決まってるでしょうに。いま私たちがいるのは喜望峰の沖合よ」
「な、なんだってぇ~っ! もしかして俺たちはアフリカを越えてヨーロッパを目指しているのか? それってアレかな? 遣欧少年使節団的な? これは物凄い歴史的快挙だぞ! お園、君は英雄だ! 大変な功績だよ! バン、バン、カチ、カチ、あらら?」
気分も有頂天な大作は梯子みたいに急な階段を駆け上る。ハッチのような狭い扉を通り抜けて甲板へ飛び出すと……
「なんじゃこりゃぁ~っ! どこからどう見ても田舎の鄙びた漁村にしか見えないんですけど?」
「だからさっきからマジレス禁止って言ってるでしょうに。さあ、いよいよ佐世保に着いたわよ。飯盛城の松浦様をお訪ねするんでしょう?」
「そ、そうだったな。そう言えばそんなことを言ったような気がしてきたよ。良く分からんけど段々と思い出してきたぞ。うん、間違いない。確か平戸瀬戸を通って南へ進み、高島の南を回ってここまできたんだっけ」
「そうよ、ちゃんと覚えていたじゃない。偉い、偉い」
ドヤ顔を浮かべた美唯までもが大作のツルツルのスキンヘッドを撫で回す。これはもう駄目かも分からんな。大作は小さくため息をつくと荷物を纏めるために船倉へと戻った。
バックパックを担いだ大作は再び船倉から這い出る。ほぼ同じタイミングで船は静かに砂浜へと乗り上げた。
「どうやらここは相浦湾らしいな。あっちに見えているのが愛宕山だ。まあ、全国に数ある愛宕山の一つに過ぎないんだけどな」
「私たち佐世保とやらに行くんじゃなかったのかしら?」
「ここも広い意味では佐世保の一部なんだぞ。ちなみに佐世保湾はあそこに見える弓張岳の向こう側だな。二里くらい行ったところだ」
スマホの地図を確認した大作は南東方向を示すと人差し指をグルグルと回す。釣られてお園や美唯、小次郎がほぼ同時に首を向けた。
「ふぅ~ん、そっちにご用は無いのかしら?」
「時間があれば佐世保バーガーでも食いに行くか? まあ、この時代に売ってるはずもないんだけどさ。ハウステンボスやジャパネットたかたもこの時代には影も形も無い。ちなみに竹下景子のお父さんは佐世保出身なんだってさ」
「びっくりするくらいどうでも良いお話ねえ。んで? 今の佐世保にはいったい何があるっていうのよ?」
「たぶん小さな漁村しかないと思うぞ。大きな集落があるのは相神浦と早岐って話だし。とにもかくにも俺たちが行くのは相神浦の愛宕山にある飯盛城だ」
「松浦氏の宗家、相神浦松浦様のお城だったわよね? 御当主は松浦親(丹後守)様。いったいどんなお方なのかしらねえ」
満面の笑みを浮かべたお園は梯子を伝って砂浜へと降りて行く。小次郎を抱っこした大作も後に続いた。
浜から愛宕山は一キロと離れていないようだ。今まで散々歩かされたのと比べれば目と鼻の先と言っても差し支えない。手前には小高い丘が聳えているが標高二百三十メートルもある愛宕山の中腹から上は丸見え状態だ。
飯盛城の土塁や曲輪は愛宕山の南西側の山腹に広範囲に構築されているらしい。遠目に見ただけでも非常に大規模な造りなのが見て取ることができる。
「船長、拙僧は松浦の殿様と内密の話があります故、ちょっと出掛けて参ります。いざという時はダッシュで逃げられるように水や食料を補給しておいて下さいな」
「だっしゅで逃げられるようにでございますな。心得ましてございます」
船長がドヤ顔を浮かべて安請け合いする。だけども本当に意味が分かって言ってるんだろうか。
『分っかるかなぁ~っ? 分っかんねぇ~だろぉ~なぁ~っ!』
大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。ただひたすら一目散に愛宕山を目指して歩を進めるのみだ。
時折、後ろを振り返っては忍びやハンター協会員がちゃんと付いてきているか確認するのを忘れない。
「お園、美唯、分かってるか? 俺たちが何をしに態々ここまでやってきたのかを」
「何をしにですって? 何ぞ用事なんてあったのかしら。美唯、さぱ~り分かんないわ」
「私はちゃんと覚えているわよ。入来院様でお作りになる水軍の合力をお願いするんでしょう? その代わりに鉄砲を差し上げる。と見せかけて、実は弾や火薬を売って儲けるつもりなのよねえ?」
「良くもまあ、そんな細かいことまで覚えていたな。この俺ですらすっかり忘れていたっていうのにさ。流石は完全記憶能力者様。いやはや、おみそれ致しやした!」
大作は余裕のポーカーフェイスを浮かべながらも内心では冷や汗をかいていた。
松浦親(丹後守)って奴はこんな行き当たりばったりで何とかなるような相手なんだろうか。
まあ、いざとなったら十人の忍びとハンター協会員が何とかしてくれるかも知れん。何とかしてくれないかも知れないけれど。
『オレはようやく登り始めたばかりだからな、この果てしなく遠い愛宕山への坂道をよ……』
未完
大作とお園と美唯と雄の三毛猫の小次郎の次回作にご期待下さい。




